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若かりしころ私は文芸サークルに所属していてその部室に失礼ながら今から思えばうだつの上がらなそうな出版社の営業の人が本を売り込みに度々訪れていて売り込んでいた本は名著復刻漱石文学館で当時で7、8万くらいしたと記憶してますがあまりに売れそうにない営業だったので情が移ったのと漱石だったら将来歳とって縁側かなにかでのんびり読んでも損はないだろうと思い購入した次第ですそれから40年ずっと屋根裏部屋に寝かしていて今日そんな時代が来たのかな
作家であり戦史研究家の半藤一利(はんどうかずとし)さんの奥様・半藤未利子(はんどうまりこ)さんの文章をたまたま読みました。現代ビジネス「大バカヤローのコンコンチキだ」!「昭和の語り部」半藤一利に対して、妻が猛激怒…思い出すのも忌々しい「深刻なワケ」(現代ビジネス)-Yahoo!ニュース彼のおかげで愛というものを知りました――。「バカ男」にして「最高の伴侶」だった半藤一利さんを見送るまでの515日が綴られた『硝子戸のうちそと』が、話題を呼んでいる。著者は夏目漱石の孫にして、「昭和new
偶然だれもいない瞬間が撮れた。清々しい。人々をおもてなしするのが生業である此処にすら、だれもいないことを清いと感じてしまうのだから、本来人というのはもうすこし遠慮して生きていくべきなのだろう。硝子戸の中。このあと、いつものように人びとが陽炎のように行き交うのをみていた。というか、行き交ううちのひとりがわたしだった。こうして一日の物語りははじまる。kanのこと叱らないでね漱石忌漕戸もりKANさんは漱石を模して撮った写真を遺影にしたそう。こめかみに手を
企画展示のある二階は写真撮影禁止ですが、一階には写真を撮れる場所があります。漱石さんもいるし。顔がよく見えないので、上からも撮りました。「硝子戸の中」の硝子戸ってこれかしら。漱石山房は晩年の住居で、終焉の地でもあるので、タイミング的には合いますね。表に出て銅像と一緒にツーショット。右側に「則天去私」の文字が。この色紙持っていて、床の間の掛け軸に掛けていたこともあったけど、どこかに行っちゃいましたね。裏の公園にある「道草庵」。
この日もワンピースでお洗濯。実はこの長袖ワンピース、夏前に買ったんですが、ずうっと暑い日が続いて今まで着るチャンスがありませんでした。さくらトラムです。このワンピース、首のところでボタンを留めるデザインですが、割ときつめです。今はどうか知りませんが、昔は旦那にするなら首の太い男を選べなんて言われました。そういう意味ではわたしは失格ですが、そのおかげでこの服が着られます。これはワンピースですが、このブランドかお店でヒロインブラウスと呼ばれているブラ
棟方志功展を終え、そうだ同じ東西線にある神楽坂か早稲田がすぐ近いと気付き、行くことにそうです。夏目漱石山房記念館へ行くことにしました。今回は、神楽坂ではなく早稲田に降りて、まずは腹ごしらえに日高屋があったので中華そばをいただく心なしか早稲田の学生のために、量も多いように感じます。いつもは神楽坂で下車し行っていたので歩いて10分ほどの道は何処に夏目坂の標識が見えました(漱石の父親が名付けた坂だという)随筆「硝子戸の中」に出て来ており
先ほど近くの夏目漱石山房記念館に行って来ました。来月10月18日〜23日、ギャラリーころころで開催の「おりがみOrigami」展のチラシを置いてもらいました。ただいま記念館は漱石の随筆「硝子戸の中」と漱石の見た東京展を開催中。そう言えば「ころころ」のあるこの夏目坂を早稲田南町にあった漱石の家から漱石が馬車で通り過ぎ、いまの余丁町団子坂に向かったという記録が残っているらしいけど詳しいことを忘れてしまった。
