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〝国境を越えた反戦・平和の闘い〟大事なのは、視点・視座【ワーカーズ二月一日号】◆国家間対立の拡大を受けて、〝抑止力〟の強化が多方面で叫ばれている。その抑止力。今、自民党や政府が使用する言葉として、〝対処力〟という言葉が加わっている。抑止力という言葉から連想するのは「未然に防ぐ」だが、対処力というと反撃力・攻撃力を意味する言葉になる。対処力の次は、軍事力か戦力か。言葉としては、軍事力の強化、戦力の強化となる。今、自維政権で実現をめざすとしているのが、憲法9条2項の改訂だ。
Ⅱ東京教研特別企画②秋のフィールドワークAコース:11月22日(土)歩いて学ぶ高尾山の自然と文化(人数制限なし)Bコース:11月29日(土)青梅の漆工房を訪ねる(定員15名)Cコース:11月29日(土)被爆体験を聞く会(人数制限なし)Dコース:11月30日(日)砂川闘争跡フィールドワーク(定員15名)Eコース:11月30日(日)せいせきの舞台・連光寺を訪ねる(定員15名)☆お申し込み・問い合わせはチラシをご覧ください☆お申し込み・問い合わせはチラシ
毎年恒例の砂川平和ひろば集会「砂川の大地からとどけ平和の声」今年は、砂川闘争70周年記念トークセッションとして2025年10月18日(土)13:40~16:30(受付開始は13:15)立川市女性総合センターアイムホールで開催されます。テーマは「基地に抗う」砂川平和ひろば代表・福島京子とひろばの仲間たちとのトークを中心に3部構成で行われる予定です。スケジュール:13:15受付開始13:40開会13:45音楽とトーク中村里美といのちの音色
ヒーリングゴスペルシンガーの戸坂純子です砂川闘争70周年のつどいに行って来ました。事務局長はYourSongs2のレコーディングでスタジオとして使わせて頂いたステッチの主宰者青木栄司さんでした。砂川闘争聞いた事はあったけれど詳しい事は分からなかった。ドキュメンタリー映画を観てこれほどまでに激しい、命懸けの戦いだったとは。在日米軍飛行場の拡張に反対して起きた運動「土地に杭は打たれても心に杭は打たれな
===================以前はよく、立川市を車で抜けて行っていました。そしてある地点で、わたしは「あゝ、ここなのだ」と、どうしようもない思いを抱いてしまいます。機動隊が、農民、学生と対峙し、しっかりと武装した警察側が、暴力により排除しようとしている幻影です。そしてその時、運転しながら、ある歌を頭の中で歌っています。声を出すことなく、頭の中だけで。「ワルシャワ労働歌」。ナチス、ヒットラーがポーランドを占領し、独ソ不可侵条約を破り捨て、ポーランドからソ連へと侵
21日、市議会議員研修会の講演終了後、『砂川現地視察』が、希望者で行われました。引続き豊泉氏に、砂川闘争の現場、平和の礎、団結爺さん(馬場源八さん)のお墓、団結横丁・小屋、砂川の歴史の井戸等について、現地を案内して頂きながら説明を受けました。ありがとうございます。砂川闘争20周年を記念して築かれた”平和の礎の碑”が、拡張予定地だった場所に、ひっそりと建てられています。何度か見た覚えがありますが、改めて感慨を深くしました。拡張予定地だった場所は、様々な事情から今尚、土地利用が中
こんにちは。今日もブログに来てくれてありがとうございます😊何気なく過ぎ去っていた事が後になって、あ!あの時の〜って繋がってくる事ありませんか?6年前の2018年。札幌の高校卒業を前に、東京の大学を目指した息子の部屋を2ヶ月も前に選んで準備してしていたのは母親として私の最後のお仕事。受験するのにしっかりと自分の部屋から向かう事が力を発揮するのに大切だと言う私の教育方針で、目指す学校の側ではないが住宅地の静かな土地で、広めの物件。その部屋は、立川市の上砂川町でした。こ
