ブログ記事43件
ようこそインターネットステーション泉中央へ、このブログは私こと源住泰(ペンネーム)個人の趣味のページです。今回は、1/7に立ち寄りました福島県いわき市、、、、JRいわき駅北口から、すぐに丘を上った先に見かけました、磐城平城本丸跡地にスポットを、あててみたいと思います。この城は西暦1602年、鳥居忠政が、初代藩主となってこの城の築城を、進めました、歴史の好きな人は鳥居と聞くと、あの関ヶ原の戦いの前哨戦である、伏見城の戦いで徳川家康に忠義を尽くし、西軍
2022年夏の青春18きっぷ第2弾は前回のいわきよりもさらに北、相馬を目指した。コロナ感染を避けるため、比較的空いている常磐線を攻めています。今回は震災以降に常磐線全通してから初めてのいわき以北。現状も見れればと思った。まずは土浦行15両編成で土浦へ。今回は中ほどの車両に乗ったが、平日の下りラッシュ時間帯明け、予想通り空いていた。何事もなく土浦③番線に9:06着。ただ、乗り換えが向い合せホームの②番線ではなく、橋を渡って①番線ホームだった。留置線から①番線に入線していた5両編成の
磐城平城跡の画像を見て思ったのですが、貴重な城跡が無残に破壊され宅地化されているのです。戊辰戦争で旧幕府軍として戦った平藩、城は炎上し焼失してしまいました。現在残っている遺構は、石垣・土塁・水堀であり、一部は丹後沢公園として残っており、龍ヶ城美術館があります。城跡の大半は、住宅地となってしまいました。歴史的な遺構なのに残念です・・・。今回、中心市街地活性化広場公園整備事業の一環で、城跡公園として整備する計画がされています。経験学習施設・白蛇堀・散策デッキ・展望デッキ・門・広場・アプローチ階
あの未曽有の大震災から早いもので11年たちましたその年の5月の新聞に『弘前城』の写真と共に旅行で東北を助けたいとありお出かけ好きで、お城好きな私PeachAirline就航も追い風になりGWは東北旅行する事が増えましたそこで、過去記事リンク集を投稿したら文字数制限で投稿出来ず…やむおえず分割投稿に今回は後編です2014年5月https://ameblo.jp/inuyama-1970/entry-11841441239.html『磐城平城!!』写真
最近疲れているのか、電車で4駅ほど乗り過ごしました(汗)しかも快速・・・。さて今回は、現在の福島県いわき市にあった城、磐城平城です。磐城平城跡は、いわき駅北口からすぐといいますか、いわき駅がそもそも磐城平城跡の一角にありますので、非常に表現が難しいですね(汗)いわき駅北口。JR東日本の常磐線と磐越東線が乗り入れています。福島県の浜通り南部にあり、福島県最大の都市であるいわき市の中心駅です。いわき市は1966年(昭和41年)に磐城市、内郷(うちごう)市、常磐(じょうばん)市、平市、勿
いわき市の並木通り。いわき駅南口に隣接した地区。江戸時代の磐城平城の城下町当時もこの場所には現在の並木通りの原型となる道が通っており、周辺には磐城平藩士の武家屋敷が建ち並んでいた。この場所は北側には磐城平城の内堀が、南側には外堀がそれぞれ設けられ堀に囲まれた地域で、磐城平城の「田町曲輪」が置かれた。並木通りの北側、いわき駅の隣接地では今後市街地再開発事業が行われ、マンション棟や商業・業務施設棟が建設される。にほんブログ村
磐城平城のあるところの住所は「いわき市平旧城跡(いわきしたいらきゅうじょうせき)」です。「本丸町」とか「元城町」とかは比較的よく見かけますし「丸の内」や「大手町」も(何も東京に限らず)よく見ます。でも、「旧城跡」という町名はなかなかに珍しいのではないでしょうか。全国各地でいろんな地名を見てきましたが、これだけ現状をストレートに表現した町名も珍しいと思います。磐城平城に初めて訪れようとしたのは大学2年の春のこと。サークルの春合宿でいわき市を訪れ、練習のない休養日に後輩を連れてドライブに繰り出し、
いわき市の丹後沢公園。この場所は、かつて磐城平城の内堀「丹後沢」だった。丹後沢は、磐城平城本丸の北側にあり、本丸と二の丸・三の丸との間にある内堀。築城する際に、元々あった沢をせき止めて作った。いわき駅の近くにある水と緑の空間、丹後沢公園。駅の近くにこのような場所があることは本当に貴重。昔の歴史に思いを馳せながら公園を歩くのも楽しい。にほんブログ村
今日も休みで暇なのでブログ更新します朝からドライブがてら犬の散歩に新舞子に。早朝で気温も低く爽快です一度帰宅し、自転車に乗り換え、いわき駅南口の工事現場へ。お城の遺構が出てきた旨の情報を聞いた為、見物。旅行も出来ないご時世なので近場で観光ですいわき駅のペデデッキから西方向を眺めます。遺構の調査中でしょうか、暑い中ご苦労様です。地下空間で一部石垣を観光目的で保存・・・なんて事になるといいですねその後は北口へ。こちらは病院が建設される様です。家から一番近い病院になるので、おそらくここが
