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☆仁科(にしな)の里に残る”神明造り”(大町市)*本宮「伊勢神宮」は式年遷宮で新しくなるも、そのままの「神明造り」がこの地に残る古木が鬱蒼と茂る仁科の森に、平安の昔から鎮座する日本最古の「神明造」、天照大御神を祀る「国宝・仁科神明宮」*日本最古の神明造豪族・仁科(にしな)氏が「伊勢内宮」を勧請し、祭った御
やまとひめのみや倭姫宮こんばんはご訪問ありがとうございます【鎮座地】三重県伊勢市楠部町字赤井谷5【御祭神】倭姫命【社格等】皇大神宮別宮【創建年】1923年(大正12年)概要伊勢神宮において、内宮と外宮と合わせ別宮は荒祭宮、多賀宮、月讀宮、土宮、月夜見宮、瀧原宮、伊雑宮、風日祈宮、風宮など14宮あるが、そのうち創建が明確であるのは倭姫宮1宮のみで、1923年(大正12年)11月5日ともっとも新しい。少し異界を感じる境内入口歴史倭姫命は天
⛩桜下稲荷社(旧無格社)⛩🗺旭町🗺✨祭神✨宇迦之御魂命✨(うがのみたまのみこと)✨境内社✨秋葉社✨瘡守稲荷社✨(かさがみいなりしゃ)✨由来✨稲荷社の創建は判然としないが古くは吉田城郭内土手町に鎮座され八幡社の摂社であった⛩⛩社殿は初め元禄14年(1701)藩士達の手によって造営された⛩⛩享保11年(1726)には藩主松平信祝公が(のぶとき)文久2年(1862)には家老深井氏が夫々再営して現在に至っている⛩⛩総欅づくりの立派なもので彫刻は目を見張るものが
久佐奈岐神社の次は、豊由氣神社(とよゆけじんじゃ)に行ってきました鳥居をくぐり、階段を上がると、拝殿があり、奥に本殿があります御祭神は、豐受姫命(トヨユケブメノミコト)境内には、もう一つ鳥居があり、鳥居をくぐって、階段を上がって行くと、大きな社殿があり、中に境内社がありましたこういうタイプの小さい神明造の境内社って、初めて見るかも…他には、土俵もありました土俵の横には、大きな木があり、木
神明神社は、名鉄河和線:半田口駅から北西へ1㎞の植向山に鎮座されます。赤色マーク神明神社青色マーク新美南吉記念館鎮座地:愛知県知多郡阿久比町大字植大字植向山2番左に小さく見える山が権現山、あの「ごんぎつね」が住んでいたとされる山です。鳥居の向いに咲いていた椿。右に手水舎があります。その手前に鎮座されているのは磐座です。観光案内図には、「メンヒル石」と書かれていました。阿久比町の広報HP、
濱田(はまだ)神社は、近鉄名古屋線:伊勢若松駅から南へ600mの県道沿いに鎮座されます。三重県鈴鹿市若松北1-14-19左に手水舎。手水舎からの眺め。目を塗りたくっています。本殿は神明造。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPの記事を転載します。----------------------------主祭神《主》天児屋
深田(ふかた)神社は、近鉄名古屋線:伊勢若松駅から東へ600mのところに鎮座されます。鎮座地:三重県鈴鹿市若松東3-22-40鳥居をくぐった右に手水舎。手水舎の手前に浅間神社が鎮座されます。鈴鹿市に鎮座されているのには驚きましたが、宙畑(そらばたけ)HP解析ノートブック2022/6/20富士山が見える場所はどこまで?標高データから解析!には、富士山が見える地図が掲載されています。h
春日稲荷神社は、近鉄名古屋線:伊勢若松駅から西へ500mのところに鎮座されます。鎮座地:三重県鈴鹿市若松西4-11-1住宅街の先に鎮座されておりました。左に手水舎。カーン、カーンと音が、参道の右にゲートボール場から聞こえてきます。かなり珍しい様式の拝殿です。基本は春日造。本殿は神明造です。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPの記事を転載します。-----------
