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日向一ノ宮都農神社大己貴命の別名は出雲大社の中心として祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)。縁結び、商売繁盛、病気平癒など多くのご利益があるとされます。毎年行われる大きなお祭りには、「浜下り神事」ともいわれる日向国一之宮都農神社夏大祭と「都農神楽」が舞われる冬例祭があります都農町の守り神「大己貴命(おおなむちのみこと)」御祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)別名:大国主命(おおくにぬしのみこと)1832年(天保3年)「浜下り神事」に関する記録が残されている都農神社の夏祭りは、毎
住吉神社明石市魚住町中尾鎮座主祭神底筒男命中筒男命表筒男命気長足姫命社格等旧県社創建(伝)雄略天皇8年例祭10月最終日曜日初めて住吉大神が祀られた地ということで、「住吉神社の発祥の地」と称されている。これは、上記のとおり神功天皇が播磨灘で暴風雨にあった際、当地に滞在し、住吉大神に平穏を祈願したところ風雨はたちどころに納まり、つつがなきを得たと伝承されることにちなんでいる。その際に皇后の衣を松の枝に掛け干していたところ風になびき錦のように美し
先週、母の命日のお参りを口実に、少し遠回りして嬉野でおひとりさまを満喫。仕事絡みでビジネスホテルに一人宿泊はあったけど、温泉は初めて。温泉宿でも一人で泊まれるプランが増えたのは、コロナのおかげ?福岡の緊急事態宣言も解除され、県マタギも堂々とチェックインに早すぎたのでまずはシーボルトの湯へ。かつて長崎街道を通り嬉野温泉にも寄ったというシーボルトの名にちなんでいます。若干塩素臭いけど、浴室は明るくて気持ち良いです。以前より車が停めやすくなり90分無料で利用できました
2020年8月19日東制圧海峡の神長寿神第8代孝元天皇代筆東圧海峡の神についての報告書景行天皇蝦夷地視察について北海道の視察における問題点国境地における紛争解決について両国の政府との関係性における流通網と販売網と、友情国境の是非について第一著作権者の偽名と偽造の書き換えが、世界のすべてにばれていることの報告仁徳天皇天皇大和朝廷における宰相の神と武運について朝廷仕える葛城山より報告(内より)「世の中の乱れがでそうだから、しばらく北条時政と義時について、
ご縁があって、石清水八幡宮へ行ってきました。日本の三大八幡宮と言われているところで初めて訪れたのですが…私にとって、とてもゆかりのある場所でした。山頂まではケーブルでも登れるのですが、せっかくなので歩いて登ることにしました🚶♂️実はつい最近まで、強烈な眠気とダルさが続いていました。まぁ、眠たいのは年中ですが(笑)今までと比較にならないくらいやたらと眠い💤自分の身体が自分ではないみたいな感じで背中も重くてダルくて動けない日もありました💦血行を良くするために身体を動かしたい❣
(・`ω・´)💡引き続き、『日本書紀巻第九氣長足姬尊神功皇后』より、倭人伝に関連する記事を見ていきましょう。⬇️前回ブログはこちら⬇️日本書紀と魏志倭人伝(一)朝貢の真実~中国の史書から見た倭人⑦https://ameblo.jp/starless43/entry-12565147337.html(・`ω・´)💡倭国の使者は景初二年(238)または三年(239)六月、朝鮮半島に置かれた帯方郡の太守劉夏に詣で、十二月に魏の皇帝から親魏倭王の制詔【みことのり】を承けました。
(・`ω・´)💡さて、あらためて『日本書紀巻第九氣長足姬尊神功皇后』における女王遣使に関連する記事を見ていきましょう❗(・`ω・´)💡神功皇后39年(239)『卅九年、是年也太歲己未。魏志云「明帝景初三年六月、倭女王、遣大夫難斗米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守鄧夏、遣吏將、送詣京都」也。』(書紀)『景初二年六月。倭女王、遣大夫難升米等、詣郡、求詣天子朝獻。太守劉夏、遣吏將、送詣京都。』(三國志魏書烏丸鮮卑東夷傳第三十)(・`ω・´)💡ここは、三國志から
『春野町史』に示された縄文街道春野町の遺跡群を繋ぐと、遮光器土偶(BC500頃)が発見された川根本町上長尾遺跡、5万年前とも推定される川根ヌタブラ遺跡と、東側の秋葉山が結ばれます。現在のスーパー林道が通る秋葉山頂から龍頭山、山住山を経て、兵越峠から中央構造線に沿って秋葉街道に進むと、そこは蛇紋岩、黒曜石が露頭する石器の産地。地蔵峠を越えると、希少な山塩が採れる鹿塩、そしてゼロ地場で有名な日本最強のパワースポット分杭峠。高遠から杖突峠を越えて行けば、左手に諏訪湖、右手に八ヶ岳。そして正面
