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相変わらず暑いですが、陽射しの色に変化を感じます。9月が好きです。でも同時に切ない思いが湧きます。9月は8年前に、母が硬膜下血種の手術と術後リハビリを経て家に帰宅した月。もともとバカバカしいくらい楽観的だった私たち夫婦。母はこれで数年元通りとはいかないまでも、何とか行政の手を借りて自宅生活ができると思い込んでいました。ところが、たった数週間で、最初の通院の時に再発が見られ、そのまま入院、再手術に。それでも楽観的な見方を変えなかった私たち。手術を終え、再び家に戻
本日の歩数:10119歩年初来歩数:438921歩開始来歩数:39391673歩本日のスク:50回本日の腕立:50回本日の腹筋:50回開始来スク:66300回開始来腕立:54200回開始来腹筋:33350回本日の背筋:150回開始来背筋:47400回月に一度の八幡神社の清掃。境内と178段の石段の落ち葉を掃き雑草を抜く。最近落ち葉はブロアーで吹き飛ばすので少しは楽だが、石段は吹き飛ばすだけではコケが残ってきれいにはならないと思う。し
家のすぐ裏の神社では、4年ぶりの秋祭りです。太鼓や笛の音が聞こえ、間もなくお神輿も帰ってきます。この音がすると思い出すのはやはり母の事。母が同居を始めてから、秋祭りの時はいつも神社に行ったなあ。あるいて2,3分なので母の足でも無理がありませんでした。母が硬膜下血腫、入院、手術、リハビリから戻った日が秋祭りでした。家にお神輿が近づいてきたとき、母はベッドで、「見に行きたい」と言いました。私はちょうど別の部屋で掃除機をかけていたので、「ちょっと待って」と言って、掃除機をかけ終わっ
花火大会行ってないけど笑コロナとか天候不順とかで数年ぶりの開催になった安倍川花火大会今回は花火だけじゃなくてディズニーとのコラボがありまして友達が画像を送ってくれました夜空にディズニーキャラクタードローンで作られてるんだって実は会場は私の実家から自転車で行ける距離なので行けたら良かったな(人混み苦手だけど)ところで私の硬膜下血種🆚私の自然治癒力自然治癒力の勝利でしたもう何の症状もないし再検査の結果めでたく「完治」になりました\(^o^)/
前の記事の続きです『サバの味噌煮からまさかの展開①』6月末頃からですねな〜んとなく体調がおかしくて左腕が重かったり左の脇腹が痺れるような感じだったり左足がボワッとしたり何故か左半身ばかりでも10分もしないで治ま…ameblo.jp硬膜下血種があると言われた私とりあえず総合病院への紹介状をお願いして一旦帰宅しました🏠総合病院に行くのは明日かな?明後日かな?と思いながら遅い昼食を食べ万一手術とか入院になったら、介護はどうする?とか、仕事はどうする?とか考えましたが自分ファーストで行こう
脳動脈瘤のクリップの術後、手術は成功したようですが、数日後手術してない方の脳から出血してしまい頭の中で血が溜まり、硬膜下血腫になったそうです。左の脳から出血し、その血液が頭の中で固まりかけて脳がだんだん右側へ寄って腫れてきて、脳幹を圧迫して緊急手術になり、腫れた脳の圧迫を避けるため私の頭蓋骨は半分取られてしまいました。私は緊急手術後は意識がないので、そんな事も知らずICUで数日意識が戻らず家族にはこのまま起きなければ、もうこれまでです。覚悟してください。起きても植物状態です。と言われてい
マラドーナ死す。死因は硬膜下血種手術の数週間後に発っした心臓発作。Hisspokesman,SebastiánSanchi,saidthecausewasaheartattack.Maradona’sdeathcameseveralweeksafterheunderwentbrainsurgeryforasubduralhematoma,bleedingthatcollectsintissuessurrounding
夏と秋の混じったような不安定な天気です。お買い物や、近所のイタリアンへの行き来に、家の裏手にある神社の横道のカーブを通ります。帰り道にいつも母のことを思い出します。母の健康のためと称して、母にはプラスチックや発泡スチロールを近くのスーパーに出しに行かせていました。ある日、その帰り道に、母は転倒。道がカーブしているため、向かってくる車が急に出てきたように思えて、おびえて転倒したようです。私と主人は家にいましたが、近所の主婦の方が駆け付けてインターホンで知らせてくださいま
