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あっ!そういえば、昨年惜しまれながらこの世を去った、あの『VANJACKET』創始者石津謙介氏の長男で、ファッションディレクターの走りでもある故石津祥介氏も劇中でロングインタビューに答えておりましたが、その話の下りで面白かったエピソードをひとつご紹介しますと、彼曰く「昔『スキーショップジロー』のところの青山墓地からの坂道下にデザイナーのコシノジユンコのオフィスがあって、当時の車は性能が酷くすぐにブレーキが効かなくなるもんだから、坂道からそのまま彼女のオフィスに突っ込んでくるこ
今宵は、久しぶりにまたピンチで彷徨います。ピンチは、スコッチで有名なヘイグ&ヘイグ社のブレンデッドウイスキーで当時はヘイグの上位ブランドですね。ピンチは、1970年初頭から1980年位までサントリーが輸入していました。ピンチは、ヨーロッパ向けブランドでアメリカ向けにはディンプルというブランドでした。。自分が大学生の時に1977年から1979年まで原宿スコッチバンクでアルバイトしていましたが、当時のボトルキープ代が確か9,000円でしたね。(以前7,000円と書いたのですがやはり9,00
今日のことば石津謙介さんの言葉お洒落な人より、洒落た人になれ。(ファッションデザイナー)
石津謙介(いしづけんすけ、1911年10月20日-2005年5月24日[1])は、20世紀に活動した日本のファッションデザイナー。株式会社ヴァンヂャケット創業者[2]。日本メンズファッション協会最高顧問。高度経済成長期にあたる1960年代の日本に登場した男性ファッション「アイビールック」の生みの親で、“メンズファッションの神様”と呼ばれた。岡山県岡山市出身。石津祥介は長男、ファーストサマーウイカは曾姪孫。我ら石津謙介アイビーイズムは永遠なり。お洒落な人より、洒落た人になれ!髪を染
【「深紅のブレザー」のこだわり✨】59年前1964年の今日10月10日は………『東京オリンピックが開催された日』☝当時は僕はこの世に産まれて8ヶ月の赤ちゃんの頃👶現在のハッピーマンデー制度導入前は今日10月10日は必ず『体育の日』でした☝7年前2016年に銀座に80万人が集まった「リオ五輪祝賀パレード」メダリストは全員、リオ五輪開催式で着用した「赤のブレザー」&「白のトラウザース(ボトムス)」姿……59年前の1964年の東京五輪でも「赤のブレザー」&「白
11月3日文化の日石津謙介さんの言葉『日本の文化に誇りを持ち、物より文化を輸出する国になろう。』を思い出します。単なる感じ方・イメージではありますが、文化とはデジタルよりもアナログなものに思えます。アナログな文化があってこそのデジタル文明なのかもしれません。『文化と文明』昨日メモに残しました携帯電話・スマホは、正に文明の利器。コレが無かった時代、少年の頃は、女性に電話するにも、親には内緒で『チョット散歩してくる』とか何とか適…ameblo.jp
「神戸ニニンガ日誌」(第2,709号)○拙著『施ば報』あとがきに「『おはようパーソナリティ』の道上洋三さんは、1977年に先輩アナの中村鋭一さんから同番組を引き継がれました」と書いた。○道上さんは、44年以上「朝はいつも新しい」と毎朝声を届けてきたが、昨年九月脳梗塞でリハビリ生活となった。○番組は先週末で道上さんが卒業し、今週から小縣アナ・古川アナが担当する。○道上さんは、中村さんから「リスナーは賢者。分からんことがあったらリスナーさんに訊け」という言葉を守り続けた。あと
皆さんこんばんは(^^)/今日は、クリスマスイブそして、明日は、メリークリスマス!なので、キリストに感謝してから…自分へのプレゼント🎁石津謙介ヴィンテージダイ・ジャパンブルーベスト|ライトアップオンラインストア石津謙介ヴィンテージダイ・ジャパンブルーベスト|上質な大人のためのカタログ通販サイト。アパレル、バッグ、シューズ、ジュエリーといった服飾品から、インテリア、ステーショナリーなどの生活・趣味雑貨、食品にいたるまで、世界中から価値ある商品を厳選してお
こんにちは。JukoolBLASTの塾長、吉田憲司です。今回は、「ダッフルコート」を取り上げてみようと思います。実は、このダッフルコートはかなりの年代物です。ブランドは「VAN」、ヴァンズじゃないですよ、正式には「VANJACKET」でしょうか。そう、かの石津謙介氏が創設された「VAN」です。塾長も、中学時代には塾に通っていました。現在も存在する同業なので、あえてここでは名を出しませんが、家からは少し距離があったのです。当時は、子どもの送迎な
『⭐️石津謙介NHK番組告知12月10日』お知らせです。全国のVANファンならぬ、昭和の金字塔VANヂャケット創設者石津謙介先生の番組を、石津先生の出身地岡山のNHKが制作したそうです。事前…ameblo.jp17日は間違いでした。16日午前1:00〜1:25BS1(15日深夜)の告知!
