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昔から幽霊の有る無しについては、諸説粉々として今もって決定しないが、私は有りと断定する。何となれば実際有るからである。有るものを無いをは何人と雖も言えないであろう。かの釈尊の説いた地獄、極楽説も、ダンテの神曲における天国、地獄、煉獄も決して荒唐無稽な仮説ではない事を私は信ずるのである。そうして霊界とは如何なる所であるか、これを一言にして言えば、意志想念の世界である。それは肉体なる物的障碍がないから素晴しい自由がある。霊の意志によって如何なる所へでも飛行機よりも早く行ける。かの神道において、招霊
霊線という言葉は今日まであまり使われないようである。というのは霊線というものの重要性を未だ知らなかったためで、空気より希薄な目に見えざるものであったからである。ところが人事百般、この霊線による影響こそは軽視すべからざるものがあり、人間にあっては幸不幸の原因ともなり、大にしては歴史にまで及ぶものである。故に人間はこの霊線の意義を知らなくてはならないのである。抑々霊線なるものの説明に当たって、前もって断っておきたい事は、これは科学であり、宗教であり、将来の学問でもある。相対性原理も、宇宙線も、
大自然、即ち我々が呼吸し棲息しているところのこの世界の構成について、私の研究によれば、まず大別して三つの元素、即ち先に述べた如き火水土である。そうして現在科学及び人間の五感によって知り得たものとしては電磁気、空気、物質、元素等である。然るに私が言わんとするところは、科学的にも五感によっても未だ知り得ざるところの気体即ち霊気である。しかしながら、霊または霊気という文字は今までとても相当使用されてきたが、その多くは宗教または心霊科学の面に限られていた。それがために霊という言葉はともすれば迷信視せら
タイトルにある”こいつら”とは、滋賀県甲賀市にあるMIHOミュージアムの母体宗教法人である神慈秀明会の信者のことです。コロナ禍の頃、神慈秀明会から悪質な宗教勧誘にあい入会しながらも、見事に短期間で脱会された方の体験談がネットに投稿されています。入会編、活動編、脱会編を紹介していきますので、ぜひ投稿元とともに一読をおすすめします。投稿者さんのように果敢に対応してもよいですが、2022年に起きた安倍晋三元首相銃撃事件を受けて、法整備され悪質な宗教勧誘にあったら相談できる公的機関も現在
抑々、宇宙における森羅万象一切は三大元素から成り立っている。即ちあらゆるものの生成化育は、この三大元素の力によらないものはないのである。然らば、その三大元素とは何であるかというと、それは日、月、地である。即ち日は火素の根源であり、月は水素のそれであり、地は土素のそれである。即ち、経とは天から地まで、太陽、月球、地球の三段階となっているのであって、日蝕の時、日月地が経に三段になっているにみても明らかである。即ち、天界は太陽中心の火の世界であり、中界は月球中心の水の世界であり、地は、地球中心の土の
この著は、私が二十数年間にわたって探求し得た霊界の事象を、できるだけ正確を期し書いたもので、勿論作為や誇張などは些かもないつもりである。抑々、今日学問も人知も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩はまことに遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化も素晴しい進歩を遂げつつあるに拘らず、人間の幸福がそれに伴わないということは、その主因たるや前述の如く跛行的進歩であるからである。これを言い変えれば体的文化のみ進
単に信仰といってもいろいろ種類がある。ざっと書いてみるが、(一)おかげ信心。(二)景場信心。(三)有難信心。(四)利用信心。(五)神懸り信心。(六)身欲信心。(七)たがる信心。(八)ご無沙汰信心。(九)浮気信心。(十)気紛れ信心。(十一)鰹節信心。(十二)贋信心。――等々ある。これらを一つ一つ解説してみるが――(一)おかげ信心は――ただおかげさえ貰えばいい。神様のためとか世の中のためとか、そういう事は第二義的で、自分さえよければ良いという利己的信心で、これらは多く中流以上の人に多い