『硝子戸の中』(夏目漱石/新潮文庫/1952.7.20初版)私が読んだのは2001年の第84刷改版というもの。これだけ読まれている本だ。いまさら私が筋を紹介してもしかたがないから、まつわる思い出を書いておく。小学5年生の春休みだったろうか。母と道を歩いていると、向こうから級友の平野がやはり母親に伴われて歩いてくる。四角い小さなものを手にしているので聞いてみた。「なに持ってんの?」「ああ、ブンコボン」「ブンコボン?」「うん、ナツメソウセキ」「ふーん」「クサマクラっていうんだよ」「面白い?」「う
旧諏訪町(現西早稲田)から穴八幡宮の前をこの日は例祭だったのだろうか大変賑わっていました時間の都合もあり、今回は残念ながら通り過ぎる早稲田駅も過ぎ夏目坂通り交差点から数メートル先、定食屋さんの前に「夏目漱石誕生の地」石碑昭和41年(1966年)に夏目漱石の生誕100年を記念して建てられ文字は遺弟子である安倍能成氏によるものだそうです漱石は慶応3年(1867年)1月5日(新暦だと2月9日)この地に「六人の末子」として生まれました(※ほかに異母姉が二人)
ご訪問ありがとうございます。うしずのです。夏目漱石先生の作品は「三四郎」が特に好きです。文章が不思議で、読み心地は軽いのに、後からずしっと重い手応えがあるのです。その不思議な文章の秘密を解き明かしたくて、何度も読み、ノートに書き写してみましたが分からず仕舞いでした。今回は「硝子戸の中」の感想です。「硝子戸の中」夏目漱石新潮文庫最初にこの本を書店で見つけた時「あれ?漱石先の小説にこんなのあったけ?」と思いました。私の勉強不足でした。この本、小説でな
元旦をはさんで漱石の長編『明暗』を読み終えた。途中、結構退屈なところがある。話の進行がゆったりしているところから来ているのか。そして話が山場に入ってこれからというところで、未完で終わっている。その先を読んでみたいが、残念である。『明暗』のその後については、何人かの作家が書いているようだが、あえて読もうという気にはなれない。これは仕方のないことである。漱石、つぎは全集第12巻の「小品」を読んでみよう。ここには『夢十夜』、『永日小品』、『思ひ出す事など』、『硝子戸
夏目漱石のエッセイを読みました。■夏目漱石の随筆「硝子戸の中(うち)」小説『こゝろ』(1914年4~8月)と小説『道草』(1915年6~9月)の間に書かれた最後の随筆。初出:『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』に連載・・・1915年1月13日~2月23日(39回)。単行本:岩波書店1915年4月刊行。文庫本:新潮文庫1952年7月刊。硝子戸の中(新潮文庫)Amazon(アマゾン)1〜4,200円□あらすじ「漱石山房」(1907~16年の死没までの最期の9年間
おはようございます。今や国民的文豪のデーツ枕流こと、トリです(デーブ大久保の親戚ではありません)。寒い日が続いている。こんなに寒いのに、地球温暖化しているなんて、冗談にしか思えないが、おそらく多くの社会問題がそうであるように、地球温暖化していてくれないと困る人たちが多いのだろう。かつてある医薬品メーカーでは、社内に、「新しい病気を創造せよ」というスローガンが張り出してあったという都市伝説があるが、地球温暖化も都市伝説の類かもしれない。しかし、寒いからと言って、うちの中でぬく
久々の夏目漱石。夏目漱石「硝子戸の中」夏目漱石のエッセイ。全体的なテーマとして「生と死」を考えてる。やはり時代もあると思うが考察が独特である。講談師の名前がいっぱい出てきて我得。読了。
ひつぞうの偏愛的読書【30】夏目漱石著『硝子戸の中』(新潮文庫)1968年改版(1915年『朝日新聞』初出)(一部ネットよりお借りしました)※この季節の恒例行事と化した備忘録。興味ない方はスルーしてね。こんばんは。ひつぞうです。とある出来事をきっかけに漱石晩年の作品を再読しました。★★★ふた親を喪っている僕にとって、家族と呼べる存在はおサル唯ひとり。それは夫婦というより、遠慮がいらない最良の友のようなものである。だからだろうか(多少の小競合いはあっても)無駄な軋
