ブログ記事9件
自身の記事の整理用に作りました。興味のお有りの方はご覧ください。こちらがエホバの証人の見解↓だれが天に行きますかhttps://www.jw.org/ja/聖書の教え/質問/だれが天に行きますか/私の記事はこちらから↓14万4000人は実数?それとも象徴数?https://ameblo.jp/246-246-246-land/entry-12290003932.html数秘術は悪いものですか?https://ameblo.jp/246-246-246-land/entry-
ローマ2:28~29(新共同訳)28外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。29内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく“霊”によって心に施された割礼こそ割礼なのです。その誉れは人からではなく、神から来るのです。この聖句は、異邦人信者は霊的なイスラエル人となったということを教えているのでしょうか。否。そうではありません。この箇所は、ユダヤ人について語っている文脈です。異邦人については、すでにローマ2:16で語り終
新しい会衆の発足の際の、研究テーマとして書いております。モーセは西暦前1593年、アムラムの子としてエジプトで生まれました。神がアブラハムに約束した「あなたの子孫を大いなる国民とする」という予言は、エジプトに奴隷となっていたイスラエルの民をモーセによって救出することによって実現されます。しかし、それは神のご予定のときまで待たなければなりません。40年に亘る訓練を終えて、救出者としての特質が備わったとき、ついにその時は来ました。(出3:1-15)霊感を受けた使徒パウロ
ほとんどの教会で、これは意識されていないと思います。聖徒=教会員というだけのことです。ですが、以下の記事のような説明を受けると、旧約聖書の時代からも、特別な人々を指していたことがわかってきます。この「聖徒によって世界の人々が救われる」というような解釈を持つと、今までのものとはまるで別のキリスト教が霧の中から見えてくるようです。教会式のキリスト教では、神の祝福は信者のものなのですが、「聖徒」を理解すると、信者を越えて祝福が広がって世界中に注がれることになります。これはとても大
続きです。イエスは統治体を指導する4節使徒たちは,西暦33年のペンテコステ以降,クリスチャン会衆を指導するようになりました。その日,「ペテロは十一人の者と一緒に立ち上がり」,ユダヤ人と改宗者から成る群衆に,命を救う真理を伝えました。(使徒2:14,15)その多くが信者となりました。新たにクリスチャンとなった人たちは,「使徒た
続く、問題の研究記事です。主題の聖句は「あなた方の間で指導の任に当たっている人々・・・・・・・のことを覚えていなさい」-ヘブ13:7(ご存知のように、個々のクリスチャン会衆の牧者、監督として奉仕するよう立てられた、労苦する兄弟達に敬意を払うよう述べたパウロの言葉ですが・・・・・・おそらく、これから記事で焦点を当てようとする人々を意識して用いた聖句でしょうけど、パウロの述べた意図とは全く無関係の聖句です、13:17では彼らは神に言い開きする者として述べられています。むしろそちらの
続きになります。それからヨハネは、高大な山に連れて行かれて、聖なる都市エルサレムが天から下ってくるのを見ます。それは、子羊の花嫁のことです。その様子は細かく描写されております。12の門12人のみ使い、イスラエルの12の部族の名前、12の土台石、12使徒の名前。都市は四角形。幅、高さが等しく12.000ファーロング。城壁が144キュビト。すべて、12と結び付けられております。この都市は。族長ヤコブの12人の息子からイスラエルの12部
昨日の「研究記事」でも扱われていた聖句です。WTは、兄弟間の問題解決の基本原則としてよく紹介しております。しかし、純粋な姿勢で聖句を調べていくと、いろいろなもの新たに見えて参ります。マタイ18:15「さらに,もしあなたの兄弟が罪を犯したなら,行って,ただあなたと彼との間でその過ちを明らかにしなさい。彼があなた[の述べること]を聴くなら,あなたは自分の兄弟を得たのです。16しかし,もし彼が聴かないなら,あなたと一緒にあと一人か二人を連れて行きなさい。一切のことが二人または三人
ネットやブログで、クリスチャンの排斥や忌避についていろいろと取り上げられています。今回は、その点を扱ってみようと思います。「ものみの塔」は排斥の根拠として、どの聖句を挙げていますか?幾つかありますが、その多くは次の聖句でしょう。コリⅠ5:9-139わたしは自分の手紙の中で,淫行の者との交友をやめるようにとあなた方に書き送りましたが,10それは,この世の淫行の者,あるいは貪欲な者やゆすり取る者,また偶像を礼拝する者たちと全く[交わらないようにという意味]ではありません。も