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必ず年に一度この日はくる。みなさんに考えて欲しくていつもリンクを貼る。『神雷桜』昔もここ数日のように、桜の開花の話題がかまびすしかったっけ?どうもここ15年くらい、年々‘開花フィーバー’がひどくなっているように思える。靖国神社の標本木、…ameblo.jpひとりくらい俺のようなへそ曲がりがいないと忘れ去られてしまう。
富高海軍航空隊fuyunoB、仕事で宮崎県日向市に行く。そして空き時間ができたということで、さっそく戦跡めぐりへ。今回は、富高海軍航空隊跡地を訪ねたそうです。宮崎県、日向市、お倉ヶ浜に面する財光寺一帯には、かって海軍の富高航空基地がありました。1929年(昭和4年)に海軍は土地を買収して飛行場建設に着手。1935年(昭和10年)に拡張工事。でも、鹿屋や宇佐に比べ、比較的小規模の飛行場でした。しかし、富高は、真珠湾攻撃において重要な役割を果たしています。ハワイ真珠湾奇襲作戦の訓練基地
みなさま、こんばんわさくらゆかりです今回は、映画「ペリュリュー楽園のゲルニカ」の展示イベントを見るために「筑波海軍航空隊記念館」に行った時のブログです茨城県笠間市にある「筑波海軍航空隊記念館」かつて海軍基地だった場所に作られた、茨城県立こころの医療センターの敷地内にあります記念館の建物はふたつ水戸歩兵第二連隊の記録歩兵連隊とは、陸軍における軍団編成のひとつです。日本陸軍では3000人規模の徒歩の戦闘員を単位とした部隊を歩兵連隊と称し
桜花の碑鹿屋航空隊跡地、現在の海上自衛隊鹿屋航空基地の敷地の周りを囲むように、海軍航空隊の戦跡が複数残っております。中でも印象深いのは、桜花出撃の地。↑桜花レプリカ(写真はWikiからお借りしました)鹿屋は、野中五郎少佐が率いる神雷部隊が出撃した地です。神雷部隊は、非情の特攻兵器、桜花、そして桜花をぶら下げて敵艦隊まで飛ぶ一式陸攻、それらを掩護する零戦隊で構成されていました。特攻兵器はすべてが非道ですが、この桜花の非道、非常、非合理については憤懣やるかたない・・・。人間を誘導レー
アマゾンプライムで桜花を描いた映画「サクラ花」が配信開始になったので見てみたのです。桜花。若い搭乗員の命を部品として扱った非道の特攻兵器。当時の最先端ロケットエンジンを装備し高速で敵艦に向かっていく。一式陸攻に敵艦近くまで運ばれて切り離されロケットエンジン噴射。桜花は飛行機というよりも滑空機。プロペラも車輪もなく、ただ高速で敵艦に突っ込んで行くだけ。まさに人間爆弾。この桜花に乗るのは若い搭乗員達。学徒出陣で海軍に入り少尉になった予備飛行学生達も多かった・・・。桜花については
貴様達を先に敵に墜とさせはしない「中攻隊の至宝野中五郎後編」で、桜花を抱えた神雷部隊を掩護するために零戦隊が出撃したがアメリカの戦闘機に蹴散らされて・・・みたいなことを書いてしまいましたが。失礼いたしました・・・_(._.)_『中攻隊の至宝野中五郎後編』(中編から続く)この槍使い難し五郎さん、神雷部隊の飛行隊長に任命されてどういう気持ちだったでしょう・・・。五郎さんは、神雷部隊の隊員達を労わり、励ましながら…ameblo.jp湯野川守正(ゆのかわもりまさ)氏(七二一
(中編から続く)この槍使い難し五郎さん、神雷部隊の飛行隊長に任命されてどういう気持ちだったでしょう・・・。五郎さんは、神雷部隊の隊員達を労わり、励ましながらも、桜花にははっきりと反対していました。五郎さんは自ら桜花を細かく観察し分析して、実際に桜花をぶらさげて一式陸攻で訓練してみて「無理だ」と実感したと思います。「この槍使い難し」と上官や同僚にはっきりと言っていました。「桜花の使用を止めさせてくれ」と周囲にも言っていました。特攻兵器開発とは別に、昭和19年10月から、爆撃機や零戦が敵
