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松山城レポのその12になります。その11のレポはこちらです。『21.10.17松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その11』松山城レポのその11になります。その10の最後での述べましたが、もう少々、お付き合いくださいm(__)mその10のレポはこちらです。『21.10.17…ameblo.jp---------------------------------------見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル現存
松山城レポのその10になります。やっぱし、宇和島城はその11で終わりましたが、松山城の方が城の規模がデカイですから、その10は超える事になりました。まぁのレポは小出し感丸出しだったので、その9のレポはこちらです。『21.10.17松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その9』松山城レポのその9になります。その8のレポはこちらです。『21.10.17松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その8』松山城レポのその8になります。…ameblo.jp-----
松山城レポのその8になります。その7のレポはこちらです。『21.10.17松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その7』松山城レポのその7になります。その6のレポはこちらです。『21.10.17松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その6』松山城レポのその6になります。…ameblo.jp---------------------------------------見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル現存建築物
松山城レポのその6になります。その5のレポはこちらです。『21.10.17松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その5』松山城レポのその5になります。その4のレポ『21.10.17松山城[最も新しい現存天守を持つ城]その4』松山城レポのその4になります。その3のレ…ameblo.jp---------------------------------------見所となる遺構(土塁など)はブルー、名前のある場所(本丸など)はパープル現存建築物
2023-06-11ゼーゼーハーハー入口だぁ〜行きましょうなんとなく狭い…細っまろんギリじゃーんやっとこさ入れますよ〜大天守暗っ!雰囲気ありすぎぃ〜忍者になった気分だわ階段上ります外の景色を見ることが出来ますまぁ言うてもまだそんなに高くはないわね〜広めの廊下…廊下なのかな?六葉釘隠し石落しここから石を落とすのかな振り返ってパチリ着物を着た人たちが行き来してたんだなぁ〜
石垣に守られた道を登っていくとわあーーー国宝松江城でーすすてきぃ下半分に大屋根の建物その上に櫓がポンと乗っかってる様な形で、望楼型(ぼうろうがた)と言うそうです古い天守の特徴で、大型天守では松江城が唯一残っているんだそうですょー信長様が安土城、秀吉様ぁああが大阪城で作っている形ですー正統派天守の松江城は、天守の発祥の姿を持つ生ける化石みたいなものだそうですすごいお城の前側にある建物は付け櫓というお名前だそうですと、テレビで聞きました(録画してあって、なんどもなんども見てまし
今日は3月の現存12天守巡り&名古屋・大阪バースデーツアーの初日に行った、松本市丸の内4番1号の「松本城」を紹介します。国宝松本城国宝松本城管理事務所作成の公式ホームページ。観覧案内、年間のイベント情報、天守の歴史や価値、建物の内部の説明や動画、手軽に歩ける城下町の歴史探訪、城にまつわる伝説、各種収蔵品などを掲載していますwww.matsumoto-castle.jpコロナの流行が始まった一昨年より前はバースデーツアーで、毎年北海道に行っていましたが、ここ2年この時期に札幌のコロナ
ロープウェイとリフトが併設しています!行きはロープウェイ、帰りはリフトを利用往復520円公園の中に建つ17世紀の城🏯現在の城は復元されたもの✨山上のお城の敷地がびっくり👀するくらい広くて、現在でも21棟の構造物が現存し、国の重要文化財に指定されています😁観覧料520円ただ、天守閣は階段が急で滑りやすいので足腰の悪い方は見るのが難しいと思います。注意して下さい⚠️天守閣からの眺望も良く景色は最高⤴️⤴️石落としから松山市内が見えたり、見応えがありました😃公園がとてもきれい
