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西叶(にしかのう)神社ぽんぽん船に乗って対岸へ渡り、ほんの数分歩くと、西叶神社に到着しますタイトルにある、(私の好みだけで選ぶ)2024上期大賞有力候補!の推薦理由はふたつ①迫力ある龍の彫刻②可愛すぎる狛犬ちゃん拝殿後光が差しているよう灯籠堂々と立つ、銅製の立派な灯籠天保4年(1833年)奉納この年から数年間、天保の大飢饉が起こりました拝殿天保8年に焼失した社殿を、5年後に再建安房の三名工のひとり、後藤義光の20代の時の作品です安
一昨日は保育園からの幼馴染の結婚式へ田舎育ちで人混みが嫌いなわたくし…東京での挙式だったので慣れない新幹線にのって1人ガクブルしながら携帯を握りしめて結婚式場までたどりつきました幼馴染の実家はお寺さんウェディングドレスをきた娘と袈裟姿のお父さんがチャペルのバージンロードを歩くという面白い図で、涙がでるどころか笑えました終始笑顔の幼馴染を見れて幸せのお裾分けをいただきました末長くお幸せにそして昨日はどこかに子ども達を連れて行こうと話がまとまり動物園とフラワー
ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます(^-^✿)今回はご感想を紹介致します~~~~~~~~~~~~~~連休が終わり、孫達も帰って行きこちらも平常が戻りました。家紋入り苗字の木札が出来上がり、夫婦共々大変気に入り嬉しく思っております。息子達も「いいねえ」と申しておりました。五月人形を初めて飾った年から32年が経ちます。その後何年かは飾ったものの・・・随分長いこと仕舞ったままになっていましたが、孫の誕生からここ4年ほど復活しました。我家の5月のお飾りとしてこれから
最近は新年度に向けて子ども達の必要物品を準備しています我が子たちがかよっている保育園は年少さんから上靴をはくようになるので今回は次男も上靴を用意前に油性ペンで絵を描いてあげたらよろこんでいたので、今回はデコパージュに初挑戦しました↓なかなかいいじゃんと思いましたが、激しい長男の動きに耐えれず数日で剥がれ、結局、アクリル絵の具で描くことになりました(笑)長男次男ポケモンです喜んでくれたので良かったです三男は首を鍛えるべく頭上げを練習中です話は変わっ
綿津見神社この日は朝から濃霧注意報スピードを落として、慎重運転ですナビを入れても方向が掴めず、真っ白な田んぼ道をヒヤヒヤしながら進みましたこの土手の向こうは内田川その神社は堤防沿いにあり霧の中やっと辿り着きました駐車場などなく、わずかなスペースに車を停めます下梶屋八竜宮とも呼ばれています敷地内にあったこの建物は、社務所なのでしょうか鳥居をくぐると、まず両側に楼門があります狛犬と随身様お顔に向かってシャッターを切っていますが
鎮座70周年をむかえる名古屋の白美龍神社様よりご縁をいただき作品を納品させていただきました御祭神は白美龍神(女神)ご神徳金運・財運に恵まれ殊に婦人病、痛風、神経痛、腰から下の病には霊験あらたかだそうですお社には撫で蛇さんやお財布にいれることのできる小さな巳ちゃんお守りがあるようです白美龍神社は70年の年月を経ておりお社の再建を目指されております⛩️ぜひお近くの方、近くに行かれた方は参拝をしてご利益を授かるとともに可能な方は御支援をよろしくお願い致します
ある神社様⛩️にご注文いただいた現在作成中の作品ですあとは瞳を描き額縁を彫って組み立てたら完成ですお届けまでもう少しお待ちくださいご注文者様と神様に喜んでいただけますようにまた完成しましたら神社様と作品を紹介いたします木彫りのご注文ですが最近はお子様やご家族へのプレゼント🎁✨としてご注文くださる方も多いです本当にありがとうございますわたしも子ども達兄弟がお揃いになるよう三男にちび龍ちゃんをいずれ彫ってもらうつもりでいます(笑)よくお問い合わせがありますので参