こちらは、神慈秀明会の元信者だった方のブログにある哀しい神慈秀明会の記事です。>神慈秀明会が世間を騒がしています。と冒頭にあります。世間を騒がしている?このブログが投稿されたのは、2009年2月15日です。当時現役信者だった私は、神慈秀明会がこの頃に世間を騒がしていることを知りませんでした。脱税で世間を騒がしたのは、2006年4月のことでした。さすがに当時脱税報道のことは知っていましたが、さまざまな訴訟問題を起こしていることは、まったく知りませんでした。筆
滋賀県にあるMIHOミュージアムの母体宗教法人である神慈秀明会について、内部では決して語られることのない体験談が、ネットにはあふれています。Amebaにも、神慈秀明会を体験した方のブログがあります。ユキのブログユキさんのブログです。最近の記事は「献金」です。ameblo.jpこの”ユキのブログ”のプロフィールにある、>神慈秀明会について、体験してみた自分の感想を記します。違和感があり、迷ってみえる方の一助になれば・・・という筆者の思いで、旧統一教会のことが連日テレビ
滋賀県にあるMIHOミュージアムの母体宗教法人である神慈秀明会から、不快な勧誘を受けた体験談が、ネットにはあふれています。Amebaにも、神慈秀明会の勧誘を体験した方のブログがあります。ランチに誘われて行ったら宗教勧誘・・・こんな残念な体験をされた方は結構いらっしゃるのではないでしょうか?ファミレスとかではなく、ランチした場所がその宗教施設だったら?そんな体験をされた方のブログです。そうこの投稿の舞台となった宗教団体はかつて私がはまっていた神慈秀明会。桜が映えるトンネルで
私は滋賀県にあるMIHOミュージアムの母体宗教法人である神慈秀明会の元信者です。神慈秀明会に違和感や疑問を持たれている方に、元信者たちによりすでにネットでは明らかにされている実態を自分の体験とともに紹介するサイト「秀明の闇」を開設しています。明主様を信じている方が、神慈秀明会が信者にかくしている不都合な真実を知ることはショックかもしれません。しかし神慈秀明会に違和感や疑問を持たれたということは、あなたはもう気づいているはずです。”この居場所はもう自分には、合わない”と。
私は滋賀県にあるMIHOミュージアムの母体宗教法人である神慈秀明会の元信者です。神慈秀明会とはどんなところかと思われている方に、この宗教団体の実態を知ってほしいです。被害を訴える人に向き合わない神慈秀明会は、高裁で解散命令を出された旧統一教会同様に非課税の恩恵を受けるにはふさわしくない宗教法人です。神慈秀明会も「不法行為を防止するための実効性のある対策を自発的にとることは期待しがたい」宗教法人です。実際に神慈秀明会にかかわってしまい困っている方に向けた応援サイトを私
桜の映えるトンネルが有名な美術館といえば、知る人ぞ知るのではないでしょうか?紅葉の時期も人気なスポットとなってきました。そのMIHOミュージアムが滋賀県甲賀市にグランドオープンしたのは、1997年11月のことでした。私はMIHOミュージアムの母体宗教法人である神慈秀明会の元信者です。この宗教団体の実態を、この美術館に訪れた方に知ってほしいです。被害を訴える人に向き合わない神慈秀明会は、高裁で解散命令を出された旧統一教会同様に、非課税の恩恵を受けるにはふさわしくない宗教法
こんにちは。私は、『浄霊』に憧れて、神慈秀明会に入り、多くの人に、浄霊をさせていただいています。ネットでは悪く書かれていますが、実は、本物の神光が降ろされます。あまりにも、奇跡が多くて、受けた人もびっくりされます。これまで、何百という奇跡(数えていません)が。人を救うという目的ですので、お金を取ることは、全くありません。相手が健康と幸せになることが目的であり、結果、私は、徳を積むことになり、私は神様につながって、幸福の極地です。誰でも志があ
昔から大乗小乗の言葉がある。勿論これは仏語であって、仏教においても相当詳しく説かれているが、これについて私見を書いてみよう。まず一口に言えば小乗は経で、大乗は緯である。また小乗は感情であり、大乗は理性である。小乗は善悪を差別し、戒律的であるから一般からは善に見られ易いが、大乗は善悪無差別で、自由主義的であるから善に見られ難いのである。これを分り易くするため二、三の例を挙げてみよう。ここに一人の盗人がいる。それを改心させようとする場合小乗的やり方でゆくと悪事をたしなめるべく説得するのであ
