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妙見道(終点妙見寺まで)☆保志喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!(終点から妙見道を振り返る)※前回のご近所さんぽ“なぜ妙見道が真っ先にグーグルマップに表示されるのか?”妙見道ってどんな道?リターンズ☆六地蔵発ご近所さんぽ令和3年5月11日(火)14時。西野道を右折して改めて“妙見道”の謎を探訪します。3日前に逆行した道を戻ると山科川に架かる三之宮橋。前回間違えた一本北の橋
元伊勢は期待に違わず☆保志喜久霊の神社紀行初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!※前回の元伊勢めぐり神社紀行穴穂宮・神戸神社元伊勢めぐり神社紀行:第9日後編元伊勢をウリにしていない市守宮の宇流冨志禰神社、(いちのもり/うるふしね)こっそりアピールする蛭子神社をあとにして名張から東へ三駅。令和3年2月13日(土)13時半過ぎ。伊賀神戸駅から北へ約2.5㌔、穴穂(あなほ)宮の比定地・神戸(かんべ)神社に向か
妙見道(三之宮神社)☆保志喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!※前回のご近所さんぽ・川田道山科盆地には川田道の他にも謎の道があって、“妙見道”やはりグーグルマップでは幹線道路を差し置いていち早く表示されます。令和3年5月8日(土)11時。朝から作業に気が乗らず探訪に出掛けて来たのです。妙見道の終点は盆地の東方を扼する山の麓にある妙見寺。一方、起点が判然としません。山科盆地
元伊勢・お春日さん・えべっさん☆保志喜久霊の神社紀行初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!※前回の元伊勢めぐり神社紀行市守宮・宇流冨志禰神社~蛭子神社元伊勢めぐり神社紀行:第9日前編佐佐波多宮で出合った少女とその弟を一行に加え、倭姫命はさらに東へ向かい伊賀国の市守(いちもり)宮でアマテラスを二年間奉斎します。この市守宮は印象が地味な巡幸地で『倭姫命世記』では奉斎記事の後に伊賀国が分国された注記があるだけ。
猿田彦神社☆保志喜久霊の神社参拝記(ミニ)初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!猿田彦大神道ひらきの神様通院の道すがらに計らずも通りがり我が往く末を案じてお詣りに立ち寄るとご本殿を覆う楠の葉がザワザワと擦れるのです出会いも別れもすべて大神のお導きそう受け入れてしまえば何も怖れることはないのね・初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!・※ご参考猿
佐佐波多はスカウトのお宮☆保志喜久霊の神社紀行初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!※前回の元伊勢めぐり神社紀行・佐佐波多宮・篠畑神社元伊勢めぐり神社紀行:第8日後編令和3年2月12日(金)10時半過ぎ。阿紀神社~高天原~照巣と一時間強で急ぎ歩き回って榛原方面行のバスに飛び乗ります。終点は榛原駅から東へ4㌔の郊外住宅街の中。目指す篠畑(ささはた)神社はそこからさらに東へ1.5㌔。宇陀川の堤防を悠々とサイク
川田道(花山稲荷神社)☆保志喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!川田道ってどんな道?☆六地蔵発ご近所さんぽ神社めぐりの前にはたとえ有名処でもグーグルマップで場所を確認するのが常なのですが、まして元伊勢めぐり神社紀行では聞いたことすら無い土地に鎮座していたりするので、場所確認の重要度はより高くなります。・我が家のパソコンでグーグルマップを開くとまず地元が表示されます。右に傾いた