今日も陽射しが持ちそうです。秋の貴重な一日です。家の裏手の神社は昨日・今日が秋祭り。12時を過ぎてお囃子や太鼓、拍子木の音が響きます。母はお祭りが大好きでした。元気な時は千葉一宮の玉前神社の裸祭りを見に行き、波打ち際を男衆が神輿を担いで走り抜ける姿を観たり、沖縄の大綱引き(全長200メートル近く、引手15000人だそうです)の綱を”命からがら”に引いたりもしました。裏手の神社はとても小さい神社です。100平米あるかないかのとても小さな境内の中にテキヤさんの屋台が3軒でてぎゅうぎ
蒸し暑い一日。気温は落ち着いていますが、こんな日ほど熱中症には注意です。今日は友人のお付き合いで某コンサート付きホテルでのランチパーティーへ。会の趣旨もあってか、女性の年配の親子連れのお客様が多く、同年代の娘さんらしき方がお母様らしき高齢女性をお世話しながらの姿が目立ちました。同席していた友人は、私の母が亡くなったちょうど一週間後に、長く療養生活を続けていらっしゃったお母様が亡くなられたということで、以来同志のような間柄です。感じたことを話そうかと思いましたが、彼女まで辛くさせると
東京は午後一瞬梅雨晴れと思うような陽気でした。でもこれから5日間毎日雷雨のマーク、、20日には梅雨明けと聞いたのが変わってしまったのかな。入院中の母の様子を思い起こしてみました。転倒による硬膜下血種の手術が終わり、手術は成功したもののもう寝た切りかと思っていたところから3週間ほど経ったころ。母はベッドを起こしての食事から、車いすへ移っての食事になっていました。車椅子へ移るのももちろん介助付き。トイレもフル介助でなんとか行けていました。車椅子で体がずり落ちないようにする布のT字帯よ
今日は雨は一休みです。2年前の母の死、心の準備がまったくできていませんでしたが、見る人が見れば母の死期が近いことは明白だったのかもしれません。転倒からの硬膜下血種が慢性になり、2017年の3月から手術が計4回。発症から8か月、リハビリを経て自宅に戻れたものの、3か月目に再度手術、その間、インフルエンザや原因不明の高熱もあり体力がすっかり弱ってしまった。リハビリ病院に転院となった時、前回入った病院に入れず、別の病院に入りました。前の病院の対応に感謝し、信頼もしていたので別の病院に行っ
ちょっと動いても汗をかいてしまうここ数日の天気。まだ梅雨明け前なのに。真夏が来るのが怖いです。今日、バス乗り場で、後姿が母に似ている方を見かけました。白っぽい帽子にTシャツ、パンツ姿。亡くなる3年位前、まだふっくらしていたころの母の姿に似ていました。ふっくらした母の姿を実感を持って思い出したのは久しぶり。ずーっと頭に浮かぶのはやせ細った母の姿ばかりでしたから。母は若いころからちょっと太め。身長が155センチくらいで体重が55キロくらいあったこともあります。私にも常に「お前も大人にな
腱鞘炎が続いていて、近くの接骨院に通い始めました。その接骨院はだいぶ前から捻挫や寝違えなどで通っていたところです。母も3、4年くらい前までは背中や腰の痛みで通ったことがあります。私が通うのは久しぶりで、施術中に母のことを聞かれました。昨年亡くなったことをさらっといったつもりでしたが、私の顔は相当曇っていたものと思われます。思い出すことに慣れていない思い出とぶつかるとやはりドキッとします。亡くなる1年2か月前まで、一人で歩けて、階段も登れて、トイレにも行けて、食事も一人でたくさ
今日は7年前、大変多くの方の運命を変えてしまった日。私はなんと、その時友人と暢気にもパラオにダイビングに行っており、日本にいなかったため、その危機をリアルタイムで経験していません。そのためなにも語るものがありません。ただ、祈るのみです。私個人の運命の日もやってきます。それは明日の真夜中、もしくは日付が変わった3月13日。二年前母が転倒によって硬膜下出血を発症した日。その日、私は主人と友人夫婦の4人で沖縄本島にいました。母はいつもはデイケアでお世話になっている施設のショートステ
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