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おはようございます。今日から、宝蔵寺で寺宝展が行われます。【宝蔵寺】弘法大師空海の創立と伝えられる。その後、文永6年(1269)如輪上人により元西壬生郷に開基される。弘安2年(1279)に如輪上人が遷化、天正9年(1581)玉阿律師が中興再興された。玉阿律師は天正18年(1590)に遷化、天正19年(1591)に現在地に移転した。本尊阿弥陀如来像は、元禄13年(1700)と刻まれている。天正年間(1573~1591)秀吉の寺町整備により寺町の裏側に当たる裏寺町に移転した。元治元年
さてさて………………JR稲荷駅の【ランプ小屋】を出発したココロは、ランチをとり損ねたがこの日最期となる目的地へと向かった……………おおーーーーーーーっ見えてきたぞーーーっ到着したのは………………【石峰寺(せきほうじ)】京都府京都市伏見区深草石峰寺山町26【羅漢参道唐門】【石峰寺】は、宝永年間(1704年〜1711年)黄檗宗第六世賜紫千呆性侒(せんがいしょうあん)が創始した。平安時代中期に摂津国多田郷に建てられた【沙羅連山石峰寺】に発するという。兵火に遭い、寺は焼失したが、本
日曜日は六甲山へ紅葉狩りにいってきました。ロープウェイに乗る前に鼓ヶ滝へ六甲有馬ロープウェイ🚡に乗りました。これは良かった!紅葉🍁が堪能できました。六甲ガーデンテラスへ六甲山もめっちゃオシャレなっていますね。久しぶりに六甲山の夜景をみました。このロープウェイはスイス製だそうです。ロープウェイ🚡で降りてきたらもう真っ暗でした。淡河の石峯寺でライトアップイベントやっていたので急いで行ったのですが終了寸前!駆け足で写真だけ撮って帰りました。
さて、恒例の秋の旅行今年は母と妹を連れて5泊6日のかなりの日程となった無理して長日程にしなくても良かったのだがもう母も85歳、来年、再来年に一緒に行けるかどうかでもまだ足腰は元気なので(おけらの方が座骨神経痛で足腰弱いかも)今のうちにちょっと頑張ってみるか、という事にした東京駅をほぼ7時に出発京都駅で乗り換え、伏見からスタート7年前に友人達と同じコースを今度は家族で『旅行初日』てな事で京都駅からJRで南下して東福寺へ、有名な通天橋からの紅葉はまだまだ先と言
石峰寺と若冲、京橋の居酒屋金澤成保洛南深草の山裾に、禅寺・石峰(峯)寺がある。江戸時代の奇才画家、伊藤若冲の五百羅漢像を楽しみに参詣した。近鉄龍大前深草駅を東に10分ほど歩くと、朱色の「竜宮造」の門が迎えてくれる。黄檗宗の小さなお寺である。残念ながら五百羅漢像は、写真撮影は禁止であった(拝観料300円)。帰りに京橋で、一杯やることにした。石峰寺の由来と若冲石峰寺は、平安時代中期に摂津国多田郷に建てられた、沙羅連山石峰寺に端を発するという。その後、焼亡したが、正徳3年(
昨日のウォーキングは、母校の近くをウロウロ。「丹波橋」駅から北上して、藤森神社、宝塔寺、石峰寺を巡り、最後は伏見稲荷大社へ。約5kmほどのお手軽コースでした。それにしても、まだまだ暑い。朝10時に集合して、歩き出すとすぐに汗。丹波橋と墨染の中間にある疏水事務所辺り。こんな所、知らなかった。この後、墨染駅近くまで、疏水沿いを歩きました。そして、藤森神社、宝塔寺と参拝。宝塔寺は、深草山。仁王門から本堂に向かう坂を見て、一瞬怯んだけど、ちゃんと登りましたよ。そして、石峰寺。黄檗
50才大学生石峰寺で若冲に魅る京都石峰寺若冲が晩年を過ごしたお寺期間限定で若冲作品をを公開している(現在は終了してしまったみたい)お寺の和室で、ガラスケースも無しにごく間近で若冲筆使いや、墨ののせ方どんな紙を使っていたかが本当に勉強になる若冲顕彰会特別展の立札奥ゆかしい佇まい千と千尋の神隠しみたいな雰囲気ご縁がありそうなお寺だなぁ寺院内は、ほとんどの場所が撮影禁止パンフレットから抜粋米一斗と、若冲の絵一枚物物交換だったらしい現代なら、1万円位で本物の若
