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本日は、奥様と娘が来年1月に閉店が予定されている髙島屋堺店に買い物があるそうで、ちょっと行ってきました。「髙島屋堺店」(引用:HP「南海電気鉄道」)この百貨店は、南海高野線堺東駅ビル「南海堺東ビル」に、昭和39年10月からキーテナントとして入居していますが、令和2年度から赤字が続いていたことから閉店することとなりました。政令指定都市である堺市内で最も乗降客数が多い堺東駅の駅ビルでも、経営状態は良くないんですね。以前は駅前ロータリーの向かいにあったスーパー「ダイエー」も、現在では
昨日は、年明け初の買い物に大阪・堺市美原区の「ららぽーと堺」に行ってきました。令和7年1月2日の「ららぽーと堺」初めて行ったのですが、巨大な建物で多数の店舗が入っているものの、キーテナントとなるスーパーがなく若干高級感のある店舗が多いため、見学と食事をした後に、結局同じ堺市の「イオンモール堺鉄炮町」に行き、イオンで少々買い物をして帰ったので、丸一日使ってしまいました。今日は、家の片付け(書籍の整理)を少々頑張りましたが、手に取っては開いてしまうので、なかなか進みませんね。
砲艦橋立です。ちっちゃい戦車の付いためずらしいキットです。姉妹艦宇治には飛行機が付属するようです。戦車の方にもピントを当ててみたが、あんまりわからんですね。船はニュートラルグレーで、戦車は木甲板色でそれぞれエアブラシ。簡単仕上げです。次回はタミヤの戦車の完成品を上げます。おやすみなさい。
アオシマの軍艦を作ります。「砲艦橋立」パッケージには手前に戦車が描かれています。ちょっといつもと違う感じです。で、その戦車はパーツが用意されてます。どこにあるかわかるかな?チャチャっとくみました。ホントはホークT.1を進めてたのですが、どうもやる気が落ちて。違うのやってみました。かなり小さめの船です。「砲艦宇治」と一部パーツを共有してるようです。橋立は第二次大戦で沈んだそうですが、宇治は戦後中国に接収され、1979年まで運用されたそうです。船の歴史も様々です。では、ホ
前回アップした出張は、金沢で前泊し、翌日は朝8時に金沢支店から車で白山市内の会議会場へ移動します。到着したのはココJR西日本・白山総合車両所白山総合車両所は、北陸新幹線の車両基地です。中も写真を撮ったのですが、企業秘密がありそうなので。午前中に会議を終えて、金沢駅に移動し昼ご飯。8番らーめん・金沢駅店の「酸辣湯麺」金沢名物「8番らーめん」。この麵結構美味しかったです。午後は、どこかに行こうかとも思いましたが、天気が心配だったので、そのままサンダーバードに乗
2月になりました。この週末は仕事をしなくても済みそうなので、歯医者に行きました。外に出ると風がものすごく冷たい!早々に帰宅しました。前振りとは全く関係なく、今回は今から78年前にあたる昭和19年の今日、2月5日に生涯を閉じた砲艦について、取り上げてみたいと思います。その砲艦は、米国海軍が中国大陸・揚子江で使用するために、上海の江南造船所で大正15年11月に起工され、「ルソン(PG-47)」のうえ昭和3年6月に竣工します。なお、すぐに艦番号が「PR-7」に変更されます。【要目(
アオシマ1/700日本帝国海軍勢多型砲艦堅田/保津完成~♪砲艦勢多型について砲艦「安宅」と同時期に計画建造された河川用小型砲艦。八八艦隊計画では主力艦以外の補助艦艇建造も多数計画されており、当艦もその計画内で建造されたものである。内地の造船所にて起工・組立を行った後に部品単位に分解して大陸へ舶送、現地にて再度組立を行って竣工している。したがって内地ではドック内から出ることも無く、進水も行っていない(航洋性の無い河川用砲艦なので完成後に内地へ姿を見せたことも一度も無い)ため内
今回は、砲艦「橋立」を取り上げます。帝国海軍で最後に建造された大型の砲艦で、航洋可能で大陸沿岸の警備を主目的としたものでした。「橋立」といえば、日本三景のひとつ「天橋立」ですよね。当然艦名も「天橋立」から採られています。日本三景「天橋立」(引用:Wikipedia)(663highland-投稿者自身による作品,CC表示2.5,https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12637624による)「橋立」は昭和12
GWも終わってしまって、今日から通常業務準夜週間の始まりでした今日は珍しく平穏無事な日勢田型砲艦3番艦保津、完成あー眠いぞ(+.+)(-.-)(__)..zzZZ今日はコナモンの日最近コナモン食べた?これはコナモンに入るのか?柏餅は食べた▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