土師(はぜ)神社は、近鉄名古屋線::伊勢若松駅から西へ1㎞のところに鎮座されます。式内社土師神社の論社:西土師神社から250mほどの距離です。青マーク式内社土師神社の論社西土師神社赤マーク式内社土師神社の論社土師神社鎮座地:三重県鈴鹿市土師町558鳥居をくぐった左に手水鉢。拝殿に向かって右前に湯立神事に使うと思われる窯があります。本殿は神明造。式内社土師神社伊勢国河曲郡鎮座論
西土師(にしはぜ)神社は、近鉄鈴鹿線:柳駅から東へ400mのところに鎮座されます。鎮座地:三重県鈴鹿市土師町591右に手水鉢。本殿が神明造。式内社土師神社伊勢国河曲郡鎮座論社現社名西土師神社旧社格村社境内に説明文はありませんでした。皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会HPの記事を転載します。----------------------------主祭神
家の壁に貼られた飛び出し喚起。矢橋矢椅(やぎ)神社は、伊勢鉄道線::鈴鹿駅から西へ250mの所に鎮座されます。もう一つの矢椅(やぎ)神社の論社、柳町矢椅(やぎ)神社から1㎞の距離です。青マーク柳町矢椅神社赤マーク矢橋矢椅神社地名の矢橋(やばせ)は、矢椅(やぎ)が変化したのでしょうね、たぶん。右に手水舎。名前がわからないのですが、屋根を鉄材で支えています。社殿に向かって左には広場
タワマンかと思ったら、鈴鹿市役所でした。市役所の隣りに、イスのサンケイホール鈴鹿と書かれた建物がありました。帰宅してから調べてみたら市民会館で、ネーミングライツ(施設命名権)によって、市民会館の愛称が「イスのサンケイホール鈴鹿」になったのだそうです。施設命名権は野球場だけと思っておりました。ちょっと離れた所から撮影、手前の建物は駐車場、次の背が低い建物が「イスのサンケイホール鈴鹿」。ホンダや鈴鹿サーキットがある鈴鹿市は、潤っているのですね。
阿自賀(あじか)神社は、近鉄鈴鹿線:鈴鹿市駅から北東へ400mのところに鎮座されます。鎮座地:三重県鈴鹿市須賀1-1-28左に手水舎。石段に向かって右に力石が置かれています。由緒は書かれていません。表面に「力」と彫られて、黒く塗られています。力石が江戸時代~明治時代としても、この文字はかなり新しく彫られた物だろうと思います。このような深い彫りは、最近のものです。その左に日露戦
鈴鹿川に沿って、東に向かっています。鈴鹿市甲斐町のコスモス迷路が、田圃の中に作られています。中央にある黒いのが入口。コースはコスモスに隠れています。路肩の西洋タンポポ。川神社は、近鉄鈴鹿線:鈴鹿市駅から北西へ1.5㎞のところに鎮座されます。赤マーク川神社青マークコスモス迷路鎮座地:三重県鈴鹿市河田町482左に手水鉢。何か変、近寄ってみたら、左右の狛犬ともに、目玉にビー玉
鈴鹿市のマンホール。----------------------------自動車産業やモータースポーツの町として全国的にも知られている鈴鹿市は三重県の北中部に位置し、海・山・川などの自然に恵まれています。一次産業は、お茶やサツキに代表される農業、イワシ・コウナゴなどの漁業が昔から盛んで、まちは多くの魅力と個性にあふれています。本市のマンホール蓋は、鈴鹿の峰々から湧き出た清水が川となって緑の野を流れ、白砂青松の伊勢湾に注ぐ様を描いたもの。鈴鹿の美しい自然を守り
