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5日吉野ヶ里遺跡へ行って来ました子ども達が小学生の頃行ったきりなので15.6年ぶりと言ったところでしょうか....?うひょー綺麗になっててビックリ!広すぎてどこに何があるのやら?今回の目的は昨年発掘された『石棺墓』が埋め戻されるとの事で最後の公開と知ったからです...高い建物が国を司っていた所ボランティアガイドさんに30分ほど案内をしていただきました鳥居の元となったとされる伝来して来た時はTだったとか...集落の入り口集落には4つの物見櫓があって2つには
九州歴史資料館にやって来ましたこちらも立派です道を曲がるときに小郡市埋蔵文化財調査センターがあって、間違えて駐車場に入ったのがお恥ずかしい電車もありですね西鉄三国が丘駅から10分だそうです基本的に館内は写真NGだったのですが外には石人石馬これもthe九州ですね左から武装石人、石製短甲、石製盾いいです石人石馬列今回の墳活では、岩戸山古墳にいかねば『祇園山2号墳下箱式石棺墓(南棺)』古墳の下から出土、古墳が作られる前の墓4つ石棺墓は頭と足側に各1
吉野ケ里石棺墓調査①吉野ケ里石棺墓調査②卑弥呼の時代の石棺墓と云う事で話題になった吉野ケ里の石棺墓ですが残念ながら遺体も副葬品も出土しませんでした。ちょっと残念?と思っていたところ新しいニュースが・・・なんと「石棺墓」3枚の蓋、もとは1枚の石だったわかった事1,遺跡から約40キロ離れた多良岳(長崎県諫早市)で採れるカンラン石玄武岩2,線刻を行った後に3枚に割った。もとは推定400kgの石だった。3,2枚は線刻のある面が墓の表側に1枚は被葬者に向
吉野ケ里の石棺墓が、24日一般公開されたので、これは実物を見ておくべきだと思って、また行ってきました。ここ神崎駅から歩きます。10数分ほど歩いて西門です。入場料を払って中に入ります。左に曲がって、柵に沿って歩きます。途中に、石棺墓特別公開の案内板がありました。数百メートル歩いて、発掘現場入り口です。こんなパンフレットまでもらいました。ここまでの発掘ドキュメントが載っています。このブルーシートは、発掘調査が完了している場所です。このテントの下に石棺墓があります。見学者がひ
ここの所、連日話題になっていた吉野ヶ里遺跡の石棺墓を6/24(土)、25(日)に特別公開しているそう。【6月24日(土)・25日(日)】石棺墓特別公開について|吉野ヶ里歴史公園石棺墓特別公開公開日時2023年6月24日(土)、25日(日)9:00~...www.yoshinogari.jp先ほどニュース記事で取り上げられていて知りました。もっと早く知っていれば。。。まだ明日行くと言う日程的なチャンスはありますが、個人的に色々とありちょっと厳しいか。。。そ
「閑話休題」(五四)一,吉野ヶ里遺跡で,これまで調査の手がつけられていなかった「謎のエリア」と呼ばれる地区で新たに石棺墓が発見された,との報道があった。佐賀県文化課の手によるものだそうだ。県は昨年,一〇年ぶりに同遺跡の調査を始め,今年四月に石棺墓を発見したという(令和五年六月六日付け,朝日新聞記事)。同記事によると,蓋を開くと内部に赤色顔料が残っていることが確認され,邪馬台国時代と重なる弥生後期,「魏志倭人伝」が記す「クニ」を収めた首長の墓の可能性があるとしている。
先日、当ブログでも取り上げた吉野ヶ里遺跡の石棺墓ですが、大きな期待を集めたものの結局棺内からは(人骨や副葬品など)何も発見されませんでした。卑弥呼と同時期の吉野ヶ里遺跡石棺墓大発見ならず(九州朝日放送)-Yahoo!ニュース邪馬台国と同じ時期の有力者とみられる石棺墓が見つかった佐賀県・吉野ヶ里遺跡で、山口知事が先ほど会見し墓の内部からは人骨や副葬品は見つからなかったことを明らかにしました。山口祥義知事「実際副葬品がnews.yahoo.co.jpこの件については現地のメディア
吉野ヶ里遺跡の石棺墓の発掘作業のニュースを、興味深く見ています。石棺に赤い顔料が塗られていたり、遺跡の上に神社が建てられてたり(そもそも遺跡の真上に神社が建てられたのは、偶然なのか必然なのか?)、興味は深まるばかりです。魏志倭人伝に記載された邪馬台国への行き方が不正確だったとかありますが私は素人だから、邪馬台国が日本のどこにあったとしても構わないとも思っています。悲しいのはこの時代の日本には、『記録』として文字を書くという文化がなかったそうです。逆に言うとそのおかげで、今の私た
いやもう話題沸騰ですね。謎のエリアと言われていた(らしい)、あの神社があった場所から出てきた石棺墓。ここの発掘現場の見学にも2回ほど行きましたが、やっぱり甕棺だけなのか?とか思っていました。しかしついに石棺墓が出てきました。なぜ石棺墓が重要なのか?甕棺とは時代が違うからです。甕棺は、弥生時代中期の2100~2000年くらい前の物ですが、石棺墓は、それより200年ほど後の時代の物で、1800年くらい前の邪馬台国が存在した時代と重なります。これはもうイ
