ブログ記事18件
毎月第一日曜にのみ一般公開される、横須賀市夏島都市緑地の、第三海堡遺構。砲台砲側庫の外側を周る。室内から小窓の様に見えていたのがコレ。↓砲弾を送り出す為の場所。裏側へ周り…↓正面から向かって右側の方へと周り込む。↓写真中央奥が、砲台砲側庫。↓軍事遺産を歩く(ちくま文庫)[竹内正浩]楽天市場“軍事遺産”をゆく旧日本軍が残した歴史的な遺構をめぐる!!(イカロスmook)[鈴崎利治]楽天市場日本の近代化遺産[正垣孝晴]楽天市場図説日本の軍事遺
毎月第一日曜に一般公開される、横須賀市夏島都市緑地の、第三海堡遺構。こちらは、砲台砲側庫。↓部屋が2つ。それぞれに扉が在った模様。↓右側から入ってみる。↓小さな窓が。↓この窓は、砲弾を送り出す為の物。錆びているが、レールが設置されている。↓左側にも入ってみる。↓こちらにも、砲弾を送り出す小窓が。↓やはり錆びているがレールが設置されている。↓【57%OFF・24限定7/2809:59迄】接触冷感&LED表示首掛け扇風機ネッククーラー羽なし軽量扇風
横須賀市指定重要文化財、第三海堡遺構。その中へ。↑この写真の向かって右手前の構造物。入口。↓ここは、指揮官の居る「観測所」。この観測所の脇には、「砲側庫」が付属している。砲側庫側に入ってみる。↓右側の小さな窓は、砲台へ弾薬を送り出す為の物。これは…?放水用ホース??↓で、ここから砲弾を送り出していた模様。↓下図、左側が観測所の構造。↓\お得な4個セット!/オニヤンマ虫除け12cmおにやんまフィギュアゴルフリアルトンボ虫よけ虫対策安全ピン
『石峰山高射砲陣地』北九州市若松区・・・石峰山の西南側尾根頂部に築かれた陸軍の高射砲陣地です。88式7cm高射砲が6門配置されてました。設置は昭和16年12月。高射第4連隊の陣地とされてます。今回紹介できる遺構は訪問時、時間が無く藪にたち込めてないので確認しやすい場所に残る一部です。とりあえずこんな場所。何らかの目的でキレイな広場となってます。車で来れるしね。藪ないし・・・ここに砲座と思われる窪みと砲側庫が残ってます。1ヵ所目・・・四駆乗りの仕業でしょうが・・・沢山のわだちが
『矢筈山堡塁』今回でおしまいです。ザックリな説明はコチラで→矢筈山堡塁・・・その①では最後になりましたが、切通部の掩蔽部です。右側が4連、左側が2連の造りです。管理棟でお願いすると鍵を開けてくれました(^^♪では、2連の方より内部を・・・奥で繋がってます。隣へ・・・色々と置かれてますが、状態は良いですね。では、反対側の4連へ・・・こちらも内部は色々と置かれてます。4連全て奥で繋がってます。扉のストッパーが確認できます。物置状態なのは少し残念ですが、管理されてるので落書
『矢筈山堡塁』その③です。ザックリな説明はコチラで→矢筈山堡塁・・・その①ほな・・・その②の続きです。矢筈山ピークへ進みます。途中・・・二ヵ所程平地がありますが、特に何も残ってません。もう少し・・・で・・・ピークなんですけど、ただの平地です。戦後、キャンプ施設になった時に広場として造成したのか?でも、外周は古い石積で囲ってるんですよね・・・謎の平地です。上ってきた場所より向こう正面には・・・石積で造られたこの平地への出入り口が残ってます。もしかすると観測施設でもあったのでし
『矢筈山堡塁』その②です。ザックリな説明はコチラで→矢筈山堡塁・・・その①第三砲座まででしたね。砲座を出て堡塁外周を左回りで進んでます。第三~第二砲座間の砲側庫が右手に見えてきます。明治期の砲台ではお馴染みの造りですね。状態は良好。小径砲の砲側庫なので小さめの造りです。出入り口左右の小窓もありません。では、第二砲座へ・・・右側が進んできた方向です。左方向に上がれば砲座です。この砲座が1番状態が良かったかな。砲床もちゃんと確認できます。2門1砲座・・・石積と煉瓦造り。即弾
【名称】金谷臨時砲台・28糎榴弾砲砲側庫【所在地】千葉県富津市【竣工】1945年頃?【訪問日】2020年3月15日おなじみ、戦跡の怖いおじさんのmaya氏とyakumo氏。おふたりが何をしているかというと、、、発見した立坑に進入を試みようというのだ。いけ、ガチマニア自称「自分はユルユルですから」のyakumoさん!無事到着!僕はヘタレなのだが、別の穴から、、、ここは、大戦末期、東京湾兵団が構築した、金谷臨時砲台に設置された28糎
やっほほほほーーーーーひ頑張れまぁー出したいブログがーいっぱいらぁーーっ今日は、ちとらけね??施設の97歳のおばあちゃんと戦争のお話をしたんだぁ。。。その頃は、中国に居たらしいんだけど。。。日本に狙われるとゆぅ。。。怖かったぁ。。。ってゆってたぁえちと広島県のここも呉『高烏砲台跡』明治34(1901)年旧陸軍が外国艦船の侵入を防ぐために、標高218mの高烏台に28センチ榴弾砲6門を装備した砲台を築きました。その砲台基礎や弾薬庫の一部と兵舎跡などが、100年以上経った今でも