「砂川闘争裁判」憲法を無視した“安保条約と軍事拡大”を容認した裁判所【ワーカーズ二月一日号より転載】2024年1月15日、刑事特別法違反の罪に問われ有罪が確定した1957年の砂川事件の元被告らが、59年の最高裁判決前に最高裁長官が評議の内容を米国側に伝え、公平な裁判を受ける権利が侵害されたとして国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は請求を棄却した。●砂川事件と裁判1955年、在日米軍は日本政府に対し、立川基地の拡張を求めた。基地拡張工事の話を聞いた砂川町(現・立川市
2023年7月~8月と、戦後各地で始まった米軍の試射場や基地拡張に反対する運動について、過去の記事や論文を紹介する記事を連載してきました。その3回目でとりあげた「新潟飛行場拡張反対期成同盟」についての論文には、期成同盟の代表が1955年9月の全国軍事基地代表者会議に出席したことや、砂川の反対同盟と直接交流をもっていたことなどが、記されていました。反基地運動の戦後史――「新潟飛行場反対期成同盟」|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)ま
砂川闘争六六周年記念集会基地問題と東アジアの平和──いま新たに砂川から2021年10月10日集会報告西原和久(砂川平和ひろば)一〇月一〇日に、砂川学習館講堂で砂川平和ひろばの「秋の集会」が開催された。テーマは「基地問題と東アジアの平和──いま新たに砂川から」であった。このテーマは、子ども食堂や学習支援などの「平和ひろば」の活動とともに、本年度から始まった「砂川平和しみんゼミナール」の第一期「砂川から考える基地と平和と共生」と連動する形で企画された。現在、沖縄を含
昭和の生活や文化を記録した写真集を見ていたら、「昭和の時代、小学校の校庭はみんなの遊び場だった。」と添え書きされた写真が幾葉かあった。確かに、私が小学生だった昭和40年代は、小学校の校庭は誰でも出入り自由で、犬を連れたオヤジが散歩がてら入ってきて、別のオヤジが連れて来た犬との間で喧嘩が起き、それが翌日学校で大ニュースになったりした時代だった。私たちも放課後は学校に集まって野球ばかりしていたものだ。私が小1から小4の途中までを過ごした東京・小平市の小学校は市で一番古い小学校で
高原太一さんの『米軍立川基地拡張反対運動の再検討――「流血の砂川」から多面体の歴史像へ――』(2022年、東京外国語大学大学院博士論文)では本論に入ってからの各章で歴史教育者・高橋磌一、砂川中学校の教師たち生徒たち、それぞれにとっての「砂川闘争」が、多面的に記述されています。第五章では、主に三人の撮影者が撮影した当時の写真をとおして、そこに写し出された人々や切り取られた光景を解釈し、彼らと被写体にとっての「砂川闘争」を考えます。それらの「作品」を集めた『写真集砂川闘争の記録』(
高原太一さんの『米軍立川基地拡張反対運動の再検討――「流血の砂川」から多面体の歴史像へ――』(2022年、東京外国語大学大学院博士論文)は従来の「砂川闘争」研究では看過されてきた資料に光を当て、新たな観点を提示するものでした。このブログで紹介してきたとおり、地元農民や支援労働者・学生だけでなく、歴史家・文化人としての高橋磌一や、地元の知識人である砂川中学校の教師たちを考察対象としたことも、博論としてのオリジナリティを高く評価された所以でしょう。今回紹介する第四章の対象は、砂川中学校の
砂川闘争の「勝利」によって返還された米軍跡地に、自衛隊が強行移駐してから50年目となる今年、それに反対する仲間が集まって結成された立川自衛隊監視テント村も、50周年を迎えた。それを記念する集会が、2022年12月17日㈯、立川市の三多摩労働会館で開かれた。奇しくも、来年1月から立川基地にオスプレイが飛来する、と近隣8市が一方的に告げられ、また岸田自公政権下で、あまりにも拙速に軍拡政治が進められている状況下での開催である。これまでのテント村の歴史をふりかえってその意義を見直すだけでなく、
高原太一さんの『米軍立川基地拡張反対運動の再検討――「流血の砂川」から多面体の歴史像へ――』(2022年、東京外国語大学大学院博士論文)についての論文紹介記事は第二章まで進み「介入:「基地問題文化人懇談会」高橋磌一の介入のしかたと「砂川問題」」について以下のブログにまとめました。『米軍立川基地拡張反対運動の再検討』第二章|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)歴史家・文化人としての高橋磌一の介入の仕方を検討したのに続い
