ブログ記事191件
十十聖書のことば十十彼女にはマリアという姉妹がいたが、主の足もとに座って、主のことばに聞き入っていた。ルカの福音書10章42節(新改訳2017)私たちは、多忙な日々を過ごしています。だからといって、先輩に向けて「忙しいのでしょう、と言っていけないよ」と忠告をえけたことがありました。「忙しい」は、「心を亡くす」とあるからです。それは、失礼に当たるというわけです。では、どう言えばよいのでしょうか。正解は、「ご多用ですね」です。家に客が来るとなると、女性はてんてこ舞いに
May6,2025Ihadabaddayyesterdaywithconstipation.Thestorygoesbackafewdays,buttheangelsaretellingmealotthesedays,'Thentellmehowyoutreatthereligionsoftheworld.'IaskedGod.Therewasanimmediatereply,andtherep
2025年5月6日昨日は便秘で酷い目に遭った。話は数日前に遡るが、このところ天使が色々教えてくれるので、「それなら世界の宗教の扱いを教えて」と、神様に頼んだ。すぐ返事があり、「しかし私に属するものではない」との返事。これは前にも聞いたことがある。それから色々聞いたが返事はなし。今日はこれを聞こう…と半日がかりで同じ質問をした。最後に神の思いが分かった。「うるさく聞くな、要求するな」であった。では今週の仕事にしておこう…と。2、3日あとに聖霊は言われた。「私に
神から人に。神から人に、与え、伝え、教え、備わせ、授け、許ししこと、もの、数多くあり。中にも、ことば、その最も尊い、授けものなりし。なれど、人に与えしがための、人の堕落を、神は嘆かれ、ことば取り上げ、別なる音、意味、内容の、ことのは与える。そは、音にて意味を表し、文字にてその音、表し得るが、音に魂なし。文字に光なし。なれば、そは単なる記号、符号に過ぎぬ。魂抜けし抜け殻なり。力の宿らぬ模様なり。線と点との遊びなり。なれど、今、神は、人に再度の機会を与
🍀天国にいる人たちや天使にしても神にしても心磨かれた動物たちもそういうマイナスなことは言いませんし望みませんからだとしたら天国ではない、、f(^^;下の方、地獄にいる存在やこの世にいながらすでに片足地獄に突っ込んでいる様な心の人ならそういった嫌なことは言うと思います人の足を引っ張るような不幸に引っ張り込むようなそういうことは言うと思いますだから相手がどういう心なのか?どんな言葉を使うのか?それによって相手がどのぐらいのレベルの心
⛪️祈り会水曜日に変更したことがなかなか定着しない。今週も木曜祈り会今日は詩篇112篇を読みました。🌷メモ112篇は111篇の続き111篇で神のわざをたたえ112篇は、その神を信じる者の祝福を歌っている。主を恐れる人の祝福(2-9節)と悪者の最期(10節)✝️1節ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れその仰せを大いに喜ぶ人は。✝️10節悪しき者はそれを見て苛立ち歯ぎしりして消え去る。悪しき者の願いは滅び失せる。主を恐れる者の祝福のす
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。神の御前にあらわでない被造物はありません。神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情で
最近ドクター愛子のティーチングを翻訳してます内容は神様と一つである事ですが彼女はこうも言っていましたあなたが神様と1つになりたいと願っても思いや行動や言葉が違っているならば近く歩くことはできないでしょうあなたが神を信じると言うならば神の言葉を信じるということです神様ご自身と神の言葉を分けることはできないからですと言うところから心にふつふつと湧き上がってきて思い出される聖書箇所がありましたそれは、第一テモテ5章4節と8節です4もし、やもめに子供か孫がいるならまず、
3/13"その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。"ヨハネの黙示録19章13節天に現れた白馬の戦士イエス様の衣は血に染まっているこの血は誰の血か?この衣の血はほふられた小羊すなわち十字架上で流された血そして私達のために戦ってくださった敵からの返り血である"「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。国々の民のうちに、わたしと事を共にする者はいなかった。わたしは怒って彼らを踏み、憤って彼らを踏みにじった。それで、彼らの血のしたたりが、わたしの
神を知っていると言いながら、その命令を守っていない人は、偽り者であり、その人のうちに真理はありません。しかし、だれでも神のことばを守っているなら、その人のうちには神の愛が※確かに全うされているのです。それによって、自分が神のうちにいることが分かります。神のうちにとどまっていると言う人は、自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません。愛する者たち。私があなたがたに書いているのは、新しい命令ではなく、あなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古
