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十代目金原亭馬生=1928(昭和3)-1982(昭和57)金原亭馬生(10代目)-Wikipedia―――(下り調子の時に)今は亡き講釈の神田伯龍先生(五代目、1949《昭和24》年没)が言ってくだすった。『きみー、芸はあせってはダメだ。一生仕事だよ。マラソンだからね。若いときにうまくなれば、年をとってくたびれてしまう。まあ、講談を教えてやろう。気晴らしになるから、やってみないか』と、その時のわたしには、こんなうれしい言葉、励みになる言葉はありませんでした。さっそく、わたしは講釈の
4月8日火曜日〜その915時より16時45分まで三度寝。首のストレッチ。四股10回。体重69・6キロ。飲料は、カルシウムの多いミルク、KAGOMEつぶより野菜、ジューサーミキサー製の早和果樹園農6号みかんジュース、Asahiぎゅっと濃い十六茶。かの蜂国産蜂蜜蓮華を口に含む。7枚組CD−BOX『講談小猿七之助当小舟橋間白波[通し口演]』六代目神田伯龍(宮岡博英事務所)〜1「網打七蔵」2「永代橋・網打因果噺」3「奥州白河落」を聴く。20時15分、夕食。献立は、スパゲッティミートソー
1月27日月曜日〜その420時10分、夕食。献立は、鳥つくね&兵庫県姫路市産穴号播磨灘産瀬戸内ダイヤモンド炭火大焼穴子鍋。デザートに、東京凮月堂ケークノア+フルーツケーキ、北御堂和三盆煎餅、アメリカンコーヒー。(写真)宮岡博英事務所さんが、7枚組CD−BOX『小猿七之助当小舟橋間白浪【通し口演】』神田伯龍(R4年CURELLE)をお送り下さいました。
4月20日木曜日〜その2HDDに録画した、KBS京都テレビ『時代劇アワー〜大岡越前第7部』〜第6話「見えない目撃者」を見る。(写真)菊水丸コレクションより『長編講談大岡政談〜藪原儉校/湯淺正宗/お花友次郎/虚無僧義道』神田伯龍(S2年2月28日博文館)。
全十話からなる『藪原検校』、大岡政談では、『徳川天一坊』『畦倉重四郎』『村井長庵』に続く、私の講談シリーズでは、第四作目のご紹介でした。何んでしょうか?大岡越前守忠相が、その眼力で悪事を見抜けなかった事から、主人公の悪党、杉の市の陰謀が、まんまと成功する所から噺が始まります。そして、因果な展開となり、もう一人の悪党、仙臺屋輿兵衛の実の兄、戸澤三吾と娘のお登勢が、輿兵衛を頼り、江戸表に訪ねて来る事で、悪事の露見が、思わずひょんな事から始まるのですが、前半の初代藪原検校の三万両の身代を、実に二
日本橋横山町の藪原検校の屋敷を出発した、亀五郎。漆黒の僧侶の袈裟衣に、真っ白な羽二重の薄造りの着物。白足袋に白い手甲脚絆の草鞋履き、左の手には、先に銅製の輪付きの六尺杖を持ち、坊主頭に大きな竹網の丸笠を被りまして、右手は懐中に隠しながら、僧侶の程で旅を致します。道中、横山町を出て東海道を品川宿から、六郷の渡場までは自ら歩いて船で川崎宿へと渡り、続く神奈川宿まで歩き続けると、駕籠に乗り替えて、保土ヶ谷宿、そして戸塚宿へと入ります。丁度、この戸塚で時刻は午刻、昼飯時分となりますから、一軒の立場
