ブログ記事105件
あなたの中に神が宿っています。源の神の分霊です。「わけみたま」「ぶんれい」とは、源の神と全く同じものなのです。大海原の海水を一滴だけ見たとき、やはり海水だと分かります。同じように源の神の分霊を見たとき、源の神だと分かるのです。その分霊が私達の中に宿っています。その分霊を目覚めさせてください。第三の目を開いてください。神の心でいてください。神の
人が、いろいろな人、出来事に出会うというのは、凄い事なのです世界人口、75億数千万人の中からご夫婦は、出会ったわけです「お互いが学びあって、一緒に生きて行こう」と思う方に出会えるという事は凄く幸せな事です又、その中から、素晴らしい子供を頂けたという事も、とても幸せな事です≪感謝する事によって見えなかったものが見えてくる≫≪喜ぶ事によって見えなかったものが見えてくる≫いろんな事に出会って:「嬉しいな~」「幸せだな~」「有難いな~」と、思
アセンションの旅の体験の中で、あなたはエゴの心が作り出した幻想を体験しているか、神の心があなたを導く、神の真の現実/地上天国/新しい地球/5次元を体験しています。これは、あなたの我が家への旅路です。あなたとあなたの世界のすべての人々は、エゴの心と神の心という、2つの心を持っています。と、大天使ミカエルは、おっしゃいました。あなたは、アセンションの旅の体験の中で、あなたのエゴの心が作り出した幻想を体験するか、あるいは、神の心があなたを導いている、神の真の現実/地上天国/新しい地球/5次元を
どんなに急な勾配こうばいでも果てしなき雪原でもかまわず驀進ばくしんしてゆくどれほど車輛(しゃりょう)の数が増えようとも一定以上のパワーをキープしたまま牽引(けんいん)してゆく選曲:言海調力づよき機関車の主(ぬし)はボク機関士BOKUメルシーボークーボクは卜占(ぼくせん)のボク
悟りを深めること、覚悟を決めること、慈愛を育てることは同じです空海さんの言葉に「自分の心を理解することは仏の心を理解することそして他者の心を理解すること」とありましたセルフアウェイクと一緒ですセルフアウェイクでは、「人間には感情の種類はそんなにはありませんだから自分が出来事に対して感じる感情がわかれば、他者がどのような感情で出来事を見ているかわかりますゼロの状態を深めることでゼロポイントフィールドへ至りますゼロポイントフィールドには全ての情報をたくわえてい
生きてるといろんなことがあるけど乗り越える力がある考えて行動するから負けない努力して生きてる行動力がある男らしい勇気がある不言実行他人に優しい思いやりがある包容力があるよく気がつく世話好き人懐こいよく笑う明るいいつもニコニコしてるフットワークが軽い悩まないゆとりがある経済力がある社会的な立場が強い体力がある一生懸命仕事をしてるスポーツマン、アスリート立ち居振る舞いが素敵美男美女かっこいい可愛いオシャレ目標を持って生きている家族を大切にす
明治37年の御製です。おもひ入るこころひとつによりてこそさかしき道もわけつくしけれ明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「成し遂げようと思いつめる心ひとつの力によってこそ、険しい道も踏みわけつくして、目標へたどり着くことができるのである」この時期はまだ日露戦争の激戦が続いていました。37年末に旅順が開城されますが、日本海海戦は38年の5月なのでまだ始まっていません。37年2月に日本がロシアに対して最後通牒を発令してから、同月に仁
明治37年御製産みなさぬものなしといふあらがねのつちはこの世の母にぞありけれ生み出さぬものはないと言われる大地は、この世の母である。(「あらがねの」は「土」にかかる枕詞)日本は古代から豊葦原の瑞穂の国と言われてきました。神嘗祭は大地の恵み(初穂)を神々に捧げ、新嘗祭は直会で共に食する場を設けることで神に感謝する神事です。特に新嘗祭は古代から天皇にのみ許された秘儀であり、宮中祭祀の中で最も重要な祭祀とされてきました。日本書紀には、三大神勅の記述があり
明治37年御製いかならむ事にあひてもたわまぬはわがしきしまの大和だましひ明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「どんな困難障害に際会してもひるまないのが、わが日本の国の人々がもつ大和だましいというものである」明治天皇御集研究国文研叢書では、「不撓不屈の日本精神は、人生の苦患に対しても、暴風雨に身をさらすごとき快感をもって万難を排して邁進するのである。動揺変転極まりなき世に立ちても、吹きすさぶあらしの中に、微動だもせぬ巌上の待つの如く