このブログでも何回かお伝えしましたたように、立川市の砂川学習館が建替えられることになり、これまで同館1階に設けられていた「砂川地域歴史と文化の資料コーナー」(床面積約28平方メートル)が縮小される、という問題が浮上していました。かねてから立川市による説明会や、住民との話し合いの機会がもたれ、立川市議会でも質疑が続きました。「砂川中央地区まちづくり推進協議会」は、市のまちづくり部に対して展示コーナーが無くなることへの疑問を申し入れ、さらに利用者団体を中心に「砂川の歴史文化展示コーナーを存続
2022年5月30日に本ブログで紹介したようにダスティン・ライトは「砂川闘争」および日本の反基地運動を研究し続けているアメリカの研究者です。アメリカ人研究者がJapanTimesに書いた「砂川闘争」|砂川平和ひろばSunagawaHeiwaHiroba(ameblo.jp)2015年6月に砂川を訪れたダスティン・ライト彼が2017年にTheSixtiesに発表した論文「東京からウンデッドニーへ――二人の「砂川闘争」後」の全訳を3回に
8月15日にこのブログで土屋源太郎さんが砂川平和しみんゼミでお話したレポートの一部「戦争の時代」についての語りを採録しました。それに続く学生運動や砂川闘争についてのお話も含めいずれ総体的に記録に残す予定です。ただし土屋さんはいろんな方々の求めに応じて運動経験を語っておりその内容は既にネットでも公開されています。以下にその一部を紹介します。DEMO-RESERadio#28「在日米軍基地は違憲!砂川闘争とは一体」Part1-YouTubeDEMO-R
写真でふりかえる2015年秋の60周年記念集会チラシの裏面2015年秋の砂川闘争60周年現地集会が今日の砂川平和ひろばへと至る変化の始まりでした。この集会の特徴のひとつが主催者も参加者も招かれたゲストも実に多様だったことです。1955年当時はまだ幼かった基地拡張反対同盟の子孫長い裁判闘争を最後まで闘いぬいた弁護士その後も反基地・平和運動を続けている地元住民当時支援にかけつけた学生・労働者・僧侶それに当時を知らない若い世代などが午前中は砂川学習館
立川市在住のアダム・トンプキンスは、日本の現代史や社会運動に関心を持つ歴史学者で、米国レイクランド大学日本校の助教授(AssistantProfessorofHistory,LakelandUniversityJapan)です。同校の学生たちと共に、砂川でのインタビュー調査なども実施しています。農場労働者と環境保護活動家の運動についての研究書、砂川闘争についての共同論文などを出版しており、砂川平和ひろばとは、2015年の砂川闘争60周年記念集会以来、様々な形での交流を続け
「飛ぶ」「飛ばない」歴史の波投打のバランス図ろうとするMLBの意図/福島良一-日刊スポーツ日刊スポーツ大リーグの公式球は「飛ぶ」「飛ばない」の歴史の波があります。草創期から20世紀初頭までは投手に支配された時代。ボール管理はルーズで、新球は泥などで...日本橋【中央区】日本橋さんぽのおすすめ歴史的建造物を鑑賞しつつ江戸っ子グルメを堪能東京新聞江戸時代初期から、町人が暮らす街として栄えていた日本橋。歴史的建造物を鑑賞しながら、江戸っ子グルメを堪能できる日本橋さんぽ。平日でも
一人ひとりが声をあげて平和を創るメールマガジン「オルタ」と「オルタ広場」について「オルタ」は、加藤宣幸さんとその仲間たちが2004年に、前年急逝した友人の死を悼み、彼がめざした同人誌発行の遺志を受け継いで、創刊した月刊ウェブマガジンです。当初は、仕事や運動の第一線を退いた高齢者が中心メンバーでしたが、紙媒体ではなくインターネットという新しい媒体に挑戦して、元日本社会党中央本部機関紙局長だった加藤さんの、党派を超えた幅広い人的ネットワークを活用して配信されました。「オルタ」創
