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長らく休会していましたが、また少しずつ再開していきたいと思います。その前にお断りをしておきたいと思います。これまで工房知古呂としてブログを書いてきましたが、いろいろ思うところあって、名前をネット工房知古庵と改めることにしました。どうか、よろしくお願いします。
「元号到令和」岳峰押韻と平仄この漢詩は改元一週間前に作詩したものです。平起こり七言絶句で作りました。韻目は下平声一「先」で、押韻はその中の「天、聯、漣」を用いています。(読み)りゅうほうのれいげつやしゅのてんかふくはとうしそうつらなるじこうのしんじょうすでにかぎりなきをかいげんのこくじつかんせいのさざなみ(意味)後の世まで伝えられる良い月です。4月19日の月は平成最後の満月で、珠
(書き下し文)歳陰所感災祥の明暗はなはだ推遷已に過ぐ平成三十年皇運の心憂真意有り改元静かに迫りきて想ひ仙の如しこの漢詩の表題は歳陰所感となっていますが、文字通り年末の12月24日に作詩したものです。この時点では新しい元号「令和」は分かっていませんいよいよあと数ヶ月で平成も終わるという感慨を詠じたものです。平起こり七言絶句の形式で、韻目は下平声一先を選びました。その韻目の中から押韻の文字(遷、年、仙)を用いました。平
偏惜別岳峰作新元号「令和」が万葉集の梅花の歌を元に決まりました。そのことに関連して梅をテーマにした漢詩を紹介しています。先人が残した作品や拙作の漢詩をご覧いただいていますが、確かに梅は作詩の題材としては恰好のものと思われます。年度変わりは出会いと別れの季節でもあります。今回ご紹介する詩は、過去に先輩が職場を去る時に作り、記念にお贈りしたものです。特にここでは直接梅という語は出てきませんが、春寒馥郁という言葉に梅の香りというものが
平起こり七言絶句「春初書感」新元号「令和」に因んで、梅に関する漢詩を掲載中です。作者の安積艮斉(あさかごんさい1791~1860)は江戸時代末期の儒学者で奥州岩代国(福島県)出身で幼少の頃二本松の藩儒に学びました。家が貧しく学資を工面するために、十七歳のとき江戸に出て佐藤一斉の学僕となり勉学に励んだのです。二十二歳になり神田に塾を開きました。その後四十六歳のときに二本松に戻って藩主丹羽侯の出入り儒者になりました。晩年を官職で過
「城下探梅」岳峰作新元号が万葉集の序文、梅の花の歌から名付けられたことで漢詩のブログもしばらく梅の花をテーマにして続けたいと思います。この詩は数年前の2月に彦根城の梅林を訪れた時の感情を詠み込んだものです。詩は平起こり七言絶句ですが下平声十二侵の韻目を用い、押韻は韻目「侵」の中から、「林、潯、心」の文字を使いました。(読み方)じょうかたんばいざんかんりんれつばいりんをおとなふすうひゃくねんぜんきゅうぞうのほと
春寒萌芽(岳峰作)新しい元号「令和」が来月から用いられます。テレビ、ラジオをはじめ報道は新元号の話題で持ちきりです。発表を聞いた直後は違和感を覚えましたが、徐々に感動と実感が沸いてきました。日本の元号は世界で唯一の使用国として誇れる文化と言えましょう。万葉集の梅花の歌の序文から銘々されたとかで、一気に日本の古典文学への関心も高まってきています。この欄でも梅をモチーフに詠んだ漢詩を紹介したいと思います。前回は新島襄の五言絶句「寒
新元号「令和」新島襄「寒梅」本日、平成につなぐ新元号が発表されました。万葉集の梅の花を詠った言葉から選定されたようです。万葉集は万世に伝わるべき歌集、あるいは万(よろず)の葉すなわち歌の集まりという意味が込められています。「平成」が昭和天皇の崩御直後の重苦しい厳粛な雰囲気で決定されたのに対し、「令和」という元号はある意味明るい気分で決められたので本当にめでたいかぎりです。新元号が梅に関する引用から決められたことから、春の
春寒●●○○●●◎眼界田園雪解辺○○○●●○◎紅梅疎影暗香伝●○○●●○●竹籬幽径動詩興●●○○●●◎恰好春寒在我前しゅんかんがんかいのでんえんゆきとけるほとりこうばいのそえいあんこうつたふちくりゆうけいしきょうをうごかすあたかもよししゅんかんわがまえにあり仄起七言絶句韻目=下平声一先韻字=辺、伝、前
×○でたらめ漢詩→修正→仄起こり七言絶句浦島伝説の前半部分、すなわち亀を助けて竜宮城へ行くまでを漢詩にしましたが、文字の羅列だけでは漢詩とは言えないことが分かりました。左がでたらめ漢詩ですが、漢字を見た限りでは何となく意味は分かりますよね。しかし、駄目なんです。まず、この詩をみて、一句、二句、四句の末尾の文字に注目します。「有」、「受」、「年」の文字を音読みするのです。すると、「ユウ」、「ジュ」、「ネン」と響きが違いま
