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抑々、真の信仰とは言語行動が常識に外れない事を主眼としなければならない。世間よくある神懸り式や、奇怪な言説、奇矯なる行動等を標榜する信仰はまず警戒を要すべきである。ところが多くの人はそういう信仰を却って有難く思う傾向があるが、これらは霊的知識のないためで無理もないが、心すべきである。また自己の団体以外の人々と親しめないというような独善的信仰も不可である。真の信仰とは世界人類を救うのが宗教の使命と信じ、自己の集団のみにこだわらず、排他的行動をとらないようにするのが本当である。ちょうど一国の利益の
中国の碩学朱子の言に「疑は信の初めなり」という事があるが、これは全く至言である。私は「信仰はできるだけ疑え」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、たいていはいんちき性の多分にあるものか、そうでないまでも、下の位の神仏や、狐、狸、天狗、龍神等を的にしたものが多く、正しい神を的とする信仰はまことに少ないのである。従って厳密に検討を加える時、たいていの宗教は何らかの欠点を包含しているものであるから、入信の場合何よりもまず大いに疑ってみる事である。決して先入観念に捉われてはならない。どれほど疑っ
先日、このお言葉カードをいただきました。一人一人、一番ふさわしいお言葉を、いただきます。私は、ほんとに、有り難いなと思いました。感謝🙏このお道に入るまでは、地獄の底を這いつくばって生きてました。今は、とても幸せです☘️2025.11.8塩見和也京都
抑々、宗教の真の目的は何であるかと言えば、言うまでもなく真理の具現である。然らば真理とは何ぞやという事であるが、真理とは勿論白然そのままの姿を言うのであって、これは何人も否定し得ないところである。東から太陽が出て西に沈むという事も、人間は生まれれば必ず死ぬという事、これは仏説の所謂生者必滅、会者定離という事であり、人間は空気を呼吸し食物を食う事によって生を営んでいるという事も、勿論真理である。こんな分り切った事を言わなければならないほど人類社会の現状は出鱈目になっているからである。右の理に
およそ世にありとしあらゆるものは、それぞれ人間社会に有用な役目をもっているのである。所謂天の使命である。勿論芸術と雖もその埒外ではない。とすれば、芸術家と雖も社会構成の一員である以上、その使命を自覚し、完全に遂行する事こそ真の芸術であり、芸術家の本分でもある。ところが、今日一般芸術家をみる時、そのあまりに出鱈目な行動に呆れ返らざるを得ないのである。勿論中には立派な芸術家もないではないが、大部分は自己の本分を忘れているというよりか、全然弁えていないといった方が当たっていよう。然も彼らは自
私の健康の元は毎日の『浄霊』です。これは宗教と思われていますが『真実の科学』です。浄霊は真理に立脚しているから、無病健康なのです。医学が正しいと思って病院通い人は、それで、無病健康になりましたか?薬を飲み続けると病気が治りません。薬が病気の最大の原因だからです。そのことに、気づいてください。私は、浄霊だけで、32年無病、完全健康なのです。「真理を見分ける眼力」が大切です。初めて浄霊に出会ったとき、これだと確信しました。
《宗教とは、世界人類の幸福を目的とするもの》『皆さんは、本来、宗教でないものを宗教と思って、忌み嫌っておられます。それらは、悪魔が、人間を操り、政治を支配し、日本人を不幸にする、悪魔教であり、本物の宗教ではないのです。宗教詐欺ですね。本来の宗教とは神様につながる団体です。』「悪魔は、神を名乗って、散々悪事を働き、宗教は悪と思わせて神様のお邪魔をしているのです。」日本には素晴らしい宗教が存在しています。『私は、一人一人の人間を幸せにし、その延長で
★ご浄霊、自然農法、美の心、それを広げて世界人類の幸福を願って!☆私はご浄霊に取り組んで、全ての病気が治り、家族全員、無病・無医療、健康に自信を持てるようになりました。☆ご浄霊で他人の病気や悩みを救い、解決できます。☆心が救われ、最高の先祖供養、自分の魂、霊界が上がります。以下は、私の感謝の体験談です。(ただし誰でも同じ結果になるものではありません。)《私のご浄霊等の様々な体験と感謝》<自分と家族>・父親の精神病が治る…妹の一回の浄霊で、意識が正常になる。・面庁が
