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福島県いわき市の中心市街地の中を東西に延びる新川緑地。イチョウ並木が紅葉していて綺麗でした(平堂ノ前)。新川は、元々は江戸時代、磐城平藩主内藤家時代に人工的に開削された川でした。その新川は、夏井川と繋がっており、船で磐城平城下に物資を運搬する水運のインフラとして利用されました。また、磐城平城の外堀としての役割も果たしており、慶応4年(1868年)の戊辰戦争の時、磐城平藩など諸藩が参加した奥羽越列藩同盟軍は、新川を磐城平城を守る防衛ラインの一つとして定め、川の周辺に部隊を配置し、新政府
福島県いわき市の磐城平城本丸跡で行われている「磐城平城しろあと公園」整備事業。JRいわき駅北口近くにある磐城平城本丸跡の歴史・文化資源を活かして公園を整備している。➡磐城平城しろあと公園整備事業について|いわき市公式HP■磐城平城しろあと公園整備事業の様子(2025年10月)○正門、体験学習施設体験学習施設の前には、江戸期の城郭イメージを基本とし、体験学習施設の「和」を基調とした意匠と調和するような庭園が整備される。○正門周辺の景観◯公園の整備内容を説明する案内板○
昨日は人間ドッグでお休みを取りました。事務方の「好意」により3連休にくっつけて4連休化出来るように日程設定してくれたのですが・・・でもほら・・・健康診断の前ってダイエットして体重減らしたりとかアルコールを控えてγGTP値を減らしたり、とか、「無駄な努力」するじゃん3連休の翌日に人間ドグッって・・・連休中を思う存分飲み食い出来ずにちょっと残念でしたんで、何時も悩ませられる胃カメラですが・・・今回は「鼻から胃カメラ」に初挑戦まぁ「口から胃カメラ」に比べたら「鼻から胃カメラ」の方が
前のブログの続きです(^o^)/~~旧実家をあとに、向かったのは湯本地区ε=(ノ・∀・)ツ『いわき神玉巡礼』の神社2か所が先か『発掘!磐城平城』の会場である『いわき考古資料館』が先かε=(ノ・∀・)ツここは後者を選択☆彡いわき市考古資料館www.iwaki-koukoshiryoukan.jp入館料無料、初来館です(*σ>∀<)σ入口でつながりを発見してテンションアップ、他に来館者はなく、展示品をじっくりゆっくり見学できました☆彡でも…『発掘調査』に関する資料の展示なので、かなり
いわきへ5/10~12に出張。以下、その時の記録。~~~~~~いわき→湯本(常磐線)湯本→ハワスタ(バス)ハワスタ→いわき(バス)いわき市内を周遊。いわき駅北口にあった平城跡を紹介の看板。駅近ゆえ現地に行ったが工事中で中に入れず無念。常磐線はE531系が来た。湯本駅から10分程歩き石炭・化石館を見物した。動物の化石の展示が多数。常磐炭田があった事もあり炭田に関する展示が充実。予想外に見応えあり満足。湯本から無料バスでハワスタへ。アウェーいわき戦
福島の磐城平城🏯1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの結果、岩城氏が追放され、1602年(慶長7年)に徳川幕府譜代の鳥居忠政が飯野平に転入した。その磐城平城(いわきたいらじょう)に登城あったのですが工事中鳥居忠政は、都市名を戦国時代までの「飯野平」から、岩城の「いわ」の字を変更して「磐城平」に改めて磐城平藩を樹立し、磐城平城の建設を命じた。城は1603年(慶長8年)に着工し、12年の歳月を費やして1615年(慶長20年/元和元年)に梯郭式平城を完成させた。あきらめた私は一度下
もう2025.2月ですが…12月末に青春18きっぷ旅してきた事を書きます。青春18きっぷ…今回から使い方が変わってしまいました…3日連続か5日連続で利用しなければならず…それに1人1枚なので、、年末に夫と東北旅を計画しました!夫は城好き、私は甘いものが有ればOK!あとは温泉!東京駅から常磐線で北上しました!先ずは磐城駅で下車。茨城県にある磐城平城から!でもね…整備中だったのです。また行きたいと思います!磐城駅から相馬駅まで。相馬中村城に行きました!白鳥、久