群集がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸辺に立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群集を教えられた。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。で
イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。ヨハネから、アジアにある七つの教会へ。今おられ、昔おられ、やがて来られる方
21イエスは彼らに答えて言われた。「わたしは一つのわざをしました。それであなたがたはみな驚いています。22モーセはこのためにあなたがたに割礼を与えました。―ただし、それはモーセから始まったのではなく、父祖たちからです―それで、あなたがたは安息日にも人に割礼を施しています。23もし、人がモーセの律法が破られないようにと、安息日にも割礼を受けるのなら、わたしが安息日に人の全身をすこやかにしたからといって、何でわたしに腹を立てるのですか。24うわべによって人をさばかないで、正
「わたしにつまずかない者は、さいわいである」マタイ11・6そうです、ほんとうにさいわいです。なぜなら、大いなる喜びを見いだすべきこの王、このみことばが、かえって、全世界にとってつまずきの石であるからです。世は、神のめぐみにたよらず、自分のわざといさおしにたよるため、キリストの福音につまずき、いらだちます。更に、キリストがあまりにも貧しくみじめであるためにつまずきます。さらにまた、キリストが十字架を負い、ご自分がそれにかかられたように、主に従う者は自分の十字架をとって、誘惑と悩みの中を、主に
みなさん、お元気でお過ごしですか?今日もお越しくださいましてありがとうございます。シモンです。今年も残すところ、あと13日となりました。さて、パウロが「福音はすべて信じる者に救いを得させる神のことば」と言ったように、福音である神のことばには、力があるのです。イエスさまが成し遂げてくださった十字架での贖いの意味を知っているなら、すべての悪を打ち破ることのできる、ことばがある筈です。その言葉を探してみたのですが、このことばを使うときは、あなたに必ず信仰が必要となります。
皇帝テベリオの治世の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの国主、その兄弟ピリポがイツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサニヤがアビレネの国主であり、アンナスとカヤパが大祭司であったころ、神のことばが、荒野でザカリヤの子ヨハネに下った。そこでヨハネは、ヨルダン川のほとりのすべての地方に行って、罪が赦されるための悔い改めに基づくバプテスマを説いた。そのことは預言者イザヤのことばの書に書いてあるとおりである。「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐ
また私は、天が開かれているのを見た。すると見よ、白い馬がいた。それに乗っている方は※「確かで真実な方」と呼ばれ、義をもってさばき、戦いをされる。その目は燃える炎のようであり、その頭には多くの王冠があり、ご自分のほかはだれも知らない名が記されていた。その方は血に染まった衣をまとい、その名は※「神のことば」と呼ばれていた。天の軍勢は白くきよい亜麻布を着て、白い馬に乗って彼に従っていた。この方の口からは、諸国の民を打つために鋭い剣が出ていた。鉄の杖で彼らを牧するのは、この
数あるブログから空人(そらびと)経由のメッセージ《Season2》−神と共に(vol.4)−【神化論(しんかろん)〝イエスの場合〟】«〝未知なる道〟への〝道標(みちしるべ)〟»お選びいただき、ありがとうございます🙇お楽しみいただけたなら🎉幸いです🎉空人(そらびと)経由のメッセージ《Season2》−神と共に(vol.4)−【神化論(しんかろん)〝イエスの場合〟】«〝未知なる道〟への〝道標(みちしるべ)〟»The
また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。第一コリント15・37-38このようにして使徒パウロは、復活の項目を創造の項目に関連させ、一方を他方によって証明しています。ちょうどこのように言っているようです。「死者のよみがえりがあるとの神のことばを保持し、信条で子供たちが告白するように、このみことばを語られたのは天地の
2023年11月21日——神の言葉――私は人間各人に良心を与えた。これは罪から逃れる為の教育係の霊である。人は欲のため良心を痛め、無きものの様にしたが良心は死なない。人は瀕死の霊と同居していては幸福ではない。肉体はどんなに裕福そうであっても、霊が病気であっては幸せとは程遠い。霊の食物は信仰である。創造の神への信仰は太陽を受ける草の様に豊かである。他の霊に対する信仰は月光の様だ。信仰とは、信頼であり、希望であり、忍耐である。神とは愛情の情念の集合であって、形もなく大きさも