飯野(いいの)神社は、近鉄鈴鹿線:三日市駅から西へ700mのところに鎮座されます。鎮座地:三重県鈴鹿市三日市2-27-1近くに鎮座されていた式内社高市神社を合祀しています。左に手水舎。ツインズ。拝殿の前に、二本の御神木が聳えています。どちらも500年くらいかな?式内社飯野神社伊勢国河曲郡鎮座論社式内社高市神社伊勢国河曲郡鎮座論社現社名飯野神
飛び出し坊や。発行は牧田小・PTAになっていますが、図柄の考案は別だと思います。岡太(おかだ)神社は、近鉄鈴鹿線:平田町駅から北へ700mほどの所に鎮座されます。鎮座地:三重県鈴鹿市岡田1-3-22御神域に入って10mほど進み、左に折れて鳥居をくぐる。右に手水舎。手水舎からの眺め。本殿は神明造。式内社岡太神社伊勢国河曲郡鎮座現社名岡太神社境内に説明文はありません
宮の沢に行ったならと上手稲神社へも地下鉄宮の沢駅から徒歩10分噂には聞いていたけど急勾配振り返ると眺めの良い景色が広がってました上ってきた達成感も感じる、笑社殿は小さめで他では見ない造り神明造と呼ばれる構造で基本的に左右対称とか代表的な神明造は伊勢神宮⛩️他に両国国技館の土俵上にある吊り屋根だそう狛犬子取り玉とりの蹴鞠を配していることから"コンサドーレ10周年""白い恋人発売30周年"を記念して球技上達、文武両道の願いをこめて創祀130年の節目に除幕式を行い奉納され
(伏見稲荷大社、流造)流造は神明造から発展した様式で神社の本殿の中でももっとも数が多い屋根が伸びてひさしになっています。(香取神宮、両流造)(鹿島神宮、三間社流造)香取神宮、鹿島神宮も流造です。
隠岐の島町飯美にある「白髪(しらひげ)神社」に行きました。こんもりとした杜に鎮座する社です。青銅製の鳥居の先に境内が見えます。狛犬さん拝殿境内はそんなに広くありませんが、思っていた以上に立派な本殿です。神明造の本殿は、像の木鼻など、彫り物も緻密で手が込んでいると感じます。赤鬼?ご祭神は、猿田彦命ということは、猿田彦?飯美川に架かる「飯美大橋」2車線もない橋長数mの橋梁ですが、新たに架けられた橋なのか、以前はもっと狭い橋だったのかわかり
§6.市原の郷土史90.養老神社と永井家(後編)・謎、その7「なぜここに朝廷の有力者の名が?」こちらは石造物ではありませんが、養老神社の拝殿にかかる見事な神号額を取り上げます。左端、慶応3年(1867)3月15日という日付の側にある源有長(綾小路有長:1792~1873)という人物にご注目。幕末当時は著名な歌人・書家・公卿です。朝廷ときわめて近しい有力人物がこの神号額に介在した可能性は大でしょう。これまた京都に出入りしていた山田橋の野城らか?しかもこの日付、奇しくもち
こんにちは西部近隣公園(千葉県八千代市)は昨年オープンしたばかりの新しい公園です広さ20000㎡で駐車場、トイレ、水飲み場を備えています公園の西側には調整池があり遊歩道から景観を楽しむことができます公園の近くは宅地や企業誘致が進んでいますが、近くにこんな原野が残っていてカルチャーショックを覚えます遊歩道は弓なりに400mほど延びていています公園の西側直線で300mほどのところに八王子神社(船橋市)がありますしかし道がついておらず車では
伊雑宮(いざわのみや)▶御祭神:天照坐皇大御神御魂▶三重県志摩市磯部町上之郷374▶志摩国一の宮伊勢神宮内宮の背後にある島路山を越えた場所にあり、内宮の別宮のひとつで瀧原宮と共に「天照大神の遥宮」と呼ばれています。内宮別宮の中では荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ格式とされていて、別宮で唯一、神田(しんでん)を持っています。伊勢神宮の内宮を建立した倭姫命が、神宮への神饌を奉納する御贄地を探していたところ、伊佐波登美命が出迎えた当地を選んで当社を建立したと伝えられています。近鉄志
