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相模原市緑区相原5丁目にある「久保沢道」の道標目印は二本松交差点のところにある「三代目二本松」です
相模原市中央区上溝にある「大山道」の道標場所は田尻交差点のところにあります
相模原市中央区清新5丁目にある「せんぞう峠」の道標氷川公園内に設置されております
相模原市中央区矢部2丁目にある八王子道の道標村富神社の前の交差点付近にあります
相模原市中央区共和1丁目にある「八王子道」の道標写真でもわかります通り緑に囲まれているため発見しにくいです。
相模原市中央区淵野辺5丁目にある「しょうぶ沼」石標不自然に店の前に設置されているように見えますが、店舗ができるまでは石碑の後ろはフェンスが設置されていました。
相模原市中央区上溝にある「わだ坂」の石標亀ヶ池八幡宮交差点側から設置されている場所へ歩くと見つけにくいです
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは金沢市の旧岩根町です。歴史のまちしるべ標柱旧岩根町こちらが旧岩根町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市瓢箪町12-25、浅野川添いにある小さな公園の中にありました。岩根町は現在の彦三町一丁目・瓢箪町・笠市町に当たります。藩政時代初
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは、金沢市の旧玄蕃町です。歴史のまちしるべ標柱旧玄蕃町こちらが旧玄蕃町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市橋場町13-17先にありました。ちなみに玄蕃町は「げんばまち」と読みます。この辺りは加賀藩の重臣・津田玄蕃の下屋敷があったとこ
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは金沢の旧広岡町です。歴史のまちしるべ標柱旧広岡町こちらが旧広岡町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市広岡1-17、醒ヶ井公園の片隅に立っていました。今まで気付かなかったので、見つけた時はびっくりしました(´Д`)。「ひろか」の地
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは石川県金沢市の瓢箪町です。歴史のまちしるべ標柱瓢箪町こちらが瓢箪町の「歴史のまちしるべ標柱」です。金沢市瓢箪町5-48、明成小学校前に設置されていました。ひょうたんってよく平仮名表記を見かけますが、漢字にするとかっこいいですね(´
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは金沢市の旧日吉町です。歴史のまちしるべ標柱旧日吉町こちらが旧日吉町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市広岡1-17-25、金沢駅の近くにある放生寺の前にありました。藩政時代、宮越往還から広岡山王社への山王道が通称日吉町と呼ばれ、明治
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは金沢市の旧木ノ新保です。歴史のまちしるべ標柱旧木ノ新保こちらが旧木ノ新保の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市此花町6-10先にありました。金沢駅の鼓門を出て道路を渡ったところにあるので見つけやすいです。他の歴史のまちしるべ標柱より
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは金沢市の旧巴町です。歴史のまちしるべ標柱旧巴町こちらが旧巴町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市笠市町5-35先にありました。この辺りは加賀藩士の伴八矢の下屋敷(家中町)があったところで、その家紋である左三つ巴にちなんで明治時代の始
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは金沢市の旧淵上町です。歴史のまちしるべ標柱旧淵上町こちらが旧淵上町(ふちのえまち)の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市堀川町13-1先、浅野川に架かる中島大橋の近くにありました。旧淵上町は浅野川の淵の上に出来た町で、藩政時代には堀川
ぱんだの石川県歴史巡り(´Д`)。本日ご紹介するのは、石川県河北郡津幡町にある五反田石標です。五反田石標こちらが五反田石標です。津幡町五反田の八幡宮の近くにありました。この石標は大正十三年に川尻新道から五反田集落に通じる道を開設した記念に建てられたものだそうです。当集落の人たちは、この道が出来るまでは東隣の中須加地内を通り、津幡町に出かけていました。正面の碑文には「遠きと交わり、近きと親しむ」と読めます。当道路の開設を契機に中橋は川尻集落と交流を深め、中須加集落とは従来通り親し
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは金沢市笠市町です。歴史のまちしるべ標柱笠市町こちらが笠市町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市笠市町8-3先にありました。金沢駅から徒歩5分ほどの位置です。藩政時代、この付近に笠問屋が並んで市が立ち「加賀の菅笠」の名は諸国に広まっ