お登勢が両國橋で身投げをして、其れを八丁堀の岡崎町で小間物屋を営む、伊勢屋亀四郎に助けられて、早一月が過ぎました。漸く、お登勢は床を離れて、食事も普通に取れる様になり、お虎に受けた傷も癒えて、身投げの後遺症も治りました。すると亀四郎の口から、父、戸澤三吾は、浅草福井町の家を全部引き払って、日本全国六十余州を武者修行の旅に出たと知らされます。兎に角、いずれは父が江戸に戻ると信じて、八丁堀の伊勢屋の店で、お登勢は、亀四郎を義理の父と思って暮らす事に致します。さて、このお登勢。本当に幸が薄い女
備前の國、岡山藩浪人、戸澤三吾は、相州藤沢宿で陣屋を営む、三枡屋に乞われて、まだ暗い朝七ツ立ちで、藤沢宿を目指して江戸を出発した。三吾「では、行って参る。明日には易を立てゝ、明後日には江戸に帰る予定だ。暮れ六ツ前には帰るから、火の用心だけは気を付けなさい。」お登勢「ハイ、お父様。お父様こそ、道中、お気を付けて。」そんな会話をして、父、三吾を藤沢宿へ送り出したお登勢は、柳原土手へと参りまして、庵に入ると、今日は一人で売卜を致します。そして、何時もは父と二人なら暮れ六ツまで働く所を、八ツの鐘
さて、翌日に成りますと、二代藪原検校、杉の市の番頭、彦次は上野風月堂の二朱も致します、最高級の菓子折を持ちまして、藍染の正絹の羽織に、下は単の墨染に錦織縦縞の唐桟を着込みまして、鮮やか草色の長襦袢をチラチラ覗かせて、白足袋に雪駄履きで出掛けます。明六ツ半の早朝、横山町の検校屋敷から、馬喰町、浜町と抜けて大川端へと出て、川沿を両国橋、蔵前を通り、浅草は吾妻橋へ駕籠を飛ばしてやって参ります。そして、お虎婆さんから聴いた『福井町の裏長屋』を探して、人伝に聴いて廻りなが、彦次は漸く、福井町の裏長屋
大工の伊三郎こと、愚図伊三は、兎に角、適当な理由を付けて、戸澤親子を自分の長屋に捨て置いて、外へと飛び出しました。さぁ、「困った!困った!」と、ブツブツ呟きながら、町内の煮売屋へと駆け込んで、息を切らして店の婆さんに注文を始めます。伊三郎「婆!今日は何が有る?」婆「何が有るって、愚図伊三、お前に呉れでやる惣菜は、うちには無いよ!一昨日来やがれ。」伊三郎「だから、俺が食うんじゃねぇ〜んだ。大変な客が来たから、お・も・て・な・し、なんだ!」婆「そんな事は、知ったこちゃない。お前さんには二朱
南町奉行、大岡越前守忠相は、藪原検校の盗賊による無念の死を受けて、唯一、生き残った愛弟子・杉の市を、二代目後継者に成れと励まして、本人は出家して、師匠である藪原検校の菩提を葬いたいと言うのを、強く説得し、何とか、唯一の身内、叔父が、京橋通り二丁目に荒物屋を営み、仙臺屋輿兵衛として、立派に商いをしているので、杉の市は、此の叔父に相談し、今後を決めたいと言うので、此の叔父、輿兵衛に対し差紙を出して南町奉行所へと呼び出すのでした。さて、呼び出された輿兵衛は、杉の市の真意を図りかねて、不安な気持ち
5月2日月曜日〜その10(写真)CD『股旅・時代物シリーズ講談・浪曲編』〜講談「森の石松閻魔堂の欺し討ち」神田伯山「野狐三次」五代目神田伯龍/浪曲「天保水滸伝より笹川の花会」二代目玉川勝太郎「佐渡情話」寿々木米若「清水次郎長伝のうち荒神山の血煙り」二代目広沢虎造「赤穂浪士」村田英雄「江戸の瓦版より唄入り観音経」三門博(H19年8月22日コロムビアミュージックエンタテインメント)を聴きました。