今回は、戦利艦について取りあけてみます。帝国海軍では、日清戦争および日露戦争において、敵国の艦艇を捕獲し戦利艦艇として帝国海軍籍に編入し、実際に戦力化しています。その中でも有名なのが、日清戦争での戦利艦「鎮遠」です。当時の清国海軍の主力艦で、明治27年9月17日の黄海海戦で大火災を起こしたものの、清国海軍・北洋艦隊の基地である威海衛へ帰還しますが、12月24日に威海衛沖で座礁してしまいます。明治28年2月5月14日には威海衛の北洋水師の降服に合意し、17日には威海衛に在泊していた艦艇
今日は通院のため有給休暇を取りました。医者に行く以外は家にいたのですが、何となくバタバタと一日が過ぎてしまいました。少しもったいなかったかも。世の中には変わった艦艇もたくさんあります。海上自衛隊では、潜水艦救難艦の「ちはや」の中央構造物などは変わった形態をしていますね。令和2年11月21日・呉における潜水艦救難艦「ちはや(ASR-403)」変わった船型を持つ艦艇の中でも、特に変わった形をしている砲艦が明治初期のロシア海軍にありました。その名を「ノブゴロド」といい、小さく浅い吃水
アオシマ1/700日本海軍砲艦橋立です。“I.J.N.GUNBOATHASHIDATE”組み立ての続きです。細かいパーツが続きます。画像中、艦首側から、菊花紋章、旗竿、マスト(前)、方位測定器、マスト(後)、探照灯(クリアパーツ)、測距儀、プロペラガード、旗竿、などです。案の定、マストのパーツも切り出しが難しく、また折れてしまいました。取り敢えず、ゆっくり歪みを直して、何とか取り付けています。老眼にはツライですが、
アオシマ1/700日本海軍砲艦橋立です。“I.J.N.GUNBOATHASHIDATE”組み立ての続きです。気を取り直して、仕切り直しです。今回は、武装の装着と、例の、折れたパーツの取り付けです。まぁ、何とかなるでしょう。船体に取り付けたところ。パイプは、修正しながら、騙し騙し取り付けています。武装は、艦首に12cm連装高角砲、艦尾に同単装砲、艦橋前、後マストに25mm連装機銃を装備しています。
アオシマ1/700日本海軍砲艦橋立です。“I.J.N.GUNBOATHASHIDATE”組み立ての続きです。!次に進みたいのですが、こりゃヒドイ。煙突に付けるパイプが、折れています。このランナー自体が歪んでおり、マストも踊っています。箱を開けた状態では、パーツも少なく、どちらかといえばスカスカで、圧迫されて歪んだのではなく、成型不良と思われます。今日はやめとくかな…(>_<)続く。青島文化教材社
アオシマ1/700日本海軍砲艦橋立です。“I.J.N.GUNBOATHASHIDATE”組み立ての続きです。組み立てた艦橋などの構築物を、船体に取り付けていきます。気になったところは、予めヤスリなどで修正していますが、そんなに神経質にならなくても、良いのかもしれません。船体に取り付けたところ。案外、カッコいいです。橋立は砲艦ですが、目的を持った兵器は、特化したデザインが多いので、魅力的です。塗装を考えると、
アオシマ1/700日本海軍砲艦橋立です。“I.J.N.GUNBOATHASHIDATE”組み立ての続きです。次は、艦橋の組み立てです。今時のウォーターラインは、こんなに細かいの?って感じです。しかし、艦橋部分にクリアパーツを用意するのは良いのですが、ランナーから切り出す時に、割れてしまいました。直すのも、結構、シンドイですね。艦橋部を組み、煙突などの構築物も組んでいきます。小さい艦とはいえ、側面のディテー
アオシマ1/700日本海軍砲艦橋立です。“I.J.N.GUNBOATHASHIDATE”久しぶりに、船でも組んでみます。ストックから、この橋立をチョイス。心のリハビリを兼ねていますので、組むだけになるかもしれませんが、取り敢えず。先ずは船体。小さいので、まさかでしたが、艦底が反っていました。手で、ゆっくり直していきます。組んだところ。甲板は反っていませんでしたから、その後の作業はスムーズでした。
関西には艦艇の名と同じ名を持つ駅名が多数あります。特にJR神戸線(東海道線・山陽線)には多くあります。須磨から並べてみると、須磨(巡洋艦・砲艦)-塩屋(給油艦・艦名の由来は福島県・小名浜の塩屋埼)-垂水-舞子(砲艦)-朝霧(駆逐艦)-明石(巡洋艦・工作艦)-西明石となり、由来の違いはあれ7駅中5駅が艦名に当たります。その他にも大阪(大坂・創世期の艦)、さくら夙川(駆逐艦桜)、摩耶(砲艦・巡洋艦)があります。今回はこの中でも、最もマイナーと思われる艦・「舞子」を取り上げてみます。「舞
