「その理由はその国の中で権威をふるいわがまま放題の人でも、水の中にはいては自由にはなりません。結局息が続かず死んでしまう。そのように水中でも不思議なことに生きていられる龍王であっても、水離れて五十年霊鷲山に登っていたといいますが、どうして干し鮭のように干からびないでいられますか。たとえ説法を聞いても、水中の生き物がどうやって人間の言葉を理解できるというのですか。嵯峨の釈迦[1]、善光寺の如来[2]など、異国から将来のときも龍王の干物がわたってきたわけではないので、その会座に参加した龍王にも本物の