『笹尾山砲台』所属下関要塞着工明治20年10月竣工明治22年9月備砲28cm榴弾砲1砲座2門×5砲座計10門任務関門海峡『大瀬戸』防備明治末期に廃止。備砲の榴弾砲は10門の内、6門が対馬要塞に送られる。その②です。観測所を後にして、最初の軍道まで戻ります。軍道を北方向に少し進み、プチ藪を抜けると・・・掩蔽部・・・砲側庫ですね。『號四第』内部は残念な事に沢山のゴミ・・・状態は良好なんですけどね。外部はモルタルで仕上げられていて、明治期の掩蔽部特有の煉瓦アーチ
『前岳堡塁』所属佐世保要塞着工明治33年4月竣工明治34年11月備砲12cm加濃砲1砲座2門×3砲座計6門(バタバタでの探索のうえ、砲座の状態が悪く、砲座の詳しい状態が把握できてません)任務佐世保市西部背面防備さて、その③です。その②で5連掩蔽部を過ぎた後の石積の先・・・からでしたね。中央部の12K砲座からです。石積の先には砲側庫・・・内部は。。。もういいですよね(^-^;そこから左へと上がるスロープ・・・左翼側でも見られた様に即弾室が並びます。ただ・・・
『前岳堡塁』所属佐世保要塞着工明治33年4月竣工明治34年11月備砲12cm加濃砲1砲座2門×3砲座計6門(バタバタでの探索のうえ、砲座の状態が悪く、砲座の詳しい状態が把握できてません)任務佐世保市西部背面防備その②です。左翼側砲座から・・・でしたよねw先にアップした砲側庫横の藪を強引に突破・・・したのは良いが、気が付けば砲座胸墻部に居てました(^^;)砲座を覗き込むが・・・藪w何となく確認できます?(;^_^A横墻部沿いに砲座に下りますが。。。とてもじゃ
『前岳堡塁』所属佐世保要塞着工明治33年4月竣工明治34年11月備砲12cm加濃砲1砲座2門×3砲座計6門(バタバタでの探索のうえ、砲座の状態が悪く、砲座の詳しい状態が把握できてません)任務佐世保市西部背面防備最初に・・・時間の関係上、時間をかけての探索ができてません。一部、藪も酷く全体の配置等が、不確かな状態です(^^;説明する配置が正確ではないと思います事をご了承下さい。とりあえず・・・軍道に残る陸防を。。。横目に、ゴミが放置されてる軍道を歩きます。堡
『面高堡塁』所属佐世保要塞着工明治30年9月竣工明治33年8月備砲斯加式12cm加濃砲1砲座2門×2砲座計4門28cm榴弾砲1砲座2門×2砲座計4門*9cm臼砲2門の備えもあったかも?任務佐世保湾侵入口防備今回で最終回となります(;^_^Aその④は・・・12cm加濃砲砲座をアップしていきます。加濃砲砲座側は、少し状態が悪く荒れた場所や破壊された場所もあります。前回でも使った写真ですが・・・観測所下の半地下掩蔽部より階段を上がった場所です。先を左手に回
『高後崎砲台』所属佐世保要塞着工明治30年9月竣工明治31年12月備砲斯加式9cm加濃砲1砲座2門×2砲座計4門任務佐世保湾侵入口防備佐世保要塞の中では比較的規模の小さな砲台で、標高も低く、すぐ目の前は海となってます。門柱はキレイな状態で残ります。門柱左手、海側には塹壕が造られてます。石積で高さは1.2~1.5m程だったと思う。海沿いに20m程続き、更に続いてる感じですが、藪が酷くて写真は無理w補修跡・・・塹壕を歩けるのはここまで・・・(^^;付近で見つけ
さて。。。少し間が空いちゃいました・・・すみません(^^;24cm加濃砲砲座側の右翼側観測所まで・・・でしたね。因みに、並びは右翼側から。。。右翼側観測所~第一砲座~砲側庫~第二砲座~第三砲座~砲側庫~第四砲座~左翼側観測所と、なってます。では、第一砲座から。砲座はスロープで一段上に設けてあります。胸墻等は石造りとなってます。即弾室の大きさが違ってるのは珍しいですね。即弾室上部には数字がふられてます・・・砲座の一段下。スロープ下部のスペースにも即弾室・・・そして砲側庫・・
その4・・・中部砲台となります。備砲は28糎榴弾砲6門です。1砲座に2門、3砲座で6門となってます。が・・・毒ガス工場稼働に伴い、送電線を引く為の鉄塔建設により右翼側砲座が1か所(2門分)と、右翼左翼の観測所が姿を消してます。。。現在は2砲座、4門分しか残ってません。砲座入口右側の平地・・・便所があったんちゃうかな?砲座方向・・・進みます・・・すると・・・7連掩蔽部が見えてきます。連続する掩蔽部は独特の雰囲気がありますよね。内部・・・奥で繋がってます。一番右側の掩蔽部は奥
大久野島に残る遺構・・・続きますwその2として、明治30年年3月着工~明治33年年6月竣工の北部砲台です。24cm加濃砲4門+12cm加濃砲4門12K(克式前進軸12cm加濃砲)の砲座よりアップします。1砲座2門、2砲座で4門となり、砲座を挟む様に砲側庫が設けてあります。砲座手前にある濾過式井戸・・・そして砲側庫・・・遊歩道沿いにあるので、低能落書きが沢山ありましたが、最近の落書きではなく古い時代の名乗り系のバカがほとんどwww12Kなので砲側庫も球状の小さなモノです。砲側庫の