仙台でのファイターズ戦観戦の翌日、ここ数年なかなか実現できなかった青春18切符旅行を敢行。仙台から常磐線に乗って東京に戻ることにする。常磐線は原発事故の影響で、地震から9年経った2020年3月にようやく全線再開。内陸部に移設した高架部分、最後まで不通だった帰還困難区域を通り、原ノ町駅で乗り換え。クロスシートの電車になり、旅行気分が増す。いわき駅で40分以上停車するので、一度降りて駅前にある磐城平城に向かう。ロータリーに歴史や縄張りを解説する看板があり、ありがたい。住宅街になっているものの、
電車は勿来駅を出発した後、鮫川を渡って、旧勿来市の玄関口であった植田駅に停車しました。そして次に停車した泉駅は、良く名が知られたアクアマリンふくしまの最寄り駅です。次の湯本駅は、常磐炭田の拠点となった常磐市の中心地で、フラガールで有名な常磐ハワイセンターの最寄り駅です。更に次の内郷駅は、いわき市と合併する前は、旧内郷市への拠点となる駅でした。電車は等々の駅で停車と発車を繰り返し、水戸駅を出てから1時間33分後の8時35分にいわき駅に終
ようこそインターネットステーション泉中央へ、このブログは私こと源住泰(ペンネーム)個人の趣味のページです。今回は、1/7に立ち寄りました福島県いわき市、、、、JRいわき駅北口から、すぐに丘を上った先に見かけました、磐城平城本丸跡地にスポットを、あててみたいと思います。この城は西暦1602年、鳥居忠政が、初代藩主となってこの城の築城を、進めました、歴史の好きな人は鳥居と聞くと、あの関ヶ原の戦いの前哨戦である、伏見城の戦いで徳川家康に忠義を尽くし、西軍
2022年夏の青春18きっぷ第2弾は前回のいわきよりもさらに北、相馬を目指した。コロナ感染を避けるため、比較的空いている常磐線を攻めています。今回は震災以降に常磐線全通してから初めてのいわき以北。現状も見れればと思った。まずは土浦行15両編成で土浦へ。今回は中ほどの車両に乗ったが、平日の下りラッシュ時間帯明け、予想通り空いていた。何事もなく土浦③番線に9:06着。ただ、乗り換えが向い合せホームの②番線ではなく、橋を渡って①番線ホームだった。留置線から①番線に入線していた5両編成の
磐城平城跡の画像を見て思ったのですが、貴重な城跡が無残に破壊され宅地化されているのです。戊辰戦争で旧幕府軍として戦った平藩、城は炎上し焼失してしまいました。現在残っている遺構は、石垣・土塁・水堀であり、一部は丹後沢公園として残っており、龍ヶ城美術館があります。城跡の大半は、住宅地となってしまいました。歴史的な遺構なのに残念です・・・。今回、中心市街地活性化広場公園整備事業の一環で、城跡公園として整備する計画がされています。経験学習施設・白蛇堀・散策デッキ・展望デッキ・門・広場・アプローチ階
あの未曽有の大震災から早いもので11年たちましたその年の5月の新聞に『弘前城』の写真と共に旅行で東北を助けたいとありお出かけ好きで、お城好きな私PeachAirline就航も追い風になりGWは東北旅行する事が増えましたそこで、過去記事リンク集を投稿したら文字数制限で投稿出来ず…やむおえず分割投稿に今回は後編です2014年5月https://ameblo.jp/inuyama-1970/entry-11841441239.html『磐城平城!!』写真
最近疲れているのか、電車で4駅ほど乗り過ごしました(汗)しかも快速・・・。さて今回は、現在の福島県いわき市にあった城、磐城平城です。磐城平城跡は、いわき駅北口からすぐといいますか、いわき駅がそもそも磐城平城跡の一角にありますので、非常に表現が難しいですね(汗)いわき駅北口。JR東日本の常磐線と磐越東線が乗り入れています。福島県の浜通り南部にあり、福島県最大の都市であるいわき市の中心駅です。いわき市は1966年(昭和41年)に磐城市、内郷(うちごう)市、常磐(じょうばん)市、平市、勿