『関西、山陰旅行15琵琶湖ホテルに宿泊』滋賀竜王アウトレットでお買い物をした後は宿泊先に向かいます。滋賀県でのお泊まりは大津市にある、琵琶湖ホテル大きなホテルです🏨駐車場無料でした4月末だったので兜…ameblo.jp旅行記の続きです。琵琶湖ホテルをチェックアウトして、山道を通って、到着したのは、MIHOMuseumでした。ココはレセプション棟と言って入場券を買う建物です。レストランもココにあります。この時は平安時代の書の特別展をしていました。MIHOMUSEUM|I.M
私は、『信仰心を持ち、神様を求めること』は、とても美しいことと思います。神様を知っている人は、悪事を働かないのです。なぜなら、悪事は人の目は誤魔化せても、神様には逐一知られるからです。逆に、善行も神様は知っておられます。人間の幸不幸は、神様から与えられるとすれば、善行と悪行、どちらが幸せになるか、明白です。神様は、善行をする者を、愛され応援されるのです。神様は、『この世界を天国に』するため、善なる人間を使って、導いておられます。私は、神様にお使いいただく者として、日々、『
2025.4.12しだれ桜は、まだ、3~5分咲きくらい。それでも、美しさは格別。特別展「うつくしきかな」美しい唯一無二の形状の吊り橋完全自然農法食材のみ「おむすび膳」これに限る😋こちらも、自然農法の抹茶、いちごムース佐治石うつくしきかな聖地MISONOを望むトンネルは、ややピンク見事なピンクの枝垂れ桜トンネルで自撮り2025.4.12京都塩見和也
『薬というもの』は、その毒によって単に痛苦を軽減するだけのもので、治す力は全くない上に、その毒が血液を汚し病気の原因となるのである。また、霊的に言えば、その毒は自分の霊を汚し、霊の曇りとなり、不幸の原因となり、死後行く霊界は、薬を飲むほど、地獄の深みに落ちることになる。まさに、「薬は、悪や不幸の原因」となるのである。人間、薬剤という禁断の木の実さえ用いなければ、このような不幸、災難、悪は発生しないのである。この事に気がついて、薬を絶とうと思っても、禁断症状の如き苦痛になる上
一昨日、寝違えたのか?朝から首を痛めて、痛くて首が回らず、起き上がることもできない。それで、仕事を休んで安静にしていました。今日は、少し起き上がれるようになったので、痛みは有りましたが、車で京都の教会まで行って、たくさん、『ご浄霊』をいただきました。帰るころには、首の痛みが消え、回るようになり、すっかり良くなりました。やっぱりご浄霊のパワーはすごいですね。有り難い。感謝🙏✨こんな感じだから、みんな病気せず、健康!もっとも、今日は、7人と浄霊交換をしました。たくさんすれ
今日まで宗教と芸術とはあまり縁がないように、多くの人に思われてきたが、私はこれは大いに間違っていると思う、人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。春の花、秋の紅葉、海山の風景を眺める時、文芸美術の素養ある人にしてその目を通す時、言い知れぬ楽しさの湧くものである。我らが理想とする地上天国は「芸術の世界」と言っても過言ではないほどのもので、よく言う真善美の世界とはそれであって、芸術こそ美の現われである。然るに今日まで案外閑却されていたのは、如何な
政治と宗教とは大いに関係があるに拘らず、今日まで余り関心を払われなかったのは不思議である。寧ろ宗教が政治に関与するを好まないばかりか、却って政治から圧迫されてきたというのが、終戦以前までの実情であった。これは古往今来各方面に見らるる現象で、宗教によっては迫害の強い結果、一時は法燈の将に消えなんとした例も乏しくはなかった。しかしながら、宗教の目的である理想的世界を造り、人類の幸福を増進せんとしても、政治が良くなくてはその目的は達し得られない道理である。この意味において、良き政治には良き政治家が必