ヒスイネタと順番を迷ったけど、時系列的にこちらを先に投稿します(もったいぶってる訳ではありません。お宝ゲットでもありませんし)。今年のGW、長野に一泊で旅行に行きました。一番の目的は国宝松本城。2021年に2005年以来、16年振りに行く計画を立てたのですが、コロナでキャンセル。今回18年振りに行ってきました。こちらは18年前に撮ったもの(松本城2005)で、こちらが今回(松本城2023)現存12天守、国宝5城の内の1つで、400年以上経つお城なので18年くらいで変わる
おはようございます、いい天気です♪最近、佐○急便が、時間指定よりも早く来るんだけど他にも荷物持っていて、玄関先で気がつかないと言うんだけど絶対に確信犯だと思うんだよね(笑)まぁ、良いけど3回目だよ?やるな~、じじいw2023春旅1-2黒木の鳥居から説明は前回したので割愛出たよ、八百万の神々(やおよろずのかみ)何かカミカミする読み方だな。。間違えて覚えていたよ…変換出ない(笑)いるいる、いっぱいいる。でもお留守かな?(笑)
皇祖神をお祀りする伊勢神宮には、天照大神をお祀りする内宮と、豊受大神をお祀りする外宮があり、双方は陰陽として対応する形で祭祀が行われています。天照大神は「女神=陰=内宮」で一方、外宮の豊受大神は豊穣を司り、天照大神のお食事を担当されている女神様ですが、内宮(陰)に対しては、外宮(陽)という形で陽を担当されています。伊勢神宮の建築様式建築様式は「唯一神明造」というもので、この屋根には陰陽の特徴が見て取れます。屋根の上の千木(ちぎ)という部分は、・内宮は平削
職場の先輩とお互い歳取っていくねって話してて、ふと気づいてしまった当たり前の事実。僕定年まであと14年ですわ。うちは定年遅めなので、一般的な定年年齢だと9年しかありませんわ。これ衝撃ですよ。定年なんてまだまだ先やと考えもしなかったんですけど、現実を認識しますとむっちゃ寂しくなってきました。終活は去年から始めてますけど、僕が生きてるうちにカタがつくのかどうか。でもやらんとあかんね。お次はこちら。御池のホテルオークラの敷地内です。敷地内ではありますが、通り抜けができる細い通路に面し
愛宕神社を出て、五日市街道を東へ向かって歩いています。街道から一直線に神明社の参道が延びています。歩いていくと、途中に橋の跡が遺っていました。水路が通っていたようです。この神明社も愛宕神社と同じく、新田(南野中新田)開発時に鎮守として享保十年(1725)に創建されたものです。神明造は高床式倉庫が発展したものと言われています。大相撲の吊り屋根も神明造ですね。日本人には馴染み深い神社建築と言えるでしょう。明治政府が奨励したこともあって、近代以後に出来た神社は、そのほとんどが神明造にな
2022.5.21参拝記録にお立ち寄りくださりありがとうございます。有明山神社駐車場隣に美味しそうなお蕎麦屋さんがありましたが、食べる時間がないので運転しながら自作おにぎりを頬張りました。前夜に見直した本にも載っていました(気づきませんでした)仁科神明宮へ。一帯が伊勢神宮の荘園であった事から神宮の分社が設けられたのが仁科神明宮だそうです。式年造替がされず神明造としては最も古く、周りの木々が静かに深く呼吸をしているようでこちらに立つだけで浄化される感じがしました。細胞が喜ぶとはこう言う
国宝仁科神明宮長野県大町市社宮本1159日本最古の神明造神々しい神秘的な雰囲気で写真を撮るのは恐れ多く本殿の写真はありません。素晴らしかった