ここまでのお復習(さらい)をしましょう(・`ω・´)💡天武天皇によって、倭国から日本へ。国体は大転換していきます。壬申革命により、日本国が成立天皇号の使用開始焚書によって縄文以来の倭人の歴史は封印され、『古事記』『日本書紀』が編纂され、新たに日本国の歴史が始まりました。記紀には、土偶も邪馬台国も出てきません。然し、古代遺跡からは、天武朝以前の倭国が、長い歴史を持ち、科学技術の発展した文明国であったことが容易に想像出来ます。それは、神話の中の出来事ではありません。天武朝は、新た
37才10月10日から古事記の上巻にふれ始めて、今日で2ヶ月近くになりますが、何故今、古事記なのですか?和氣日本は男尊女卑の時代が千数百年続きました。それは何処に起因があるのだろうとずっと思っていました。古事記が国内向けの正史であるとされていますのでひょっとしたら、何らかの手がかりがあるかも知れないと思ったのが一番大きな動機です。次に過去に大変優秀な女性天皇が何人もおられるのに、女性が天皇になれない日本のあり方はおかしいと思いました。その上に皇室の最高神が女性である天照大神
データ整理夕暮れは絶品ですここは「住吉神社発祥の地」と言われてます兵庫県明石市魚住町中尾1031にある住吉神社に奉拝してきました。海の横にあり、景色と神社が凄く雰囲気を出していました。由緒より底筒男命・中筒男命・表筒男命と気長足姫命を祀る。伝承によれば、神功皇后の三韓征伐の際、播磨灘で暴風雨が起こったため、魚住に避難し住吉大神に祈願をすると暴風雨がおさまったという。凱旋後、神功皇后により住吉大神は摂津国住吉に祀られた。大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、住吉大神より「播
こんばんは。いつもご訪問くださりありがとうございます。週末は引きこもると決めていたのですが、本日、なぜか片町線に揺られていました。交野の星田妙見さんにどうもいかなならん気がして無意識にJRの改札にピッとカードをタッチしたもようです。↑夢遊病か。で星田妙見さんしか認識してなかったんですけど駅でもらった地図に途中に星田神社があったのでちょっと覗いてからいこうかと思い、立ち寄りました。裏っかわからこっそり入ったのですけど、いきなりイントロダクションで神楽笛
今日2月5日は、「2019年旧暦の正月(1月1日)」であり「新月」の日です。新年明けましておめでとうございます。真正イスラエル=真の日本人の皆さん。旧暦の正月を祝うことで、まずは明治以前の状況に戻し、その上で江戸時代までほぼ1000年に渡って続いた仮装天皇の時代につき、現実世界の中で万世一系の天皇が仮装を解かれる年が到来しました。真の主権者たる万世一系の天皇が復活され、統治をされる時です。固定観念で何か封建時代のようなイメージを感じておられる方がおられるかもしれませんが、それは間
陳壽『三國志』魏書三十烏丸鮮卑東夷伝倭人条(通称・魏志倭人伝)には、倭の女王(卑弥呼)に属する邪馬臺(ヤマト)国以外の旁国が幾つか記されています。そのうち山田孝雄は『狗奴国孝』(明治43)で蘇奴(さな)国を遠江佐野郡に、内藤湖南は『卑弥呼考』(明治43)で華奴蘇奴(げなさな)国を遠江国磐田郡鹿苑神社に、それぞれ比定しています。三國志によれば、女王の境界の尽くる所は奴(ぬ、な)国で、その南に狗奴(くぬ、くな)国が有り、男子を王と為し、その官には狗古智卑狗(くこちひこ)有り、女王に属せず、となっ
東洋史学者、内藤虎次郎(号・湖南)が、明治43年に著した『卑弥呼考』は、陳壽『三國志魏書三十烏丸鮮卑東夷伝倭人条』(通称・魏志倭人伝)に記された人物名や、国名の比定を行い、その後の邪馬臺(ヤマト)国研究に大きな影響を与えています。三國志には、邪馬臺国の官として伊支馬(いきま)、次に弥馬升(みまと)、次に弥馬獲支(みまわけ)、次に奴佳(革是)(なかで)を記していますが、内藤説ではそれぞれ…いきま=活目(いくめ)=イクメイリビコイサチノスメラミコト、垂仁天皇(十一代)みまと=観松彦=ミマツヒコ
天龍カフェにて昨夜に続いて勉強会❗天竜川流域の神話や遺跡、秋葉信仰から話が発展して…天竜川を遡った中部日本山岳地帯が縄文人の密集地域であり、能登の縄文人はイルカを大量に捕まえる航海術を持っていて…波穏やかな日本海を渡り縄文人が中国大陸に進出、遼河、黄河、長江流域にそれぞれ文明を築いていった説…大陸に進出した縄文人の血を引く「しうくしふ=東族(契丹古伝)=粛慎=しゅくしん(書経、晋書)=みしはせ(日本書紀)、)」が中国で殷王朝を興した説…東族の一族である鮮卑(朝鮮は鮮卑の美称ともされる)
