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寺社No.6084御朱印No.6450妙心寺塔頭壽聖院京都府京都市右京区臨済宗妙心寺派石田三成一族の菩提寺2023年2月26日京の冬の旅特別公開
妙心寺の塔頭壽聖院は、京の冬の旅初公開。狩野永徳設計の庭園や石田三成一族供養塔がある、石田家の菩提寺です。北門の手前を左に入ると壽聖院です。1599年に、石田三成が父・正継の菩提寺として創建したもの。関ケ原の戦いが1600年ですから、まだ正継公の生前のことです。壽聖院という名称は三成の父・正継の法名「壽聖院殿」からきています。三成は関ケ原の戦いで敗れたのち、六条河原で斬首となり41歳で亡くなりました。(画像お借りしました)西軍が敗れたことで、縮小を余儀なくされ解体され
「京の冬の旅」で訪問したところの紹介の続きです。上徳寺のブログを投稿したのが1月26日だったので、だいぶ間が空いてしまいました。今回は、妙心寺の塔頭壽聖院(じゅしょういん)です。ここは初めて知りました。公開されることが珍しい寺院のようです。「石田三成一族の菩提寺」とのことなので、戦国ファンにとっては必見です。大徳寺の三玄院も石田三成ゆかりのお寺で今回の「京の冬の旅」で特別公開されているので、セットで行く人が多いと思います。広い妙心寺境内ですが、壽聖院は北
②のつづき佐和山城には高さ8mの石垣とその上には五重の天守があったとされる井戸跡本丸跡佐和山城跡説明板佐和山城本丸から、彦根城を望む本丸からの眺望(安土方面)中央に見える丘陵は、安土城跡拡大安土城跡、六角氏の居城・観音寺城跡でもある佐和山史跡略図佐和山城は、織田信長の家臣、丹羽長秀の城であったものを秀吉時代に、石田三成が賜ったとされ三成によって、石垣を用いた本格的な戦国の山城へと改築されたという関ヶ原合戦の際には、三成の父・石田正継と、兄・石田
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【問題】石田正継とは、石田三成の父である。○か×か?【選択肢】○×【正解】○【解説】石田正継は三成の父である(他にも複数の諱が伝わる)。近江国坂田郡石田村の出身で、子の三成が豊臣秀吉に出仕すると、正継も秀吉に仕え三成を補佐した。