こうして、師匠、藪原検校からの破門が解かれて許されまして、日本橋横山町二丁目の、藪原屋敷の寮に戻りますと杉の市。まぁ人間が生まれ変わった様に、108ツの煩悩を捨てゝ、ご贔屓への療治以外は、まず外出というものを致しません。況してや外泊するなど決して御座いませんで、十二、三歳の品行方正だった頃の、杉の市に戻った様だと、藪原検校が慶びます。其の上、禁酒を誓い酒は口に致しませんし、誠に、神妙な態度で書物を佐平に読んで貰い、三浦流の修行も怠りません。更に、修行の成果か?鍼治療の腕は、以前よりも更に
奴盲人(どめくら)待て!!そんな声を聴いて、ギョッした杉の市は、ゆっくりと振り返って、作り笑いの堅い表情をして呼び掛けて来た相手に答えた。杉の市「ハイ、どちら様でしょうか?」謎男「ヤイ、奴盲人!汝ァ、飛んでもない奴だなぁ?!」杉の市「ハイ、申し訳御座いませんが、目が不自由なもので、何処からお呼びの、どなた様でしょうか?声に聴き覚えが…」謎男「俺は、此処だ!ココ。其れにしても、汝ァ、誰も見て居ないと思って仕事したんだろうが、其れにしても鮮やかだ。」杉の市「仕事?何んの噺ですか?私には一
大家の藤兵衛の計らいで、日本橋横山町二丁目に在る藪原検校の元へ弟子入りした、太吉は父の蕎麦やを手伝っていた時同様、検校の元でも朝は誰よりも早く、薄暗いうちから起きて掃除を始め、風呂焚き、水汲みなど人の嫌がる仕事を率先して行います。さぁ、藪原検校、この太吉を一月も手元に置いて見ると、陰日向無く働くし、何より感が良いので、之は縁が有ったと慶びます。そして、丁度この時、検校の右腕とも言える内弟子、杉の市が一人立して去って二年半、検校は身の回りの世話係を求めて居た。更に半年の見習い期間を、藪原検
数ある大岡政談のなかで、所謂、『難訴裁判』。大岡越前守だからこそ、解決出来たと謂う難しい裁判が幾つか御座います。『難訴裁判』、詰まり犯人の手口が巧妙だったり、逆に大胆過ぎて手掛りが少ない。そんな難しい謎解きを必要とする裁判の事です。その代表が「藪原検校」で、他にも「村井長庵」そして、「畔倉重四郎」も同じ様に、真犯人が誰か他人に濡衣を着せて潜伏します。中々容易に白黒付けられない難事件ですから、お裁きの跡で、大岡越前守自身が「極悪非道な輩で在った。」と言い残す位です。そして、『難訴裁判』だか
ら二月より丸二月以上掛けて、侠客傳『吾妻錦血染色褪』を三部作「観音丹次」「小天狗小次郎」「柳ノお仙」で読みました。元本は、中川玉成堂の神田伯龍の速記本で、明治三十五年から三十七年に出版された作品で、通しで聴くと三十話を超える長講作品です。物語の大きな骨格、主人公の観音丹次の養父の仇討ちの噺が、どんどん脇役達を巻き込んで、噺のスケールが大きく成る展開で、第一章の「観音丹次」は、正に観音丹次の誕生から養父母に育てられる中、その養母の死から後妻が来て巻き起こる事件!!丹次自身は二度も殺されかけ
観音丹次と小天狗小次郎は、奉行所の狭い牢屋から引き出されますと、会津藩邸の中に在る湯殿に連れて行かれ心身共にサッパリ致します。その上で、小綺麗な着物が与えられた両人は、会津藩城代家老、保科弾正のお屋敷へと送られて行きますが、此の大きな屋敷が、まさか?!城代家老のお宅とは知る由も有りません。両人は別々の部屋が当てがわれて、両人同士会わせぬ様に接客されますが其のもてなしは丁重で、三度の御膳は豪華な物が出るし、蝉時雨が聴こえて来る、広い庭に出て木刀などでの軽い運動も許されるし、そんな時を過ごす両
