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みなさん、こんばんは。4月は出会いがあると思えば別れも有り。と言うわけで、この時間帯は送別会でガソリン補給中です。さて、宿泊所を後にして駅に向かい、東日本大震災復興の碑に合掌し、駅方面に歩みます。朝早くからロボコンがお出迎え。この時間なら、まだガンツ先生の出番は無さそうですね。余談ですが、ロボコンの食べ物はガソリン、ハートマークのボンネットが開き、中に給油口が有るんです。背中からプロペラが生えて、空を飛ぶ事も出来ます。(年齢バレバレ
1974/02/10石巻線撮影旅行その9お読みいただきありがとうございます。続けますこのときの写真は、カラーとモノクロの順番がよくわからない。行程の記録やネガのメモがまったくない。しかも両方で撮っていないシーンも少なくなく、いろいろ推測したが、結局未解明。鹿又の続きらしい。山並みから、前回モノクロ連写のすぐ先の辺りと推定石巻市,宮城県-Googleマップだとすると、前回の列車が推定通りなら該当する列車は864レか。[864?]曽波神
1974/02/09-10石巻線撮影旅行その8お読みいただきありがとうございます。少々、間があきましたが、気まぐれ更新で続けます。石巻線前回からの続き前回の前あたりから記憶が全くない。そもそも石巻駅の他は、たしか行ったのは前谷地だったという程度の記憶しかなかった。これはという写真が撮れなかったせいもあり、紙焼きを全くしなかったせいもあるだろう。今回の撮った場所も、前谷地というところで少し高いところから撮ったと誤解していた...実際に撮ったところは、検索結果から
4月に入りすっかり暖かくなった。低層山の散策は始まっていたが、今回は石巻市女川の黒森山(401m)に登ってみた。この付近は東日本大震災で、高さ10m以上の津波にのみ込まれ、一瞬にして街が消えた場所。今は、住民のほとんどが高台に移転している。石巻線の始点であり終着駅の「女川」、ここから県内陸の小牛田までの在来路線、1時間に1本の運行で列車を見る事は珍しい。駅から車で数分、女川運動公園奥側の登山口、今回の「赤松の尾根コース」は、もっともポピュラーな登山
JR石巻線女川駅駅には、温泉施設も併設駅の展望デッキからの景色
すっかり遅れてしまいダイヤ改正後にもなってしまったので、単なる撮影記録にしかなりませんが、3月11日の内容になります。東日本大震災から13年のこの日、午後から東松島の慰霊祭(青い鯉のぼりプロジェクト)に参加する前に、石巻線の貨物を撮影に行ってみました。まだ時間が速かった事で急遽決めたので、青い鯉のぼりプロジェクトの撮影の為に持って行ったカメラで手持ち撮影です。1631Dキハ110-123涌谷~前谷地9:43頃すると、キハの来ない時間に踏切が鳴ったのですが
石巻線前谷地駅『「キュン♥パス」使ってみました②』仙石線の主力205系『「キュン♥パス」使ってみました①』「キュン♥パス」でとりあえず仙台まで来ましたJR東日本区間の中で、訪問したことがないのが仙台から三…ameblo.jp小牛田駅から石巻線に乗車。前谷地駅を目指します。乗車したのは陸羽東線仕様のキハ110系。運用は区別なく使われてるんですかね。面白い車両が留置されている小牛田駅構内。2両編成でしたが10人程度の乗車率。「キュン♥パス」効果は石巻線には届いて
昨年の新緑の季節の記録です2023年5月中旬平日2泊3日東北地方を旅行しました昼食後、再び東北自動車道宮城県・古川ICを降り一般道をひたすら石巻方向へ黄金山神社のご案内|黄金色の桜舞う涌谷神社・黄金山神社黄金山人のご案内。涌谷神社は伊達安芸宗重公をお祀り。境内の城山公園から桜並木と涌谷町が一望できます。黄金山神社は国史跡指定「天平産金地」に鎮座する由緒ある神社です。wakuya-koganeyama.info黄金山神社本殿とっても静
鳥取旅行記の連載中ですが、本日は3月11日。東日本大震災から13年目になります。今日は祈りの日でございますねー。ところで、その大地震から9日後の2011年3月20日に最も地球に接近する満月スーパームーンとなったのですがそれをみんなで見上げることを歌った「SUPERMOON」という曲があります。その弾き語りバージョンの公開収録が行われ、先日YouTubeで公開されたのですが非常に素敵な曲なので、お時間のある方はぜひ聴いてみてください!・・・はい、推しの宣伝でございました^^;
1974/02石巻線SL撮影旅行1974/02/09-10石巻線撮影旅行その7お読みいただきありがとうございます。前回の続きさて、いよいよ行程がわからない写真たちとなる前回1003石巻着の827D車中から撮ったと推定のC11196この写真の記憶は全くなかったのだが、後ろの僅かに写る景色から石巻駅であることをみつけ、さらにナンバーから、朝の到着シーンより運用を調べて特定した。どうも撮影構図などから車中での撮影と推定し、827Dにそのまま乗車したと推理した