早いもので、我が家の三男は生後2ヶ月間近になりました先日、本当にお久しぶりとなる神社参拝をしました(三男を妊娠してすぐにつわりでダウンして産むまで体調不良でしたので😅)神社に向かおうと車に向かったら小雨が降ってきて雨ひどくならないで~とお願いしながら神社に向かったら参拝中は雨がやみ帰宅後から降りました感謝です小さな氏神様の神社若宮八幡宮をお参り三男のお宮参り&遅い初詣でした無事に産まれてこれることは当たり前ではないと三男の前のお空に帰った赤ちゃんから学びまし
今回はお客様からのご感想を記載します✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼N様(珠のせちび龍ちゃんの御依頼)無事、チビ龍さんが届きました。とても愛に溢れた龍さんなので、お父様が愛情込めて作ってくださったことに感謝です。よろしくお伝えください。ありがとうございました。N様は作品がお手元に届くまで楽しみにして下さっていました本当にありがとうございました✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••
相野一門に数々の彫師が居ましたが、発見例が特に少ないのがこの「相野清七」。名前が残されているものは社寺と地車に1例ずつくらいで、推測を含めても3例ほどでしょうか。鑿跡は相野本家?の藤七によく似る所があり、清七の方が後代のような気がします。以下彫刻例。刻銘なしの古川橋(南十番先代)地車。麒麟の首が長いのが特徴でしょうか。刻銘が残る私が知る限りで社寺唯一の現存例です。懸魚の裏に刻銘があり、明治10年ごろのものと推定されます。参考で掲載、永井神社の相野藤七作です。並べてみると
坂下阿蘇神社全国に約500ある阿蘇神社阿蘇市にある総本社のもと、熊本県内には阿蘇の名のつく神社が数多くあります。長い参道と階段が続きます。ここにはかつて坂下城があり、そのためこのような地形なのですね。後ろを振り返ると、こんな感じ。まずは随身門への階段を登ります。新しそうな碑には『南関町指定文化財坂下阿蘇神社石造狛犬』と書かれています。随身門の彫刻よく見ると、たくさんの動物がいます。右から、麒麟、かも、亀、左端にはうさぎおっもしろい。細かくて分か
今回のブログではお祭りの屋台(山車)彫刻の修理をご紹介します🌟長年のお祭りで屋台(山車)についている彫刻はボキボキに折れて(彫り物がなくなって)いることがありますそのような折れているところは木を繋ぎ合わせて、形を予想して(何十年も前の作品で、下絵もないので)彫りをいれ色を塗って修復しています下の写真の白い部分は彫り直した部分です(こちらの龍さん、お髭がほとんどなくなっていました)このままだと年数過ぎたまわりの木の色とあまりに違うので色を合わせて瞳も綺
岡山神社日本のさくら名所百選、日本の歴史公園百選に選ばれている小城公園(おぎこうえん)の園内に鎮座する神社です小城公園は、江戸時代に小城藩主によって造営されました。どどーんと大きな肥前鳥居(一の鳥居)小城藩の初代藩主鍋島元茂(もとしげ)公、2代目直能(なおよし)公を祀っています。小城公園の池に沿って参道があるため、池泉庭園を見ながら歩きます。二の鳥居後方にそびえる大樹は、樹齢約300年のクスノキ。境内には、鈴成(すずなり)の木と神馬さん。神社で購入した
社寺彫刻成匠堂からのお知らせです国産材の高騰により3月から各彫り物のお値段を表示してある価格より500円ほどUPする予定です2月末までのご注文は現在の表示価格で承りますご了承ください『社寺彫刻師の父の紹介』久しぶりに社寺彫刻師の父の紹介ブログをもう1度『父の紹介☆』父の作品を紹介していても、父の紹介をしてなかった!笑父の職種は社寺彫刻師です社寺彫刻師は神社やお寺…ameblo.jp『チビ龍さん産まれました☆』今日は社寺彫刻師である父が作った最近誕生したばかりの木彫りの小
