ブログ記事139件
※2024.1.6土曜日↓飼い主♂の、朝ごはん※飼い主♂は、毎朝6時に起きて30分、走っていました↓今日はお参りしてきたらしい※無人島ツアー↓受付※時間があったから↓近所の神社へ↓沖縄らしい自販機(笑)※9:20出航〜↓泊港※20分くらいで着いたナガンヌ島🏝️※降りずに、そのままホエールウォッチングへ〜↓↓動画連発🐳※潮吹きしか見れなかったけど、親子🐳の潮吹きが見れた背中もちょっと見れた↓慶良間諸島※無人島に帰ります※広い海〜クジラの親子が泳い
きょうは、晴れ。あしたも晴れでしょう。きょうの尾鷲の最高気温は16.4℃(最低気温は2.8℃)。全国トップは沖縄県の下地島で25.1℃。三重トップは尾鷲でした。ただいまの尾鷲の気温は6.9℃。『きょうのことば』【巧言令色(こうげんれいしょく)】~~口先き上手で、上べを飾る~~口先き上手で、上べを飾ること。「巧」は、たくみ。「令」は、善いの意。『論語』学而(がくじ)篇の語。「巧言令色、鮮(すくな)きか
きょうは、晴れ。あしたも晴れでしょう。きょうの尾鷲の最高気温は21.1℃(最低気温は9.9℃)。全国トップは沖縄県の盛山で29.1℃。三重トップは松阪市の粥見で21.6℃。ただいまの尾鷲の気温は13.3℃。※だんだんと寒くなってきました。最低気温が10℃を切ってきました。扇風機と入れ替えに、ストーブの暖房器具を出しましたよ。『きょうのことば』【先生をするのであれ、主婦になるのであれ、どのような方面の仕事をする
学生時代の友人と共に、中山道の馬籠宿と妻籠宿にいってきました。岐阜県の長野県よりにある馬籠は、外国人に人気でほとんどの人が海外からの観光客でした。中山道の四十三番目の宿場町、馬籠宿。そして、文豪の島崎藤村が生まれた場所。中山道は、江戸時代に参勤交代で江戸と京都を行き来した道です。馬籠宿に車でつくと、お土産物屋が2軒、並んでいました。土産物屋の間の坂を下がっていくと、落合宿に通じています。さて、上の道から続くこの道を渡って馬籠宿を散策します。江戸時代から続く石畳。あとから綺麗に敷き直し
「神楽坂」とは、昔、花街だったところです。○○横丁と名前のついた石畳の細い道が多くあって、「小京都」と言われるくらい風情があって、素敵な所です。こんなに、風情のある町だったとは。。。今まで、全く気が付かなかった。しかも、観光客がいない!!なので、ブランド紙袋を下げて右往左往する人達がいない。それは、高得点でしたよ^^その一角にある、会員制お寿司屋さん「輝らく」に行ってきました。お誘いくださった友人のマキちゃん
遅れた夏休み。相も変わらす沖縄へ6日間。そのうちの3日間、午前中はホテルのプールで読書と日光浴で過ごす。ちなみにプールサイドでの読書は、暑くて集中できないのでライトノペルズがいい。空港の書店で目についた、「京都もも吉庵あまから帖」。4巻連続1位と帯に書いてあるので、まあそれなりに面白いだろうと購入した。これが人情話でホロッとさせられる💧プールサイドでオッサンが涙を浮かべている光景を、幼稚園児くらいの女の子が見て泣き出し、親に睨まれたよ。午後からはグルメ旅。いつも書いてるけど
アパートの他の部屋(21と誰かに指示された?)の前の水道で体洗って(現実だとヤバイ!)たら友人(女性ナース)が出てきた。水道を勝手に使用したことを謝った。そこの部屋の中には医者が何人か居た。子どもも居た。部屋に戻る時、男の子(かずまという名?)が階段まで付いてきた。部屋に入ると父と母(実際とは違う)が居た。父が銀色の筒を三本お土産に持ってきてた。私は銀色の筒の一本を水道代と一緒に友人へ渡そうと思った。残りの二本の銀色の筒は何処にだろうと思った。ヒントがもらえるかも!と友人(白