○平仄間違い○韻目間違いこの詩の起句に注目して、二字目「遊」の平仄を調べると平字であることが分かりました。したがって、この詩は平起こり七言絶句の公式を用います。その公式に照らし合わせて平仄を検討したところ、赤丸の処の文字の平仄が違っているのです。すなわち、平字で指定された個所が仄字になり、仄字で指定された個所が平字になっているのです。次に押韻を調べてみましょう。起句、承句、結句の末尾の文字「情」、「契」、「成」の韻目が同じグループの文字を使う必要があるのです
ノウゼンカズラは凌霄花の異称があります今の時期は方々でノウゼンカズラが真っ盛りです。橙色を中心に赤味がかった花がきれいに咲いています。夏の花の象徴としてきれいですが直ぐに落花するのが難点ですね。毎日、花を拾うのが大変です。ノウゼンカズラはつる性の落葉樹で、どこかの木を伝っていくか、垣根などをはって成長していくのです。7月から8月にかけて目を楽しませてくれます。ノウゼンカズラは凌霄花(りょうしょうか・のうぜんか)とも呼ばれ夏の季語としても、多くの俳句などで詠ま
綺花碧空に映ゆ(きかへきくうにはゆ)きかへきくうにはゆりょうしょうかようりょくいんのうちつちをこがすえんいへききゅうをあおぐようえいするせんしかぜかげをもてあそぶしつらいしゅううてんこうにかなふ平起七言絶句韻=東(中、穹、工)○○○●●○◎○●○○●●◎
漢詩?と文字の平仄の確認おとぎ話の漢詩【浦島太郎伝説】・何がでたらめか?浦島太郎の物語の後半です。竜宮の歓待にも飽きた太郎は故郷が恋しくなり、乙姫様にいとま乞いをしました。そのときに渡されたのが玉手箱ですね。ただし、「けっして開けてはいけません」との約束付きだったのです。しかし、故郷に帰った太郎は見知らぬ人ばかりで、数百年が経ったと初めて知るのです。そのショックのため禁断の箱を開けたところ、太郎はたちまちおじいさんになってしまいました。この、おとぎ
浦島伝説(二)「でたらめ漢詩」宴遊漸飽帰心情(えんゆうようやくあくきしんのじょう)手箱享受戻故郷(てばこきょうじゅしこきょうにもどる)変貌驚愕破深契(へんぼうにきょうがくししんけいをやぶる)忽上白煙漁翁成(たちまちはくえんのぼりぎょおうとなれり)以前の浦島伝説の漢詩では、亀を助けて竜宮城へ行くまでを語りましたが、その続きを考えてみました。この作成方法は本筋の手法とは異なり異端なやり方かも知れませんが、ある意味分かりやすいかも?
李白の詩の検証送り仮名や返り点を付けて日本の言葉として漢詩を味わう手法を考えた先人の頭の働きに感心するばかりです。もう少し、説明を加えましょう。起句は上から順に読んでいって、「声を飛ばす」というところが読みと漢字の配置が逆になっていますね。返り点(レ点)を付いた個所は読みの順番をひっくり返して下の文字を先に読むのです。前回にも示した「ヲニに会ったら返れ」という例ですね。承句の場合は、「散じて」の次は「入りて」といきたいところですが、「入」の左下の数字が二と
必ず押韻個所を確認漢詩を作るときのポイント漢詩を作るときに最も大事なことは、決められた個所に押韻(赤丸のところ)を施しているかどうかが問われます。すなわち、押韻がしていない漢文は漢詩とは呼べないのです。押韻するところとは、五言絶句では偶数句の末尾の文字、七言絶句では偶数句と第一句の末尾の文字です。これは重要です。二四不同、二六対、一三五不論などの決まりがあります。また孤平の禁、下三連の禁などがありますが、これらは推敲時に詳しく検討する
工房知古呂の名前は飼っていた犬の名前から!我が家で飼っていた愛犬の名前初代「コロ」、2代目「チロ」、3代目「チコ」です。今はシェルティのチコと生活しています。この3者の文字を組み合わせるとともに、伝統的な家紋や漢詩の意味合いも加味して「知古呂」と付けました。(注)後に「知古庵」と名称を変更しました。
我が家で飼っているシェルティ「チコ」の犬舎を作りました。お祝いに親戚のボーダーコリーの4「チロル」と「ミロン」が来てくれ、記念に写真を撮りました。
李白が生きた時代とは?李白といえば盛唐の時代に杜とともに活躍した偉大な詩人です。李白のの詩は豪放で自由なものが多く、現在まで多くの人々を魅了しています。私は李白というと次のフレーズが思い浮かぶのです。「一杯一杯復一杯」の部分です。いかにも酒好きで豪放磊落の李白らしい言葉と思いませんか?「山中興幽人対酌」(さんちゅうゆうじんとたいしゃくす)という標題です。あるいは「両人対酌」(両人貸借す)という題で示されていることもあります。両人対酌山花開(りょう