(前編から続く)美と芸術を愛する心一方、五郎さんにはべらんべえ雷撃隊長とは違う顔がありました。五郎さんは茶道をたしなんでいて、私室に茶道具がありました。野点用の茶道具も持っていて、中攻に乗っている時に、お茶をたてて部下に振る舞うこともあったそうです。お茶を点てることで心を静かに保とうとしていたようです。戦争後半、五郎さんは七五二空の飛行隊長として硫黄島に進出します。攻撃のない夜、水もろくになく、あっても硫黄くさい水だったけれど、茶菓は、配給の熱糧食だったけれど、五郎さんは部下達を客とし
神雷部隊を率いた野中五郎少佐野中五郎少佐といえば、神雷部隊。特攻兵器「桜花」を運んだ部隊の指揮官として知られています。彼自身の思いとは裏腹に。野中少佐は、野中一家と呼ばれた中攻隊を率いて勇猛果敢に戦いました、そして散った・・・。ものすごーく男気のある雷撃隊指揮官です。しかし、彼の人生は二面的であり、悲劇的でもあります。(↑写真はWikiからお借りしています)野中さんの雷撃隊は出撃すること300回以上・・・。その回数の多さもすごいけれど、雷撃機で300回も出撃して生き抜いたことが
地下壕、零戦レプリカを後にして、記念館に戻る。まずは司令部の脇に建てられた新展示館に入る。ここでの地下壕に並ぶ大目玉が零戦21型の尾部である。こちらに展示された当初は、垂直尾翼に海外の収集家の手にあった時に書かれたであろう「JAPZEROTAIL」との文字があったのだが、現在は消されている。戦争記念館としてJAPと書かれた文字を消したい気持ちはもちろん理解するが、歴史の保存という観点からみると正解か否かの判断は難しい。劣化しているとはいえ、この薄赤い塗装はな
1945年3月21日この日、第二次世界大戦ロケット特攻機「桜花」が初めて実戦投入されるも、出撃した部隊は母機もろとも全滅し戦果無し。「桜花」日本海軍が太平洋戦争中に開発した特殊滑空機。特攻兵器として開発され、実戦に投入。1945年3月21日神雷部隊は第一回神雷桜花特別攻撃隊(第一神風桜花特別攻撃隊神雷部隊)を編成。沖縄を攻撃中の米機動部隊に向けて出撃させました。出撃から30分も経たない内に、23機の護衛戦闘機が故障等により帰還。野中隊に随伴してる戦闘機は、神雷部隊の306飛行隊
14年前、初めて訪ねた桜花の碑🙏79年前の今日、ついに初出撃した旧日本海軍の「特攻兵器」の名前(現代ビジネス)-Yahoo!ニュース私は2023年6月、『カミカゼの幽霊人間爆弾をつくった父』(小学館)という本を上梓した。大戦中、「人間爆弾」と呼ばれる特攻兵器「桜花」を発案し、終戦直後に自決したとされながら、戦後は戸籍も名前もnews.yahoo.co.jp※79年前、この地から「人間爆弾」を抱えた攻撃隊が出撃した❗※米軍に接収された桜花の機体只でさえ重い機体を通常爆弾より
ファンクラブかなんかで届いたタイガースグッズ【6】【7】【8】【9】【10】クリアファイルマウスパッドキャップ缶バッヂ2こまた新たに旅に出た息子のお土産の新シリーズがつかえてるので、タイガースグッズシリーズは一気に終わらせました。それはさておき続きです。鹿屋航空基地の旧海軍展示がおわり、次の展示は戦後、自衛隊となってからのハイテク機とか。ミサイルとか機雷とか。救助ヘリとか。ここは基本的には鹿屋の基地ができた昭和11年以降の資料の展示が中心だから、幕末だの日清日露だの第一
鹿屋市東部、海軍笠野原基地跡の畑の中にポツンと残る掩体壕は、米軍の爆撃から飛行機を守るためのものだった。飛行機のサイズに合わせてつくられた。これは零戦を入れるためのものだったと言われている。掩体壕建設には地域の大人はもちろん、15歳前後の当時の男子中学生たちや女学校生徒たちが作業に動員された。今の小学生にあたる国民学校生徒たちが動員されることもあった。貨物船が米軍機や潜水艦に次々に沈められていたため鉄が造れなくなり、ここではほとんど使われていない。造り方はまず平地に土を
