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名称:神戸城別名:本多城城郭:輪郭式平城築城年:1532年-1555年築城主:神戸具盛改修者:神戸信孝、本多忠統主要城主:神戸氏、石川氏、本多氏所在地:鈴鹿市神戸5-10-22指定文化財:県指定史跡水堀本丸天守台市指定文化財二ノ丸太鼓櫓(移築)
昨日、フロントガラスのリペアどこにお願いするかググりました最初にヒットした業者さんは出張も可能ネット予約なら1万5000円とお値打ちただ…ネット検索で上位にヒットしたリフォーム業者にぼったくられた話を聞いた事があるのですぐに問い合わせるのは自重次にAUT⭕BACSに問い合わせると作業は自社ではなく外注に出すとの事で時間も費用も余分にかかりそうなのでこちらはスルー最後に問い合わせたのは検索でもヒットした自動車ガラス専門の業者さんこちらの会社の違う店舗でトラックのフロン
鈴鹿市神戸地区にある、神館飯野高市本多神社(神戸宗社)伊勢神宮の式年遷宮に関わる伝統行事「かんべ御木曳」が、6月9日に開催されています今年に4月のブラタモリの放送で伊勢街道を歩いていたときに、ここ神戸(かんべ)が登場していたので以前から興味があった場所です神戸宗社は、倭姫命が大和国の笠縫村を立ち、天照大神を伊勢にお祀りするまでの巡幸の際に、この地にしばらく滞在した御宮所と伝えられています石取祭といえば、日本一うるさい祭とも言われる桑名の石取祭が有名ですこち
所用で鈴鹿を訪れた折、ほんの少し時間が余りましたので、ほんの少しの時間で立ち寄れるお城はないかと探したところ、格好のお城を見つけました。いわゆる「石碑一本の城」ですが、沢城には案内板もありますので「石碑一本の城」よりは少し充実していると言えるでしょうか(そもそも「石碑一本の城」に定義がない話ですが(笑))。沢城は亀山を本拠とする関氏一族のお城です。関盛澄なる人物が14世紀に沢城を築いたとされ、この一族は所領の名を取って神戸氏を名乗ります。後に神戸城に移り、織田信長の三男・信孝を養子に迎える
伊勢参宮道歩きは「神戸(かんべ)宿」をめぐります。見事な町家です。黒漆喰塗籠…白漆喰塗籠。伊勢神戸の町は城下町として栄えましたので、街道を離れ「神戸城跡」を訪ねます。本丸跡から見た天守台。伊勢平氏の流れをくむ「神戸(かんべ)氏」は、戦国時代の天文年間(1532~1555)ここに城を築き、北勢に威をふるいました。神戸友(具)盛は、永禄11年(1558)織田信長の伊勢攻めにより、信長の三男信孝を養子に迎えることにより和睦。実質的に信
三重県鈴鹿市にあった神戸城に行ってきました。神戸城は戦国大名神戸氏の城でした。後に織田信長の三男で城主となった神戸信孝が、五重の天守を建てたとされています。江戸時代、神戸は天領となって神戸城は廃城されましたが、1732(享保17)年に本多忠統が2万石で封じられ神戸城を再築しましたが、天守は再建されませんでした。本丸と三ノ丸の一部は、現在、神戸公園になっています。公園駐車場に駐輪。神戸公園入口所在地:三重県鈴鹿市神戸5丁目10本丸跡現地案内図天守台登ってみました。「神戸
津市にある本山専修寺を参拝しました。『本山専修寺[三重県津市](25.1.26)』お初の伊勢鉄道で、ミジュマルトレインなどに乗りました。『伊勢鉄道に初乗車[ミジュマルトレイン](25.1.26)』塔世山四天王寺を参拝しました。『塔世山…ameblo.jp伊勢鉄道の東一身田駅に戻り、20分程乗車して鈴鹿駅で降りました。鈴鹿駅ではまず近鉄鈴鹿市駅に行き、駅にあるコインロッカーに荷物を預けて観光することにしました。観光後は近鉄に乗るので、先にそこで荷物を預けてしまった感じです。観光