←『夏目漱石全集〈12〉』(角川書店1974年)「道草」「硝子戸の中」「私の個人主義」「津田青風君の画「点頭録」「『硝子戸の中』自序」「日記・断片」「書簡」「同時代人の批評」「解説:吉田精一」「作品論:安岡章太郎」「注釈」お茶をがぶ飲みするせいか、夜中にトイレ。すぐに眠れる時もあるが、妙に寝付かれないことも。幸い今日は仕事の日じゃないので、眠くなるまで本を手にすることができる。ちょっと嬉しい。雪搔きなどでこれほどハードワークしているのに、体重が一週間余りで1キロ増えた。何故
硝子戸の中(新潮文庫)/夏目漱石日本を代表する明治の文豪である著者の随想集です。ここに収められた随筆の数々は、大正4年に朝日新聞に掲載されたもので、39回にわたって連載されたものです。著者が書斎の硝子戸の中で過ごしている間に思い浮かべた、訪問客のことや家族・親族のこと、飼い犬のこと、作品の愛読者と称する人たちのことなど、常に心に潜めている厳格で辛辣ともいえる著者の正直な思いととともに書き連ねています。一つ一つがとても短いものばかりなので、あっという間に読み終えてしまいましたが
雑読・乱読は中学・高校のころから一貫してかわらない。ポール・オースターの次は、漱石の自伝的随筆「硝子戸の中(うち)」を再読した。漱石は49歳で他界した。死因は胃潰瘍だが、遠因は朝日新聞による漱石酷使だろう。朝日との契約は年一回長篇の連載を義務づけ、さらに短篇・随筆も朝日に縛られていたのだから、それは寿命を削られるだろう。朝ドラの脚本を半年に一回、のみならずショートドラマともなれば…心身の消耗度の想像がつくのではないか?職業作家としで成功したひとたちは、漱石への価値判断がだいたい改ま
sode-sanです。もともと、私の読書は多読と精読のミックス。これまでブログで紹介してきたのは、ほとんどが成功哲学やライティング、インタビュー関連のノウハウ系の本。しかも、平日に読んでいた本でした。実は、週末にはジャンルがガラッとかわり音読&多読しています。といっても、合間の時間での音読ですから1回あたり4ページ前後。それを4セット前後繰り返したら別の本に移っていくという感じです。並行して読んでいる本も10冊近くはあるのでそれぞれで毎月せいぜい30頁
映画それから三千代役の藤谷美和子数十年も忙しいばかりの仕事を続けてきた。仕事がすっかり片付いて「手元にはひとつもない」事態はほぼなかったのだが、さすがのコロナ禍の前に無聊をかこつことになった。ただ暇とのつきあい方にも慣れてくると、逆に(困ったことに)今度は仕事をするのが億劫になってくる。夏目漱石の随筆「硝子戸の中(1915)」は、病後の漱石が何をするでもなく部屋の〝硝子戸の中〟から変わり映えもしない外の景色を介しながら、思い出すことどもを徒然に綴っている。読んでいるとつげ義春を
[公式ハッシュタグに2個ランクイン][公式ハッシュタグに2個ランクイン]2・1付け公式ハッシュタグランクイン記事一覧#サボテン最近、雪だるまつくった?17位最近、雪だるまつくった?2020-01-3013:00:00テーマ:dの本リブブロ飴ネタリブxマス正月公式ハッシュタグランキング:サボテン17位みんなの回答を見る最近、雪だるまつくった?ユリの木の下で13分前最近、雪だるまつくった?最近、雪だるまつくった?作らない↓雪が無
今一番のリラックスプレイス。ソファーのひじ掛けと背もたれの間のすきま。この態勢でまどろんだりわたくしの様子をうかがっております。落ち着くらしいです。そしておやつなう。いつものようにレンジでチン。待ってましたのいただきます!顔が長くなってるぅ~😋石焼き芋のような味わいでした。「姫あやか」どんな思いで命名されたのかな。お姫様をイメージしたのかな。かわいらしいね。ところでわたくしはドラマをほとんど見ないのですが「テ