おはようございます。台風13号(あっという間に熱帯低気圧になってしまいましたが)の被害はありませんでしたか?さて、今日は伊藤若冲の忌日です。7年前に生誕300年ということで、各地で展覧会が開催されて、伊藤若冲ブームとなりました。あの時、東京都美術館で開催された展覧会では最大320分の待ち時間が話題になりました。待ち時間が話題になった展覧会【伊藤若冲とは】伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716年3月1日(正徳6年2月8日)-1800年10月27日(寛政12年9月10日))伊藤
江戸時代の画家、伊藤若冲が晩年を過ごした黄檗宗「石峰寺」には若冲のお墓があります。晩年は天明の大火によって自宅を焼失。絵とお米を交換しながら、描き続けた若冲。この羅漢参道唐門の裏山には、若冲が下絵を描き石工に彫らせた「石仏五百羅漢」が安置されています。「賽の河原」撮影厳禁につき、この画像はお借りしています。境内の片隅の桔梗は、まだまだ美しく帰り道では、特に歯痛にご利益があると言われている「ぬりこべ地蔵」さんでのんびりと休んでいた猫ちゃんです。今の
名古屋のシンゾウです今朝も良い天気です。シーツと掛け布団を干すことにしました。昨日の問題に誤りがありましたので、お知らせします。【9166】~【9170】の臥龍庵(誤)→閑臥庵(正)でした。思い込みは辛いですね。コメントで知らせてもらうまで、自信を持って間違っていました。この思い込みによる減点は勿体ないですね。本日のブログを更新します。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆本日の問題(860)◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆《漢字書き取り問題》(!)
深草にある石峰寺-せきほうじに行きました。黄檗山を本山とする黄檗寺院だそうです。伊東若冲のお墓や若冲発案の五百羅漢があります。五百羅漢の写真撮影は禁止なので、絵はがきを購入しました。昭和54年放火により焼失するまでは薬師如来が本尊だったそうですが、昭和60年本堂再建時に釈迦如来が本尊になったそうです。近くに伏見稲荷大社があります。夏越の払いの茅の輪が作ってありました。アクセスはJR稲荷駅、または京阪龍谷大前深草駅です。
伊藤若冲が石像の五百羅漢を作った寺は伏見・深草にある黄檗寺院・石峰寺。江戸中期の京都で活躍した若冲は、高倉錦小路の青物問屋に生まれ、23歳で家督を継ぐ一方、画業に勤(イソ)しんだ。当初、狩野派を学んだと云われるが、宋・元・明の中国画を独自に研究、鶏を庭で飼って写実を徹底し、描写力を高めながら独自の画風を開いた。30代後半に相国寺の大殿(ダイデン)禅師に参禅、若冲居士を名乗り、40歳で家督を次弟に譲って絵画に専心、10年以上かけて完成させた
【Q18766】作詞・肥後義子、作曲・山本直純。Jリーグ・川崎フロンターレのサポーターが試合前に合唱し、川崎市のゴミ収集車が流す曲としても知られる、1984年に川崎市の市制60周年を記念して制作された、「♪多摩川の明ける空からきこえるやさしい鳥の歌」という歌い出しで始まる川崎市の市民の歌は何?【好きですかわさき愛の街】【Q18767】明治18年、当時主流だったフランス法学に対し英米法学の影響が強かった旧東京大学の関係者18名によって設立され、専修学校(現・専修大)、明治法律学校(現
おはようございます。今日は伊藤若冲の生誕日です。【伊藤若冲】出典Wikipedia伊藤若冲(いとうじゃくちゅう、1716年3月1日(正徳6年2月8日)-1800年10月27日(寛政12年9月10日))は、江戸時代の画家。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事がありますが、その使用例は見出されていません。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)、心遠館(しんえんかん)、錦街居士とも号します。伊藤若冲といえば、今から7年前2016年
