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清水を出てチェックアウト時間まで時間があったので近くの高台寺まで部屋から見えていた観音様に遠くの方から手を合わせつつ高台寺に祇園閣通常非公開らしく一度も中を見たことはありませんが年に数日公開日があるので見れたらいいなぁ見てみたい落ち着いたお寺さんでした。人混みをかき分けて急いでホテルに戻りチェックアウトせねば。というわけで
ずっとお天気も良く美味しいものと桜を堪能した京都最終日のみ東山に宿泊場所を移したので蹴上に行きました最終は小雨の蹴上それもしっとりとしておつです蹴上インクラインは全国でもかつての線路の上を今、誰でも普通に歩けるという珍しい場所なのでは?疎水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜を結んだ傾斜鉄道は高低差を克服するために舟を台車に乗せケーブルカーと同じ原理で
こんにちはこはるです円山公園を出て、二寧坂に向かいますお寺越しの桜🌸秋🍂にはきれいな紅葉🍁が見られそう中には入れませんでしたが、お寺の中に、面白い塔のある建物を発見大雲院というお寺の中に建てられた祇園祭の鉾をイメージした祇園閣という建物だそう祇園閣と大倉喜八郎│本山龍池山大雲院本山龍池山大雲院のwebサイトです。www.daiunin.or.jp平安神宮や明治神宮、築地西本願寺を手がけた方が設計されたそうねねの道🛣️を横目に満開の桜を見ながら、そぞろ歩き欧米
これもよく見かけるけどどこにあるか知らなかった縁切り石。建仁寺のすぐ南です。凄い執念を感じる貼り方ですよね。くぐると悪縁が切れるのか。でも四つん這いにならないといけないので、賑わってるときは結構恥ずかしいというか。このときも人が多くて衆人環視のなか、というふうになってました。そのまま東大路通りに抜け、東山のほうに登っていくと見えてくる。清水寺までの一番混むところにあるのに、意外と取り上げられない建物。祇園閣といいます。確かNHKか何かの番組で取材されて、初めてこんなのがあると気づいた。
大雲院(だいうんいん)は、東山区祇園町にある浄土宗系単立の寺院で、山号は龍池山、本尊は阿弥陀如来になります。1587年、織田信長とその子信忠の菩提を弔うために正親町天皇の勅命を受け、安土宗論で活躍した浄土宗の僧・貞安(じょうあん)が開山となって創建されました。場所は信忠が自害した二条新御所の跡地(烏丸御池)で、大雲院という名は信忠の戒名から採られたもので、火除天満宮をその鎮守社としました。同年中に京都の改造を理由として、豊臣秀吉の命で四条寺町南に移るように指示され、1590年に四条に移ったと
[祇園閣]-END-
大雲院[祇園閣]-END-
全国旅行支援で4泊5日の京都旅に行ってきました。『全国旅行支援で京都に行ってきます!』今日から全国旅行支援で京都に行ってきます昨年10月から続いている全国旅行支援を存分に利用させてもらっています。11月に1週間断食『明日から一週間断食に行…ameblo.jp『暑すぎる京都から((+_+))』京都に来ています。『全国旅行支援で京都に行ってきます!』今日から全国旅行支援で京都に行ってきます昨年10月から続いている全国旅行支援を存分に利用させてもら…ameblo.jp『全
名古屋のシンゾウです正月三が日が終わり、今日から仕事始めの方も多いでしょう。私も、シャッキリハッキリして、ブログを更新していきたいと思います。今年もお付き合いください。本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(718)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《人物問題》ヒントから人物名を答える。【1011】第75代天皇、保元の乱、白峯神宮【1012】大倉財閥別荘跡に祇園閣【1013】桃山期の茶人、了頓図子【1014】日蓮の六老僧の一人、日像の
八坂神社。⛩🙏祇園祭山鉾館。河原町のジュリー🙏祇園枝垂れ桜。円山公園。円山公園から南へ、ねねの道へ。大雲院祇園閣。御陵衛士屯所跡。月真院。新撰組ファンなら、小稲荷大明神。高台寺へ続く台所坂。石塀小路。二寧坂(二年坂)。つづく。『令和4.3.28.祇園しだれ桜』桜といえば、円山公園の祇園枝垂れ桜を見とかないと『令和3.3.24.祇園しだれ桜』→昨年令和3.3.27.の祇園しだれ桜のブログへ今夕の散歩は、…ameblo.jp『令和3.3.24.祇