復興を願って創作した漢詩熊本城惨害(さんがい)たちまち鳴鴉(めいあ)散じて楼閣(ろうかく)崩る数重(すうちょう)の激甚高層に到る凄涼たる堡塁(ほうるい)城隅(じょうぐう)の石いふなかれ変災(へんさい)再興(さいこう)を期す熊本城の元太鼓櫓が倒れたというニュースを聞きました。先日、大阪府北部で大地震が起きました。最大震度6弱という激震が襲ったのです。その後、テレビのニュースで熊本城の元太鼓櫓が倒壊したとの報を聞きました。大阪地震
漢詩の完成版自分でいろいろと推敲を重ね、気に入った作品にしていきます。検討の経過は省きますが、何日かの間を空けると良い案も浮かぶようです。この詩は仄起こり七言絶句という形式で、押韻は「下平声一先」の中から「辺、憐、縁」の文字を使っています。書き下し文(日本語での読み方)は次のとおりです。原則、旧仮名遣い文を用います。浦島伝説●●〇〇●●◎往昔漁夫歩海辺おうせきのぎょふかいへんをあゆむ〇〇●●●〇◎童児幾度有苛憐どうじいくたびかさいなみある
この漢詩(?)で起句の二字目は「昔日」の「日」ですね。ここの個所の文字の平仄によって、七言絶句の漢詩の公式が決まるのです。二字目が仄字ですから、この公式は仄起こり七言絶句ということになり、次の公式により文字を当てはめて行く訳です。〇は平字、●は仄字、△▲はどちらでもかまわないということですから、それにより検討してみます。赤印部分の文字の平仄が誤っていることが分かりました。その個所の言葉を探し、平仄を公式に合致させる必要が生じました。次に青印の部分、
まず、次の漢文を見て下さい。漢詩の創作を分かりやすくするために、おとぎ話を例にしてお伝えしたいと思います。浦島太郎伝説を取り上げたいと思います。起句、承句は太郎が通りがかりに亀を助けるところ、転句、結句は竜宮城へ行き、遊興にふけるまでを表しています。とりあえず平仄や押韻を考慮せず、意味が通る漢字を当てはめていきます。文字だけ見ればほぼ意味が分かりますね。でも、これは漢詩とは言えないのです。なぜでしょうか?漢詩の規則で検証していきます
いつか京都の寺田屋を見学させて貰ったとき、勤王の志士などの手紙や掛け軸が展示されていたことを思い出しました。掛け軸には漢詩が書いてあり幕末の志士たちの心情が綴られていました。その場合、まず書いてある詩の文字数を数えて、28字なら七言絶句、20字なら五言絶句と分かります。次に漢字は起承転結ごとに行転換せず、続けて書かれているので、七言絶句なら7の倍数の末尾、五言絶句なら5の倍数の末尾の文字に注目します。なぜなら、そこが押韻個所だからです。
七言絶句の漢詩を作る場合、一句(七文字)の言葉の区切りは原則二字、二字、三字の熟語に分かれます。漢詩を作る場合、どのような熟語を用いるかが、腕の見せ所と言えますが、一文字ずつ」漢和辞典を引いていたら膨大な時間と手間を要してしまいます。そこで漢詩作成の救世主とも言えそうな平仄や押韻を考慮した詩語集という便利なものをご紹介しましょう。詩語は平仄別に二字のものが集められていたり、押韻する韻字ごとに三字のものが集められていたりして、漢詩を創作する場合に大変
漢詩を作る場合、押韻(もしくは韻を踏むという)する文字は、同じ韻目(韻のグループ)の中から選ぶことが大事なのです。漢字を音読みしたときの響きが同じだからといって、むやみには用いることができないのです。韻目の分類はあくまで中国語の発音によって決められたものだからなのです。七言絶句の場合、第一句、第二句および第四句の末尾に押韻するということでした。ここで使った韻目(韻のグループ)の文字は、漢詩を詠むときのリズム感を考慮して配置されたものです..
Q.本当に誰でも漢詩が作れるのですか?A.大丈夫です。漢字の読み書きができる人なら誰でも作ることができるのですよ。その証拠にわたし自身もまったくの独学で、一応、恥ずかしくない(と、自分では思っているのですが……)詩を作っているのです……。自己満足かな?たとえば、俳句を作ったとしますね。五・七・五の字数を守り、季語などをいれれば、とりあえず俳句と呼ぶことができるのと同じです。もちろん、技巧を凝らして規則から外れた句を作る場合もありますが、それは名人が効果を狙って意
わたしの名前はチコで~す。今回は家紋の話ではなく犬の話題です。写真はシェットランド・シープドッグ(シェルティ)で、現在8歳の女の子です。わたしをモデルにして紙粘土でパパが作ってくれたものを紹介します。大きさは10cm程度、ほかの犬たちも作ったそうなので写真を載せておきますね。これは本物のチコです