「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。」※荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。このようにして主の栄光が現さ
しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香りであり、救われる人々にとっては、いのちから出ていのちに至らせる香りです。このような務めにふさわしい人は、いったいだれでしょうか。私たちは、多くの人たちのように
2010年8月【質問】海南島のヨハネさんへ質問です。以前、神様が全ての人間に望む事は、「子である事、近くにいる事、似ている事」とおっしゃっていましたが、具体的にそれぞれ説明して頂けると有り難いです。よろしくお願いします。【回答】海南島のヨハネです。質問、感謝します。いつもの様に夜中に眼が覚め、(今日、主の為に何が出来ますか)といつもの様に祈っていたら、神の返事は、「心がわたしの側にいて」でした。これも良く聞く言葉です。知恵袋を見たら同じ様な質問が出ているので、一寸び
したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。神の安息に入った者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。ですから、私たちは、この安息に入るように力を尽くして努め、あの不従順の例にならって落後する者が、ひとりもいないようにしようではありませんか。神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。造られたもので、神の前で隠れ
18御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。#################################人は人生で大きな選択に迫られる場面がありますが、一番大きな選択は、果たしてキリストを救い主として、信じるか、信じないかでしょう。キリストを信じるものはさばかれない、キリストを信じないものは神のひとり子の御名を信じなかったのでさばかれるこれ以外の選択肢はありません。キリストを信じ
神は個人的にあなたと話す必要はありません、なぜなら、神の言葉と神の教えは、あらゆるものの中で、あらゆるものを通して体験できるからです。神のメッセージはさまざまな方法であなたに届きます:例えば、心を通して-夢を通して-体験を通して。神はあなたに教えるためのすべての機会を手にしているのです。BHAGAVANSREEBALASAIBABAGoddoesnothavetospeaktoyoupersonally,becauseHiswordsan
2012.06.24私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。(詩篇23編5節)ー続きーー詩篇23編5節ーイスラエルの王様のダビデは、「神は、自分が敵の前で食事をする」ということを言っています。詩篇の23編。ここを、あるメッセンジャーは「ダビデは、敵の前で宴会をする」というふうに表現していましたが、詩篇の23編の5節。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に
2012.06.24あなたがたはこのおびただしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあなたがたの戦いではなく、神の戦いであるから。(第2歴代誌20章15節*)ー続きーー第2歴代誌20章12節ーそして、ヨシャパテ王の時代の戦い方もあります。第2歴代誌の20章には、イスラエルが敵に囲まれて、もう滅ぼされる一歩手前の状況が書かれています。そのときに、ヨシャパテ王は神に祈るのですね。20章12節では素晴らしい祈りを言ってい
2012.06.24「わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏むところはことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。(ヨシュア記1章1節から3節*)ー続きーー士師記6章11節から12節ーギデオンというイスラエルのリーダー(士師)がいますが、彼が神から呼ばれたそのときの最初の神の言葉は、「勇者、ギデオンよ
2012.06.24「神の言葉の現実」ローマ8章37節(モトイさんのブログ)http://kirisutoinochi.seesaa.net/article/277013423.htmlー圧倒的な勝利者の上を行く存在とはーしかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。(ローマ書8章37節)<YouTube:「kirisutoinochi1」より>こんにちは、モトイ