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4月21日、石神井公園周辺で行われている「第37回照姫まつり」に行ってきました。野外ステージの舞台演技「照姫伝説」の様子です、少し左側の観覧席から撮りました。照姫伝説とは:室町時代中期、太田道灌に攻められて石神井城が落城した際、家宝の「金の乗鞍」を載せて白馬にまたがった城主・豊島泰経とともに、娘の照姫は三宝寺池に入水したと伝えられています。照姫まつりのパンフレットの表紙です・・・三宝寺池側の入り口の広場です・・・野外ステージの舞台演技「
定点観測明日、石神井公園ボート池お祭りで行く気ないので今日も今日とて夕方公園行。月火水金土と続いてるんでコース変更上から三宝寺池道手前の木出隠れているがベンチに座って朗読人がいた写らないように撮影道の先に石神井城これだおお照姫様の悲しい伝説明日、照姫まつり城の下には、いつもの橋橋から右橋から左
先週になりますが石神井城趾(石神井公園)に行ってきました❗石神井城は平安時代〜室町時代に武蔵国の名族である豊島氏が築いたお城🏯上杉氏の家臣であった太田道灌により石神井城は落城、豊島氏は平塚城(今の北区あたり)へ逃亡することとなる。石神井城の立地は、北は三宝寺池、南は石神井川に挟まれた台地の上にあった正に「天然の水堀」に囲まれた防御力の高い城であり、実際に行ってみるといかに難攻不落の城であったかが覗える地形でした❗(それを攻略した太田道灌はやっぱりスゴいぞ😲)今でも残る空堀や土塁跡の保
かなり間が空きました😱2023年10月23日の御府内八十八ヶ所の札打ちの続きです南蔵院→長命寺→禅定院の次は石神井の三宝寺を目指したいと思います😊前回の記事の禅定院の記事はこちら↓禅定院から三宝寺まで徒歩10分くらいの筈なのに、Googleマップは裏山を案内してきてあっちへ行ったりこっちへ引き返したり…🤣😂ここから先は行けないんだけど、豊島氏が築いた石神井城🏯跡らしい…石神井城の案内板ぐるっと道路側から三宝寺へ入り直します😂三宝寺の寺号標お地蔵様や石碑御成門文政10年建立
※こちらの記事は、令和2年7月15日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は「ビジネスに活かす戦国合戦術」第22弾として、過去に書いた「江古田沼袋原合戦(えごたはら・ぬまぶくろ・がっせん)」について、ビジネス的視点で見直したいと思います。※記事下部に人物の読み仮名をのせています。上記記事を読みたい方は、下記リンクをタップしてください:各合戦の動員人数について(1)江古田原沼袋合戦第1回今山の合戦第2回耳川の合戦第3回沖田畷の合戦第4回小豆坂の合戦第5回
猛暑も過ぎ?2週連続で石神井公園小物釣りへ。中学の頃は友人とクチボソ釣りによく行った。当時は「ちびっ子釣り場」というものがあった。その後ルアー釣りにはまり、餌釣りはご無沙汰していたが、40歳を超えた頃から原点回帰??安近短の小物釣りは癒しの時間。自転車で石神井公園へ行き、ハイボール飲みながら釣り糸を垂れる。バラシやエサ取りも多く、決してのんびりとした釣りではないが、自分にとり大切な時間。20匹釣ったら短時間で納竿がルーティンだが、本日は「大
石神井城は東京23区内において数少ない遺構が残る城跡です。西武池袋線で石神井公園駅から徒歩10分の石神井公園や氷川神社などの緑地が広がります。石神井城公園は長閑な公園人もまばらなので写真も撮りやすいのがありがたいところ。三宝寺池浮島この奥が石神井城の城跡となる区画です。石碑現在、主郭の部分はフェンスで囲われており、保存の為に調査などの特別目的以外では立ち入ることができません。ただ、これも史跡保存のためにはやむを得ない事情であるのでしょう。高さ4.5メートルの土塁など
舞台【あくわらロマンス編】についておばあの誇りである「針突・手突」を交えながら、4回に渡って感想を書きました。「佐々木淳平さん」とモロに、お名前を記載してしまいましたのでこちらのリンクを貼らせていただきます。刺青繋がりで...・・・(^^;お読みいただいた方、ありがとうございます✨ハッキリ言って数字が取れているブログではないです。でも、少しでも、お役に立てれば...という気持ちです。カラオケ100点おじさんチャンネルのご関係者様...