おはようございます☺️高3の長男、高1の長女、ペルテス病の次男(中1)の母Yukaです。≪家族紹介≫https://ameblo.jp/kuro-yuzu-mame/entry-12593633623.htm長男と長女が友達と遊びに行ったから、我々(私、夫、次男)もどこかに出かけよう😆向かったのは茨城県鹿嶋市。【櫻花公園】太平洋戦争末期、ここに海軍航空隊神之池基地が開設され、特攻兵器「櫻花」の訓練が行われていました。その記念として当時の掩体壕内に櫻花の復元機が置かれています。
発掘しててとんでもないものを見つけてしまったぁ!どうしよう(棒読み)ダイナロボとゴーグルロボです(^^;;さて、本日は終戦記念日…天皇陛下がポツダム宣言受諾をラジオ放送した日ですね降伏文書に調印したのが9月2日なので第二次世界大戦終結はこちらと思います最近Mr.Gさんが零戦21型を製作されてたのでついでに発掘(便乗ともいう)しますかね…こんなん出ましたけど音速雷撃隊(一式陸攻と桜花のセット)桜花は生きてる人間を誘導装置にした兵器です(´;ω;`)『悲しいときはいつも』を聴くたびに
1945年6月23日、沖縄での組織的戦闘は終わりを告げました。これを受け沖縄方面への特攻作戦は最終局面を迎えます。※これ以降散発的な出撃はありますが、大規模な作戦は菊水十号作戦が最後となります。21日に菊水十号作戦と第十一次航空総攻撃が発令され、22日までに特攻機67機を投入します。21日19時半頃、鹿屋基地からこっそりと白菊2機が飛び立ちました。向かうは沖縄海域。練習機である白菊が菊水第二白菊隊としての出
(撮影:万山亀男)(撮影:万山亀男)陸上自衛隊廣島13旅團(特科)の部隊章が着いた對中國戦(第二次支那事變)仕様の隊服(冬用の外被)です。13旅團の部隊章は毛利元就公の三本の矢です。上部の山型の下の黄色の兵科色は特科(旧軍の砲兵)を表しています。海上機動旅團の廣島13旅團は千葉県習志野の第1空挺團と共に中共との戦争が起きたら真っ先に投入される精鋭部隊です。中国人民解放軍に尖閣諸島を占領されて戦争が始まったら尖閣諸島奪還の為に真っ先に投入される精鋭部隊です。(撮影
空母バンカー・ヒルはエセックス級の4番艦として、1943年5月24日に就役し、11月11日の第二次ラバウル空襲に参加しています。米海軍は時期空母艦載機にF6Fをほぼ認定していましたが、本作戦においてバンカー・ヒルがF4Uを搭載し、試験的運用を実施。艦載機としての有望性を実証したので、これ以降F4Uの搭載率が向上しています。その後ギルバート・マーシャル諸島侵攻作戦、トラック島空襲などに参加。
非は利に勝つことあたわず利は法に勝つことあたわず法は権に勝つことあたわず天は明にして私なし後醍醐天皇が鎌倉(北条)勢力の威圧から逃れ、笠置山に避難した際、地元豪族が集結した中にあって楠木正成が掲げた軍旗とされています。過ちや間違いは『利』であり、『力』には及ばない。『力』は『決め事』や『法則』にはかなわない。『決め事』や『法則』は時の権力によって支配され、万能ではない。『天(真理)』の元には
青空です3月も終わりに近づいていますね。年度末で忙しく働いている方々、お疲れ様です。すみません家でくすぶっているだけで…例年になく桜前線が早く北上しているようで春を感じると共に、何か物悲しいような…ワタクシだけかもしれませんが…78年前の3月26日より太平洋戦争の終盤「沖縄戦」が始まりました。多数の軍人とともに沖縄の民間人に多大な被害を出した悲惨この上ない戦い。今では日本とアメリカが戦争していたことを知らない人も居るらしいですね…咲いた花なら散るのは覚悟みごと散りましょ国の
独空軍は1942年6月にフィーゼラー社に対してパルスジェットを動力とする飛行爆弾の開発を命じわずか半年で飛行実験に成功しています。1942年6~8月の太平洋戦線の情勢は6月5日~7日、ミッドウェー海戦で海軍は敗北。8月7日、敵はソロモン諸島のガダルカナル島に上陸。8月8日、第一次ソロモン海戦8月24日、第二次ソロモン海戦10月11日、サボ島沖海戦10月26日、南太平洋海戦11月12日、第三次ソロモン海戦海軍陸