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは金沢市の旧島田町です。歴史のまちしるべ標柱旧島田町こちらが旧島田町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市本町2-8-11先、146号線を金沢駅から犀川方向に歩いて行くと途中にあります。旧島田町は現在の本町二丁目と昭和町に当たります。
東大寺二月堂の北側に佇む、運気改善の『まんなをし地蔵尊』を訪ねました。運気の改善を祈願してきました!二月堂裏参道から石標の左へ入って行きます。右は二月堂に行く参道です。「左まんなをし地蔵尊」の石標。後ろを振り返ると、東大寺大仏殿の大屋根が…まんなをし地蔵尊への道の端に石仏が佇んでいます…ここにも石仏が…まんなをし地蔵尊にたどり着きました。『まんなをし地蔵尊』自然石に刻まれたお地蔵様。きれいな布が掛けられています。まんなをし地蔵尊への地図(
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは、金沢市の旧殿町です。旧殿町こちらが旧殿町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市大手町13-10先に設置されていました。殿町はもとは十間町の地内にあり、藩政時代にその中の武家地を殿町と呼んだことからこの名が付いたそうです。現在の大手町
ぱんだの金沢市地名巡り(´Д`)。加賀百万石の城下町・金沢には歴史を感じさせる町名がたくさんあります。金沢市内には至る所に現町名・旧町名を紹介する地名石標「歴史のまちしるべ標柱」がありまして、それぞれの町名の由来を知ることが出来ます。本日ご紹介するのは、金沢市の十間町です。歴史のまちしるべ標柱十間町こちらが十間町の歴史のまちしるべ標柱です。金沢市十間町44に設置されています。ちなみに十間町は「じっけんまち」と読みます。ぱんだ、ずっと「じゅっけんまち」だと思っていました(´Д`
十三参りの法輪寺「難波より十三まゐり十三里もらひにのほる智恵もさまざま」渡月橋を渡って…孫たちのために^^法輪寺へお参りしました裏参道を上ります。沢山の石段…本来の参道だったのかもしれない本尊は虚空蔵菩薩狛犬代わりの牛と寅虚空蔵菩薩は…うし年、とら年生まれの守護神と言うことに因んでいるらしい△吽形の牛▽阿形の寅電電塔表参道を下りて行く途中にあった法輪寺の鎮守社…電電宮に因んでいるにしんそば腹が減っては戦はでき
名古屋市内の戦争遺跡思いつくままに順番に巡ってきた自転車で*-その15-**洋菓子・純喫茶ボンボン創業:1949年(昭和24年)(名古屋市東区)**久屋大通公園(名古屋市中区)**㊳愛知県庁大津橋分室戦跡では無いけれど...(名古屋市中区)愛知・名古屋戦争に関する資料館*㊴長久山圓頓(えんどう)寺創建:1654年(承応3年)(名古屋市西区)空
名古屋市内の戦争遺跡思いつくままに順番に巡ってきた自転車で*-その6-**北高山成福寺1813年(文化3年)に史上最長の484日間太平洋を漂流した後に英国戦に救助され奇跡的に生還した督乗丸の船頭・小栗重吉の碑がある苦境に没した同航者の供養のために立てられた碑である1824年(文政7年)頃笠寺に建てられた1853年(嘉永6年)に成福寺に移された(名古屋市熱田区)**⑱青衾(あおぶすま)神社熱田神宮
尾鷲市向井の熊野古道センターで開催されていています『くまのみちを歩く~熊野灘沿いの峠道を歩く~』をご案内しましょう。『くまのみちを歩く~熊野灘沿いの峠道を歩く~』とき:8月31日(土)~10月6日(日)9:00~17:00ところ:尾鷲市向井熊野古道センター展示棟ロビーチケット:無料熊野古道センターでは、熊野古道伊勢路や東紀州地域の自然・歴史・文化の情報発信事業としてハンドブ
今日は晴れ☀️梅雨の晴れ間?朝から蒸し暑さがでもせっかくの晴れ間なので洗濯洗濯梅雨に入る直前に日本橋へ行く用事がありました日本橋近辺相変わらず工事中ちょっと寄り道新常盤橋の手前この辺りは昔、一石橋があった場所そのたもとにあった『迷子しらせ石標』石標の裏この辺り江戸時代は人通りが多く迷子になる子供が多かったんですねこの石標に紙を貼って迷子の子供を探していたそうです所謂掲示板ですねこういう文化財再開発などで移動や撤去される事なく昔からあった場所にきち
2024年2月25日(日)に、着物姿で長浜の観光に行きました。自宅から香里園駅まで歩いて行き、そこから京阪本線普通で枚方市駅まで乗り、そこで、特急に乗り換えて丹波橋駅まで乗り、そこで、再び普通に乗り換えて東福寺駅まで乗り、そこで、奈良線普通に乗り換えて京都駅まで乗りました。そこから、特急ひだ25号で米原駅まで乗り、そこで、北陸本線普通に乗り換えて長浜駅まで乗り、長浜盆梅展会場の慶雲館に行きました。慶雲館の入口の門です。慶雲館の説明板です。長浜盆梅展の看板です。慶雲館の中にある神社の
SCALSUN歩部のホームページを更新しましたhttp://sunpoks.zouri.jp/
昨日石標を撮影しに行ってきました。「大島中ノ郷のヤツボ」にも石標があるので行ってきたのですが、ついでに動画を撮影。謎のヘルメットが大島中ノ郷のヤツボに相模原市緑区大島にある「大島中ノ郷のヤツボ」に行く途中の案内看板に謎のヘルメットがyoutu.be案内板のところに謎のヘルメットが…何のためにあるの❓
☆孝元天皇軽境原宮跡(かるのさかいはらのみや)大和国高市郡奈良県橿原市見瀬町718(牟佐坐神社境内)(P無し、北側に境内に上る急坂がありいつもそこに停めています)第8代孝元天皇の「軽境原宮」伝承地。牟佐坐神社境内が該当し、石標は手前の参道に建てられています。かつての参道はもう少し手前まであったようで、牟佐坐神社の方の石標はさらに手前に。現在は生活用道路となり、近鉄線も横断してしまっています。牟佐坐神社では高御産霊神と孝元天皇がご祭神として祀られています。この宮跡へ飛鳥時代に、