「息子の発熱と、感染防止法」息子は障害者で、グループホームで生活しています。そのため、ふだんは、浄霊がうけられません。先日、ホームに迎えに行き、家に連れて帰ったら、少し、しんどそうなので、体温を計ったら、38.5度の高熱でした。それで、すぐに「浄霊」をしました。すると、すぐに浄化作用が起こり、彼は嘔吐しました。それで、毒素を排除しました。そして、少し寝てから、体温を測ると、36度代の平熱になっていました。念のために、1日我が家で一泊することにして、ホーム
「肩の痛みが、不思議と無くなりました」と!職場の先輩のWさんには、最近、「浄霊」をさせていただいています。初めて、させていただいたとき、「清々しくて、浄められている感じがする」と言われました。本日、浄霊させていただいたあと、「最近、肩の痛みが、不思議となくなった。ちょっと前まで、寝ていても痛くて、寝返りがうてなかった。強めのシップを張ったりしていた。おかげで、全く痛みがなくなった。有り難いです。」と、おっしゃいました。これで、この職場で、明確な奇跡をいただかれたのが
《浄霊は、病気治しだけではありません。》本物の神様につながることで、「無限の幸せ」が得られるのが、本当です。祈るだけで「神光が降ろされる」ので、それで本人は、病気も治り、幸せになりますが、他人に浄霊をすると、他人の病気も治せるという、唯一無二の御神業なのです。これを、押し広げると、世界平和になります。我々は、この常識では考えられない幸せを、皆さんにお伝えしようと思っても、過去そんな素晴らしい信仰が存在しないので、伝わらないのです。唯一、病気治し
この二つの文字をあまり解釈したものは見ないようである。然るにこの二つの文字ぐらい人間が尊敬し、憧憬するものはないのであるから、一応知るべき必要があろう。その意味を、私としての見解を述べてみる。まず、神の文字は、示偏に申とかいてあるが、たいていの人は、この申の字が解し得ないようである。これはサルではない。田の字の真中の経の棒が上と下へ抜けている。そうして田の字とは、○に十から起こったもので、○に十とは、○は地球であり大地である。十の字はいつも言う通り、経と緯の棒の結んだ形である。経は火で緯
単に智慧といっても種々ある。今それを分類してみよう。まず最初は神智、次が妙智、叡智、才智、奸智の順序で、大別して五段階になる。私は名付けて五智という。これを一つずつ説いてみよう。神智とは最高の智慧で、これは普通人には得られない。特別の人間が神授の智慧で、それはその人が重大使命を神から委任されたからである。昔から「学んで知るを人智と言い、学ばずして知るを神智」と言うが、一言にしてよく表わしている。妙智というのは、観音妙智力などといい、前述の神智に対し仏智ともいうべきもので、神智は男性的と
つくづく今日の世相を見るに、悪い奴があまりにのさばり過ぎている。それがため、善人が如何に虐げられ苦しみつつあるかで、これは誰も知るところであろう。それについてその根本の原因を書いてみよう。昔からとかく善人は弱いもの、悪人は強いものとされている。これがため悪人どもはますます跳梁跋扈する。といって昔は今日の如く法規の完備、暴力取締りの機関がないから、悪人の暴力に対し善人は手が出せないので泣き寝入りになってしまうというわけで、町人階級は腕っ節の強い奴、無鉄砲な奴が巾を利かしていた。また武士階級と
つくづく現在の世の中を見ると、どうも今の人間は、悪に対する憤激が余りに足りないようだ。例えば悪人に善人が苦しめられている話など聞いても興奮する人は割合少ない。察するに、悪に対しいくら憤激したところで仕方がない。然も別段自分の利害に関係がないとしたら、そんな余計な事に心を痛めるより、自分の損得に関係のある事だけ心配すれば沢山だ。それでなくてさえ、この世智辛い世の中は心配事や苦しみが多過ぎる。だから見て見ぬ振りをする。それが利口者と思うらしい。然も世間はこういう人を見ると、世故に長けた苦労人として