さて、観音丹次が所持していた『彦四郎貞宗』の守刀と御守袋に納められていた書付が破門を呼びまして、二十年前のお家騒動が蘇ります。其れは、先代の松平陸奥守容衆候の時代に起きた事件で御座います。容衆候の奥方は、九条関白家より迎えられた姫君で、ご正室・翠方様。此の翠方様は、元々、病弱でなかなかお子が授からず、結局容衆候は養子縁組を考えられて、従兄弟である美濃高須藩主松平義和の次男、重丸様を養子として迎えられるのです。此の時、重丸様は五歳、会津藩の上屋敷にて育てられております。そして御年十六を迎えて
これは貴重だ。広沢虎造が板割りの浅太郎。エンタツ・アチャコは捕り手と忠治の子分。そして国定忠治が何と何と!五代目神田伯龍なのだ。驚くやらうれしいやら。演技はともかくセリフは完ぺきに講釈だった。何で?と思ったら、この方、吉本興業所属だったのね。五代目神田伯龍世話講談二題『孝行鉄』『暗闇の丑松』小山觀翁撰集今週は、”世話講談”の名人五代目神田伯龍にいたしました。放送からの収録なので、解説もそのままアップいたします。加賀騒動『仇討神田祭孝行鉄(こう
翌文政十年五月十五日、卯の下刻。会津若松の『鶴ヶ城』の大手通りに在る奉行所へ、観音丹次は一人、前夜カチ込みを掛けた着物のまま、城の門番が朝の掃除をしている所へ、現れますから、夥しい返り血を浴びた其の姿に、先ず、門番がビックリ致しまして、オロオロします。門番「何んだ?!汝は。」丹次「私は、観音ノ丹次と申す侠客に御座います。お願いの筋が御座いまして参りました。」門番「こんなに朝早くから…、まだ、訴えの受付は始めてはおらん!其れに、其の姿(ナリ)は一体全体どうしたんだ?喧嘩でもしたのか?」丹
文政十年五月十四日の事で御座いました。嵐山ノ為右衛門の子分、小松川ノ半次は、五升樽と雁を二羽ブラ下げて、本町の信濃屋を訪れた。半次「御免下さい!」取次「汝、誰だい?何んかぁ、用かい?」半次「ヘイ、虎の兄ぃを呼んで下さい。」取次「汝、名前は?」半次「ヘイ、半次と申します。」取次「一寸待ってな、呼んで来てやる。」そう謂うと、取次の子分は奥へと虎造を呼びに行くと、直ぐに虎造は半次が五升樽を下げて、やって来ていると聴いて、スッ飛んで来た。虎造「半次!どうした?何んか用か?!」半次「オウ
観音丹次は、盗賊・村上源庵の家で食事万端整えまして、翌日の朝は日の出前、寅の下刻には源庵の悪党宿の長沼を立ち、白河宿を越えて、既に大化の改新の頃から村として成立していた奥州泉崎村へと入ります。更に北へ進むと其処は五本松並木と、三十三間堂で有名な矢吹町。此の初日は奥州白河矢吹町の幸福寺の宿坊に泊まり、翌日も寅刻立ちの丹次。何んとか戌刻過ぎに郡山へ着き上妻屋という旅籠に泊ります。そして、三日目は更に早く、丑の下刻には郡山を出た観音丹次、酉刻猪苗代湖の畔、川桁が四日目の宿所となり橘屋という旅籠に
毒婦のお仙は、観音丹次の姿が見えなく成るまで、千切れる様に手を振り続けて、又見えなく成ってからも両手を合わせ、祈り続けて居た。そしてお凛は思った、丹次さん本当に有難う。私は悪事の報いで、此の様な身体に成って仕舞ったが、其れも全て丹右衛門さんを殺した罰。あゝ、穴熊ノ金助の奴に唆されて、やって来た事だとは言え、今更ながら、長年に渡り自分の犯して来た悪事を思い起こすと、空恐ろしい。その様な回想しながらお凛は、是までの悪事を悔やみ始めると同時に、自分の毒婦の気質を怖くも感じる様に、成り出しているお
