ブログ記事1,165件
今日は大島砲台前方に配備された電燈所を見に行きます。大島砲台の記事はこちら。*****************************下関要塞探訪156~大島砲台その1(砲座/砲側庫)下関要塞探訪157~大島砲台その2(観測所/宗像大社紹介)下関要塞探訪158~大島砲台その3(規正標柱)*****************************大島電燈所は射光機(探照灯、サーチライト)による夜間時の警戒と加農砲の射撃補助を任務として、砲台の北西200mの標高11
その3では、砲台の観測用に設置された規正標柱を紹介します。大島砲台の記事はこちら。『下関要塞探訪156~大島砲台その1(砲座/砲側庫)-書換-』宗像の大島には10回以上渡島していますが、砲台の記事は4年前に書いて以来更新していませんので、この度全面的に書き直します。*****************…ameblo.jp『下関要塞探訪157~大島砲台その2(観測所/宗像大社紹介)』その2では、観測所の再訪記を書いた後で宗像大社を紹介します。その1の記事はこちら。『下関
その2では、観測所の再訪記を書いた後で宗像大社を紹介します。その1の記事はこちら。『下関要塞探訪156~大島砲台その1(砲座/砲側庫)-書換-』宗像の大島には10回以上渡島していますが、砲台の記事は4年前に書いて以来更新していませんので、この度全面的に書き直します。*****************…ameblo.jp**************************観測所は砲座を見下ろす高い位置に設けられています。では入ります。スリット上の観測窓と観測
やることが無くなったので、ホームに。こうなることが分かっていれば、違う誘いがあったのであるが。。。。。ラウンドが終わるまで、朝から夕方までパン2個。なんという小食であるが、かなり良くなってきた。さて、ホームで久々に知人のメンバとラウンド。BTで。簡単に。今回はアプと、実はクロスハンドを今回試すこと。クロスハンドは急に思いつき。前夜に練習し。やっぱり、逆オーバーに比べて、助けてくれるグリップの一つであるが、クローに比べて両手の配分を持てるという
宗像の大島には10回以上渡島していますが、砲台の記事は4年前に書いて以来更新していませんので、この度全面的に書き直します。***************************「大島」は福岡県宗像市神湊(こうのみなと)の北西約6.5kmの沖に浮かぶ島で、「筑前大島」、「宗像大島」とも呼ばれています。約500人が住む周囲約15㎞の島ですが、大東亜戦争中には陸軍の砲台や海軍の防備衛所が置かれていました。昭和15年の下関要塞砲台配置図で場所を確認します。大島全景。大島は響灘と
カミさんがツツジを見に行きたいって言うので音頭の瀬戸へ普通に水平に撮った方がいいか。高烏台へ行ってみた。平の将門が一夜にして音頭の瀬戸を開いたってそんなばかなっって話なんだけどとりあえず言い伝えだから。使われる事のなかった砲台。戦争は最大の無駄だ。音頭の瀬戸にかかる橋二つ。第二(手前)が新しいんだけど、第一(奥の赤い橋)はぐるぐる回って高さを稼ぐから車で通るのは少ししんどいかな?ツツジで有名。連休のスタートはあまりスッキリとした天気では無いけど、仕事しなくていいのは
ドライバーは、良くも悪くも。前半は、左ちょろがでた。数ホール。これは、出前持ちになったまではいいが、切り返しで左軸に入るのではなく、いきなり手が出たことが原因だと思う。スライスが出るのもこれが原因だと思う。出前持ちからの左軸、みぞおちしっかり入れての左軸を意識する。パターは、序盤にもっと早さを認識すべき。他のゴルフ場では、上からは絶対早い。しっかり寄せることを意識する。1メートル以内をしっかり打つのはいいけど、10メートル以上は、寄せに行くことを考えないと。グリーンを