こんにちは。人肌恋しい秋の夜長いかがお過ごしでしょうか。でもまだちょっと暑いですネ。紅葉はまだまだといった感じです。さて今回は三重県鈴鹿市の神戸城(かんべ)城址をご紹介します。場所は鈴鹿市の街中にあり、一部公園になっていて駐車場もあるので車で横付けできます。暑い時はこういうのがいいです。堀跡も残ります。野面積が美しいこのお城、元々この地を治めていた神戸氏の拠点で信長に攻められ降伏、信長の三男、信孝が養子として入り安土城に似た5重6階の天守を建てたそうです。
話は突然ですが、東海地方で有名な某ラーメンチェーン店がラーメンついで(大変失礼)に、その出汁を使ったたこ焼き屋を鈴鹿市に始めたというので早速行くことに。そのついでにお城を一つ攻めてきました。今回攻めた城(毎回お世話になっています、国土地理院ウェブサイトにあるGSIを使ってマッピング)神戸(かんべ)城1580年、神戸信孝「神戸家の養子となった織田信長の三男」が五重の天守閣を築いたが、現在は野面積みの石垣だけが残り、付近は神戸公園として市民の憩いの場所となっている(観
神戸城(日南町神福小字太田)ちなみに「神戸」は「かど」と読む。太田集落の東「後ヶ谷」の「城山」にある。妙見山城の子城といわれているが詳細は不明である。(※日南町誌より)村の東にて字を後ヶ谷と呼ぶ中野村妙見山の子城と云い伝う。伊田氏:先祖中野村妙見山の城主田邊氏の臣なりし由云い伝う当家の仔細法道寺村同姓の下に記す。(※伯耆誌より)ここで、案内していただいた人物から、家老伊田氏の子孫の方と、神戸城跡の土地の持ち主のT氏を紹介していただいた。日南町誌や伯耆誌に記載されていた話をすると「
狙っていた神戸山城にほむほむさん、頸城の友達と知恵を絞り、励ましあいながら到達したこの城は雷城と呼応して菅名口を固める要害で、越後にとって対芦名国境防衛の要となる城である。稀少な記事です。ゴチャゴチャ書かずにダイジェストで投稿します。記事中私の写る写真は頸城1号が撮影(他は私が撮影)。我々はこの谷から馬乗り馬場を経由して到達した神戸山城主要部(標高約570m、とりつきからの比高455m、2時間)主郭A、堀エの北から。馬乗り場場から堀カの間にも堀切、土橋、関門、削平地
【問題】神戸城(三重県鈴鹿市)の櫓は、ある寺の鐘楼として現存するが、それは次のうちどこか?【選択肢】法林寺本立寺蓮花寺随念寺【正解】蓮花寺【解説】神戸城の二の丸太鼓櫓は、明治8年(1875)頃に解体され、城から南東へ2kmほど離れた蓮花寺に移築された。現在は、同寺の鐘楼として現存している。
2023-06-10砂利道になりました田んぼにはサギくぐりまーす何かの実ピラミッドみたいな形をしてるあじさい道路に出ましたトコトコ〜踏切専用?の信号市役所かな?大きいね〜で、このあと…神戸城址が次のスポットなのですが…神戸公園石標ってのが分からなくて、前後のお仲間さん15人くらいが迷子…まろんは、GoogleMAPで戻ることにしましたと、電柱を写真撮ってるお仲間さんがいて…まさかの地図に載ってる電柱を見つけられた方でしたいやぁ…電柱の住所が目印って、なかなかで
こんにちは。快晴の、暑い名古屋です。本日は・・・仕事です笑先週も先々週もその前も週末はほぼ仕事でしたが、先週の土曜日の午前中、とうとう我慢できなくなって、S660の車検が終わってバッテリーを充電してくださいとのアドバイスをディーラーからいただき、なんだかんだと理由を見つけて行ってきました笑弾丸鈴鹿ドライブツアー!と、言っても、鈴鹿サーキットではありません!久しぶりのパワースポットへ。前から行きたかった、椿大神社!こちらも鳥居をくぐったら空気感の変わる、パワースポット
全国お城の「石・石垣シリーズ」は、『「石垣」の使われ方』において「腰巻石垣」が見られるお城をご紹介しています。これと同種の石垣の使われ方として「鉢巻石垣」、「腰巻・鉢巻石垣」があります。本日は、「中部地方・甲信越」で見られるお城をお届けします。「腰巻石垣」というのは、「土塁」の下の部分だけ「石垣」にする手法で、「堀」等水に接する箇所で「土塁」が崩れ落ちたり、土の流れを防止する為の土留めとして役割が有りました。ということで、「土塁」に分類する場合がありますが、ここでは『「石垣」の使われ