己の強き我執に覆われ、汚れし衣をまといし者よ。汚れを取りて、先ずは対せよ。己の真の魂と。見えぬ変化に気付くときには、魂浄化し、昇華も進まん。神に賜る魂を、己のものと間違うなかれ。いずれはお返しするなれば、汚れを浄めて、磨きて返せ。この世の曇りに覆われ尽くし、己一人に浄め得ずば、神の禊ぎを乞うてみよ。己一人の行にては、魂なかなか清め得ず。なれば神に頼ればよけれ。神に従い、付いてゆけ。一人の行は挫折も多く、誘惑幻惑、思いも乱れん。強き心のなき者ほど、神に頼れよ、守り
「五十一」より抜粋皆々、我良しの心が苦しみを広げておるのであるから、我良しの心、手放しなされよ。肉体みな、神の分身ぞ。心みな、神の心に繋がりておりますぞ。神に愛されておらぬ人、誰一人とておらぬのでありますのじゃ。因果のままに顕れる神仕組みでありますから、皆々己を見させて頂いておりますのぞ。自由奔放に地を壊したり汚すでないぞ。真の教えは壊さぬこと、穢さぬこと、奪わぬことでありますぞ。悪魔らの僕となりた者らの教え、捨ててみなされよ。楽になりますぞ。神示、よく読んで
明治37年御製天地のなしのままなる世のをしへまもる心ぞ身のまもりなる明治神宮の「365日の大御心」では、次のような口語訳になります。「大自然の摂理そのままを、世の中の教えとして守る心こそ、身の守りとなるのである」「天地のなしのままなる」とは「惟神の道」です。神のまにまに生きること。それは自然との和、人々との和などの和魂の働きでもあります。邇邇芸命は和魂の働きが強い大神ですから、その神意に沿って国の在り方を整えるならば、天皇の望まれる平和な世が訪れるものと思いま
神から人へ。神から人へ、伝えぬ人なく、知らぬ人なく、全ての人に行き渡るよう、まだまだこれからすべきことあり。されどそはまだ、明日(あす)のこと。近き未来の明日(あした)には、まだ早すぎることなれば、神は教えず、先のみ役を。今ある行を十二分にも、務めてその後、神は示さん。今あるみ役を務め上げろよ。残さず余さず、使い果たせよ。己の力も、魂も。命の限りに捧げ尽くせよ。さにて神は受け取らん。神に捧げし魂(たま)、霊、肉を。神の与えし魂なれば、汚れぬ前の
光は届き、神の光と、相和し、高まり強まらん。光と祈りと、感謝の波動を、神に合わせて、賀(が)して謳(うた)わん。命の喜び、生の輝き、光賜(たまわ)る恵みに感謝を。神に感謝を捧げよ、祈りて。祈らば、命は高まりて、魂浄まり、相和(あいわ)さん。光とともに、命の波動も、神に協和し、振動始めん。神の光の波動に触れば、命高まり、さらに浄めん。浄め高めて、さらに外へと、光広がり、残さず浄めん。浄め残すはなきまでに、浄め尽くして、み役を終えん。最期(さいご)の祈りを捧げて帰れよ。
神の心を喜ばせ、楽しませるは、人の真の、命をこめた行いなれば。人の祈りも、奉納も、人の命の代わりなり。なれば徒(あだ)に行うなかれ。魂抜けし祈りの声は、空(うつ)ろな音のみ虚空(こくう)に響き、霧のごとくに散りて消えなん。心こもらぬ奉納供物(くもつ)も、ただに物質、金銭のみにて、汚れ曇りを増す素ならん。心傾け、命を注げ。魂刻みて、錬磨せよ。厳しく鍛え、繰り返し、火に灼(や)きてこそ、鋼(はがね)は強し。鍛えぬ刀は脆(もろ)くも折れて、唯(ただ)の鉄屑(てつくず)、用をなし
あなたの経験の中には、楽しいこともあれば、不快なこともありますが、神はあなたの完璧な幸福を、望んでおられるということを覚えておくことが重要です。あなたのエゴの心は、あなたの完璧な悲惨さを望んでいます。エゴの心はあなたにいくつかの楽しい経験をさせて、あなたを前進させてくれますが、結局のところ、エゴの心はあなたが神から離れることを望んでいます。と、大天使ミカエルは、おっしゃいました。私たちの経験には、楽しいことも、不快なこともありますが、神は私たちの完璧な幸福を望んでおられます。しかし、あな
神から人へ。神から人へ、教え伝えて、幾千年。幾万、幾億、幾兆の、人の魂呼び掛けて、気付きを得させ、悟らせて、今ようやくの終末の時。なれど、本来、人の魂は、清く正しく、雲りなく。伝えを素直に受け入れて、素直に行い顕す仕組み。なれば曇りと汚れに覆(おお)われ、光を通さず、受け入れざるは、元の昔に戻すが始まり。さにて始まる世の立て替え直し。順をあやまち、間違うなかれ。先になすべき、行うべきは、先ずは魂、浄め上げ、その後、人を救いゆくこと。人の汚れぬ魂は、光を放ち、
(*'▽')【今日のひとこと】ささなみの国つ御神の心さびて荒れたる京見れば悲しも(高市古人)