抑々現代人として、今は如何なる時代であるかという事を認識しなければならない――という前提をもって何を私は言おうとするのであろうか。外でもない、ラジオやテレビの発明によって、全世界に起こりつつあるあらゆる出来事を一瞬にして知り得るという事ほど、それほど物質文化は夢の間に進歩したのである。一体全体これは何を意味するのであるかというこの点が頗る重要事であって、何よりもこれに気付かないとすれば現代文化を語る資格はないというべきである。かのアメリカにおいて、数年前より唱え始められてきた世界国家、世界
《ご浄霊をする私に光臨する神聖なる存在🙏✨》小学一年生女子が見たままを鉛筆書きしてくれた!『おじちゃんの後ろに金色の女の人が立っている』神様とつながっている証拠です。だから、ご浄霊は本物なのです。(黄色の下手な着色は、私がしました😅)当初は、「観世音菩薩」と思っていましたが、頭に、らほつがあるので、菩薩ではなく、如来です。それで、『光明如来』様と思っています。そして、《救世主(メシア)》なのかも知れません!私は、入信して神様とつながってから、とてもとても幸せになりました。
《2020.7北九州市小倉の思い出》一人の若い女性より、私宛に、SNSを通じて、「お母さんの精神病を『ご浄霊』で救ってほしい!」と申し出がありましたので、一泊2日で、北九州市小倉まで出かけました。お母さんは、私よりも若いですが、精神異常により、精神病院に入院し、精神薬を投与され、お婆さんのような老けた姿になり、とてもかわいそうとのことでした。精神病院は、当時、面会できず、私からお母さんにご浄霊することは、出来ませんでした。それで、彼女にご浄霊をしました。すると、彼女は自
古代ガラスを見終えた時は13時頃で、館内のスタッフにレストランの場所を聞くと、Reception棟に戻ることになるそうで、さもなければ美術館の中にある喫茶でサンドウィッチを食べることになると言われました。とりあえずスタッフの方にレストランに何人ぐらいの人が待っているか確認してもらうと17組の人が待っているとのことで、この後、一般展示もみたいことから、待ち時間が勿体無いので喫茶でランチをすることにしました。館のホームページによると、自然栽培法で落葉や枯草からできた自然堆肥以外の些かの不純
こちらが古代ガラス特別展の入り口です。右手から入って左手から出て来ます。館内は撮影禁止。唯一、展示の最後にアサインされた「銀化」のセクションは撮影可能でした。先ずは撮影可の展示品をご覧ください。撮影不可のアイテムの銀化も素晴らしい発色をしていましたが、この銀化ですが簡単に出来るものではないのです。ガラスの素材はソーダ石灰ガラスで、成分はシリカ、炭酸ナトリウム、炭酸カリシウムです。これらが土壌の成分に
昨日は甲賀のMIHOMUSEUMの古代ガラスの特別展を見て来ました。MIHOへは初めての訪問でした。公共交通機関で行くか、それとも車で行くかの検討した結果、公共交通機関ではJR石山駅から帝産バスで50分って言うのが気になり、車で行くことにしました。MIHOに到着した時、バスが2,3台待機していたので利便性は問題無いか?待ち時間はちょっと覚悟しないといけないかもです。さて車の場合、大阪からだと2ルートです。名神で行くか、第二京阪で行くかです。第二京阪で行くと1時間30分ぐら
これからの人間は世界人にならなければ駄目だ。これについて面白い話がある。終戦直後ある軍人上がりの人が私の所へ来て、憤懣に堪えない面持で「今度の降伏はどう考えても分からない。実に怪しからん」と言って、憤慨しながら話しかけるのだが、私の方はさっぱり気が乗らないので、彼は呆れたらしく曰く「先生は日本人ですか」と聞くから、即座に私は「日本人じゃない」と答えると、彼はぎょっとして、震えながら「では何処の国の人間ですか」と聞き返すので、私は言ってやった。「つまり世界人なんですよ」-その言葉に、彼はぽかんと
この表題と説くに当たっては、まず最初①の意味から書いてみるが、見らるる通り①とは、○の真中にヽがついている。ただこれだけなら別に大した意味はないが、実はこの①の形ほど神秘偉大な意味はないのである。それは何かというと、この○はこういう意味である。つまり、森羅万象一切の形は○である。第一地球も太陽も月もそうであり、人間も霊になると他へ移動する場合、○の形になっていく。これは人魂がよく現わしているし、神様でも移動なさる場合やはり○になられるが、同じ○でも神様の方は光の玉となる。だが人間の方は光がなく