おはようございます。今日から七十二候が移ります。【熊蟄穴(くまあなにこもる)】熊が穴に入って冬ごもりする頃。何も食べずに過ごすため、秋に食いだめをします。熊ではないのですが、秋から食べ物が美味しく、ついつい、食べすぎています。これからの年末年始が心配です。*****************************************************************************************************************
リアルで本音で喋れる友達はいない年を重ねるほどどんどん価値観の乖離がおきるでもひねもす“のらりくらり”と生きていけるいろんな意味で日本に生まれて良かったと思う今日この頃コメントくださっている皆様、有難うございます。返信できなくなったり遅れたりすることがあると思いますが御容赦くださいませ。他意はございません。毎夜毎夜、19:00頃からビーム光線(?)が「おいで、おいで」を始めます。これは清水寺のライトアップを知らせるものです。お誘いに応じて、清水坂の人混みに突入し
京都の建築の中でも評判が悪いのが、京都タワー。設計したのは山田守(1894-1966)。1920年に東京帝大建築を卒業後、逓信省営繕課で電信局・電話局等の逓信建築の設計に従事。1945年に逓信省を退官、1949年に山田守建築事務所を設立。京都タワーは山田の晩年の作品で、1964年竣工。蝋燭立てと揶揄されることもある京都タワーですが、山鉾のようにも見えます。その点では、伊東忠太の祇園閣にも通じるものがありそう。京都タワーが京都駅前に現れて、58年。当
名古屋のシンゾウですいよいよ、残りが2か月を切りました。11月は、これまでの問題(30,000問越え)からランダム抽出した問題を50問/1日を掲載する予定です。記憶の確認に使っていただけると幸いです。50問×30日=1,500問、いよいよ追い込みですね。本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(644)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《過去問題から》【31761】最後の将軍徳川慶喜が朝廷に政権を返上する大政奉還の舞台となった城はどこか。
Kōdai-jiàKyoto.----------2022年7月29日撮影朝9時開門の高台寺。高台寺境内を散策。ここに来た目的は百鬼夜行展です。毎夏行われておりますが、貴重な百鬼夜行の絵などが見られます。夜にはライトアップなども。僕は夜ではなく、朝9時開門と同時に入りました。残念ながら百鬼夜行の絵などは撮影禁止なので、建物などの写真を。正式な名称は、高台寿聖禅寺(こうだいじゅしょうぜんじ)。豊臣秀吉の奥さんの高台院(北政所・ねね)が秀吉の菩提を弔うために建立したお寺
こんにちは昨日はホットヨガレッスン日。大抵、水曜日と金曜日の仕事帰りに行きます。身体を伸ばし滝汗をかくと疲れが飛んで爽快昨日は、左も前も右も若い男の子でした。みんな綺麗に筋肉のラインが出ていて、ポーズもしなやかで眼福。つられて頑張ってしまいました続きです。さて、築地本願寺江戸時代(1617年)、京都・西本願寺別院として浅草御門南に建立。しかし、明暦の大火により本堂を焼失。その後、関東大震災や火災により伽藍焼失・移転を繰り返し、現在地へ。現在の本堂は、1934年、古代インド
大雲院の祇園閣の特別公開を見に行っていきました。今回は、モダン建築の京都に合わせて12/6までの公開でした。伊藤忠太氏が設計された建物です。いつもは近くに行った際に、外から眺めている祇園閣。形が祇園祭の山鉾に似ています。元々は、元大倉財閥の大倉喜八郎氏の別荘地の一部として建設されたものです。祇園閣に移動する途中で、真葛荘が見えました。真葛荘(書院)大倉喜八郎氏の別邸だった「真葛荘」(国登録有形文化財)も伊藤忠太氏の設計です。公開時のチケット内部には、妖怪好き
いつもは外からさっと眺めるだけで終わってしまう大雲院/祇園閣ですが、この秋は特別公開されていて、拝観してきました。日時指定の事前予約が必要です。境内は、紅葉も盛りを迎えていました。本堂の中でガイドの方から説明を聞くことが出来ました。大雲院というお寺は、織田信長、織田信忠父子の供養のために創建されました。大雲院とは織田信忠の法名です。境内に入ってすぐにあるのが鐘楼。鐘楼は神仏習合時代の北野天満宮、梵鐘は今の八坂神社にあったもので、明治の神仏分離で、大雲院
京都建築探偵団(KBS京都)で見て、是非いってみたいと思っていた祇園閣に特別公開最終日に行ってきました。ここは推し。紅葉🍁も思いがけずきれいでした。↓の二つのサイトは短くよくまとまっています。【秋の特別公開】大雲院祇園閣|【京都市公式】京都観光Navi京都の祭りや季節の行事、アートイベント、体験・ツアー、寺院の特別公開まで。今知りたい、旬の観光情報を発信しています。ja-kyoto-travel.translate.goog大雲院・祇園閣秋の特別公開|そうだ京都、行こう。