バッター大谷が17号HR。2点を先制されたピッチャー大谷を援護の同点ホームラン。もう涙がでますね。ピッチャー大谷は5回を投げ切って3対3で交代です。バッター大谷は、あと3塁打があるとサイクルヒットです。”MLBで先発したピッチャーがサイクルヒット”を達成してほしいです。プロスポーツ選手に対して、少しぐらいサッカーがうまいだけで、とか、少しぐらい野球がうまいだけで、こんなに。。。って思うのですが、大谷選手への思いは違うんですよね。すごい、もっとお金をもらって!って思います<((´∀`))ケラケ
©Yahooトラベルサイトより(この記事の吉野ケ里遺跡画像全て)最近あまりTVを見ないので、どれほどの話題かは知りませんが吉野ケ里遺跡が話題になっているようです。吉野ケ里遺跡の「謎のエリア」で見つかった石棺墓(せっかんぼ)。6月5日、その石ぶたが開かれました。出てきたのは大量の土砂。これから1週間ほどかけて石棺内の調査が行われるそうです。未盗掘であれば、国宝級の副葬品が見つかる可能性があります。卑弥呼につながるような発見はないかも知れません
佐賀県の吉野ヶ里遺跡で10年振りの大発見、なるか?吉野ヶ里に行ったら寄ってみたい処〜🐈🥤シソ@mokume3000nen吉野ヶ里遺跡の石棺オープン待ちきれんな…あと遺跡近くの「猫野食堂」さん可愛すぎるから行ってみてくれhttps://t.co/7vjt7COOaR2023年05月30日01:31※文中に『邪馬台国時代』という語句が多数出て来ますが、公式にはその様な時代はありません。邪馬台国があったとされる時代=年代とされるのは、2〜3世紀、卑弥呼が亡くなったのは248年頃と記
昨日のニュースです。昨年から始まった吉野ヶ里遺跡の「謎のエリア」で、弥生時代後期のものと見られる石棺墓が発見されたとのこと。吉野ヶ里遺跡の「謎エリア」で新発見、邪馬台国時代の石棺墓か(RKB毎日放送)-Yahoo!ニュース佐賀県の国指定特別史跡「吉野ヶ里遺跡」にある「謎のエリア」で大きな発見です。邪馬台国時代のものとみられる石棺墓が新たに見つかりました。news.yahoo.co.jp吉野ヶ里遺跡では今まで弥生前期~中期(紀元前5~前1世紀)の墓は見つかっていたが、後期(1~3
前回はこちら海峡ゆめタワーの後、下関駅まで歩いて行き、そこから山陰本線で梶栗郷台地駅まで乗り、梶栗郷台地駅の撮影の後、史跡綾羅木郷遺跡に行きました。史跡綾羅木郷遺跡の入口です。史跡綾羅木郷遺跡の説明板です。史跡綾羅木郷遺跡の入口の門です。遺跡への階段です。入口から見た、若宮古墳です。墳丘墓です。墳丘墓の説明板です。若宮2号墳です。若宮2号墳の説明板です。2号石棺墓です。2号石棺墓の説明板です。若宮古墳です。若宮古墳の説明板です。綾羅木郷遺跡でも、僕の着物姿の自撮
みなさんこんにちは青森県立郷土館指定管理者TTHAグループの櫻庭です開催中の企画展新説!白神のいにしえの会期も残りわずかということで、今のうちに展示資料を目に焼き付けておこうと思いますこちらは剥ぎとり標本と呼ばれるもの縄文人のごみ捨て場の土をそのまま剥ぎとって採取しているので、食べ終わって捨てられた木の実の殻などを見ることができますよゴミの集積場を作って、ちゃんと決めた場所に捨てていたんですね以前にも紹介した、西目屋村の縄文遺跡で特徴
みなさんこんにちは青森県立郷土館指定管理者TTHAグループの櫻庭ですついに本日開幕となりました新説!白神のいにしえ-津軽ダム建設に伴う発掘調査成果とともに-初日となる本日は、朝から西目屋村の教育委員会の方と、村民の方が団体で来館してくださいました今回の企画展では、西目屋村の津軽ダムの建設中に行われた発掘調査により、新たに判明した縄文時代草創期(約15,000年前)からの人びとの暮らしを、出土した土器や土偶などの遺物とともにご紹介しています
昭和61年頃、弥生時代中期の下七見遺跡、菊川町五年かけて発掘された。7000本を超える柱穴、887基の土坑が発見された。土笛、新潟姫川産ヒスイ勾玉、日本最古のガラス製勾玉の鋳型も出土した(ふるさと下関より)。綾羅木郷台地遺跡、土井ヶ浜遺跡など北浦海岸側に分布する遺跡から出土する土笛、山形重孤文の綾羅木式土器が出土した。すなわち土井ヶ浜弥生人と同族が生活した遺跡である。周防灘沿岸の下関市王司あたりの遺跡から北九州の弥生人を葬る甕棺とよく似た壺棺が出土しており(参考)、下関市内の北浦海岸側(石
古代、土井ヶ浜の斉系弥生人から古墳時代は石棺墓が主流であった。火葬は8世紀の持統天皇からはじまった。中国の古代の羌族も、古代のユダヤ人も例外的に火葬があるが、石棺墓に埋葬した。ユダヤ教と日本の神道には穢れの概念があることはよく知られている。ユダヤ教では罪人は火葬にする。チャン族も横死者(事故死者)は火葬とし、穢れ概念があるようだ!参考①キリストが生きた時代のヘロデ王の石棺墓が見つかった。(現代のユダヤ教徒は布を巻いて土葬する)【エルサレム/イスラエル2007/05/09AFP】イス