なんだかんだで、結局例の舞台(あくわらロマンス編)を拝見致しました...実は、公演の期間中、全て予定が入っていました。劇場の場所が豊嶋氏(大阪の豊中と関係有。ビーズとか、先生とかね...笑)の管轄だったので、気にはしていました。集客できるチャンスは幾らでもあったのでね...そうしたら、急に約束していた、先方様の都合が悪くなりその枠だけ、予定が空きました。不思議...この舞台ではディリーキャスト制を導入していてね...1つの役を日替わりで、
こんばんは~あつあげです、ご訪問ありがとうございます♪(^^)/今日は石神井公園駅の由来と言うか街のシンボル「石神井公園」を散策して来ました~(^^)今日のお姫様、石神井池の伝説「照姫様」の積もりで描いてみました~(;^_^A;▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲石神井公園駅から徒歩3分くらいの所に、都会の中にあってオアシスの様な巨大な公園が存在します!石神井公園駅南口です。僕が住むには似合わないハイカラな街に変貌しました!(
去年の10月下旬、東京都調布市の深大寺城のあと、東京都練馬区の石神井(しゃくじい)城を訪れました石神井城は豊島氏の居城で、鎌倉時代中期~末期頃の築城とされています関東管領上杉氏に対して長尾景春が反乱を起こした際、当主の豊島泰経は景春に呼応しましたが、1477年(文明9年)、関東戦国時代きっての名将とされる太田道灌に攻められ落城しました現在、城址は石神井公園として整備されています公園内を歩きます城に近づいてきました案内板と城碑があります城っぼくなってきましたこの年の夏、「東京都
あけましておめでとうございます!石神井公園の三宝寺池と東屋あっという間に1年が過ぎてしまいましたね。2回目のウィーン旅行記ものんびり書いているうちに、足かけ3年目に突入してしまいました。でも、ウィーンの街は3年くらいではその魅力が変わったりしないでしょうから、焦らずいきたいと思います。今回は、大詰めのウィーン旅行記を1回お休みし、地元練馬の初詣の話題を。***今年の初詣は、いつも行く氏神様の春日神社のほかに、その近くにある練馬城址(旧豊島園遊園地
やっとコロナワクチンの副反応から解放され、久しぶりにランニングに出掛けました。1時間程度の軽いジョギングに最適なのが、都立石神井公園です。まず、三宝寺池に向かいます。石神井公園には三宝寺池と石神井池があり、一般的にはボート遊びが出来る広い石神井池が広く知られています。一方、三宝寺池のほとりには石神井城跡があり、この地の歴史をよく伝えていています。平安時代末期~室町時代中期にこの地方に勢力を誇った秩父平家一族の豊島氏の居城でしたが、文明8年(1476)太田道灌によって攻め落
ずいぶん石神井公園に行っていないな、と思い、出掛けてみました。初めてではなく以前に来た事があるのですが、石神井城の跡があることは、今回初めて知りました。駅から少し歩くので、前に来た時は気づかなかったのかもしれません。東京都には、いくつ城、城址があるのでしょうか。
石神井公園の城跡と池豊嶋氏の居城だった石神井城。このあたりが中心部でしたが、今は何も残っていません。石神井公園西側の三宝寺池に出ました。三宝寺池には珍しい水生植物の群落があります。東側の石神井池は、照姫まつりの会場となっていました。すでに露店もかなりのにぎわいです。広大な領地をもっていた豊嶋氏。(豊島区の名の由来でもあります)最後は太田道灌に滅ぼされ、泰経と娘の照姫は池のなかに身を投げて亡くなったとされています。(撮影