いわき市、平一町目交差点。交差点左側へ続く道は平・本町通り。本町通り入口のこの交差点は十字路ではなく、鍵形、クランク状になっている。道路を挟んで右側はかつて、戦国大名の岩城氏の居城の飯野平城(大館城)の城下町、左側は江戸時代の磐城平城の城下町。戦国時代の城下町と江戸時代の城下町とでは町割りが異なるのでズレが生じて交差点が鍵形になっている。磐城平城の城下町時代には、この道沿いに外堀が通っており、現在の交差点付近には外堀を渡る土橋(土でできた橋)が架かっていた。橋のたもとには木戸が設置
いわき市、平・本町通りの二町目交差点。この交差点の信号機はサークル状のモニュメントと一体的になっていて、街のアクセントになっている。本町通りとレンガ通り(右方面)、南レンガ通り(左方面)が交わる場所にある大きな輪(サークル)。本町通りは、江戸時代の磐城平城の城下町整備に伴い作られた道。一町目から五町目まであり、沿道には商家が建ち並び城下町のメインストリートだった。城下町時代の本町通りには、町の境界となる出入口に木戸が設置され人々の往来を管理していた。一町目と二町目の境界の出
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)舞台は福島県へと移り3連発211城目は相馬中村城ですよぉ1611年に築城されて以降約260年に渡り相馬中村藩の居城として君臨巧みに利用された枡形と水堀が現在でもその名残を見て取れるという。。アクセスは常磐線の相馬駅駅から歩くこと20分弱まず北外堀さんがお出迎え言われなければ用水路って感じだわね本丸跡へ近づくにつれまして蓮池と名付けられたよりデカいお堀をしこたま拝めます城址を囲う濠面積は中々のモ
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)210城目は福島・磐城平城ですよぉ都心から特急直結のいわき駅前に位置しアクセス面で言うと難易度低めとはいえマイナーな城址でしょうな駅近とはいえ急坂を登る必要がアリ登り切ったトコが跡地らしいんだケドビミョ~な空気感満載( ̄▽ ̄)よーく見れば堀跡のようなにもみえるケド実際どうなんでしょうね↓も土塁なのか単なる崖なのか。。ビミョぉ~本丸跡への道中にある石垣も天然モノか現代モノか謎(恐らく後者かと
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)舞台を福島県へと移し攻城3連発まずは209城目・棚倉城ですよぉ[堅破山]→[奥久慈男体山]→[八溝山]と茨城3座登頂を済ませいざ福島へと思うたら棚倉への道は閉ざされており一旦矢祭町へと抜けまして大きく迂回し棚倉の町まで約50km17:25にようやく駐車場へピットイン九州・熊本の佐敷城を筆頭に今んトコはハイレベルなマイナー城址はて、今回はどんなもんかしら先ずお出迎えいただくのは想像以上に立派なお濠
いわき市の平・六間門付近。なぜこのような崖になっているのか?かつてこの場所には磐城平城の外堀がありました。元々地続きだったこの場所を、磐城平城を築城する際に掘り下げて人工的に堀を作ったという。現在、堀は埋め立てられ国道399号線が通っています。関ヶ原の戦いの後の慶長7(1602)年、徳川家康から磐城平藩主(10万石)に任じられた鳥居忠政は磐城平城の築城を開始。12年の歳月を掛けて築城された磐城平城は、伊達氏などの東北地方の外様大名を牽制する役割も担う堅牢な城郭となった。六間門は
大津市、「麒麟がくる」関連イベントの期間延長観光経済新聞滋賀県の大河ドラマ「麒麟がくる」大津市観光振興協議会は、ドラマに合わせて開催している「びわ湖大津・光秀大博覧会」を来年3月まで延長する...TETSUYAレコーズ、中古邦楽レコードの専門店「昭和歌謡曲が若者に人気」株式会社リフォーム産業新聞社昭和歌謡の中古シングル盤のみを取り扱うTETSUYAレコーズ(静岡県沼津市)がこのほど新仲見世商店街に開店し、若者から注目を集めている。麒麟がくる:“ラスボス感”増す正親町帝信長
いわき市の新川緑地(平・堂ノ前)のイチョウ並木が色づき秋の装い。青空と黄色いイチョウのコントラストが綺麗でした。市街地の中を東西に続く新川緑地。かつてこの場所には「新川」が流れていました。新川は江戸時代に開削され、磐城平城の外堀の役割も兼ねていました。現在は暗渠化され、地上部分が緑地公園になっています。にほんブログ村
いわき市の丹後沢公園。現在は公園になっていますが、丹後沢はかつて磐城平城本丸の北側にあった内堀でした。丹後沢に沿って遊歩道があり散策ができる。丹後沢公園は、いわき駅の北側にある水と緑の空間。市街地に隣接した場所にこうした空間があるのは貴重です。今後、磐城平城本丸跡に整備される「磐城平城・城跡公園」とも連携して地域の歴史を伝える場所になってほしいと思います。にほんブログ村