お久しぶりでございます。自町のことをしたり、他所の祭禮を見に行ったりしていたら、このブログの存在をすっかり忘れていました。。。さて、先日姫路お城まつりが開催され、その一角で播州の祭禮行事に関する展示が行われておりました。名工の狭間も展示されておりました。2作品の展示でしたが、今回は伝2代目、松本義廣師の狭間の写真を投稿します。「芦屋道満安倍の童子占卜比べ」墨書「飾磨松本義廣」「菅原道真公遊歩の場」「布引四段目小桜責め」「祇園祭禮信仰記四段目
丹生にう神社京成谷津駅から線路沿いに歩いていくと、やがて鳥のさえずりが聞こえてきます。こんもりとした森の中に、丹生(にう)神社があります。目の前は京成電鉄。高校の時は、京成電車に乗って通学していました。京成谷津から京成津田沼駅まで結ぶまっすぐな道路には、御大典記念道と書かれた石碑が数ヶ所あります。この説明板は高架下にあり、足を止める人はいません。気になっていたものの、私も初めて読みました。神社に戻ります。見上げると、木漏れ日が涼やかな、清々しい空気です
八雲神社(泉田)こちらの神社に、祖父・野田平業作と思われる狛犬が鎮座していることを知りました。でも、石匠名に祖父の名前はありません。実際に自分の目で見たいと思い、訪ねました。民家のおじさんから「寺の敷地に停めなさい」と誘導された狭い道、私の車の横幅ギリギリ。そしてワタシ、運転がめちゃ下手くそなんです・・・工事中・・・それとも震災による倒壊を防ぐための鉄筋なのでしょうか。大木がバッサリと切られていました。境内には度々雷が落ち、この木は昭和58年に落雷にあったようです
柏原市古町地車志紀型彫師小松源助午前中は自町の鳴物練習があったので、終了次第柏原へ直行して見に行ってきました。幻の大和型地車かなぁと思いましたが、詳しい方曰く、かつての志紀郡(現在の八尾市周辺)の大工の製作?による地車に近いそうで、志紀型と呼ぶそうです。他にも現存数台あるそうですよ。小屋根車板に小松源助の刻銘あります。8代目メインですが、ところどころ延治郎らしき彫も...?とにかく彫刻が大振りで、小松本流の良さを十二分に感じられる地車です。以下地車彫刻(いつも通り撮影忘
6月の丹波社寺巡りより。山南町谷川常勝寺庫裏年代不詳彫師浪花?一応私の中では答え出ていますが、該当彫物師彫刻をもっとしっかり見直したいので今の時点では伏せておきます。以下蟇股彫刻参考:蛸地蔵天性寺蟇股
先日の篠山探訪より。JR福知山線古市駅から徒歩5分程度の所に鎮座しています。波賀野新田秋葉神社明治12年再建?彫刻師藍曲村新井弥三郎正次(現地案内板・刻銘より)色々あって下車した駅でしたが、素晴らしい彫刻群に出会えました。要再撮影のクオリティですが、ご了承願います。以下本殿彫刻向拝蟇股向拝木鼻向拝持ち送り身舎蟇股身舎木鼻脇障子左「張果老」右「陳楠」刻銘「摂津國有馬郡藍曲村彫物師新井弥三郎正次」
引き続き先日の貝塚より。前々からお目にかかりたかった彫刻群でしたので、良い機会に行ってきました。貝塚市願泉寺延宝7年(1679)大工岸上次郎左衛門彫物和泉加右衛門義乗(大坂浪花木彫史より)先日投稿した山南町谷川の高倉神社よりもさらに26年遡る彫刻群で、流石は大工彫刻の源流である岸上一門だなぁと感じます。以下山門彫刻表蟇股裏蟇股側面蟇股太瓶束内部表面内部裏面
またまた期間を空けてしまいました...。春学期も大詰めで少しばかり忙しいです、ご容赦ください。今日の1社はこれまた先日の丹波紀行より。山南町谷川高座神社宝永2年大工清水一門彫刻長谷川伝右衛門?綾部市の某社より長谷川の名前が出ていますが、それよりも40年以上前の制作。そして同じ名前が続いていることからも「長谷川一門」は大坂の彫刻師として存在していたことがうかがえます。また宝永2(1705)年となれば、中川利兵衛や草花平四郎の登場する更に前で、現存する浪花彫刻の中でも最古級と