お知らせです。全国のVANファンならぬ、昭和の金字塔VANヂャケット創設者石津謙介先生の番組を、石津先生の出身地岡山のNHKが制作したそうです。事前告知です。見逃しませんよう。僕もVANtownAoyama写真提供というかたちで協力しましたので多分、番組内で橘浩介、もしくは番組最後のクレジットでも紹介されるでしょう。https://www4.nhk.or.jp/P4563/@okayama「アイビーでいこう~石津謙介生誕110年~」12月10日(金)午後7時30分
昨日たまたまですが車の中でかかっていたラジオで石津謙介さんの話になり、TPOというファッション用語を作ったというのが流れていました。一瞬だけの聞いていたので話の流れが分かっていなかったのですが、そもそも若い世代では石津謙介さんが誰なのか分からないと思いますし、創業ブランドのVANも知らないかもしれません。「メンズファッションの神様」といわれた戦後を代表するファッションデザイナー。日本メンズファッション協会最高顧問で、ファッションだけでなく、ライフスタイルから思想にいたるまで戦後日本の文化
【「深紅のブレザー」のこだわり✨】57年前1964年の今日10月10日は………『東京オリンピックが開催された日』☝当時は僕はこの世に産まれて8ヶ月の赤ちゃんの頃👶現在のハッピーマンデー制度導入前は今日10月10日は『体育の日』でした☝5年前2016年に銀座に80万人が集まった「リオ五輪祝賀パレード」メダリストは全員、リオ五輪開催式で着用した「赤のブレザー」&「白のトラウザース(ボトムス)」姿……57年前の1964年の東京五輪でも「赤のブレザー」&「白のトラウ
記事より】詩人で歌人、劇作家の寺山修司さんが興味深いことをいっていました。「私は化粧する女が好きです。そこには虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます」気取ることも虚飾。気取りがエネルギーになるのです。気取る勇気を持つことです。追伸何気なく「寺山修司」で自分のブログを検索してたら出てきた記事を修正しました。
時が経つのは早いもので、あれからもうそんな年月が経過したんですね。2001年9月11日。アメリカ同時多発テロからちょうど20年。高層ビルに立て続けに旅客機が突っ込む映像はまるで映画を観ているような、おおよそ現実に起きていることとは思えないほどの衝撃でした。ちょうど先程からアメリカで追悼式が始まったようですが、犠牲者は日本人24人を含む2977人にのぼるそう
おいらの世代の人なら50%くらいの人が知っているブランドである。創業者は「石津謙介」さん、おいらが"VAN"ブランドに影響を受け始めたのは高校生、30代前半まではブラントは"VAN"から離れていたがトラッドファッションがおいらのファッションのファンデーションだった。50代になってまたトラッドファッション回帰している今日この頃です。"VAN"下の写真のお店が何か月前からある。とても気になるので、ウォーキングの途中で撮ってきた。多分、飲み屋さんだと思う
「天才の頭の中を覗いてみたい」誰もが1度はそんなことを考えたことがあるのではないでしょうか。それでは今や世界一の漫画家と言っても過言ではない「ONEPIECE」の尾田栄一郎先生。この方の頭の中は一体どうなっているのでしょう。「その人の本棚を見ればその人が分かる」という言葉をもとに、尾田先生の本棚に並んでいる本を紹介している記事がありました。
mercarには嵌まりまして、あれこれ見る様になりましたそういえば若い頃は、MEN'SCLUBを毎月買ってましたねちょっと調べてみましたありましたねぇ😀そんな中……気になる表紙がありましたよこれですマドラスチェックです日本では石津健介さんが流行らせたんですよねhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B4%A5%E8%AC%99%E4%BB%8B石津謙介-Wikipediaja.m.wikipedia.orgそういえば、
先日、想い出と共に、青山を青山たる街にしたVANについて記しました。『街は生きている』子供の頃に『森は生きている』という本を読んだことがあります。大人になり『街は生きている』と感じます。最近、それを感じたのは、青山通り界隈。半世紀前の青山は、…ameblo.jpVANの創始者・昭和のファッションを創り出した石津謙介。その面影が偲ばれる写真が掲示されているデパートの一画、KENCOLLECTION。そのブランドコンセプトに石津謙介の言葉が引用されています。男の着る服と
皆さんこんばんは(^^)/今日は、ボーナス支給日ありがたや、ありがたや~以前なら飲みに出たり旅行でしたが…このご時世なかなか難しくなりましたねそして、コロナで困っているのは何処も同じ飲食店と観光業だけじゃなく多方面に影響が出ていると思うので…今日は服を買って福を呼ぼうって事でいろいろ買っちゃいました題して、GoToアパレル支援作戦!?通販と、お店(ヒデちゃんご愛用で長いお付き合いしている)で上記3点ゲット今日は良い買