さて、柳ノお仙は必死だった。亭主の三次を唐丸籠から出して呉れた観音丹次への恩返しに、丹次を落延びさす為、荒石ノ定太を殺した。柳ノお仙は少しも狼狽える事もなく、一撃必殺の度胸、荒石ノ定太の背中に突き刺さった匕首を見て、流石の観音丹次もシャッポを脱いだ。丹次「姐御、飛んでもない事に成りましたね?」お仙「親分、こう成ったからは、一刻も早く落ち延びて下さい。亭主の三次も幸手に戻らぬ所を見ると、若しかすると白河かも知れません。そして、此処に五十両有ります。之を路銀の足しにして、一日も早く白河の亀右
さて、予告通り後髪を曳かれる思いで、千住の丹次と小次郎の一件を残した儘、今回からは本題でも有ります、柳ノお仙の物語と成ります。併し、ご安心下さい。この第三話のタイトルを見て頂いて分かる様に、この回の内に、前回の続きと繋がる様に成っておいます。此の柳ノお仙。第二章『小天狗小次郎』で紹介した通り、女だてらに大胆にも深夜、荒浪ノ清六に唐丸籠の亭主、幸手ノ三次の救出を依頼。是を引き受けた清六は倅、観音丹次に唐丸籠を破らせて、幸手ノ三次を首尾よく助け出す。併し、三次は衰弱が激しく、武州岩槻に留まる。
向七軒の引手茶屋の俵屋から送り出された客という事をで、小天狗小次郎と観音丹次は、玉屋では大層丁重な扱いを受けた。早速二階の引付へと案内されまして、遣手婆が出て参りまして挨拶を致します。遣手婆「遣手のお松に御座います。さて、お馴染み様ですか?其れとも、ご初回様でしょうか?」丹次「初回だ、婆さん。」遣手婆「では、お見立ては?」丹次「新人の太夫シスターズ、千早と神代は?」遣手婆「残念ながら、竜田川関から既に貰いが掛かっております。他を。」丹次「其れでは、婆さん特に見立ては無い由え、お前さ
二十四回目の仕切りで、遂に行司の軍配が返ります。喧嘩四つのこの相撲、立合いの瞬間に勝負が決まって仕舞います。綾錦は、頭から立髪の胸板へ当たり、頭を相手の胸に付けて、前三ツへの両差し。一方の立髪は右上手に拘り掴んだが、もう勝負あり。綾錦が、グッと両前三ツを引いて、頭を付けたまんま、電車道!白虎柱と朱雀柱の間、向こう正面に立髪を一気に寄り切り!軍配は綾錦。綾錦!日本一!又、割れんばかりの歓声の中、神田ノ長兵衛の升からは、一斉に二十、三十の夥しい数の羽織が土俵ん中へ投げ込まれます。一方、芝ノ
お見立て済んだ亥刻に、銘々の部屋へ引き上げて、振られた奴がお越し番、逆に朝寝の色事師、手練手管の花魁が、「ありんす」忘れ、「ズラ、ダラ」と、お國訛りを思い出し、主の為よと縦を引く、此処は吉原仲の町。そんな夜の事でした。中引け子刻の鐘が聴えて来た頃、一人悶々と眠れぬ夜を、神田小柳町、一番組、よ組の頭領・長兵衛は過ごしていた。この夜、長兵衛に付いたお職は、もう、一年半で年が明ける大年増の夕霧であり。「怒れ突かれて流した汗に主の泪かため息か」夕霧「主、何ぞお有りんしたか?アチキの粗相で
江戸表へ向けて武州岩槻を出立した小天狗小次郎と観音丹次は、寒雀ノ幸次から江戸へ行ったなら、必ず真っ先に、神田三河町の『上州屋嘉四郎』という口入屋の親分を訪ねる様にと教えられ、幸次が書いた紹介状を渡される。此の上州屋嘉四郎は、かの幡随院長兵衛と同商売、大名相手の仲間奴(ちゅうげんやっこ)の口入れ家業を生業とする大親分である。二人は当初、折角武州岩槻まで来ているなら、このまま日光街道沿に、日光東照宮へと参詣してから江戸表へとも考えましたが、其れだと、五、六日の日延べが無駄に思えて、もう、真っ