4年ぶりに再訪した小呂島ですが、一番の目的は電燈所を探すことでした。電燈所は射光機(探照灯、サーチライト)による夜間時の警戒と加農砲の射撃補助が任務でした。要塞砲台に付属設備として構築され、小呂島にも砲台北方島端高地に設けられたことが史料に書かれています。地図で確認します。電燈所の正確な場所は不明ですが、「砲台北方島端高地」は北端にある標高44mピーク以外に考えられませんので、砲台から北に向けて伸びる交通路を辿ってみました。途中から激ヤブになり道をロストする場面もありましたが、
先日、4年ぶりに小呂島を再訪しましたので砲台の記事を書き直します。小呂島(おろのしま)は玄界灘に浮かぶ福岡県西区に属する島で、姪浜渡船場から北西約40㎞の位置にあります。150人ほどが住む有人島ですが、戦時中この島には陸軍の砲台と海軍の防備衛所が置かれていました。壱岐要塞の砲台位置図で場所を確認します。島に渡るには福岡市の姪浜渡船場から市営渡船に乗船して65分の船旅となります。日帰りできるのは火、木、土、日で、往路は姪浜・午前9時発、復路は小呂島・午後1時20分発の一便のみです
土曜日に結局また舞鶴まで行きましたー笑っ戦艦を見学できるのは土曜日だけだったので…赤レンガパークに車を止め、係留所まで歩きます(15分くらい)受付で住所、年齢、何人できたかを記入します(代表者のみ)299家族目〜あとひと組あとなら、300やったな〜本日の見学船は護衛艦ふゆづき‼️↑砲台‼️意外と小さい…↑ファランクス艦内を通り、後方のカタパルトへここからヘリが飛び立つみたいです‼️カッコええなぁ〜今日は珍しく若い女性隊員のかたがいてましたいや普通にかわいいんです
こんにちは。今日は大分気温が高いです。散歩すると汗ばむくらい。艦体と船体私のブログでは、艦体という単語を使っています。艦尾、艦首、艦舷、艦橋など、軍艦の部分を表す単語には「艦」が用いられます。同様に、軍艦の船体なので艦体と言う単語を使いましたが、どうやら誤りのようです。正しくは船体とのことです。艦体は艦隊と同音であり、誤解する可能性があると言う理由から、船体と言う単語を使うのだそうです。このブログでは今後、船体と言う単語を使うことにしました。前回までの赤城左舷側はだいぶ完成に近づきま
ウェザーステーション近くにあったこの建物父島要塞大村第二砲台・兵器格納庫だったようですいろいろと行きたいところ旦那さんが連れてってくれたありがとう
その2では地下発電所から見ていきます。発電所は地下に造られています。内壁には迷彩が施されていますが、その1で紹介した迷彩建物とは違ってこちらは鱗状になっていません。間取りを描いてみました。右手に物置のような凹みがあります。左手に開口部があるので入ってみると...。デカくて深い貯水槽が現れました。貯水槽の内壁に鉄製の梯子が残っています。左側に土管と奥の壁に丸い穴があります。丸い穴の地表露出部分はおそらくコレ。こんなところにも迷彩が施されてお
今日は壱岐島の南西に浮かぶ長島に構築された長島電燈所をレポートします。**************************長島は大島、原島とともに渡良三島を構成しています。3島を巡るフェリーが壱岐の郷ノ浦港から出ていますが、長島と大島は珊瑚大橋で繋がっています。地図で場所を示します。壱岐島から見た渡良三島です。長島から大島に架かる珊瑚大橋を見ています。*********************************長島電燈所は射光機(探照灯、サーチライト)によ
今回は、「ご自身の安全を守るために、お読みいただくことを、強くお勧めします。」脅迫メールが来ました。昨日と今日の2回届きました。件名が、「ご自身の安全を守るために、お読みいただくことを、強くお勧めします。」で、本部の出だしが、「こんにちは。大変~・・・・」となっていました。これは、間違いなく脅迫詐欺メールだと思いました。前にも書きましたが、私は、プロバイダーのWEBメールを使用していますので、開かない限りメールの件名と本文の一部が表示されています。なので、すぐ削除しました。それでこの件