大阪に千早赤阪村という村があります。Wikipediaによると、令和2年5月の推定人口は4,865人、大阪府で唯一の村です。大阪府の最高峰であり、帝国海軍創世期の主力艦や、超弩級巡洋戦艦の艦名に採用された「金剛山」を中心とした「金剛生駒紀泉国定公園」があり、南北朝期の武将「楠木正成」ゆかりの神社や史跡が多々あります。このうち、楠氏の居城であった「千早城」を艦名とした艦が存在します。いわゆる水雷戦隊の旗艦的な役割で、水雷艇を援護し自らも攻撃に参加する艦として明治29年度に計画され、横須賀造
イタリア海軍モニター艦ファー・ディ・ブルーノ(1:400スケール)ペーパークラフトフリーモデル(JesusLopez氏HP「Losbarcosdepapel」)艦船モデルを再開する前のリハビリのフリーモデル作成という建前の割にはキワモノになりましたがイタリア海軍モニター艦「ファー・ディ・ブルーノ」完成です1910年代イタリアは38.1cm砲を搭載した超弩級戦艦の建造を計画1番艦の起工、というタイミングで第一次世界大戦が勃発したため計画自体は白紙化しましたが主砲である3
イタリア海軍モニター艦ファー・ディ・ブルーノ(1:400スケール)ペーパークラフトフリーモデル(JesusLopez氏HP「Losbarcosdepapel」)昨日は日記をつける前に寝落ちしたので二日分まとめて進捗記録覚え書きが主目的のブログなのでその日の作業は記憶の新しい内に書き留めておきたいものです煙突と対空機銃の台を製作JesusLopez氏の公開モデル全般のようですが筒状に処理する部品の型紙が実際の必要サイズよりかなり余分に設定されています正解は
前回取り上げた「宇治」平等院鳳凰堂に参拝した後は、「伏見」の伏見稲荷大社に行ってきました。コロナウイルスの影響か、外国人観光客の姿はほとんどなく、比較的静かな観光地でありました。伏見稲荷大社の楼門千本鳥居「伏見」の名を冠した艦艇は、前回の「宇治」と同じく「砲艦」に二代にわたって命名されています。「伏見(初代)」は、大陸・長江流域での権益保護の必要性から計画された帝国海軍初の本格的な河用砲艦でした。「河用砲艦」とは、主に長江・ライン川・ユーフラテス川などの大河に配備され、
コロナウィルスによる外出自粛が続いてますが、屋外の施設という事で京都の南部・宇治と伏見を回ってきました。さすがに三連休の中日で転機も良いという事もあり、外国人観光客はほぼ見掛けなかったものの日本人観光客でそれなりの人出のようでした。平等院鳳凰堂そういえば「宇治」と言う名を持った艦艇がいたなぁ。と思い、調べてみました。帝国海軍時代に2隻の砲艦が存在しています。初代「宇治」は、日清戦争後の大陸との貿易量の増大と権益拡張を背景に、帝国海軍最初の外地警備用の砲艦として明治34年度に計
今回は、久しぶりのウォーターラインです。アオシマ1/700日本海軍砲艦橋立です。“I.J.N.GUNBOATHASHIDATE”この「橋立型」は、それまでのアンバランスなシルエットを持っていた沿岸用砲艦とは異なり、通常艦艇と同様な均整の取れた艦形となりました。同艦は河川のみの運用ではなく、沿岸部を中心として通常艦艇と同様な活動を行うことも考慮されており、砲火力の強化と航行能力の向上が図られているのが特徴となっています。航空機攻撃の可能性も高
今回は、帝国海軍の艦艇としては聞きなれない名前を取り上げます。その名は「飛鳥」と言います。「飛鳥」という名は帝国海軍の艦艇類別を定めた「海軍艦艇類別標準」に記載された「艦艇」には見当たりません。その名は「雑役船(交通船)」に存在するからです。明治初期の艦艇などに採用されてもおかしくない響きを持つので、私自身最初に見たときには意外に感じました。では、「飛鳥」の艦歴について確認してみましょう。本船は国内で建造されたものではなく、中国・上海の上海江南造船所で建造され、中華民国の砲艦「永健
昨日の投稿の一覧表の中から、今回は砲艦「須磨」をピックアップしてみましょう。砲艦「須磨」は艦名としては二代目です。「須磨」は、大正4年に英国のサンダーランド社で建造された英国海軍の河用砲艦(河川での運用を目的とした砲艦、吃水が浅く大きな河川では上流まで遡上することができる)で、「インセクト(虫)」級の9番艦「モス(Moth,蛾)」として就役しました。元々、第一次世界大戦の際にドナウ河作戦に使用するために建造され、大正9年以降は香港に派遣、その後は極東で活動することとなります。【「イン
おう、そのタイトル、関西人大激怒やでえー、というわけで、英空母ハーミーズ付属の砲艦須磨を作ってみました。えー、砲艦須磨はですね・・・元々はイギリスのインセクト級砲艦モスでして、それを日本軍が鹵獲して中国戦線で用いたものです。どうでもいいけど虫級ガって・・・まだフラワー級コルベットのほうがよさげやな対空兵装を強化したりして1945年まで生き延びましたが、機雷に接雷して沈んでおりますのん。砲艦、なかなかよさげです。場所取らんし、