すっかり秋めいて涼しくなりました。今思う幻のような激暑な盆休みの遠征。伊予・今治城その2です。堀周りを1周グル~と回りましたので土橋を渡って鉄御門(くろがねもん)から城内へ。往時は橋を渡り切った桝形の手前には高麗門が建っていたようですが、再建はされていません。桝形内正面に鏡石があります。普請奉行を務めた渡辺勘兵衛(通称・槍の勘兵衛。大坂の陣で高虎と衝突し出奔、本名・渡辺了)に由来し「勘兵衛石」と呼ぶ。確かこの城の石垣修復作業は㈱栗田建設(石の声を聞け!の穴太積みを受け継
五十間長屋には、堀に面して「出し」と呼ばれる出窓があります。「出し」の床は開くように設計されています。もし敵が侵入して堀を渡り、石垣を上ろうとしたら「出し」の床を開けると真下に堀や石垣が見え、敵を目がけて石を落としたりするためのもので床は「石落し」と言われています。コロナで外出は控えていますが、先日妻の定期検診の付き添いで通り道なので寄ってみました。https://10000art.net
駿府城公園二ノ丸の東にある東御門です。東御門は二ノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で構成される桝形門で、桝形門は要所に石落し、鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実戦的な門で、戦国時代の面影を残していると書いてありました。まだ門松がありました。出口側には、さらに小さな門がありました。門の左右に見える狭間(はざま)は、弓用と鉄砲用があるようです。巽櫓は、駿府城二ノ丸の東南角に設けられた三層二重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置することから「巽櫓
素敵な場所に連れて行っていただいてキノコを採っていたら、先客がいましたというお話。via結東Yourownwebsite,AmebaOwnd
5月のある日。去年の地震以来11か月ぶりに尼崎駅に降り立った(仕事の寄り道)(去年は正確には手前の大物駅で降りたんですけど)今年3月に尼崎城がグランドオープンしたので訪れてみました。パチンコ屋の尼崎城がグランドオープンしたのではない。これは以前からある尼崎城址の石碑。本来の尼崎城の本丸は小学校の敷地となっており、石碑と案内板だけがひっそりと建っている。尚、荒木村重が有岡城から逃げ込んだ息子・村次が居た尼崎城はここではなくて、1駅隣の大物城(旧・尼崎城)である。今では駅横の公園内
天守の工事足場急な階段武具の間・石落しの間鎧兜・四戦場の図鯱瓦・鬼瓦ライトアップパンフレット国宝の城・写真最近ハム食べた?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
戦国時代に現れた堅牢なデザイン週刊櫓門を作る柱一本一本のこだわった精密な再現あなたをあの時代へ誘う週刊櫓門を作る創刊号はバインダーと門扉がついて450円デ○ゴスティーニ♪(それはさすがにボリすぎっしょ)冗談はさておき今回は久野城のこの部分にあったんじゃなかろうかと思われる櫓門を作ります現在もこんな具合に堀切がきれいに残っていて久野城の見所の一つとなっていますこの高台部分はかつて高見と呼ばれていた2間四方くらいの広場で築城当時はその名の通り櫓があったのでしょう堀
昨日は念願だった松江城にも行きました!現存する望楼型木造天守閣で、国宝5城の一つです。因みに現存する木造天守閣は国内に12城あります。松江城は豊臣秀吉の配下だった堀尾吉晴が築城しました。堀尾吉晴は「仏の茂助」と言われた人格者でしたが、豪勇でも知られ「鬼の茂助」とも言われてました。天才・織田信長が安土城の時に国内で初めて望楼型天守閣を建造し、戦国時代末期、安土・桃山時代には望楼型天守閣が流行り出しました。天守閣の周囲も散策しました。鉄砲狭間、弓矢狭間、石落しも見えます。実戦を強く
5月5日姫路城の続きです。にの門をくぐるとまた違う角度から天守閣をのぞむことができます。ほの門水一門水二門水三門水四門水五門水六門いよいよ天守閣内部です。1階は天守の周囲の渡り櫓からの出入り口や、天守台石垣の直下に攻め入った敵に対しての監視や反撃が行える石落しなどが設けられています。六葉釘隠しは、大天守内などの多くの場所に取り付けられています。大天守
石落城の中きら階段が急なんです💦月見櫓のぞいてます眺め良いね忍者いた国宝松本城🏯凄かった!