その3では穹窖砲台をレポートします。昭和20年(1945)になると本土決戦が現実味を帯びてきたため、露天砲座に配備されていた沿岸砲台の火砲を洞窟に移す作業が各地で行われました。壱岐要塞界隈でも作業が進められましたが、『壱岐要塞兵備資料』には「十五加砲台(名烏四、渡良四、生月ニ)は火砲を洞窟内に収容し射撃準備を完了し附属坑道を構築中にして九月十旬完了の予定なり」と書かれています。洞窟砲台=穹窖砲台は第4砲座周辺に2つ現存していますが、上記史料では渡良大島砲台の4門すべてを洞
めちゃくちゃお天気が良い日に英駐在時代お世話になったM氏にお誘い頂いてM氏のホームコースの中津川カントリークラブでラウンドして来ました。『もう散っちゃったかな。』と思った桜も満開で皆感激してお花見ラウンドになりました。が・・・ガードバンカーにがっちりガードされたグリーンが難しくて。止める球を打たないとグリーンに乗せてもコロコロオーバーするし、手前にと思えばガードバンカーもしくは砲台気味のグリーンで戻って来るとか。もう泣きそう。
今日は何の日~(*^^)v(笑)今日はパンの記念日だそうです。日本でのパンも歴史があります!!1842年・・・天保13年だそうですが(笑)4月12日!日本で初めてパンが焼かれたそうです。パンを焼いたのは、静岡県の伊豆韮山の代官であった江川英龍という幕末に活躍した人物だそうです・・・・ん~知らん(苦笑)この方は!!沿岸警備の強化を幕府に訴えた方だそうです!あのお台場を作った人だとか(*^^)vそんな方が??パン(笑)黒船に乗ってやってきたペリーは、お台場に作られた砲台を見て・・・品川への上陸を諦め
その2では砲台左翼側を見に行きます。観測所の階段前から左翼側に向かう道があります。観測所の左斜め前辺りに用途不明のコンクリート柱が立っています。第1砲座前方にあったコンクリート柱と同型です。鉄筋が入っていますね。道が二手に分かれますが右手に行ってみます。砲側庫の出入口付近に排水溝があります。砲側庫北側出入口です。左右には石材の壁が造られていますが、右翼側の砲側庫出入口はコンクリート施工でした。なぜ異なる造りなのでしょうね?右翼側の砲側庫のコンク
ショートゲームレッスン今回は振替ホームコースで左足上がりからのショットが刺さっていたので、左足上がりのホール面だけ合わせてアウトに引いてインに振っていたら良い時は良いけれどほとんど左に行くインストラクターが来たので「刺さるんです」と言ったら「体を傾斜に直角にするのはオススメ出来ない。左足体重でボールは足の内側くらい。ハンドファーストに構え過ぎているので、シャフトは真っ直ぐぐらい」それで打ってみたらまあまあ良い感じ「打ち下ろしはどうするんですか?」と聞いたら「左足体
4年ぶりに渡良大島砲台を再訪しましたので、ブログ記事を書き直します。渡良大島(わたらおおしま)は郷ノ浦港の沖合に浮かぶ島で、近隣の長島、原島とともに「渡良三島(わたらみしま)」を構成しています。なお現地では単に「大島」と呼ばれています。地図で島の位置を確認します。大島に上陸するためにはまず壱岐島に渡ってフェリーを乗り換える必要があります。つまり二次離島と言うわけですね。壱岐島の郷ノ浦港から定期船が1日4便就航しており、原島、長島を経由して大島までは50分の船旅となります。
前回までの赤城艦橋付近の左舷側高角砲を組み立て中です。塗料がないため、リノリウム床の塗装で足踏みしました。艦体の合体前後に別れていた艦体を組み付け、ようやく合体しました。105センチの大きな模型の爆誕です。整理が悪く、中の配線がごちゃごちゃになってます。一応、個別に巻いてあったのですが、艦体合体時にほどけてしまいました。リノリウム床リノリウム床を塗装してから、リノリウム抑えを真鍮線で再現しました。↓こんな感じです。えぇ。この段階では下の床は軍艦色のままです。リノリウム床なんですが、