憂さやウツっ気をどう祓う?☆保志喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!吉利俱八幡宮~合流点☆六地蔵発ご近所さんぽ令和3年3月18日(木)11時前。石田駅からバスで20分勧修寺で降りた私は南へ歩き出します。プロフィールの通り私には面倒な持病があり、心のエネルギーを使い過ぎるとあっさりウツ転換してしまいます。前日参加した知人の会社のイベントは愉しんだものの今朝その反動を自覚します。そ
“元伊勢中の元伊勢”に朝日射す☆保志喜久霊の神社紀行※前回の元伊勢めぐり神社紀行宇多秋宮・阿紀神社元伊勢めぐり神社紀行:第8日前編諸国を巡幸し三輪山にアマテラスを奉斎した豊鋤入姫命は引退を表明。後事を姪の倭姫命に託します。(やまとひめのみこと)新任の御杖代には五大夫という有力な武将達が付けられます。豊鋤入姫命に付き人の記載はありませんでした。やはり実際には豊鋤入姫命は倭笠縫邑に留まって奉斎し続け、いわゆる“御巡幸”は倭姫命に始まるのでしょう。翌令和3年2月12日
☆両雄鎮まる御神体山へ☆保志喜久霊の神社紀行※前回の元伊勢めぐり神社紀行御室嶺上宮・大神神社~狭井神社元伊勢めぐり神社紀行:第7日令和2年12月28日、GOTOキャンペーン中断。明けて令和3年1月には緊急事態宣言が再発令。京都府も区域に入ります。しばらくは散歩がてら地元の神社をお詣りして遣り過ごしていましたが、2月に入り益々具合が悪く旅行癖が疼き始めます。元伊勢めぐりはこの後大神神社から奈良~三重と近鉄沿線の神社詣りに。近鉄がお誂え向きのきっぷを2月末まで
※総鎮守はいつも見ている?☆保志喜久霊の神社紀行氣比神宮☆福井日帰り神社紀行岡山元伊勢めぐりから四日後令和2年12月29日(火)11時過ぎ。冬の18きっぷ神社めぐりは敦賀駅から徒歩15分の氣比神宮で最後です。これまで四回は南、南西さらに東西の神社でした。断然、眼は北に向きます。10月は天橋立・籠神社でしたから敦賀行は自然の成り行きでしょう。とはいえ、日本海側の古くからの港町で崇神天皇の世には早くも外国使節が上陸した所。陸路にしても北陸道の入口に当たる要衝なのです
☆鬼退治には巫女が従軍する☆保志喜久霊の神社紀行※前回の元伊勢めぐり神社紀行名方濱宮・伊勢神社~吉備津神社元伊勢めぐり神社紀行:第6日八百富神社から三日後の令和2年12月25日(金)11時半。旭川を渡ったのを確認して突如思い立ちJR岡山駅のひとつ手前で降ります。今日の元伊勢は川に近かったハズ。東に向かうと先程の川が見当たりません。地名表示で見当違いに気付き西に向うとこちらが旭川本流。丁度対岸辺りなのですが今度は橋がありません。南へ600㍍ほど迂回する間川風
☆般若心経でご神意を問う?☆保志喜久霊の神社紀行八百富神社☆愛知日帰り神社紀行和歌山の元伊勢めぐりから八日後の令和2年12月22日(火)。引き続き元伊勢めぐりで岡山遠征の予定でしたが、出発に手間取り山科駅からの電車に乗り遅れてしまいます。そこで急転、神社めぐりのキッカケを賜った“ご聖典”で紹介されていた“超強力かつ穴場”の神社に振り替えます。(車窓より雪の伊吹山)12時前、山科駅から3時間で愛知県の蒲郡駅に着きます。駅前通りの向こうに海が見えています。三河湾沿
☆思い過ごしの濱宮☆保志喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!※前回の元伊勢めぐり神社紀行日前神宮・国懸神宮~浜宮神社元伊勢めぐり神社紀行:第5日與喜天満神社から五日後、令和2年12月14日(月)12時半過ぎ。JR和歌山駅から私鉄でふた駅日前宮(にちぜんぐう)前で下車。朝から曇天模様で時おり風も強まります。県道に出た向かい側が日前神宮・国懸神宮。(ひのくま・くにかがす)昨年4月以来2
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!※前回の元伊勢めぐり神社紀行與喜天満神社☆元伊勢めぐり神社紀行第4日:日本最古の天神社で痕跡を探す前月、熊野三山を詣でたのに帰京後の体調が優れません。引越祝いはキャンセル。被害妄想がかなり酷く人に逢うのも憚られる程。熊野権現のご神徳どころか神武東征軍を苦しめた大熊の毒気に当てられた様なモノです。本来は自宅静養すべきですが引き籠ればさらに酷く