1974/02石巻線SL撮影旅行1974/02/09-10石巻線撮影旅行1日目その6お読みいただきありがとうございます。前回の続きこのあとの行程がわからない...現時点での推測で、続ける石巻の戻ったようだが、そのあと女川方面に向かうつもりだったらしいそのあとの選択肢はいくつか考えられる1.そのまま女川まで乗り鉄を楽しみ、女川駅で朝のC11249の入れ換えから1890レ出発を撮影して、832Dで石巻方面に戻る2.女川まで乗り鉄を楽しみ、すぐに830Dで折り
1974/02石巻線SL撮影旅行1974/02/09-10石巻線撮影旅行1日目その5お読みいただきありがとうございます。前回の続き前谷地のトンネル手前の位置でそのまま上り列車を撮る機関車が逆行で来るとは予想していなかったのか、正面で撮ってしまった...[860]前谷地917-932湧谷C11215撮影後は、石巻に戻ったらしい前谷地943-1003石巻827D続く
1974/02石巻線SL撮影旅行1974/02/09-10石巻線撮影旅行1日目その3お読みいただきありがとうございます。前回の続き前谷地へダイヤ情報に、計画の跡が残っていたので、移動は、おそらく石巻808-831前谷地3826D前谷地へ行ったことは記憶していた。が、このあとにでてくるいくつかの他の撮影地の記憶と混同していて、どういう場所でどういう構図を撮ったがが混乱。全部が前谷地という曖昧な記憶になっていた。今回の解析(大袈裟)でも、近藤してい
1974/02石巻線SL撮影旅行1974/02/09-10石巻線撮影旅行1日目その3お読みいただきありがとうございます。前回の続き前回のあと前谷地に移動したようだが、その前に...カラーネガ撮影もあるので、ご紹介石巻駅構内のC11196C11215ネガの保存状態が悪く、何とか修正したが、色はいまいち...次回、前谷地へ続く
1974/02石巻線SL撮影旅行1974/02/09-10石巻線撮影旅行1日目その2お読みいただきありがとうございます。前回の続き続いて、小牛田から到着する貨物863レこれは休日は時間変更で早く到着する[変貨863]-741石巻平日は[863]-837石巻となっていて、前谷地と鹿又の停車時間が長いので、貨物の入れ換えをする設定なのだろうか。休日なので、単行でやってきたようだ。C11196そのまま側線に入れ替え作業留置中のC11215
1974/02石巻線SL撮影旅行1974/02/09-10石巻線撮影旅行1日目その1お読みいただきありがとうございます。ちょうど半世紀50年前の2月の連休を利用して石巻線に行った。もはや、記憶がほとんどない。そして、この撮影旅行からは記録も全くない。ネガケースのメモもこの頃から書かなくなっていたので、ネガとSLダイヤ情報と当時の時刻表から再現を試みたが、今回は、流石に、途中からほとんど解釈不明...。とりあえずの推測を記録しておくことにする。もうこの時点で、本州
2023年12月27日大回りの旅は、JRの大都市近郊区間内のみを利用する場合の特例を利用します。大都市近郊区間内のみを普通乗車券または回数乗車券で利用する場合は、実際に乗車した経路にかかわらず、最も安くなる経路で計算した運賃で乗車することができます。重複しない限り乗車経路は自由に選べますが、途中下車はできません。東京近郊は何度も行っていますが今回は初めて仙台近郊で大回りをしてみます。下記の路線図から外れた場合はその時点で乗車区間の運賃を払わなければいけません。先ずは、仙台駅
小牛田からは石巻線で女川に向かいます。前谷地は気仙沼線の分岐駅柳津までは鉄路がありますが、ここ前谷地からもBRTが発着します。前谷地を出て気仙沼線と分かれます。鹿又で小牛田行と交換石巻に近づくと仙石東北ラインのHB-E210系と並走石巻駅に到着しました。あまりいい景色もなく女川駅に到着時間が無かったのでタッチで戻ります。景色が良くなかったと思ったのですが、反対側に座ると万石浦の綺麗な景色が拡がります。石巻の手前で旧北上川を渡り
新幹線で到着したのは古川福島から2駅の新幹線の旅でした。古川からは陸羽東線奥の細道湯けむりラインの愛称が付けられています。鳴子温泉で足止めをくらったことを思い出しました。車内の様子はこんな感じで結構空いていました。そして小牛田に到着し向かいのホームに停車中の石巻線に乗り換えます。列車に乗ろうとしていたら金太郎が牽引する貨物列車が到着金太郎EH500が切り離されてました。どうもこの列車は石巻線を走るようです。発車の時間になりましたので
乗り潰し達成日:2019-10-31乗車日:2019-10-31女川より11時発普通列車小牛田行きに乗車。女川駅は東日本大震災で被害を受けて、少し駅の位置が変わった。川にしては幅が広いなぁと。これは万石浦。海には一応繋がっている。石巻より西は田園風景が広がる。仙石東北ラインが開通して、石巻への主要ルートは奪われてしまった。終点の小牛田へ。女川の滞在時間が短かったからまた訪問したい路線。では。