昭和20年4月7日、戦艦大和が沈没しました。巨艦巨砲主義の設計思想で作られた当時世界最大級の戦艦でした。最後の出撃は沖縄沖で座礁させて、事実上の砲台として使うという目的だったとも言われています。出来上がるのに3年もかかった戦艦なんですね。大和(戦艦)-Wikipediaja.wikipedia.orgさて、戦艦大和の乗務員には罪はありませんが、色々と管理には問題があったようです。まず、戦艦大和が出撃する日が街中が知っていたこと。これはわざとやってたのかと思うくらい、花柳界は
黒崎砲台の記事は4年前に書きましたが、先月の壱岐渡航にて観測所を発見しましたので追記します。*************************黒崎砲台は壱岐島の西北端に築城された砲塔砲台です。巡洋戦艦赤城の一番砲塔を転用した四十五口径四十糎加農2門を有していました。詳細はこちらの記事にて。『壱岐要塞探訪④~黒崎砲台その1(砲台)』◆砲台名:黒崎砲台◆起工:昭和3年(1928年)8月15日◆竣工:昭和8年(1933年)2月14日◆備砲:45口径40糎加農砲2門(連装砲塔1基、
サンフランシスコ対岸からのゴールデンゲートブリッジの眺めも見どころです。ゴールデンゲートブリッジがすぐ足元に見える感じになるからです。特に,スペンサー砲台は人気です。そこは道路から歩いて2,3分のところにあるので,コンゼルマン・ロード沿いに車を駐めていきます。人気なのですごく混んでいます。ほとんどの人は10分から20分ほど見たら帰るので,駐車スペースは待っていると空きます。気長に待つことになります。
新年度が始まりましたね。電車に乗っていてもリクルートスーツを着た初々しい社会人からふてぶてしい態度の新社会人、真新しいリクルートスーツやけど…🤣まで見受けられます。さて、そんななか私の新年度は二日からでした。9時に仕事に行きまして「廃城を行く8」を読んでいるか、長椅子で寝て15時に帰りました。最後は本当に爆睡していました。これで23200円。三日は13時から仕事に行きまして「廃城を行く8」を読んで17時に帰りました。これで19800円私って本当に幸せです💖と思っていたら家に帰
2024年3月29日(金)420ヤードパー4。白ティーだとあまりおめにかからないかもしれないが、青ティーだと時々出くわす。遠い。飛ばす人でないと届かない。たとえばドライバーの飛距離が200ヤードだとしよう。残りは220ヤード。しかもそれがのぼり傾斜だとするとなお遠い。スプーンで打ってもせいぜい180ヤード。上りならばそこまでも飛ばない。三打目が50ヤードくらいの距離で残る。やや砲台になった、手前への傾斜のきついグリーンの手前にピンが切ってある。オーバーしたくない。結果、50ヤ
日暮らし日記2024年3月11日(月)東日本大震災から13年心霊スポット加太砲台跡休暇村紀州加太の手前にあります心霊スポット砲台跡和歌山市深山不気味な洞窟?がいくつかあります第二次世界大戦で造られた砲台やっと地上に出ました天国です!!つづく
その4では両翼の側防穹窖を取り上げるとともに、北端の地下にも匣室が設置された可能性について考察していきます。まずは堡塁の定義を明治期の史料から抜粋します。「堡塁とは近戦自衛の設備を備え陣地の支点又は複郭たる任務を有する防御営造物である。堡塁の形状は通常平扁なる多角形にして之に平行せる壕を設け、壕内は外岸側防穹窖又は「カポニエール」と称する特別の側防設備に依りて側防す。咽喉部も亦側防の設備を為す。而して壕内の側防には小口径速射砲若しくは機関砲を備ふるものとする。」定義の通り龍司山
昨日のロシアの攻撃、米帝のパトリオットというガラクタは役に立たず、新しいパトリオット砲台はテナントごと粉砕され2つ破壊されたようです。pic.twitter.com/WPMrKCsLiH—miya(@miya397156651)March26,2024