アザミの花にとまるハチ神とは、どんな存在だろう。人は、困難にであった時、神に祈ったり、助けを求めるたりするが。神が、自分の力にならなかったと思ったら、神をなじったり、神の存在を否定することがある。神の世界の中に、人間がいる。人間の力になるか、ならないかは神の自由意志。神々は、各々の人間が、どういうことを言い、どういう行動をするか、寸分漏らさず、見ている。私は、いつもそう感じる。そして神は、人間じゃないから、人間の尺度では測れない。神の心がわからなくても、自分の愛と良心に従って、
皆さんの多くは、最高に素晴らしい体験を作りたいと思っていますが、それがすぐに実現しないと焦ります...。あなたは神の表現なのですから、創造する必要性は大きいです。アセンションしている状態では、神と同じ思考のスピードで、創造することができます。と、大天使ミカエルは、おっしゃいました。私たちは、最高に素晴らしい体験を創造しようとしてますが、それが直ぐに実現できない場合は、焦ることがあります。私たちは、神の表現そのものなので、創造する力は大きいです。私たちが、アセンションしている状態であれ
☆五井先生からいただいた御言葉☆目は口ほどにものを言うということは、私たちが日常に経験していることである。こういう時には、私たちは、言葉よりも直接に、相手の心にじかに自分の心をぶつけてゆくことになる。無言であっても、その無言であることが、百万言をついやすよりも、その人の心を表わしているということである。心というものを言葉でおおうことは出来ない。言葉を心でおおうことを、むしろ、私たちは心がけるべきである。そして、自分の心と、人の心を大事にして、ともに祈りの座
心を差し上げましょう心を無くした者があればわたしの所に来なさい美しい心を差し上げましょう悲しい心の者があればわたしの所に来なさい楽しい心を差し上げましょう恐れる心の者があればわたしの所に来なさい安らかな心を差し上げましょう心を無くした者があればわたしの所に来なさい美しい花の様な心を無料で差し上げましょう山桃の様に紅い美しい心を差し上げましょう貴方が受け入れて下さるなら神の心を差し上げましょう小鳥の様に優しい心を
ふと思いついたので書いちゃいます何を書くかというとヌヴィレットの???表記問題です※もし今回の考察が正解だった場合ネタバレにもつながってしまう可能性があるのでご注意くださいな記事ガードの挿絵:フリーナ------------------------------------------------------ココから本題結論から言うと「ヌヴィレットは水神になるべく修行中フリーナが
神はそなたに呼びかけん。そなたがみ役を思い出すよう。そなたがみ役を果たし切るよう。その後新たに行を積み、さらなる昇華を遂げ得るよう。一つの行の終わりなり。恐れず迎えよ、次なるみ役。さらに広めよ、神の声。神から人への伝えなり。神のことばは繰り返さん。幾度も伝えを繰り返さん。人の魂が浄まるまで、人に呼び掛け、目覚めさせん。行の厳しき者もあらん。楽しみ行じる者もあらん。同じ行にて、かくなる違い。心の持ちよう在りようで、かくなる差
明治36年御製吾が心及ばぬ国のはてまでもよるひる神は護りますらむ明治天皇のこの大御心があればこその「掩八紘而為宇」(橿原奠都の詔)だと思います。日本書紀によれば「兼六合以開都、掩八紘而爲宇」とあるのに、いつのまにか「八紘一宇」に変わってしまいました。大正時代の日蓮主義者・田中智學氏の作だと言われていますが、やはり「八紘を掩ふて宇と為す」と本文通りに受け止めたいと思います。「兼六合以開都、掩八紘而爲宇」を書下せば「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇を為さ
救いの道は遠からず。素直に歩みて、従わば、やがては見えなん、道の果て。光に付いて、進め、子よ。み光り、み力、みことば、御心(みこころ)。神の恩愛受け止めて、神のご意図を現しゆかば、この世も変わりて、甦(よみがえ)らん。神を手伝い、働け、人よ。神の子どもと戻り返らば、神のみ役もまた嬉しく、楽しき行となりゆかん。全ての人に、語りかけたし。全ての人に、読ませ、見せたし。全ての人に、与えたし。神の力を信ずる者よ。神の力を恵みを光を、受ける器は清
品川の夜勤を5時前に終えて、良かった。有難う!北品川駅近くなので、寄り道して、歩いた。帰りに、平塚駅前の神奈中グランドホテル1階の「楓」というレストランで、1200円の朝食バイキング食べた。美味しかった!栄養バランス取れ、良かった。デザート附則な為、しろくまのアイスクリームをマックスバリュー南足柄岩原店で、購入し、帰って、食べた。美味しかった!疲れていたから、丁度、良かった!発注したゴールドチップ届いた。ホッとした。日本キリスト教団大和教会のオンライン定
神の心とは何か?意識である。神の心を知るとはどういうことか?目覚める事である。瑣末なこととは何か?外部的な目的、外部世界で起こるすべてであるANewEarth