先日の海の日(17日)ちょっと時間が出来たのでちっこいバイクでお出かけして来ました出たのが9時過ぎ既に暑過ぎる💦平地を行くと溶ける🫠と思い山の方へ日田市から耶馬渓に行く時何時も気になっていた所🤔目的も無いのでちょい寄り道大分県指定史勝石坂石畳道説明は拡大して見て下さい入口は結構草が生えて行きにくかったけど少し上がると草は無かった真ん中は何処からか切り出した石で組まれ両側は山石で階段が組まれたそうです急坂を登るとこんな九十九折が全体で16ヶ所あそうです真ん中の切出し石だ
沖縄滞在13日目、那覇滞在6日目となりました。『雨模様の日は沖縄博物館で☆初春の旅沖縄12日目』沖縄滞在12日目(2月14日)那覇滞在5日目となりました。2月14日は忘れていましたがバレンタインデーでした。『越冬中那覇おもろまちをブラブラ☆…ameblo.jp前日の記事です。朝食後、金城ダムまで歩いてみることにしました。何回も記事にしていますように、起伏の激しいい散歩道です。まずは谷底にあるホテルから這い上がります。緋寒桜はまだ残っていました
小田原城で「日々勉強!結果に責任!」を掲げ、「国づくり、地域づくりは、人づくりから」を信条とする参議院議員赤池誠章(あかいけまさあき・比例代表全国区)です。本年は、癸卯年。「国難を乗り越え、“跳躍”の年に」したいと存じます。日本遺産は、地域の歴史や文化の魅力あふれるいくつかの文化財を線や面で繋ぐ「物語」として、文化庁が認定し、活用と保護の好循環を創り出そうというものです。現在、全国各地の104の物語が認定されています。世界文化遺産が、文化財という点を保護することに主眼が置
前回の続きです。今回は浦添城大手門跡付近です。前回の所からさらに坂道を下ると大手門付近にある石碑が見えます。この付近に大手門があったと考えられます。石垣の石は採石で持ち去られました。残念なことです。首都が浦添から首里に移る前の浦添城の想像図です。首里城の原型となる城や城下町が出来ていました。この石碑は1597年に、浦添城と首里城を結ぶ石畳道が出来たので、その竣工記念に建てられました。4Kmほどの道で、尚寧王が故郷の浦添城と首里城を結んで、ぬかるむ道をき
朝は日差しが暖かく…油断しそうでしたけど…フリース着て出勤🧥帰りは寒くて大正解❤️お散歩pic🤳キジムシロ(^.^)ボタン(^.^)ニワザクラ(^.^)ドウダンツツジ(^.^)チューリップ🌷セイヨウアブラナ(^o^)ViewthispostonInstagramApostsharedby鈴木由姫(@yuki35suzu)廣東(かんとん)松本市大手4-9-17石畳の続く緑町の通り…ご夫婦で営む街中華❤️カウンターから…調理の様子が見えるので…一段
雨からまた雪に変わりました。銀山村周辺です。残念なことに甚兵衛庵は川を渡ったその向かい、塚原村です。山寺の裏山に塚がごろごろしているのでそんな地名が付いたそうな。細い石畳道を降りていった先に広い(今は)田んぼがあって、よりにもよって獄門原という名前がつけてあります。本家島根の銀山にも同じような刑場がありますね。子どものころ、日が暮れて近くの山道を帰るころ、「ださいさんの白狐が出るぞww」と恐れかされたもんです。茶キツネはだいぶん見ましたが白狐には今だにお目にかかっておりません。
2023年1月29日沖縄旅行の最終日を迎えました。レンタカーは昨晩返却しているので、今日は歩いて観光します。ゆいレールに乗り首里駅までやってきて、首里城から続く300mの石畳道がある「金城町石畳道」を散策したいと思います。先ずは朱里城公園へ入っていきます。散策路はだんだんと高台へ延びていき・・・・・街が一望できる地点に辿りつきました。海も見えるのがいいですね~城壁沿いにまっすぐ進むと首里城の入り口に行きますが・・・・・・