観光はほどほどに、というわけで八坂通り登坂の途中の映えスポット『八坂庚申堂』、広くはないお寺さんに多くの人たちが、お参りというより映える写真を撮るのに一生懸命のようだ。せっかくなので私も、カップルやグループに遠慮しがちに数枚。絵馬ならぬ、一見お手玉のような色とりどりの「くくり猿」、それぞれに願い事が書かれている。SNS好きの若い女性が見逃すはずはない、世界遺産『清水寺』もすぐそこ、誰もが一度は目にしてるはずの映えスポットだ。観光はほどほどに、それでも一つくらいはと、秋の特別公開中の『大雲院』
京セラ美術館で開催中の「モダン建築の京都」このポスター。よーく見ると、京都市内を空からの俯瞰図真ん中が鴨川だよー。面白いよねー。明治、大正、昭和にかけて京都府(市)内に造られた建物や家具、図面、建築家、それにまつわるエピソードが満載の展覧会↓建築家が設計した椅子右側の赤い椅子に座ってみたけど、座り心地と言うか、お尻の収まりが良かった六角形なんだよ。市内のあちこちには、まだ現存している建物がいくつもある京セラ美術館モダン建築の京都明治時代、東京への遷都を機に衰退した京都は、
清水寺から清水坂を下り〜、修学旅行生の間をすり抜け〜、産寧坂を降り〜、お店覗きたかったけど先を急ぎ〜、二年坂〜一年坂〜ねねの道〜やっと着いたよ、案外遠かった、大雲院の祇園閣この写真には写ってないけど、最初「本日の公開は終了しました」って看板が下がっていたんですよ。え一応、予約優先ひと枠25人だったか?でも、前晩の予約状況からみて絶対大丈夫と踏んだのに念のためチケット係の人に「まだ入れますか?」と聞いてみたらフツーに「どうぞ」と。あーよかった!で入場。やっぱりすぐ後の人も「まだ
本日午前のダイジェストただいま雨に降られて雨宿り中詳しくは後日ではでは〜
知恩院の南門を出て丸山公園を抜け大雲院祇園閣ねねの道石塀小路高台寺はパスして一念坂八坂庚申堂八坂の塔ここ京八坂さんで昼食をとるつもりで我慢してここまで来たのにランチタイムは終了でした。リーズナブルでいいお店ですよ。さすがの松原通りごった返しています次回は、春に来たときには修理が終わっていたのに寄れなかった清水寺です。
おはようございます。今日からこの歳時記も8年目に入ります。気持ちも新たに書き続けられたらと思います。今日、11月19日(金)の夕方から20時前にかけて、日本国内の広い範囲で月の一部が欠けて見える部分月食が起こるそうです。今回は部分月食とはいえ月の直径の98%が隠れるため、「ほぼ月全体が隠れる皆既月食に近い」状態だそうです。今回のように「限りなく皆既に近い部分月食」が日本全国で見られたのは、今から140年前の1881年12月6日のことだそうです。なかなか珍しい月食です。明日の部分日食は、
🌎地球サイズ🌍~京都発~京都穴場巡りコーディネーターよしだかずみです。京都生まれ、京都育ち、京都好き・・・フットワークの軽さを活かして、京都の素敵を発信します。京都のわびさびを感じていただける京都巡りをご提案しています。ホームーページ/自己紹介/メニュー/料金/ご感想/Q&A/ご予約カレンダー/お問合せ京都京都観光京都観光案内所京都観光穴場穴場京都巡り京都癒し映えスポット映えそうだ京都行こう名所マイナースポットモデルコー
[八坂]三寧坂(三年坂)清水参道ニ寧坂(ニ年坂)八坂の塔(法観寺)ねねの道圓徳院石塀小路祇園閣-END-
春の京都文化財特別公開が開幕されましたがコロナ蔓延防止のため今日からしばらく中止と聞いたので昨日大雲院へ行ってきました実業家大倉喜八郎の別邸の一部として建設された伊東忠太設計の祇園閣は祇園祭りの山鉾を模したものでその内部の意匠は素晴らしく、また頂上からは京都市街の絶景を楽しめ、これもまた素晴らしいものでした残念ながら、撮影は禁止とされてます大雲院とは織田信忠の法名墓地には信長と信忠の石塔がありました石川五右衛門のお墓もあります特別公開は5月6日から再開
相方さんとお散歩~行先は祇園方面へますは前回もお友達と行きましたが八坂庚申堂御朱印は頂いてるのでお参りだけその後八坂の塔へ立派な五重塔中に入る事も出来るのでこんな急な階段を上ると窓から見える景色がとても素敵です。もちろん御朱印も頂きました。その次に特別拝観されてる大雲院「祇園閣」へ祇園閣の中は撮影禁止なのでこちらだけ撮影しました。京都の街を一望出来ます。京都タワーや遠くには比叡山が見えたりと。。。見ごたえありました。御朱印は書置きだけですが記念なので