よく安心立命という言葉があるが、これは精神的の面に限るように世人は思っているようだが、この考え方は大きな間違いであって、真の安心立命とは物質も伴わなくてはならないのは勿論である。考えてもみるがいい、病気、貧乏、争いの三つの災厄のうちの、例え一つでもあるとしたら、何処に安心があるであろうかという事である。俺は一生涯病気の心配はない、貧乏になりっこはない、争いを起こすような事もないという自信がもててこそ、真の安心立命は得らるるのである。ところがそのような三拍子揃うなど、今の世の中ではとうてい夢でし
現代人は如何なる問題と難も、科学によって解決せられざるものはないように言い、科学は万能薬のように思われているに対し私は質問したいのである。それは道徳は、芸術は、恋愛は、科学によって解決できるだろうかという事である。今仮に科学によって道徳上の問題が解決でき得るとすれば、最も科学教育を受けたところの最高学府を出た人士は、道徳的に優れていなければならないに拘らず、漬職、破廉恥等の犯罪者も少なくない事実を見れば、科学は道徳的には微力である事を物語っている。次に芸術であるが、これはまた意外である。科
普通無神論を書く場合、宗教的に論理を進めてゆくのが当たり前のようになっているが、私は全然宗教には触れないで、自分自身無神論者の立場に置き、書いてみようと思うのである。それはまず人間オギャーと生まれるや、早速育つに必要な乳という結構な液体が、然も産んだ親の身体から滾滾と湧き出てくる。それによって子は順調に育ってゆき、歯が生える頃になると噛んで食う食物も親は運んでくれる。というようにしてだんだん育って、遂に一人前の人間となるのはいまさら言うまでもないが、中でも最も肝心な食物についていえば、食物には
私がこの偉大なる浄霊法を発見し得たという事は、霊の実在を知り得た事がその動機である。即ち霊を浄める事によって体の病気が治るという原理であるが、これは将来の文化に対する一大示唆とみねばなるまい。実に科学の一大革命である。何となれば病気治療以外のあらゆる部面に対してもこの原理を応用する時、人類福祉の増進は測り知れないものがあろう。それのみではない。この原理の研究を推し進めてゆく時、宗教の実体にまで及ぶであろう事も予想し得らるるのである。神は有るか無いかという事の論争も、数千年前から今日に及んで
この世の中において人間が最も厭うのは悲劇であろう。悲劇を全然無くする事は不可能であるが、ある程度軽減する事は敢えて難事ではない。それについてはまず悲劇なるものの正体を検討してみよう。事実、悲劇なるもののその原因の殆どが病患からである事は厳然たる事実である。なるほど病気以外、恋愛問題、物質欲等から生まれる不正行為等もあるが、これらもよく検討する時、精神的病患からである事を知るのである。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と言われているが、全く真理である。私が長年の研究の成果からみれば、邪恋も
昔から宗教と名の付くものは、例外なく戒律が主となっており、それをお説教によって教えたのは誰も知る通りであるが、我が神慈秀明会に至っては、お説教が非常に少ないのは信者も知る通りで、これに対し幾らかの疑問をもっている人もあるであろうし、また未信者から聞かれた場合その理由を話さなければならないであろうから、それを書いてみよう。言うまでもなく宗教の目的は、改過遷善にあるのだから、それには魂の曇りをとる必要がある。魂さえ清くなれば、悪い事はできなくなり、世のため人のために善を行なう立派な人間になるから
宗教と奇跡は切っても切れない関係にある事は、昔から幾多の文献によっても明らかである。もし奇跡のない宗教でありとすれば、それはもはや宗教とは言われない。何となれば奇跡は神が作るのであって、人間の力では一個の奇跡も作られ得ないからである。故に奇跡のない宗教は宗教としての存在価値はないわけである。ただ形式だけが如何に宗教的であっても、それは宗教的価値を喪失していると言ってもいい。以上の意味において、偉大なる宗教ほど奇跡が多く顕われる事は当然である。奇跡とは換言すれば予期もしなかった利益が現われる