先週末は平野の試験曳きでブログかけてませんでしたのでその分を。またまた平野topicを書いておきますが、前回の伊兵衛さんよりはさらに年代遡ると思います。平野区大念佛寺鐘楼文化3年?彫師?鐘楼が文化3年は確実かと言われても素直に頷けませんが、大念佛寺のHPに梵鐘が文化3年改鋳とあるので同時期と考えます。そして鑿跡を見れば中川・相野系統のように思います。播州地方現存の文化4年製作の社寺と年代と鑿跡がかなり一致しますので、八代目中川利兵衛かもしれませんが...如何に。
杭全の前夜祭が行われていよいよ大坂の夏祭りが始まるなぁといった頃ですが、そんな平野郷からひとつ。大阪市平野区大念佛寺霊明殿江戸末期彫物相野伊兵衛直之?本堂は近年の再建のようですが山門と回廊は江戸末期の遺構を残しており、その山門に彫物があります。懸魚車板蟇股ここの部位名称を存じ上げません...(^_^;)枡合扉羽目板脇障子上扉の横木鼻
先日の丹波散策より。山南町和田延喜式内社狭宮神社宝暦8年大工飛田平蔵彫刻中川利兵衛尉藤原親家播州大工が浪花彫刻師と共同で建てた方式の神社。この付近は播州大工と浪花彫刻師の影響がかなり大きそうですね。隣村の社にもかなり気合の入った地元彫刻師の作品がありました。以下本殿彫刻。懸魚正面蟇股正面車板手挟み桁隠し木鼻身舎蟇股脇障子脇障子裏刻銘「大坂安土町三丁目社堂彫物工棟梁中川利兵衛尉藤原親家」腰周
福岡市には10年ほど住んでいたが、神社に関する記憶があまりない。勿論、大宰府天満宮とか櫛田神社、警固神社などの著名なところには何度も参拝しているものの、印象が薄く、いずれも市内ばかりである。もしかしたら、郊外にはもっと色々あるんじゃないかと思い図書館で調べたみたところ、面白いように出てきた。そのネタ本を助手席に積んで出立。まず最初に訪れたのは、北九州市の郊外にある東大野八幡神社。ここは海の生き物がふんだんに彫刻されているらしく大変楽しみである。創建は天智天皇五年(666年)と
せっかく始めたブログなんで週2投稿を目標にやってみようかと思います^^3月下旬に京都は綾部市の"堂社彫物"を探索してきましたので、そのうちの1社から。高津町宮ノ段高津八幡宮嘉永5年大工棟梁桑原兵右衛門彫物相野徳兵衛(京都府・歴史・観光・見所より)徳兵衛さんの彫物が綾部にあると聞いた時は驚きました。嘉永5年となれば海老江西之町(安政2年)よりも3年以上早く、かなり初期の彫になると思います。個人的には本家の彫に近いような気もしますが...。かつて綾部は繊維産業
日曜日に投稿するって言ってしてませんでした(^_^;)明治16年小松源助延享4年中川利兵衛親家?寛政8年中川佐助尉藤原親光開正藤文化年間?服部清七満朝?天保4年相野藤七征重元文4年草花平四郎天保期?相野藤七?天保10年森上弥兵衛嘉永元年相野藤七相野?相野伊兵衛直之?安政3年十一代目中川利兵衛
飯高いいだか神社読めない、書けない、難しい地名。千葉県にはそんな地名が多いのですが、ここもそのひとつ、匝瑳市。そうさ市と読みます。飯高神社のある匝瑳市は、田園地帯が広がり、市の南部は九十九里浜に面している、海と山の両方に恵まれた土地です。和む♡この景色ナビが駐車場を教えてくれず、裏側の山道を10数分登り、やっとたどり着きました。文化財を多く持つ飯高神社です。数本の支え棒が社殿を支えていました。地震が多い千葉県・・・大丈夫なのかしら社殿の中に
浪花メインですが、今まで見てきた獏鼻をぼちぼち。年代、地域、一門バラバラに載せます。正珉さん延享4年中川利兵衛藤原親家?天保年間相野伊兵衛直之?謎草花平四郎政信?寛政8年中川佐助尉藤原親光相野伊兵衛?中川喜兵衛保義服部?天保4年相野藤七征重元文5年草花平四郎?元文4年草花平四郎嘉永元年相野藤七?宝暦7年?若田重兵衛尉藤原朝臣重信明日は獅子鼻載せます^^