いつもご覧いただき有り難うございます。今回は、石巻港の製紙工場から首都圏への紙製品輸送がメインの仕業となっているJR貨物・仙台総合鉄道部のDE10の石巻線内での雄姿です。前回も記しましたが、本年3月18日現在、5両のDE10が配置されていますが、昨年のダイヤ改正以降所定の運用はありません。しかし、世の中のトレンドである紙製品の需要減少により同工場の減産が取り沙汰され、それが輸送量減少に直結するとの考え方からDD200の過剰な配置を避け、現在もDE10が代走で運用に就いているようです。貨
石巻駅の石巻線ホームの留置線にキヤ95が。残っている線路を積んでいました。この列車の役目は線路収集なんでね。初めて仕事しているの見た。ちなみに眠いけど寝れません(どうでもいい)
つい先日の事。宮城県に旅行に行ってきた。旅行というより感覚的には”里帰り”に近い。私は小学校5年生から高校2年生まで宮城県に住んでいた。親の離婚で父に引き取られ、父の実家が宮城県だった為、移り住むことになった県である。事情が事情だけに辛い思い出や記憶の多い場所なのだが、家庭環境を除いてはそれはそれは楽しかった。あの頃、友達や学校という居場所がなければ私が私でいられなかったのではないかと思える程、子供が抱えるにしては大きすぎる問題をいくつ
いしのまき、おながわJR石巻線、JR女川線ディーゼル機関車🚃💨
いつもご覧いただき有り難うございます。今回は、石巻港の製紙会社からの首都圏への紙製品輸送がメインの仕業となっているJR貨物・仙台総合鉄道部のDE10です。本年3月18日現在、5両のDE10が配置されていますが、昨年のダイヤ改正以降所定の運用はありません。しかし、世間の風潮である紙製品の需要(=輸送)減少を睨み、DD200の過剰な配置を避け、現在もDE10が代走で運用に就いているようです。今回は、そのうちの石巻市街(石巻―石巻港3.2Km)の様子をレポートします。石巻港駅は、大手製紙会
東北本線松山町駅←小牛田駅→田尻駅陸羽東線小牛田駅→北浦駅石巻線・気仙沼線小牛田駅→上涌谷駅2023年8月11日(金・祝)に訪問した、東北本線・陸羽東線・石巻線小牛田駅の画像をUPします。島式ホーム2面4線の地上駅です。1番のりば:陸羽東線2・3番のりば:東北本線4番のりば:石巻線・気仙沼線Suicaエリアは当駅までです。東北新幹線古川駅へは、陸羽東線を利用します。駅の所在地は、美里町です。東口です。西口です。七夕の短冊です。小牛田駅の駅名由来の説明板です。改
2023年9月24日宮城県牡鹿郡女川町へ行って来た事を書きたい女川町へは仙台から仙石線で石巻に行きそこから石巻線に乗り換えて女川へ到着女川町へ行った一番の理由はJリーグを目指すコバルトーレ女川のホームスタジアム2022年に完成した女川スタジアムを見に行くことであったが同時に東日本大震災で甚大な被害にあった女川町がどのように復興しているのかこの目で見てみたいという思いもあったからだ色々と調べてみると復興にあたり女川町自体をかさ上げしたようで震災前にあった女川駅から現在は内陸に2
ブログを始めてよかったこと教えて!▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう特にどうこうと言う訳じゃないですが、ダラダラ書き連ねて自分は14年経過しました。2019年9月頭に北海道東日本パスを使って出掛けた石巻線にて撮影のDE10牽引貨物列車。ここは備忘録のような感じでもありますね。これからもダラダラ書き連ねていくでしょう。
ご覧いただきありがとうございます。1980年10月01日改正から2題。まずは、小牛田駅。14:32:15発の石巻線833D14:35:30発の陸羽東線733Dが、石巻本(4番ホーム)から続けて発車していました。特33Mや1533レから接続して、3分15秒差で発車。推測ですが、略図の下に広がる小牛田運転区から「733D+833D」の車両が同時に出区。石巻本(4番ホーム)で分割後、客扱いをして、各々の方向に出発していたのではないでしょうか。そのための縦列駐車、続けて発車ではない
ゆのです宮城県に来ています(2020年1月7日撮影)こちらは石巻駅です1892年(明治25年)の鉄道敷設法において「宮城県下仙台ヨリ山形県下天童若ハ宮城県下石ノ巻ヨリ小牛田ヲ経テ山形県下舟形町ニ至ル鉄道」が規定され、石巻に鉄道を敷設することが法律で示されたものの着工はされず、また2度の私設鉄道が計画されたものの実現には至らず、石巻における鉄道敷設は困難が続ていました実業家で貴族院議員だった荒井泰治が中心となって設立した仙北軽便鉄道株式会社が、土地の無償提供や寄付などを受けて、191