宇部市かわむら歯科、院長の河村和典です。東鳳山の二ツ堂登山口近くの天花に車を停めて、萩往還を国境まで登りました。整備された石畳道です。六軒茶屋跡、一里塚跡、百貫石、キンチヂミの水場、板堂峠を通り、国境の碑を登りのゴールとしました。下りは車道をランニングです。石畳に苔が付いていて滑るので、このコースは登りで使いたいと以前から計画していた通りにしました。私は4〜5回通っている道ですが、妻は初めてでした。この区間は綺麗に整備されていて、雰囲気が良い道で
ホテルにチェックインした後は平良タウン街歩き昨日まではスゴク寒かったけど、今日はいい天気だし温かい散歩日和だわぁ宮古島は5回目だけど、街をゆっくり歩いたことなかったからね~平良港エリア、西里通りエリア、下里大通りエリアを2時間ほど散歩しました指定文化財や史跡等を勉強しながら見てまわりました観音堂経塚張水石畳道宮古神社張水神社平良港レトロな菓子店公設市場途中バナナケーキ
<2022年3月18日>首里城近くの「首里殿内」という店でお昼を済ませ、外へ出て来ました。店の入り口前の坂道は「県指定名勝金城町石畳道」。首里城から南への延びる約300mの石畳は、15世紀に造られたものだそうです。石畳から橋を渡ります。「金城橋(カナグスクバシ)と識名平(シチナンダ)」の解説がありました。金城川に架かる橋で、石畳道に繋がります。識名平は、この橋から識名へ至る坂のことで、かつては松並木の続く石畳だったようです。石碑はかすれて、読めませんでした
関所・番所1.北海道・東北北海道山越内関所青森県大間越関所***錠ヶ関関所岩手県鬼柳関所***市野々番所秋田県大沢口番所***小安番所***院内関所山形県念珠関所***清川関所宮城県磯崎山番所***尿前関所***寒湯番所***有耶無耶関所福島県勿来関***白河関***叶津番所2.関東群馬県戸倉関所***猿ヶ京関所***大笹関所***狩宿関所***大戸関所***杢ケ橋関所***伊香保関所***碓氷関所***西牧関所埼玉県栃本関所**
宿場1.東海道1品川宿***8大磯宿***畑間の宿***箱根松並木***11三島宿***14吉原宿***15蒲原宿***16由比宿***18江尻宿***20丸子宿***宇津ノ谷峠***21岡部宿***23島田宿***25日坂宿***金谷峠石畳***掛川松並木***27袋井宿***30舞坂宿***32白須賀宿***33二川宿***35御油宿***本宿***37藤川宿***知立松並木***有松宿***41宮宿***42桑名宿***日永追分***45庄野宿***46亀山宿***47関宿***
山都町津留に所在する町指定史跡の相藤寺の石畳です。町指定史跡「愛藤寺城跡」から狭い道を緑川に下っていく途中に所在します。説明板によると、この道は、愛藤寺城一帯から奥相藤寺までを結ぶ幅約1.5mの石畳道です。弘化4年(1847)9月に惣庄屋布田保之助により建設された「犬飼村奥相藤寺144間(260m)」の新道に該当すると考えられています。左が石畳道、右が現在の県道180号です。最初の写真と逆方向からの撮影。奥の舗装された道が県道18
首里城を抜け、首里金城町石畳道を下った先にある緑豊かの庭園を眺めながら食事ができる洒落たお店。沖縄の祖父母のおうちの雰囲気もあり、ゆっくりできます。料理は、沖縄の定番メニューが中心ですが、なにより値段がリーズナブルなのだ。この雰囲気でこの値段と感じるはず。ただ、場所が石畳道のほぼ一番下の辺りなので、歩くことを覚悟したほうがいいです。
追分より200mほど進むと二本木より往還道筋が残っています。(市道宮ノ前線)江戸時代、日田の歴史家・森春樹の「日田造領記」によると、郡代羽倉権九郎(寛政5~文化6年(1793~1809)の任期中)の時に女子畑村から五馬・出口村間の道普請で石組舗装(石畳)が行われたようです。大分縣史料三十二「日田造領記・下」森春樹羽倉権九郎君の項国立公文書館デジタルアーカイブより中村・熊野神社前には、他方では見られないほどの約150cmの切り石が組まれた立派な石