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!※前回の熊野三山神社紀行熊野本宮大社☆熊野三山神社紀行⑤《旅の最後も巨石がふたつ》令和2年11月26日(木)13時過ぎ。無事に熊野三山をお詣りし紀伊勝浦で昼食を摂った後、NANZAN号は新宮市から熊野川を渡り三重県に戻ってまもなく国道を逸れ山間の集落の一番奥に辿り着きます。『神内(こうのうち)神社はいいよ。“蘇りの木”ってのがあって根元の洞をく
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!熊野本宮大社☆熊野三山神社紀行④《それぞれの願いの彼方に在るもの》令和2年11月26日(木)10時過ぎ。神倉神社を出て20分もせずにもう那智川を遡っています。かつての熊野詣も本宮・速玉・那智の順に巡拝したといいます。浄土信仰が広まった院政期には徒歩での参詣という苦行の果て熊野に浄土を見たのです。度数を重ねて功徳を得んと36回お詣りした御方も。
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!(前回撮影・神倉神社の“昇り龍”)※前回の熊野三山神社紀行熊野本宮大社☆熊野三山神社紀行③《熊野権現・最初の降臨地に微笑む》令和2年11月25日(水)18時。コミュニティ作りが目標のA氏K氏の視察も兼ねて、熊野本宮大社から延々70㌔の道のりを戻り熊野市にある今宵の宿へ。“musubi(むすび)”というキーワードが縁でお世話になることに。図
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!※前回の熊野三山神社紀行熊野本宮大社☆熊野三山神社紀行②《ご神気はジグソーパズルの様に》令和2年11月25日(水)13時過ぎ。お綱茶屋から国道に出るのに手間取った我らがレンタカー“NANZAN(難産)号”でしたが、蜜柑や熊野灘を横目に快走、新宮市から熊野川に沿って熊野本宮大社を目指します。両岸は急峻な崖が続き時折小さな滝が現われます。土砂崩
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!花の窟神社☆熊野三山神社紀行①《始まりは日本最古の神社から》太古の昔、今見られる様な神社建築は無かったそうで、巨石とか大木とか山とか自然物に降臨して頂いて祭祀を営んだといいます。常設の祭祀施設として神社が建てられるようになったのは伝来した仏教の影響なのです。仏教の影響はそれに留まらず神々は仏の化身(権現)とする考え方が平安時代に広まります。
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!(前回の元伊勢めぐり神社紀行はコチラ)元伊勢外宮~内宮(大江町)☆元伊勢めぐり神社紀行第3日:修験の道はお伊勢さんに通ずる?令和2年10月6日(火)10時前。比沼麻奈為神社を訪問後宮津駅まで戻って一泊し、福知山行で峠のトンネルをくぐり約20分の大江高校前駅で降ります。もう一つの伝承地の最寄り駅で“元伊勢外宮駅”との駅名標も見えます。“宮川”を渡り
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!(前回の元伊勢めぐり神社紀行はコチラ)比沼麻奈為神社☆元伊勢めぐり神社紀行第2日後編:山の宮にてジビエを饗応?令和2年10月5日(月)14時過ぎ。アマテラスを四年間奉祭した籠神社奥宮・真名井神社を跡に、天橋立港に戻った私は京都丹後鉄道に四駅乗り、久美浜行のバスで約10分二箇停留所で降ります。帰りのバスは2時間後というローカルさです。手持ちのガイ