「磐城平城」の城主「内藤家」から分与されて独立した2家の「内藤家」が、それぞれ「泉陣屋」と「湯長谷陣屋」を築いたそうです。しかし、本家であった「磐城平城」の「内藤家」が「延岡城」(宮崎県)に移封となり、「内藤家」分家の2家がこの地に存続したということです。内藤家つながりで福島県磐城市と宮崎県延岡市は姉妹都市になっていますが、今後ともますます交流が深まることを願っています。
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。本日は、「泉城(陣屋)」(福島県いわき市)をお届けします。陣屋跡内の敷地に立つ「
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をしているシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。今回は、「磐城平城」(福島県いわき市)をお届けします。塗師櫓石垣元々は
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をしているシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。今回は、「湯長谷(ゆながや)陣屋」(福島県いわき市)をお届けします。湯長谷藩
いわきのお宿で朝ごはん、どろどろカレーうんまーいヽ(´▽`)ノ味噌汁サーバーから、お湯しか出ないという洗礼を浴びたけどw食べ終わる頃に直って、せっかくだからいただいたよ。都内からの始発に追い付かれると、電車が混んじゃいそうだから、8時前にはいわきを撤収。応援仲間も特急ひたちに乗り込んでたし、鈍行で逃げるーε≡≡ヘ(´∀`)ノ前日には気付かなかった磐城平城、常磐線車内からも見えたー(゚∀゚)実はよく見るとぺらぺら、書き割りの一夜城なのwジェフLのホームゲームで、昨春訪れて以来のJヴィレッ
いわき市の磐城平城本丸跡に、戊辰戦争で焼失した磐城平城の「三階櫓」が“一夜城”で再現された。この三階櫓は高さ約13メートルの巨大な看板(実際の三階櫓も高さが13メートルだった)で、まちづくり団体がいわき市制50周年を記念して設置したものを、今回、磐城平藩主・安藤信正公の生誕200年を記念して再設置した〈信正公は幕末に老中を務め日本の舵取りを担った〉。2月末まで設置されている。■いわき駅北側の小高い丘の上にある磐城平城本丸跡■磐城平城・三階櫓■夜はライトアップ■平
こんばんは〜お久しぶりです!大和田です最近、こんなものを見ました!いわき駅から見える「磐城平城」ですたいらまちづくり株式会社さんホームページより''一夜城''かっこいいですね〜!しかも1月11日から設置されていたなんて...この頃はいわき駅の方には行っていなかったので、全然気が付きませんでしたライトアップ、きれいですよ〜みなさんも良かったら見に行ってみてください
AI歌唱・美空ひばり、30年ぶりの新曲『あれから』MVで平成の30年を振返るOKMusicこの映像では、平成元年に美空ひばりが亡くなってからの30年間を、日本や世界で起こった出来事とともに振り返る内容となっている。美空ひばりのセリフの...絵になる木造駅舎です水郡線全駅6【50代から始めた鉄道趣味】195鉄道チャンネル先の方に県道63号線の跨線橋があります。2014年(平成26年)に右のホーム、2番線の使用を中止しましたが、その時はホーム同士を結ぶ跨線橋がありま..
いわき駅に戻って、いわきFCのJFL昇格を祝う横断幕をくぐり、西口広場に出ました。いわき市主要観光案内図や、磐城平城下之図がありました。
「第10回龍が城・月見の宴」が9月28日、いわき市の磐城平城本丸跡地で開かれた。「龍が城」は磐城平城の別名。歴史的な場所である磐城平城本丸跡。竹灯篭や行灯にロウソクが灯され幻想的な雰囲気でした。にほんブログ村
「譜代大名のお城シリーズ」は、本日は「泉城(陣屋)」(福島県いわき市)を紹介します。陣屋跡内の敷地に立つ「泉城記念碑」前回ブログでは、同じ「いわき市」内にある「湯長谷陣屋」を紹介しましたが、同市内には「磐城平城」と「泉城(陣屋)」も築城されていたことを記載しました。更に、前回ブログでは紹介していませんでしたが、同市内に外様大名の「土方家」が「窪田陣屋」を設けていました。こちらは、3代目でお家断絶となりその後は幕府の代官所が置かれました。元々は、「磐城平城」の城主「内藤家」から分
「譜代大名のお城シリーズ」は、小説や映画「超高速!参勤交代」(土橋章宏著)のモデルになった「湯長谷(ゆながや)藩」の居城「湯長谷陣屋」(福島県いわき市常磐)を紹介します。「湯長谷藩館址」碑「超高速!参勤交代」では、四代藩主「内藤政醇(まさあつ)」が、幕府から難癖をつけられ5日以内に江戸まで参勤しなかったらお取り潰しにすると言われ、家老と共にそれに対応する諸対策を講じながら、無事決められた期日までに参勤交代を成し遂げたお話です。「超高速!参勤交代」(土橋章宏著、講談社)