いわき市の並木通り。いわき駅南口に隣接した地区。江戸時代の磐城平城の城下町当時もこの場所には現在の並木通りの原型となる道が通っており、周辺には磐城平藩士の武家屋敷が建ち並んでいた。この場所は北側には磐城平城の内堀が、南側には外堀がそれぞれ設けられ堀に囲まれた地域で、磐城平城の「田町曲輪」が置かれた。並木通りの北側、いわき駅の隣接地では今後市街地再開発事業が行われ、マンション棟や商業・業務施設棟が建設される。にほんブログ村
磐城平城のあるところの住所は「いわき市平旧城跡(いわきしたいらきゅうじょうせき)」です。「本丸町」とか「元城町」とかは比較的よく見かけますし「丸の内」や「大手町」も(何も東京に限らず)よく見ます。でも、「旧城跡」という町名はなかなかに珍しいのではないでしょうか。全国各地でいろんな地名を見てきましたが、これだけ現状をストレートに表現した町名も珍しいと思います。磐城平城に初めて訪れようとしたのは大学2年の春のこと。サークルの春合宿でいわき市を訪れ、練習のない休養日に後輩を連れてドライブに繰り出し、
いわき市の丹後沢公園。この場所は、かつて磐城平城の内堀「丹後沢」だった。丹後沢は、磐城平城本丸の北側にあり、本丸と二の丸・三の丸との間にある内堀。築城する際に、元々あった沢をせき止めて作った。いわき駅の近くにある水と緑の空間、丹後沢公園。駅の近くにこのような場所があることは本当に貴重。昔の歴史に思いを馳せながら公園を歩くのも楽しい。にほんブログ村
今日も休みで暇なのでブログ更新します朝からドライブがてら犬の散歩に新舞子に。早朝で気温も低く爽快です一度帰宅し、自転車に乗り換え、いわき駅南口の工事現場へ。お城の遺構が出てきた旨の情報を聞いた為、見物。旅行も出来ないご時世なので近場で観光ですいわき駅のペデデッキから西方向を眺めます。遺構の調査中でしょうか、暑い中ご苦労様です。地下空間で一部石垣を観光目的で保存・・・なんて事になるといいですねその後は北口へ。こちらは病院が建設される様です。家から一番近い病院になるので、おそらくここが
いわき市、平一町目交差点。交差点左側へ続く道は平・本町通り。本町通り入口のこの交差点は十字路ではなく、鍵形、クランク状になっている。道路を挟んで右側はかつて、戦国大名の岩城氏の居城の飯野平城(大館城)の城下町、左側は江戸時代の磐城平城の城下町。戦国時代の城下町と江戸時代の城下町とでは町割りが異なるのでズレが生じて交差点が鍵形になっている。磐城平城の城下町時代には、この道沿いに外堀が通っており、現在の交差点付近には外堀を渡る土橋(土でできた橋)が架かっていた。橋のたもとには木戸が設置
いわき市、平・本町通りの二町目交差点。この交差点の信号機はサークル状のモニュメントと一体的になっていて、街のアクセントになっている。本町通りとレンガ通り(右方面)、南レンガ通り(左方面)が交わる場所にある大きな輪(サークル)。本町通りは、江戸時代の磐城平城の城下町整備に伴い作られた道。一町目から五町目まであり、沿道には商家が建ち並び城下町のメインストリートだった。城下町時代の本町通りには、町の境界となる出入口に木戸が設置され人々の往来を管理していた。一町目と二町目の境界の出
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)舞台は福島県へと移り3連発211城目は相馬中村城ですよぉ1611年に築城されて以降約260年に渡り相馬中村藩の居城として君臨巧みに利用された枡形と水堀が現在でもその名残を見て取れるという。。アクセスは常磐線の相馬駅駅から歩くこと20分弱まず北外堀さんがお出迎え言われなければ用水路って感じだわね本丸跡へ近づくにつれまして蓮池と名付けられたよりデカいお堀をしこたま拝めます城址を囲う濠面積は中々のモ
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)210城目は福島・磐城平城ですよぉ都心から特急直結のいわき駅前に位置しアクセス面で言うと難易度低めとはいえマイナーな城址でしょうな駅近とはいえ急坂を登る必要がアリ登り切ったトコが跡地らしいんだケドビミョ~な空気感満載( ̄▽ ̄)よーく見れば堀跡のようなにもみえるケド実際どうなんでしょうね↓も土塁なのか単なる崖なのか。。ビミョぉ~本丸跡への道中にある石垣も天然モノか現代モノか謎(恐らく後者かと