人間爆弾・桜花を描いた松本零士先生の作品作品を観てこの曲聴くと泣ける😢※12年前、鹿屋の桜花の碑を慰霊した🙏https://ameblo.jp/ehimerekitan/entry-12571290390.html『10年前の旅の続き・・』前記事で書いた10年前の鹿児島〜宮崎県、大分県の旅鹿屋から高千穂までの様子をチラッと載せとく😊鹿屋のホテルを朝一で出発し先ず向かったのは海上自衛隊鹿屋基地の…ameblo.jp泣ける作品😢機体下部に桜花を抱いた一式陸攻只でさえ重量もあり戦闘機
14時発のフェリーに揺られること約50分。根占港に到着。この根占港には「ねじめ温泉ネッピー館」と言う温泉宿泊施設があります。過去に何度か鹿児島入りしてるのですが、その時は加世田市の『万世特攻平和祈念館』-『知覧特攻平和会館』-『鹿屋航空基地史料館』のコースを取ってたんで、一日で鹿屋までは行けないからよくここで宿泊してました。でも今日は鹿屋まで行かなあかんから素通りデス根占から鹿屋まで約50分走って
盆休みという概念はないが…8月15日終戦の日、たまたま休みだった暇人ぱみおは、以前から気になっていたところへ出かけた。気になるところが多すぎるともいう筑波海軍航空隊記念館2022.8.15筑波と書いてあるが、所在地は茨城県笠間市(旧友部町)になる。私がまだピチピチだった高校生の頃、同級生がこの近くに住んでいてよく遊びに行った。ウン十年振りにこの辺りに来たけれど、すっかり変わっていた。当時は怖い精神病院というイメージだった。旧·県立友部病院、現·県立こころの医療センター(建物は新し
帝国海軍は、ワシントン海軍軍縮条約の不平等を補うため、基地航空隊が敵艦を攻撃する長距離攻撃機開発に着目します。三菱重工業が開発した九六式陸攻は大陸への渡洋爆撃に使用され、数々の戦果を挙げますがその分被害も増大しました。防備能力を向上させた後継機開発が急がれます。九六式陸攻の金星発動機を止め新たに火星発動機を搭載し1941年4月1日に制式採用されたのが一式陸上攻撃機です。九六
少し前に存在を知り一度行ってみたいと思っていた場所茨城県笠間市旭町654筑波海軍航空隊記念館1938(昭和13)年に建てられほぼ当時の姿のまま現存している旧筑波海軍航空隊司令部庁舎多くの隊員が集合し訓練した場所に残る号令台駐車場から入口までがわりと離れていたので少々戸惑ってしまいましたがどうやらこちらが入り口のようです受付を済ませ首から下げる入館証をお借りしてまずは新館内からひとりひっそり静かに
東京の櫻の標本木がある靖國神社の櫻の様子を観察して来た靖國神社参道・外苑の櫻靖國神社待ち合わせ場所の定番大村益次郎像御神門靖國神社境内東京の櫻の標本木標本木の梢拝殿特攻隊・神雷部隊の戦友達が再会を約束した櫻木神雷櫻神雷部隊第721海軍航空隊の別称新兵器・所謂人間爆弾「桜花」を主戦兵器として新編成された最初の航空特攻専門部隊「桜花」のパイロットの桜花隊「桜花」を運搬する陸攻隊掩護の戦闘機隊で編成神雷部隊の隊員達は戦死したら「靖國神社の御神門を入っ
野中五郎少佐は、二・二六事件の首謀者の一人野中四郎陸軍大尉の弟で、海軍に入隊。開戦時は第1航空隊分隊長としてフィリピン空襲に参加。野中少佐が所属する752空は、1943年初頭に一式陸攻へ機体換装を経て、以来ずっと陸攻と共に戦場の空を駆け巡りました。5月12日、敵がアッツ島に上陸したため、752空は幌筵島に進出し連日爆撃を行います。11月、今度はギルバート諸島に大艦隊が現れタラワに空爆と艦砲の後上陸してきます。
1945年3月に入ると、比島戦線ではマニラが陥落。硫黄島も奪われ、本土への空襲も激化します。敵の次の目標は沖縄であり、日本側もそれは察知していました。敵は沖縄への戦力増強をさせぬため、第58任務部隊を室戸岬沖80キロの近海に接近させ、各地に航空攻撃を行いました。これに対し宇垣纏海軍中将率いる第五航空艦隊が反撃を開始。九州沖航空戦の幕開けです。3月18日、特攻機による攻撃で空母イントレピッド、ヨークタウン、エン