今日本の最も悩みである社会悪について論じてみよう。その前に為政者や有識者がとっている手段を検討する必要がある。為政者は、法規を厳重の上にも厳重にし取締っているが、これらは勿論根本には触れないから、悪人は法規を如何に巧妙に潜るかに専念している。それは法網の隙を狙いつめ、隙あらば破ろうとする。当局は破らせまいとますます法網を密にし、破る隙を与えないよう努力している。全く善悪の知恵比べである。ところが、前述のような法網を潜る人間は、前科者、ボス、不良等を連想され易いが、事実は決してそんな劣等者ば
世の中は善悪入り乱れ、種々の様相を現わしている。即ち悲劇も喜劇も、不幸も幸福も、戦争も平和も、その動機は善か悪かである。いったいどうして善人もあれば悪人もあるのであろうか。この善悪の由って来たるところの何か根本原因がなくてはならないと誰しも思うであろう。今私がここに説かんとするところのものは、善と悪との原因で、これは是非知っておかねばならないものである。勿論普通の人間であれば善人たる事を希い、悪人たる事を嫌うのは当たり前であり、政府も、社会も、家庭も、一部の人を除いては善を愛好する事は当然
抑々、真の信仰とは言語行動が常識に外れない事を主眼としなければならない。世間よくある神懸り式や、奇怪な言説、奇矯なる行動等を標榜する信仰はまず警戒を要すべきである。ところが多くの人はそういう信仰を却って有難く思う傾向があるが、これらは霊的知識のないためで無理もないが、心すべきである。また自己の団体以外の人々と親しめないというような独善的信仰も不可である。真の信仰とは世界人類を救うのが宗教の使命と信じ、自己の集団のみにこだわらず、排他的行動をとらないようにするのが本当である。ちょうど一国の利益の
中国の碩学朱子の言に「疑は信の初めなり」という事があるが、これは全く至言である。私は「信仰はできるだけ疑え」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、たいていはいんちき性の多分にあるものか、そうでないまでも、下の位の神仏や、狐、狸、天狗、龍神等を的にしたものが多く、正しい神を的とする信仰はまことに少ないのである。従って厳密に検討を加える時、たいていの宗教は何らかの欠点を包含しているものであるから、入信の場合何よりもまず大いに疑ってみる事である。決して先入観念に捉われてはならない。どれほど疑っ
先日、このお言葉カードをいただきました。一人一人、一番ふさわしいお言葉を、いただきます。私は、ほんとに、有り難いなと思いました。感謝🙏このお道に入るまでは、地獄の底を這いつくばって生きてました。今は、とても幸せです☘️2025.11.8塩見和也京都
抑々、宗教の真の目的は何であるかと言えば、言うまでもなく真理の具現である。然らば真理とは何ぞやという事であるが、真理とは勿論白然そのままの姿を言うのであって、これは何人も否定し得ないところである。東から太陽が出て西に沈むという事も、人間は生まれれば必ず死ぬという事、これは仏説の所謂生者必滅、会者定離という事であり、人間は空気を呼吸し食物を食う事によって生を営んでいるという事も、勿論真理である。こんな分り切った事を言わなければならないほど人類社会の現状は出鱈目になっているからである。右の理に
およそ世にありとしあらゆるものは、それぞれ人間社会に有用な役目をもっているのである。所謂天の使命である。勿論芸術と雖もその埒外ではない。とすれば、芸術家と雖も社会構成の一員である以上、その使命を自覚し、完全に遂行する事こそ真の芸術であり、芸術家の本分でもある。ところが、今日一般芸術家をみる時、そのあまりに出鱈目な行動に呆れ返らざるを得ないのである。勿論中には立派な芸術家もないではないが、大部分は自己の本分を忘れているというよりか、全然弁えていないといった方が当たっていよう。然も彼らは自
私の健康の元は毎日の『浄霊』です。これは宗教と思われていますが『真実の科学』です。浄霊は真理に立脚しているから、無病健康なのです。医学が正しいと思って病院通い人は、それで、無病健康になりましたか?薬を飲み続けると病気が治りません。薬が病気の最大の原因だからです。そのことに、気づいてください。私は、浄霊だけで、32年無病、完全健康なのです。「真理を見分ける眼力」が大切です。初めて浄霊に出会ったとき、これだと確信しました。