3連休の過ごし方を書こうと思って記事にしてきたのはいいけれど、最終日の3日目のことを書くのを忘れていました。別に残しておかなくてもいいかなとは思ったんですが、ちょうどこの日はあるイベントに参加していました。それは、SALOONメンバーのIdさんが主宰されている読書会です。かれはビブリオ・セラピストの肩書を持つ読書家で、彼が主宰する読書会には昨年から数えて3回目の参加になります。場所は私がお世話になっているSALOONで、Idさんを含む8人が参加されました。小説は私を含めて3冊ほどで、あとはビジネ
私は本来、明るい性格なのですが、仕事などで嫌なことが続くと、けっこう落ち込むこともあります。人生は自分の思うようにはいかないものだというのも年相応にわかるけど、このままでいいのかな?とも思います。ではどうしたらいいのかを考えます。考えても考えてもわからないこともあるけど。夏目漱石の「硝子戸の中」より自分がこれまで経験した悲しい歴史を書いてくれないか?と頼みに来た女性の話が書かれています。「夜が更けたから送っていってあげましょう」「先生に送
2018年6月上旬の池袋・雑司ヶ谷・早稲田歴史散策の続き。「穴八幡宮」をお参りした後は、「夏目漱石誕生の地」に向かいました。穴八幡宮のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12530717288.html「穴八幡宮」から地下鉄東西線早稲田駅に戻り、地下鉄早稲田駅前交差点を右折すると、左手に「夏目漱石誕生之地」という石碑があります。夏目漱石は、この場所で生まれたのか~「夏目漱石誕生の地」の由緒書き。夏目漱石(本名金之助
『夏目漱石の妻』DVDで興味を持ってこちら読みました夏目房之介って漫画解説でよく見る夏目漱石の長男、純一の息子なのね「漱石の妻」で最後の方生まれていたお父さん純一は、漱石の遺産で大正昭和初期にヨーロッパを外遊したとは!会ったこともない漱石の孫と呼ばれるコンプレックスを感じていたなんて話題にして楽しんだらいいのにって思うけどそういうわけにはいかないのね海外では漱石、そんな有名じゃないんだ漱石の妻=おばあさんは長生きで房之介は実際会ったことあるそうで気
今日はサツマイモの日今日はサツマイモの日芋堀りしたことある?有る其れはどういうことかとたずぬるば一軒家の時ね空いてる処が有ったので植えたやり方判らないけど葉の付いた茎を買って来て斜めに寝かせてって教わってややっ葉が伸びる伸びる獲りいれの時に成って葉っぱばかり一杯ででも引っこ抜いたよ其れらしきところを幾つもほれなかったけどってちゃんとしたのは小さいのが1個だったかな蒸かして美味しいよ何て美味しいんだ此れが薩摩芋だね
2019年10月13日日曜日漱石(そうせき)最後の随筆、「硝子戸の中」(がらすどのうち)、病身の漱石の、日常生活、綴った、短編集、49歳で、亡くなる漱石の、最晩年の随筆、「硝子戸の中」の、文体のそこかしこ、私の、心境に、ピタリと、はまる、文章表現、秋の夜長、蛍光灯の、枕元、出会っ
句が詠まれた状況が分かっているということである。これは才色兼備の閨秀作家であった大塚楠緒子への手向けの句なのである。つい「才色兼備」と言ってしまったが、漱石自身も『硝子戸の中』(二十五)などでその美しさに言及しているということを一応付け加えておく。堅物面の漱石にしてはちょっと艶っぽい話である。そこがまず面白いのであろう。そして二つ目の理由は、この句自体が持つエネルギーの大きさである。当該句においては「投げ入れよ。」であるから、二句切れということになる。こういった句切れが重要なのは、リズムを整
こんにちは👋😃人生において幸せとは何なのか?有名になることなのか金持ちになることなのか人によってそれぞれですが、有名人が語った言葉を見てみると、そういったことが必ずしも、幸せに繋がるとは限らないようですビートルズのリーダー、ジョン・レノンは、「ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、そして何も無いことを知った」と言っていたそうです文豪夏目漱石も、死の前年、最後の随筆『硝子戸の中』で、「今まで書いたことが全く無意味に思われ出した」と記したそうですやりたいことをや