石神井公園「照姫まつり」は例年4月の最終日曜日に開催されています2020年、2021年はコロナ禍で中止です今年2022年は3年ぶりにコロナ対策をしての開催となりました残念ながら小雨が降っていたので見学には行きませんでした昔、見学したときの蔵出し写真や動画です石神井城城主の豊島泰経、右が奥方さま、左が照姫さま太田道灌に攻められて石神井城は落城します金龍に導かれて豊島泰経と奥方、照姫は三宝寺池に入水したという伝説がありますステージ出演者記念写真石神井公園駅まで時代行列
土曜日の夜9時から放送しているテレビ東京の「出没!アド街ック天国」で、23日に特集されたのが、練馬区武蔵関。私が40年住んでいた石神井の家からの最寄駅です。家が武蔵関、高校が上石神井、部活のグランドが東伏見と、西武新宿線のこの3つの駅は私の青春時代の思い出の場所です。武蔵関駅西武鉄道の「武蔵関駅」について。電車・駅のページでは、運行情報から、各駅時刻表、路線図、乗換案内、運賃、臨時電車情報、各駅のバリアフリー施設など西武鉄道をご利用いただくための情報を提供しています。www.seibura
2021.11.29石神井氷川神社御祭神:須佐之男命稲田姫命、大己貴命
2021.11.29紅葉の石神井公園散歩まずは石神井城趾から思い立ったように石神井公園まで散歩に。石神井公園へは小学生以来です。(ほとんど覚えてませんが^^)◆石神井公園駅◆(西武池袋線)駅から公園までは徒歩15分くらい都立石神井(しゃくじい)公園三宝寺(さんぽうじ)池と石神井池を中心に、雑木林、高い木立がそびえる広場、史跡などがあります。◆石神井池(通称ボート池)◆公園のほとりの木々は紅葉に染まっていました池に紅葉が映り秋の気配が色濃く漂っ
岡山県古代吉備文化財センター|岡山県岡山市おすすめ人気スポット-Yahoo!トラベルYahoo!トラベル-Yahoo!JAPAN県の埋蔵文化財保護・保存を図る拠点として、縄文土器や弥生土器など、約400点の出土品を常設展示している。定期的に企画展示も行っており、遺物展示や...大阪の歴史再発見「大宮神社伝豊国大明神像」の特別公開を開催します大阪市大阪市指定文化財である伝豊国大明神像のはじめての一般公開です。事前申込・抽選のかたちで実施します。【文化財保
☆2021年7月15日木曜日カルチャーセンター建築史&街歩きの毎月1回の午後からだけのクラス午後1時から4時過ぎ頃までこの期の課題は「練馬区」で、「石神井公園」〇私実はこの日のクラスの案内書に「石神井城址」に行くと書かれてあったので都内にもう10年以上住んで居るのに行った事が無く
加筆・修正がある事をお許し下さい。☆2021年7月15日木曜日午後1時から4時過ぎまでいつもの毎月一回のカルチャーセンター建築史&街歩きのクラス今期の課題は「練馬区」午後1時に「石神井公園駅」前に集合だったのですがなんと多摩川ベりの我が家の回りだけどしゃ降りの暴風雨(>_<)
今回のお城は練馬区の石神井にあった城跡、現在の東京一帯に勢力を持ち、太田道灌と戦った豊島氏の本拠地であった石神井城(しゃくじいじょう)です石神井城は荒川水系(荒川に集合するという意味)の支流の1つである石神井川を中心に開拓していた豊島氏の城で、城郭構造は連郭式の平山城だったとされます築城は鎌倉時代後期頃に開始したのではないかと思われ、豊島氏が築城後にここを本拠地として武蔵国一円を支配していました豊島氏は平一族秩父氏の出で、平安の時代から武蔵国を治める名家として名を馳