去年の11月に行きました時間があったので、行ってきました探すのに時間がかかり、日が短いので、ここだけとなりました神戸高校かな、ここも城跡ですその隣が公園こうべ、ではありませんかんべ、です公園の駐車場があります公園が城跡となりますトイレもある、それなりの広さがある公園こちらから公園に入ります石垣が見えますねう~ん、天気は良かったのですが、なんとか読めますかね城跡は高校と公園になったのですね石垣と休憩所ですが、着いたのが夕方ですなので高校生がいたので、あまり近付いて
城を観る[YouTube]今回は...(撮影2022/05/27)【城を観る+】《神戸城(伊勢国)》2022〜神戸具盛が築城!神戸城跡を観る〜【城を観る+】《神戸城(伊勢国)》2022〜神戸具盛が築城!神戸城跡を観る〜《神戸城(伊勢国)》[読み方]かんべじょう(いせのくに)[撮影地]三重県[撮影日]2022/05/27[撮影者]バイソン[BGM]Dreamland(writtenbyshimtone)[YouTube]城を観るhttps://www.youtube.com/ch
ブログは「石・石塁・石垣シリーズ」をスタートしていますので、どうぞご覧ください。前回ブログからは、先日ピックアップした切口による分類の下記表から「①②-(1)野面積み・乱積み」を使用しているお城の例を日本の北から順次掲載しています。本日は「中部地方(伊勢)」のお城の中で「野面積み・乱積み」を導入している例をお届けします。「野面積み・乱積み」は、自然石を殆ど加工することなく積上げる手法ですので、排水性は良いですが高くは積上げることが出来ません。石と石との間は隙間があくので「間詰石(まづめ
本日は猫入り涅槃図が御開帳されている鈴鹿市龍光禅寺(りょうこうぜんじ)さんへ。一緒に行った友人は地元で、地理に詳しくて駐車場は、近くのかんべ公園の駐車場に。(神戸城跡があるところ。)3月12、13、14日(明日まで)が御開帳。鈴鹿龍光寺さんを紹介するページOpenIdtransactioninprogressplus.chunichi.co.jp室町時代創建のお寺だそうです徳川家とも深い関わりが。寺紋がステキ称光天皇(1411年頃)の勅(ちょく:天皇から
三重県鈴鹿市神戸にある神戸(かんべ)城跡へ行きました。以前から行きたかった城跡です。知多半島の野間大坊に織田信孝の小さなお墓があるんですが、この神戸城の城主だった時があるので。信孝は、野間で自刃しました。野間大坊は、源頼朝の父、源義朝が誅殺された土地でもあります。説明板天守台の石垣丸みを帯びています。石垣高さがあります。この刻印は?天守台を上がる石段この天守台は、徳川家康の嫡男だった信康が自刃した二俣城程度の規模かな。天守台への石段ぐるりと左へ曲がり天守台への石段
「お城」の「天守台シリーズ」第33弾は、「神戸(かんべ)城」です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だ
神戸城(別称:本多城)かんべじょう創設年代・・・弘治年間(1555頃)創設者・・・・・神戸利盛・本多忠統形態・・・・・・・平山城遺構・・・・・・・天守台・水堀・移築櫓・大手門・本丸・土塁本丸・天守台遠望・手前は水田縄張り本丸土塁本丸虎口土塁天守台天守付櫓台内堀本丸虎口内堀同神戸公園・武家屋敷跡西大手土塁二の丸・神戸高校同・旧制中学門
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)217城目は三重県だけど神戸城ですよぉ※"かんべじょう"とよみます桑名城攻城をサクっと終えまして桑名8:03発の快速みえ号にて鈴鹿へ移動昭和ノスタルジックな家並みを抜けますと15分ほどで神戸城址到着ぅつーか、昨日からの反省点なんですケド事前学習怠ってるせいもあってかせっかく城址跡まで辿り着いても哀愁的感情に浸れないっていうねま、石垣や土塁のビジュアルだけでそこそこ楽しめちゃうし現地で得る教養って