江戸時代の天才画家、と言われる伊藤若冲この人が下絵を描いて石工に彫らせた、と言われる五百羅漢がある石峰寺に行って来ましたー♪ここの五百羅漢は、とっても味があり一つ一つ見てて飽きない…写真撮影ノー、なのが残念パンフレットの写真は笑ってる顔、怒ってるような顔、念仏を唱えてるような顔、泣きそうな顔、無心な顔、鼻が大きい顔、目が丸い顔、苔を被って、益々味わいある石仏、むっちゃ、見てるだけで楽しい…隣の伏見稲荷の人だかりとは全く異にして、拝観してる時に、私以外に居たのはお婆
伏見稲荷から徒歩10分ほど。幾度か参拝させていただいてる「石峰寺」奉拝本堂お参りして、五百羅漢を巡り、お釈迦様の生誕から入滅まで。そして伊藤若冲の墓所に手を合わせ。御朱印いただきました◎★☆★◆★☆★
時間が戻ります。2022/11/18奈良から京都へ移り、まず石峰寺へ一度訪ねたかった、石峰寺へ少し不思議な造りの建物・・・野草溢れる、ものすごく自然体のお庭、紫式部ホトトギス伊藤若冲のお墓を拝むここから、若冲の描いた五百羅漢像がある裏山。撮影禁止🈲中はこんな感じ(パンフレットより)御朱印に、羅漢様が、干し柿野紺菊凸凹の五百羅漢・・・大小の赤き実、残る菊、吊し柿、いろいろ見てほっこり。▪◈▪◈▪◈▪◈▪
名古屋のシンゾウです月刊「京都」12月号が届きました。ペラペラと捲っていると、南座の「當る卯歳吉例顔見世興行」の記事が掲載されていました。歌舞伎には全く興味の無い私ですが、京都検定には出題されることが多々あります。記事の中で気になったのが、相撲でも舞台でも興行の最終日は「千秋楽」と書かれますが、歌舞伎では「千穐楽」と書かれます。「秋」の中に「火」が使われていて、火事に繋がるので縁起の悪いので「秋」は「穐」が使われるそうです。掲載記事、京都検定としては、「吉例顔見世興行」、「當る卯歳」、
練馬で二十年間暮らした。二十三区内でも練馬の夏はとりわけ暑い。地下鉄を乗り継いで自宅の最寄り駅に着くと、思わぬ夕立に遭遇することがある。目も眩(くら)むばかりの青白い閃光と、バリバリバリバリという激しい雷鳴が轟(とどろ)く。傘の利かないひどい雨で、いわゆる都市型豪雨というやつだ。特に「練馬豪雨」といわれている。雨が激しくて駅舎から一歩も出ることができない。駅の出口はすでに会社帰りのサラリーマンやOLで溢(あふ)れ返っている。アスファルトを叩(たた)く白い水しぶきを恨(うら)めしげに眺め
今日は午前中に眼科の検診、午後は「やさしい日本語」を広めるNPO団体の定例ミーティングだったので、ブログを書くのが遅くなってしまった。昨日は、伏見区深草にある伊藤若冲にゆかりのお寺「石峰寺」へ出掛けた。その「石峰寺」からの帰路は、京阪電車「伏見稲荷」駅から電車で帰宅したことなどを書いた。(「石峰寺」の「五百羅漢像」への入口の門)その「石峰寺」から「伏見稲荷」駅へ向かっている間に、不思議なお地蔵さんと2カ所で出会ったので、今日はそれを書き留めておこうと思う。「石峰寺」の
京都市伏見区深草。現在は、京阪電車の線路の西側に龍谷大学のキャンパスが広がる。最寄り駅の駅名も「龍谷大前深草」と改められた。ここの一つ北側の駅は「伏見稲荷」。この「龍谷大前深草」から、〝お稲荷さん〟とは反対に一つ南側の駅が「藤森(ふじのもり)」だが、京都の高齢者の方のイメージではこの一帯は「軍隊の町」。京阪「藤森」駅の東側にある、京都聖母学院の法人本部の建物はかつては師団本部の建物だった。その前の道路は〝軍道〟と呼ばれ、疎水に架かる橋は今も〝軍道橋〟。龍谷大学のキャンパスは、か
名古屋のシンゾウです朝の4時30分です。本日は京都へ行きます。前日から’京都大好きの孫’が泊まり込んでします。名古屋は薄っすらと雪が積もっていますが、京都市内はどうなのでしょうか。少し心配ですが、折角ですので、始発の新幹線で向かいます。「ITパスポート」(情報処理技術者の国家試験)、少し甘く見ていました。自身の記憶力の弱さを忘れていました。このまま受験すれば、得点率は20%程度ではないでしょうか。20数年前に「情報処理第2種」(国家試験、今は「基本情報処理試験」に)に合格していますの