久しぶりの石神井公園です。練馬区立美術館に行く前に立ち寄りました。かつて石神井公園の中にも石神井城というお城があった。今は土塁や空堀の痕跡くらいしか残ってないけど、この石神井池も長細い形をしているので元は川だったのか。練馬の空はどんよりしていて練馬区立美術館に行った後、ちょうど1時間後くらいに台風が運んできた強い雨が降ってきた。池の畔にある洋菓子店で石神井城の御城印。ドーナツも買って帰りました。美味しかった。
2021年8月19日🚲東京都練馬区の石神井公園内にある石神井城址の御城印が、パティスリーカシュカシュさんで販売されているとのことで購入。カシュカシュさん近くの石神井公園内に石垣など残っているようですが時間がなくて看板だけ💦また通った時寄らせて頂きます。
20212年6月5日の近所散歩をご紹介しています。善福寺を離れて更に北へ歩くと、荻窪八幡神社に来ます。青梅街道を挟んで、荻窪警察の正面にあります。▲荻窪八幡神社▲参道の正面に本殿ここに八幡様があるのは知っていましたが、参拝するのは初めてかな。▲鳥居と輪くぐりコンクリート製の輪くぐりを見るのは初めてです。近所の春日神社にも、祭りの時などに萱で作られた輪が登場しますが、コンクリート製とは。▲能舞台神社に能舞台は付きものなんでしょうか?そう言えば春日神社にも能舞台が
東京都練馬区立石神井公園ふるさと文化館2階企画展示室にて企画展『石神井城中世豊島氏ここにあり』5月30日まで開催されています難波田城、石神井城と戦国初期の在地領主についての企画展が開催されるのは嬉しいことですね石神井城は公園内に保存される中世城館跡です豊島氏はこの辺りを治めた有力武将であり石神井城はその居城でありました太田道灌に攻め滅ぼされるまで反映しました企画展では発掘調査の成果を中心となるようです私は二十数年もここを訪れておりません久しぶりに訪れたい気持ち
今年のお花見シーズンは、緊急事態宣言下になかったので去年よりは緩やかでベンチでお弁当くらいはいただけましたよ〜。石神井公園の桜の記録でした。今ではすっかり新緑キラキラでここは高原かしら?と思うほどに気持ちのいい季節です🌱公式にラジオ体操している公園はとても少ないのですが、ほのかな期待をこめて(笑)石神井公園に早朝行ってみると~やはり〜やってましたよ!ラジオ体操(^^)自然発生的に人が集まりやってるような感じで。1ヶ月ほど前から仕事の休みの日にはジョギング兼ねて通ってみてます。小学生
練馬区立石神井公園ふるさと文化館石神井城中世豊島氏ここにありを観賞してきました。練馬区の石神井公園にあった石神井城。ここを拠点に練馬、板橋、豊島、王子と広範囲におさめていた豊島氏。過去に何度か発掘調査しているのでその時の出土品などが公開されていました。城があったといわれても、今はなにもないからね。話や出土品を見ながら、当時を想像してみるしかありません。想像力が試されますね。豊島氏は太田道灌に滅ぼされるまでここをおさめていました。金の鞍の話もありました。そういえば金の鞍
先日、練馬区立美術館へ行った時に、ちょっと足を伸ばして石神井公園も散歩して来たのですが、その時、公園内に石神井城址という史跡があるのを知りました。地元の皆様はご存知なのかも知れませんが、私はここに城があった事を全く知りませんでした。立て札の説明書きなどを読むと、この辺を治めていた豊島氏という一族の居城で太田道灌に攻め落とされたという事が書いてあります。ちょっと興味が出てきたので太田道灌のWikipediaなどを読んでみたら、この戦いは「江古田原、沼袋の戦い」と呼ばれ「享徳の乱」という、