みんなの回答を見る1年前の今日、世界一高いツリーの下で「あすなろライブ」が行なわれたこと、思い出しました。「にこいちのあすなろライブ」よりこのツリーとなったあすなろの木がその後、どうなるんだろうと気ががりでした。新聞記事で生田森坐社の鳥居となったことを知りました。神戸・生田神社境内北側の生田の森にある神功皇后をお祀りしている生田森坐社の鳥居に。12月7
行ってきました、住吉神社(^^)地元にもあるのか検索すると…ありました(¯∀¯)ヘェー神社の由緒は…神功皇后三韓征討(「日本書紀」に記述が残る。三世紀に神功天皇が行ったとされる新羅出兵をさす)の途次、住吉大明神のお告げにより南海にて白真珠を得て勝軍の告端あり、凱旋のとき九本の藤の木を海中に流し藤の木は伊予の九箇所の浦に漂着した。その地に社殿を建立し、奉斎したという九社のうち当社はその一社と伝承されている。行ってみたら、だぁーれも居ませんでしたが(笑)龍神さまにご挨拶に来たこと、今
ほいぃ~(・(エ)・)ノシいい加減、終わりたい。笑さて、今日調べていたので、これも自分で見たわけじゃないし、ウソぉ!ほんとぉ!?くらいな、ぶりっこキャラになるほど、驚いたというか、ちょっとすいません、ワロタことがあって。笑『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)これも聖徳太子や蘇我馬子が書いたとされるけど、江戸時代の多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長って、誰やねん?!って3人が、(本居宣長って名前だけはわかるが、何者だったか?笑)何故か偽書としたもんだから、信憑性
5/21日曜日は、綾杉ルナさんの歴史カフェ、古賀駅前のオーガニック広場ひふみで、10:30-12:30開催。本日は、高良玉垂宮神秘書ー玉垂命と神功皇后ーのお話し。福岡県久留米市の高良大社(こおらたいしゃ、高良玉垂宮・こおらたまたれぐう)に伝わる「高良玉垂宮神秘書」を読み解きしていくお話し。玉垂命(たまたれのみこと)は、アントンイソラ(安曇磯良・あずみいそら)の事であるが、白村江の戦い後は武内宿禰(たけうちすくね)に変わっていく。同書は、高良大社で10000円で販売されているそうだが、文盲
鹿児島、宮崎旅行に行った時に訪れた鹿児島神宮山幸彦と豊玉姫を主神とし仲哀・応神天皇・神功天皇とを合わせまつる旧「大隅一の宮」と呼ばれている鹿児島神宮。漆塗りの現神殿は1756年、島津重年により再建されました本殿は木造建築では日本一の広さなんだそうです御神馬を先頭に鈴かけ馬が踊る初午祭(旧暦1月18日を過ぎた次の日曜日)は全国的に有名なお祭りの一つですね~【基本情報】住所:鹿児島県霧島市隼人町内2496電話番号:0995-42-0020駐車場:無料駐車場200台
阪急神戸線岡本駅から坂道を歩くこと約10分岡本八幡神社に到着閑静な住宅地で坂道を登って気付いたのは結構豪邸が建ち並び駐車場には外国車が止まってる~ひょっとしてこの辺りは芦屋まではいかないけどプチ高級住宅街なのかなぁ~っと坂道を必死で登りながら思いましたそれはさておき清めて本殿へ足元にちび狛犬がこっちは蹴鞠?応神天皇と神功天皇が祀られているそうで絵馬のかわりに願い事が書かれた福しゃもじがたくさん並んでいます社務所に仲良さそうにおしゃべりされてるご婦人がいら
三宮に14時過ぎに到着道中でランチしつつ、二宮神社を目指しました石碑と御神木二宮商店街ご覧の通り、アーケード街三宮から近いのに、もったいないそのアーケードの途中で曲がると二宮神社に到着良い感じの神社です明るく静か手入れされた御手水御神木何がいるでしょう?にゃんこがいました〜癒されました〜御朱印をいただきましたオリジナル御朱印帳も置いてありました天孫降臨では、努力によって幾多の障害を勝ち進んだ天照大御神の第一位の御子神を祀られているそうです神戸の八宮は、余りにも古
思うところがあって、神社巡りを細々ですが、再開することにしました。再開第一弾‼️として、市谷亀岡八幡宮に行ってきました。行く気満々の割りには、ノンビリしすぎて結局着いたのがお昼過ぎ、暦を見たら先負なので、これもありかっと納得。此方のご祭神様は、私の産土神社富岡八幡宮様のご祭神様応神天皇様(誉田別命)、神功天皇(応神天皇様のお母上)なので親近感が湧きます。⇦八幡様ですから当たり前ですよね(笑)最寄駅は市ヶ谷駅です。いつも歩いている道とは反対側、ええっ~知らないなぁと思いながら、