京都旅行初日に巡ったところを駆け足でご紹介♪ここまで11月の京都旅で食べた美味しいお店紹介してきました今日はどこを巡ったかを足早にご紹介します自分自身への備忘録的要素が強いですご了承くださいませ💦まずは初日10時過ぎに京都駅周辺に到着宿泊したイビス京都ステーションに荷物を預け向かっ
神戸市北区淡河町にある石峯寺に初めて行きました。淡河町は、箕谷から丹生山系を北に越え、三木市の手前に広がる自然豊かな農村地区です。石峯寺の紅葉の写真は見たことがある程度で、それほど関心は持っていませんでした。Facebookのあるグループに投稿するようになり、気になる写真を見たので、足を伸ばしてみました。入り口は鄙びた小さな村の寺院のようでしたが、徐々にその奥深さに惹かれることに。1370年もの歴史がある真言宗の寺院で、重要文化財が2つも。1つは行基が創建した薬師堂です。見るこ
名古屋のシンゾウです届きました!受験票です。「専門学校YIC京都工科自動車大学校」が会場だそうです。京都駅から近いので助かります。さぁ!いよいよですね。私も本格的に覚え始めました。やはり中心は寺院ですから、資料をペラペラ....大徳寺の塔頭の詳細が頭から飛んでいました。また、寺の宗派(真言宗、天台宗、浄土宗、臨済宗)は、殆ど忘れていました。これまでは出題されませんでしたが、やはり、基本事項として、大きな寺院ぐらいは、宗派・山号・本尊は覚えなければならないでしょう。出題されてから慌てて
昨日は少々暑いくらいのお天気でしたわたくし地方では今頃キンモクセイが満開歩いてると、あちこちからいい香り〜でも、今年めちゃ遅いよね💦で、夫とたらたら歩いて『宝塔寺』にチラッと寄る仁王門多宝塔で、そこから数分歩いて『石峰寺』へ羅漢さんに会いたくて。。(羅漢とは釈迦の説法を聞き、世人より供養されるにふさわしい悟りを完成した聖者のこと)まず、朱色が印象的な唐門フジバカマやツワブキやいろんなお花が咲いていて千両や万両も。。そして山の方へ入って
ブログ更新5065回目京都伏見のお寺、黄檗宗百丈山(ひゃくじょうざん)石峰寺(せきほうじ)。秋空とコスモス.所長休日散策ぶらり~お散歩旅です。黄檗宗のお寺です。読み方は「せきほうじ」で、「石峯寺」とも書きます。石峰寺の本尊はもともと薬師如来でしたが、昭和に入って放火で燃えてしまい、再建後は釈迦如来となりました。江戸中期を代表する画家の伊藤若冲が晩年ここで草庵を結んだ住んだことから、伊藤若冲が下絵を書いてつくらせたという石仏があります。中でもおとぎ話の世界から抜け出てきたかのような
伏見稲荷の隣の石峰寺には誰も訪れる人もなく、民家を歩き、ひっそりと佇む質素なお寺に到着しました。これは若冲のお墓前の景色。西洋のお墓と異なり、お墓の写真を載せるのは憚られます。この石仏の下絵を書いたのが若冲。写真撮影はダメらしいので、竹林を写したことにして・・・
名古屋のシンゾウです資料を作って印刷、スマホへの転送、フォルダーへの挟み込む....時間を大量に消費します。終わった後の満足感が好きです。でも、よく考えてみると、整理しただけで、全く覚えてはいないのです。この満足感に騙されないようにしましょう。私は、時々、騙されてしまいます。え!こんなこともまだ覚えていないの.....不安が過ります。ともかく....頑張りましょう。――――――――――――本日の問題(264)『小論文対策197:石峰寺』【13991】石峰寺、創建したのは
伊藤若冲最後の庵の深草石峰寺。9月10日の若冲忌には法要と特別展覧会が開かれます。お寺で畳に座りながらあるべき場所で鑑賞できる稀有な機会。可愛い虎さんやシュモクザメに会えます!(髑髏は四条の宝蔵寺かな)裏山の広大な竹林には若冲下絵の圧巻の五百羅漢!撮影禁止なのでHPより。釈迦の一生が表されてます。前回藪蚊が物凄かったので虫除けを振りまくり伺いました💦※コロナで拝観は予約制でした。来年はどうなるか分かりませんがご確認下さい!