追記注意!下記のコースにバイクの通行規制があります。ご確認ください。箱根ツーリングに注意!うっかり入ると違反切符!二輪規制区間を解説します。こんにちは。バイクでツーリング楽しいですね。特に春から秋にかけてのツーリングシーズン。ツーリングのベストシーズンに、二輪の交通規制をしている場所があります。その場所とは、観光地である箱根!県道732号という、旧東海道ですhobby-ws.com台風一過でやっと晴れたので出かけて来ました。予想気温24℃、服はどうしたら良いでしょうか?メッシュジャ
暗峠に到着。全国で唯一だという、石畳国道。向こうに見えるガードレールの高架は、信貴生駒スカイライン。ガードレールの先には、その向こうの山並みが見えています。道標…ここで、生駒縦走路と交叉しています。石柱に「鬼取山」と読み取れますが、遊園地付近の呼び名の様です、マップ等でも表示されます。スカイライン下のトンネル。車幅制限の元凶か?しかし、この行程からして、どっちみちあまり大きな車は登れないだろうが。(しかしアメ車が停めてあるのを見た)トンネルから大阪側を見ると…営業していた峠茶屋で、
宇宙一素晴らしい愛と光に満ちたあなたへタロットカウンセラーヒーリングウェーブオペレーター羽音ゆきです数あるブログの中からご訪問くださりありがとうございますさて今日はハートの謎について紐解くよ昨日は友人と飯田橋/神楽坂で待ち合わせ神楽坂といえば昔ながらの建物が残る風情ある花街の一つです細い露地がたくさんあり石畳や黒塀など日本人が見ても風情を感じますそんな神楽坂通りの中程にある朱塗りの門の毘沙門天さま(善國寺)立ち寄る予定はなかったけれど『行ってみる?』毘
最近、暑さが落ち着いて来て過ごし易い6月後半は暑くて暑くてどこか涼しい所へ行こって事になり、箱根に来ました(6/28)2週続けてお出掛け嬉しい今回は、お友達が全部まわる所を計画してしてくれて、私はただついていくだけだから楽ちんだし楽しみ取り敢えず、スニーカー履いて来てとだけ言われたから、シンプルにジーンズ👖で😊まずは、車を芦ノ湖沿いの駐車場に停めてから、バスで移動🚌着いたところは甘酒茶屋風情ある佇まい囲炉裏もありますオーダーしたのは…甘酒(温かいのと冷たいの)力餅(いそ
お出掛け先で大きな丸い石のボールの下のちっちゃな花近づいてよく見るとベゴニアだ〜何処からかタネが飛んできたんだね〜
middleofjourney✈︎...MJ...✈︎〜旅の思い出〜"海外生活や旅行で訪れた国々での旅の思い出を写真と共に投稿しています"イタリア・ローマで見たパトカーイタリア・ローマ🇮🇹早朝のスペイン広場でパトカーのロータス・エボーラSが横切った‼︎イタリアの警察なのでスポーツカーのパトカーがあっても不思議ではないかと思った。こんなパトカーはなかなか見る機会も少ないかと思い写真を撮っておきました。当時は知らなかったのですが、2011年にロータス社からイタリ
続木路まず、東折の追分から続木の台へ向かってみます。ここ続木地区には、開基明暦二年(1656)の「伝照寺」があり、文化九年(1812)六月二十九日に伊能忠敬一行が測量時に宿泊していることが彼の測量日記に記録されています。『二十九日六ツ後出口村出立…続木村"林"(丸に林)印まで測る。止宿打上共合二里三町四十八間九ツ前に着。止宿続木村西派一向宗三光山伝光寺(伝照寺誤り)』『七月一日六ツ後続木村出立。同所"林"印より初め…』ちなみに日付は旧暦です
五馬市本村北側、大坪尻へ下る道の手前から分かれ往還道に入ります。舗装された道を50mほど進むとそのまま山路に変わります。こちらも風倒木で荒れています。しばらく進むと枯れ沢に架かる土橋があります。200mほど進むと林道へ。道なりに直進。しばらく進むと広域農道に合流。合流地点を直進する様にそこから往還道が残っています。50mほど進むと八本木・辻の堂です。。ここは八角形に形どられたお堂で樹齢数百年のクヌギ