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!(前回の元伊勢めぐり神社紀行はコチラ)吉佐宮・籠神社☆元伊勢めぐり神社紀行第2日前編:料理長は太古の磐座に坐す令和2年10月5日(月)10時半。天橋立港を出た小さな連絡船は舳先を一ノ宮港に向けます。右舷は白砂の上に青緑の松林。対岸まで延々と続いています。その終点あたりが最初の目的地、丹後国一宮・籠(この)神社です。“股のぞき”の傘松公園に登る
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!兵庫宮御旅所~生田神社☆兵庫日帰り神社紀行《再開ご報告もリベンジは成らず?》令和2年9月21日(祝・月)11時半過ぎ。長田神社で病に克つ心願成就を祈願した私はひと駅戻って大開駅で降り、地上に出て東へ数分の御旅公園に向かいます。目的はこの一画にある生田神社の兵庫宮御旅所。明治31年、地区氏子が奉納した社地にご社殿が造営され、翌年には生田神社か
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!湊川神社☆兵庫日帰り神社紀行《勇者からの賜わりモノ》令和2年9月21日(祝・月)12時過ぎ。長田神社の後一社お詣りしてから高速神戸駅で降ります。14号出入口の階段を登ると湊川神社表門は目の前です。屋根が複雑に組み合わさり城門を思わせる迫力です。明治5年創建。維新の世となり南朝の忠臣・楠木正成(大楠)公を景仰する機運が高まっていたのでした。後
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!長田神社☆兵庫日帰り神社紀行《病気平癒の祈願の仕方とは?》応神天皇の母・神功皇后は新羅遠征の帰途、神戸辺りで船が前進できなくなります。応神の異母兄が反旗を翻し呪詛したのです。けれども、皇后は神々の助太刀を得て窮地を脱し勝利するのです。まずは天照大御神の御神託による廣田神社。神占で現われた稚日女(わかひるめ)尊による生田神社。そして、
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!梨木神社☆京都日帰り神社紀行《スムーズな参拝を遮るモノ達》令和2年9月6日(日)10時過ぎ。“京都市バスで名社を探る3”で北白川天神宮を後にしてなお時間があり余っています。3号系統の“大辻廻し”撮影後さらに一区間だけ乗って府立医大病院前に戻り、西へ数分歩いて10時半過ぎ京都御苑に寄り添う様な梨木神社に到着します。ご祭神は幕末・明治期の公家・
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!京都市バスで名社を探る3☆3号系統☆北白川天神宮《無用の用はホントに役立つ?》七月下旬、神功皇后ゆかりの兵庫三社めぐりから帰ると梅雨明けと同時に危険を感じる猛暑に。外出する意欲すら沸かない例年以上の京都の蒸し暑さ。天気予報を睨みつつ再開を窺う日々だったのです。令和2年9月6日(日)朝8時前。曇、予想最高気温32℃。松尾橋バス停に到着。北
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!西宮神社☆兵庫日帰り神社紀行《いつ何処で禊ぎ祓われる?》令和2年7月22日(水)12時42分。生田神社で大祓祝詞を唱えた後阪神電車で西宮に引き返します。つぎに向かうのは西宮神社。全国のえびす宮総本社です。京都を出発して頻繁に乗降する私の強い味方が『阪急阪神1dayパス』1,300円で全線乗り放題。今日の為にある様な切符ですが、逆にこの切符ゆえに
※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ初めての方へプロフィールはこちらもし楽しんで頂けましたらぜひフォローして下さいね!(稲荷社と生田の森)生田神社☆兵庫日帰り神社紀行《リバイバルとチャレンジの杜》令和2年7月22日(水)正午前。阪急三宮駅から徒歩五分で生田神社二之鳥居に着きます。廣田神社と同じ神明鳥居です。神功皇后の船が進まなくなった際戦勝祈願の廣田神社や長田神社と同じ時期に奉斎された神社です。『私は活田長峡国に居りたい』そう申されたのがご祭神の稚日女(わ