独立言論フォーラムISF特集「砂川闘争の過去と現在」【特集】砂川闘争の過去と現在|ISF独立言論フォーラム(isfweb.org)砂川平和ひろばのメンバーを含む6人の研究者・活動家・弁護士たちが10本の記事を寄稿しています。砂川事件裁判(「日米安保条約3条に基く行政協定に伴う刑事特別法」2条違反)いわゆる「砂川事件裁判国家賠償訴訟」についての最新状況も報告されています。2022年4月1日に開設された独立言論フォーラムISF:IndependentSpeech
砂川年表2022年3月12日にブログを開設して以来、今月は(1)砂川について(2)砂川闘争について(3)法廷闘争と「伊達判決」についてそれぞれ日本語・英語の記事を投稿してきました。最後に、簡単な年表にまとめてみます。砂川闘争20周年を記念して築かれた平和の礎砂川闘争前史1609村山郷岸村の村野家により幕府に砂川村の開発願が出される1629砂川新田の本格的な開発が始まる1654玉川上水が開通する1736砂川新田(
(2)砂川闘争について測量隊が来るたびに、農民たちは座り込みをしたり抗議をしたり、また下肥用の糞尿を使ったりして、非武装の抵抗を続けました。しかし、追い返してもいつまたやってくるかわからない、不安な生活を強いられました。1955年9月13,14日の両日、1800人の警官に守られた測量隊が土地測量を強行しました。地元民・支援者たちはスクラムを組んで抵抗しましたが、、東京都調達局は、土地収用認定のために区域を示す杭を打つことに成功しました。この一件で、30人が逮捕され100
砂川平和ひろばブログ開設「砂川平和ひろば」は、かつて米軍立川基地の拡張に反対して闘った「砂川闘争」の55周年を記念して、2010年5月に開設されました。その建物は、反対同盟副行動隊長だった宮岡政雄が、砂川闘争で守り抜いた敷地の上、立川基地のフェンスの目の前に、建てたものでした。宮岡の次女・福島京子を代表に、地元住民、郷土史研究家を中心として、研究者、学生、一般市民が会員となり、さまざまな活動を行ってきました。砂川の歴史をと
昨日の記事の続きとなります。未読の方はこちらからお読みいただけます。『原発訴訟で高裁で勝訴しても最高裁で敗れる理由①』昨日、実は午前中に原発訴訟をされていて、私にも協力して頂きたいと以前からお申し出があった高齢の方からメールが届いていたので、私は身体の事情もあるから、難しい…ameblo.jp昨日、私が原発訴訟で裁判を起こしても地裁や高裁で仮に勝訴しても覆される可能性が高いと書きました。それは何故でしょうか?このように書くと「日本は法治国家だ」と、批判される方が多いと思いますが、当た
先週、成田山横浜別院からの帰り、細い坂道の途中に古民家のようなカフェがあって、アルミフリーのスコーンのテイクアウトできます。という看板が目に入った。こんにちは。お邪魔しま〜す。って入ったら、30代くらいの男性店主さんと1歳の息子さんがいて、「可愛いですね〜。うちはもう18才だから、忘れちゃいましたよ。」なんて話したら、えーーーっ嘘っと、大袈裟に驚かれ、奥にいる奥さんを呼んで、「この人18才のお子さんいるんだって!」えーっみたいに驚かれて笑、それからしばらくご機嫌な私でーすマ
横田基地と立川基地と立川市砂川町旧立川基地と立川市砂川町参考<あのころ>砂川闘争立川基地拡張に反対共同通信(2018.9.13、参考)1955(昭和30)年9月13日、東京都砂川町で米軍立川基地拡張のための強制測量が始まり、反対派と警官が激しく衝突。反対運動の激化で流血事件は繰り返され、米軍は横田基地に移駐した。77年に立川基地は返還され、昭和記念公園や陸上自衛隊駐屯地、立川広域防災基地などになった。
本日(5月8日)は、以下の出来事があった日です。聖武天皇の皇后、光明子の発意により施薬院を設置した日。(730年(天平2年))善光寺平を震源とする直下型地震が発生した日。(善光寺地震を参照)(1847年(弘化4年))京浜電気鉄道(現在の京急本線)、品川駅(初代、現在の北品川駅)~八幡駅(現在の大森海岸駅)間が開業した日。(1904年(明治37年))民間人1,300名以上が乗った客船大洋丸が米潜水艦の雷撃により沈没した日。817名が遺体で海底から引き揚げられる。船体は2018年(平成30年