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)216城目は桑名城ですよぉ前日猛暑の中歩き廻ったせいかTVで開会式観てる途中に寝落ちし朝6時には覚醒予定を1時間早めて7時にチェックアウトし攻城開始ぃ~桑名駅前のホテルから歩いて20分朝陽に煌めくお濠にお出迎えお濠画像ばかりのUPとなりますケド結果的には濠が唯一の見所っていう話三ノ丸側から本丸跡へ入島しますが城址跡は鎮國守國神社へと姿を変え朝詣りの様相となります天守台石垣が辛うじて残ってま
三重県のお城廻り、いよいよ最後七番目は、「神戸(かんべ)城」(三重県鈴鹿市)です。近鉄「津新町」駅から名古屋線の急行で「伊勢若松駅」まで約20分、ここから鈴鹿線に乗り換え6分で「鈴鹿市駅」に到着します。以前来訪した時の面影は全くなく、絵地図を持っていましたがお城までの方向感覚も心もとなくて途中で道を聞いて登城しました。「神戸城」といえば、野面積みの「天守台」元々の「神戸城」は、伊勢国司「北畠家」配下の「神戸家」のお城で、「北畠家」の養子を受け入れることで北伊勢を中心に勢力
お城廻り二日目の速報です。詳細は、整理してまとまり次第順次お届けしたいと思います。ホテルを早朝に出て「松阪城」(三重県松阪市)に向かいました。初っ端から、大手門跡付近より見る「表門」跡の石垣に重なる「三の丸」「本丸下段」「本丸上段」にワクワク、ドキドキ、「助左衛門御門」跡や多くの櫓台の間を抜け、「本丸下段」を廻り込んで「上段」の「天守台」に辿り着きます。本丸周囲を取り巻く「多聞櫓」跡を一巡りして「中御門」「裏門」方向へ降りましたが、その間に見られる石垣は半端じゃないです。「二の
では、実際の城を見ていきましょう。先ずは現地案内板に乗っている地図から。-地図-最寄り駅の近鉄鈴鹿市駅から歩くと、武家屋敷と北外堀とに辿り着きます。ここは現在、前者はマンションに、後者は道路となっています。-武家屋敷--北外堀(順に中部、西部)-北外堀を渡ると、千畳敷・二之丸となります。この辺りは地形が不一致で分かり辛いです。-千畳敷--二之丸-千畳敷からは橋で北内堀を渡って本丸へ入ります。千畳敷と地続きに隣接する二之丸は現在、学校となっ
ここからは沢城です。高山氏に所縁の大和国にある城ではありません。-参考:大和沢城-伊勢沢城は鈴鹿川南岸平野部に建てられた平城です。東方に伊勢街道が走っています。城主は伊勢亀山を治める関氏の庶流である神戸氏です。詳しく言うと、正平二二年に関四郎盛政が長男である同名豊前守盛澄に分知し、彼が沢城を築城して神戸氏を名乗りました。その後、孫が北畠氏から養子をとって家を繋ぎました。これが神戸下総守具盛(四代目)です。この人物が本拠地として新たに神戸城を築き、移転していきました。その後、一旦沢城
史跡めぐりの記事です。今回は、三重県鈴鹿市の街中に埋没して本丸部のみ残る神戸城です。神戸城(かんべじょう)城は戦国時代、神戸具盛により築かれ、安土桃山時代の初め天正8年(1580)神戸家の養子となった、織田信長の三男神戸信孝によって、城が大規模に改修されて五層の天守閣が築き上げられたといわれています。天守は後に、桑名城に移築され、神戸櫓と呼ばれていました。その後、生駒〜滝川〜水野〜一柳〜石川とめまぐるしく城主が替わりましたが、本多家(膳所藩分家)が入封して7代、幕末まで存続しました。
松山城を守った男<2>日誌を捜して功績は風化遺品の中に愛媛新聞松山城を守った男<2>日誌を捜して功績は風化遺品の中に.2020年1...松山大空襲の時に松山城を消火したという当時の監視長(監守長)、故住田晋さん。金運アップのパワースポット!金沢の地名の由来「金城霊沢」に残る言い伝え【石川県】ガジェット通信この小立野台地は現在、犀川と浅野川の二級河川に挟まれながら、舌の先を伸ばすように平野部に盛り上がっており、台地の先っぽには金沢城公園と兼六園が...復旧途中の