500城址巡りツアー🏯(東日本編・中日本編・西日本編)舞台を福島県へと移し攻城3連発まずは209城目・棚倉城ですよぉ[堅破山]→[奥久慈男体山]→[八溝山]と茨城3座登頂を済ませいざ福島へと思うたら棚倉への道は閉ざされており一旦矢祭町へと抜けまして大きく迂回し棚倉の町まで約50km17:25にようやく駐車場へピットイン九州・熊本の佐敷城を筆頭に今んトコはハイレベルなマイナー城址はて、今回はどんなもんかしら先ずお出迎えいただくのは想像以上に立派なお濠
いわき市の平・六間門付近。なぜこのような崖になっているのか?かつてこの場所には磐城平城の外堀がありました。元々地続きだったこの場所を、磐城平城を築城する際に掘り下げて人工的に堀を作ったという。現在、堀は埋め立てられ国道399号線が通っています。関ヶ原の戦いの後の慶長7(1602)年、徳川家康から磐城平藩主(10万石)に任じられた鳥居忠政は磐城平城の築城を開始。12年の歳月を掛けて築城された磐城平城は、伊達氏などの東北地方の外様大名を牽制する役割も担う堅牢な城郭となった。六間門は
大津市、「麒麟がくる」関連イベントの期間延長観光経済新聞滋賀県の大河ドラマ「麒麟がくる」大津市観光振興協議会は、ドラマに合わせて開催している「びわ湖大津・光秀大博覧会」を来年3月まで延長する...TETSUYAレコーズ、中古邦楽レコードの専門店「昭和歌謡曲が若者に人気」株式会社リフォーム産業新聞社昭和歌謡の中古シングル盤のみを取り扱うTETSUYAレコーズ(静岡県沼津市)がこのほど新仲見世商店街に開店し、若者から注目を集めている。麒麟がくる:“ラスボス感”増す正親町帝信長
いわき市の新川緑地(平・堂ノ前)のイチョウ並木が色づき秋の装い。青空と黄色いイチョウのコントラストが綺麗でした。市街地の中を東西に続く新川緑地。かつてこの場所には「新川」が流れていました。新川は江戸時代に開削され、磐城平城の外堀の役割も兼ねていました。現在は暗渠化され、地上部分が緑地公園になっています。にほんブログ村
いわき市の丹後沢公園。現在は公園になっていますが、丹後沢はかつて磐城平城本丸の北側にあった内堀でした。丹後沢に沿って遊歩道があり散策ができる。丹後沢公園は、いわき駅の北側にある水と緑の空間。市街地に隣接した場所にこうした空間があるのは貴重です。今後、磐城平城本丸跡に整備される「磐城平城・城跡公園」とも連携して地域の歴史を伝える場所になってほしいと思います。にほんブログ村
「磐城平城」の城主「内藤家」から分与されて独立した2家の「内藤家」が、それぞれ「泉陣屋」と「湯長谷陣屋」を築いたそうです。しかし、本家であった「磐城平城」の「内藤家」が「延岡城」(宮崎県)に移封となり、「内藤家」分家の2家がこの地に存続したということです。内藤家つながりで福島県磐城市と宮崎県延岡市は姉妹都市になっていますが、今後ともますます交流が深まることを願っています。
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をするシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。本日は、「泉城(陣屋)」(福島県いわき市)をお届けします。陣屋跡内の敷地に立つ「
明治維新時に東北諸藩が結成した「奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟」藩のお城紹介をしているシリーズです。当同盟は、「薩摩藩」「長州藩」を中心とした明治新政府が、幕末に「京」や「江戸」で受けた取締りの報復もあって、「会津藩」と「庄内藩」を“朝敵”にしました。新政府に“朝敵”の赦免嘆願するべく東北諸藩が一丸となって結成されたのがこの「同盟」でしたが、それを拒否されたことから「同盟」が軍事化していきました。今回は、「磐城平城」(福島県いわき市)をお届けします。塗師櫓石垣元々は