2018年10月28日(日)週末が快晴予報なので、紅葉が見頃になっている場所を検索すると、「秋山郷」が出てきた。今まで、谷川岳、安達太良山、いろは坂など見て来たので、せっかくなので、一度も行ったことが無い「秋山郷」に行く事を前日に決めました。秋山郷(あきやまごう)は、新潟県中魚沼郡津南町と長野県下水内郡栄村とにまたがる中津川沿いの地域の名称です。東を苗場山、西を鳥甲山に挟まれた山間地域で、日本の秘境100選の1つに選ばれています。そして、新潟県側に8つ、長野県側に5つの集落があります
昨日の「高知城」本丸の続きをお伝えします。「天守閣」は、四層六階の白亜総漆喰塗込めで、最上階には望楼の廻り縁がある望楼型天守閣です。北側と東側には、腰庇屋根が取巻いていますので、北東の二の丸から眺めると四層に見えますが、この腰庇屋根が南側と西側半分には取巻いていないので、本丸内から見ると三層に見えます。従って、三層六階の天守閣とも言われます。二の丸側からは四層六階の天守閣(重文)1727年に焼失しましたので、1747年には当初の礎石と土台に慶長期に建てられた姿のまま再建された、珍しい建
清州城その2です。無人の大手橋を渡り模擬天守へ向かう。足軽の姿が見えないのは、やっぱ激熱だからでしょうか近づいてきました。橋を渡り切れば城門があります。城門横のこの土塀城門横の土塀は南斗信長塀熱田神宮にある現存の信長塀(実物は見た事ない)を、ここ清州城でも再現してるというとことん信長推しの清州城デス。城門を潜れば真正面に清州城模擬天守。尾張・清州城撮ったど~平成元年築城、鉄筋コン
加賀百万石を支えた金沢城。旅の初日に城の周りを歩いたときは、曇りでしたが・・・お城を訪れたこの日は、旅行中で一番の青空!!北陸随一の城下町の面影をよく残しているのがひとつ前の記事に書きました武家屋敷跡です。城郭復元の先駆けとなった、五十間長屋。↑武器の保管庫でもあり、防御の城壁でもあります。出窓の下には、石垣を登ってくる敵を撃退する「石落し」があるそうです。敵、ここを登るのですか?すごい。金沢城は「石垣の博物館」と呼ばれるほど、さまざ
週末、旦那さんの故郷の新潟県に用事があり行ってきました花菖蒲や紫陽花が見ごろでした東京よりも新潟の方が暑かったです泊まった旅館のオプションで「ほたる観覧会」があり参加してきました~!マイクロバスで農家の私有地、田んぼに行って自然のほたるを見に行くコースです自分、生ほたる初体験~初めての生ほたるにドキドキワクワク~その場で捕まえたほたるを係の方が見せてくれました。そのほたるを写真撮りまくっていたらハートほたる発見!⬇沢山の数のほたるが飛び交う風景は幻想的で貴重な体験をしてきました
そして一階です。天井です。そして見物は、六葉釘隠しです。城🏯には、射撃の為の石落し、特殊な二重の扉があります。
城を観る今回は...(撮影2017/8/12)白河小峰城〜三重櫓石落し〜おっ石落し。。。なんちてにほんブログ村
平日になると更新が鈍る我ですが・・・さて、大洲城本丸です。大洲は元々大津と呼ばれてましたが、わっきー安治が淡路・洲本から入国した際に大洲と改名したとの説があります。四国には高知城・松山城・宇和島城・丸亀城と現存天守が4城(一応全部攻略済)ありますが、四国の城って去年の徳島城、一宮城以外はすべて出張のついでに攻めた訳でありまして、南斗!プライベートで四国に来たのはこれで2度目なんで御座いますわ~なんせ大洲市て辺鄙(へんぴってこんな字なのね)て言えば失礼にあたりますが、辺
さて、さかのぼる事、11月25日の金曜日。待ちに待った!布袋さんの全国ツアー「たつの市(兵庫)公演」に遠征当日せっかくの兵庫県遠征である。かねてから憧れであった「アソコ」に行かなくてはバチが当たるというもの!(`Δ´)そう!真っ白に生まれかわった「姫路城」に行ってきたのだ!とはいえ、高校生の修学旅行で一度は訪れているのだが・・・当時は城なんて、まーったく興味なんてなかったお年頃(笑)ラジオで日本シリーズ西武vs巨人を聞きながら、上の空で見ていた記憶しか残ってませんwそして
お城も天守閣の回になりました。現存天守閣も1松江城5彦根城11犬山城22丸岡城37備中松山城は5つ目あと7つあるな。日本100名城も16城目先は長いなぁ〜さて備中松山城の天守閣入り口は左手下の所から躓かないさまに。石垣の横。名城100スタンプ等は奥のテーブルにて階段を登ると1階部分はこじんまりとしています。ちょっと暗いな。鯱鉾が飾ってます。狭間弓や鉄砲穴珍しい暖炉跡。山の上だからかなり冷えたんだろうね。当時の天井柱かな?二階へ上がる階段。現存天守閣は
久々の更新です。10連休のGWも終わりに近づきましたが、昨日はドライブに行ってきました。秋山郷の中津川渓谷です。秋山郷は、新潟県津南町から長野県栄村にかけて、いくつかの集落が点在しています。高さ330メートルの断崖絶壁は、すごい迫力でした。アップにしてみました。柱状の断崖は苗場山の火山灰が積もってできたものらしいです。中津川です。中津川沿いは秋は紅葉の名所です。紅葉の綺麗なところは新緑も美しいですね(^_^)