エンジコート着た櫻井貴史表紙のMEN'SCLUB11月号買いました。メンズクラブ2020年11月号2020年09月25日|試し読み版|雑誌|電子版メンズクラブ2020年11月号2020年09月25日|試し読み版|雑誌-電子版hmc.hearst.co.jp●好印象カジュアルの作り方小誌読者の皆さまであれば、ビジネススタイルを含むフォーマルな装いに関しては基本的なプリンシプルをご存じだと思います。では休日のカジュアルな装いに関してはどうでしょう。「休みの日はどこへ行く
2/133TPOの提案石津謙介ファッションの基本はTいつPどこでOなにを↑高校生の頃メンズクラブを隅々まで読んだしょっちゅうこの言葉が出てきた着たきりスズメではいけないのだと思ったけれどなんせ高校生の一張羅は制服一枚だった時代だその後TPOは服だけでなく仕事にも人間関係にも使えることがわかったなにより驚いたのがTPOが石津謙介氏の造語だということだ↑たぶん今では広辞苑に載っている言葉は生き
https://www.ideelifecycling.com/interviews/017.html石津祥介さん/Interviews/LIFECYCLING-IDEE-「こと」や「もの」に愛情とこだわりを持って暮らす方々の魅力あふれる住処(スミカ)を紹介していきます。暮らしにおける美意識やもの選びの審美眼、遊び心など、より充実したライフスタイルを送るためのヒントやアイディアを発信していきます。www.ideelifecycling.com公私ともに、こんな歴史を作っていきたい
赤いブレザーって着た事ありますか?一般的に赤いブレザーと言えばオリンピックの時に日本選手団が着るユニフォームのイメージがあるかも知れませんが実はそんな事ないんですよモータースポーツからミュージックシーン、アイビーファッションとしても赤いブレザーは幅広く活躍しているアイテムです東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)に日本代表の選手団が着用しましたが同年に発足したモーターサイクルグループ「VINAGECLUB」のチームジャケットとしても採用されましたヴ
外出自粛の中で退屈しないようにと、SNSを通じて「◯◯つなぎ」といったある一定のお題をリレー形式で繋いでいくバトン繋ぎ。一般人を楽しませてくれているのも事実でしょうが、当の芸能人の「バトン疲れ」も垣間見れるようです。「毎日一生懸命生きているだけで精一杯。私に回すのは遠慮して頂けるとありがたいです。」・・・そんな声もほうぼうから挙がっているとのこと。大いに賛成です。繋いでもらって嬉しい人も
東京・四谷、大通りから少し奥まった住宅街に石津邸がある。いかにもアイビー・ルックの元祖らしく、建物を覆いつくす蔦(アイビー)の見事さにまずはじめて訪れる人は目を奪われるに違いない。適度のウイットとユーモア、すがすがしさ、温かさ、もう一つつけ加えるならばこの家は実にチャーミングな匂いを醸し出している。「T・P・O」「トレーナー」「Tシャツ」など今では普通名詞になっているネーミングを考えた天才的コピー感覚の持ち主でもある。石津氏はある著書の中で、「現在もっとも贅沢な住まい方、暮
1966年のメンズクラブを読んでいたら、銀座テイメンの2階にVANSNACKオープン!広告を発見!内容キャッチコピーが面白い!『ハンバーガーとコーヒー!注文すればサッと出てくる。』らしい。サービスがキビキビしていて気持ちがいい。そして味もボリュームも申し分なし。こんなお店が銀座にひとつくらいあってよいはずです。それをVANSNACKが実現しました。とある。ヨーロッパの一流店を研究して生まれた、活気あふれる楽しくて、楽しくてしょうがないお店。喫茶店の暗さを追い払った新しいタイプのスナック、
【「真紅のブレザー」のこだわり✨】55年前1964年今日10月10日は……『東京オリンピックが開催された日』☝当時は僕はこの世に産まれて8ヶ月の赤ちゃんの頃バブー👶現在のハッピーマンデー制度が導入されて無かった頃は必ず今日10月10日は『体育の日』でした☝3年前2016年に銀座に80万人が集まった「リオ五輪祝賀パレード」メダリストは全員、リオ五輪開催式で着用した「赤のブレザー」&「白のトラウザース(ボトムス)」姿……55年前の1964年の東京五輪でも「赤
ひろみちゃん、おばさんくさいよ。元彼ジイに言われました。このワンピース、レースなんだけど。乾きやすく、シワになりにくく、仕事に便利で着てる、楽しようとしてるんだ、私。趣味は好みだから!って言いながら、この人のセンスは大好き。だから、似合う洋服、たまに聞くの。知る人ぞ知る、VANに居たんです。私も、子供ながらに、カッコいい、シブいと、雑誌を見たもんです。当時にしたら、カッコいい流れでしたわ。今だに根強いファンが居ます。余計ですが、VANのボタン
片岡義男世代で育ったことを幸せに思う。そして今もなお、片岡さんに勉強をさせて頂いている。学生時代はメンクラ(MEN'SCLUB)、Hot-DogPRESSやPOPEYEといった、時代を作って来た雑誌から、やがて自分の将来の生活を想像し、少し背伸びをして生きていた様に思う。私の大学学部の大先輩でもあられるVANの創始者の石津謙介さんや、何度か葉書の交流までさせて頂いたくろすとしゆきさんには、粋に生き抜く特別な生き方を教えて頂いたと言っても過言ではない。石津謙介オール・カタログAmaz