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2022年11月22日(日)14日間の上信越つまみ食い街道の旅、14日目は、上州街道「寄り道・砥石城・米山城と真田郷」(2)「寄り道1:砥石城・米山城」(8:3010:40)「バス停伊勢山」(8:30)「砥石城米山城登山口」(8:41)25812583山道を登る「砥石城と米山城の分岐」右折して、「砥石城」(8:579:23)25942607左折して、「米山城」(9:239:41)26102612下って、?
2023年3月19日(日)上州街道「上田市中央~真田町・鳥居峠」(1)つまみ食い街道の旅(GSV)上田駅前大通りを行く「中央2丁目交差点」右から来る道が北国街道。上州街道は、ここをスタート地点とした。「原町市神社」「池波正太郎真田太平記館」「成澤家の蔵」「中央3丁目交差点」まで、両街道は重なる。北国街道は左折。上州街道は右折。国道188号を横断して、県道180号(住吉上田線)を行く。右に「上川原柳原公会堂」「蛇沢自治会館」国道188号を
山家神社長野県上田市真田町長4473創建は詳細ではない主祭神大国主命伊邪那美神菊理媛神相殿日本武尊神八井耳神山家郷(真田郷)の産土神が祀られた歴史ある神社四阿山の頂上に奥宮をおき山岳崇拝水分の神としても尊ばれている御朱印
連休中、真田氏発祥の地「真田郷」を巡り、真田幸綱、信綱、昌輝、昌幸と真田氏の祖先の地を巡礼しました。まずは真田幸綱夫妻と昌幸の眠る長谷寺。(昌幸は、遺髪と爪が埋葬されています。)続いて真田信綱と昌輝夫妻の眠る信綱寺。最後に真田氏の祖先の墓所「日向畑遺跡」本でしか知らなかった地を巡り、真田の聖地を満喫しました。めでたしっ、めでたし
平成29年4月16日参拝真田幸隆公と三男の昌幸公が眠る長谷寺(ちょうこくじ)は真田家の守護神山家神社のすぐ近くです。六文銭入りのアーチ門真田山長谷寺は曹洞宗の寺院で御本尊は釈迦牟尼仏。真田幸隆公が開いたお寺を昌幸公が整え真田家の菩提寺となりました。絵馬掛けになってる藁の馬は馬供養でお焚き上げするらしいよ。戦国時代はとにかく馬が必要だったからたくさんの馬が犠牲になってきたでしょうね。まだ花まつりやってた〜\(^o^)/お釈迦さまが生まれた時に甘露の雨が降ったんですよ。わたしが通っ
【御朱印なし】平成29年4月16日参拝上田市で車を走らせてたら祭の幟を発見!入り口は逆方向だったようでUターンして出早雄神社を探しました。到着したらお祭り終わって氏子さんバラけてるとこだったんですけど‥三(lll´Д`)特に収穫もなく残念です!!古そうだけど立派な幟!!交差した日の丸ステキ〜(∩´﹏`∩)風が強くて旗があっち側行っちゃってますが。一見素朴な自然岩の手水盤‥深い刻銘がカッコイイ〜!!!寛政9年(1797)の奉納です。御祭神は出早雄命・木花開耶姫命・塩土
御朱印を待ってる間に〝真田相伝六神社御朱印めぐり〟のチラシを発見=͟͟͞͞(๑ºロº๑)宮司さんに聞いてみると、山家神社の兼務する真田家ゆかりの神社にもおまいりしてみませんか〜というもので、御朱印は山家神社授与所でいただけます。参拝した証に写真を撮りながらまわりましょう。①山家神社②真田神社③皇大神社④諏訪神社⑤安智羅神社⑥北赤井神社*③〜⑥は無人社です山家神社と真田神社はおまいりしたからあと4社ではないか!おもしろそうだか
戦国武将ヲタの友達にくっついてついにやってきました真田郷。真田家発祥の地であります٩(๑′∀‵๑)۶NHK真田丸観てます?わたしは観てません。←真田家始祖の真田幸隆公は真田郷を守るために武田信玄の家臣になった‥って泣かせるじゃないですか(ノД`)故郷愛‥旗印の真田六文銭(三途の川の渡し賃)は死を恐れずに闘うという心構えを表していると言われてますが、わたし的に幸隆公が最後に生き延びる為の銭を家臣に持たせてるのだって話に感動したわ。そんな真田家の守護神白山権現をお祀りする山家(
どーも※2016/8/18のお話です。最後にやってきたのは山家神社。この神社は一体何のかと言うと…この掛け軸見た事ありますよね?そう、真田丸の屋敷描写でよく見る昌幸の後ろに掛けられてるアレです。白山と言えば石川辺りですが、あんなとこと真田が関係あるのか?と思ってましたが、地元にある山家神社が白山を信仰してる神社だったってわけなんですね~なるほど、スッキリしました。(-人-)さあ、そしてその隣には真田神社。真田神社と言え
どーも※2016/8/18のお話です。続いてやってきたのは長谷寺。ここにも多くの人が訪れてます。そのワケは…ここが真田氏の菩提寺だからなんですね~(・∀・)真田幸隆夫妻、真田昌幸の墓。(-人-)真田幸隆は昌幸の父。武田二十四将の1人で川中島の合戦や上州進攻で活躍し、真田氏の礎を築いた人物。ご存知、真田昌幸は幸隆の三男。長篠の戦いにて長男・信綱、次男・正輝が戦死した為、家督を継ぎ、真田氏の勢力を拡大。上田合戦などで活躍したが、関ヶ原
どーも※2016/8/18のお話です。続いては一番の見所、本郭・土塁!外からは土塁には見えませんが、内から見るとこの通り土塁です。土塁に潜んでおいて急に射掛ければ効果絶大って感じです。ちゅーわけで本郭。今は土塁の脇を通って本郭に入れるようになってますが、往時はそれだと防御面で欠陥となってしまいますので、直接本郭に入る土塁の脇の道は無かったと考えるのが普通だと思います。続いて二郭。郭と言っても平らではなく、傾斜がありますね。
どーも※2016/8/18のお話です。続いてやってきたのは真田本城(松尾城)。この城は真田郷を守る支城群の中心的城(本城)として機能していたようです。それにしても支城の数が多いなーという印象を受けますが、真田郷を取り囲む城以外にも真田郷から延びる主要街道の入り口を押さえる城があるからなんですね。上田方面はまだ分かるとして岩櫃や沼田方面に勢力を拡大して行けた理由がいまいちピンと来なかったんですが、なるほど街道が通ってるからなんですね。(松代方面は海津城
どーも※2016/8/18のお話です。それでは中へ入っていきましょう。この居館の凄いところは土塁が全周残ってるところ。普通は真っ先に壊されるところなんですが、非常に優秀な遺構ですね~(・∀・)中は西と東に2段の曲輪。東曲輪には上田城に居城を移した真田昌幸が勧請した皇太神社。六文銭があしらわれてますね。(-人-)グランドゴルフ場と化してる西曲輪。その一画には厩と呼ばれる方形の空間があります。まあ、真田氏
どーも※2016/8/18のお話です。自転車を漕いでると沿道に林檎畑がたくさん。甘い香りに心癒されます。(´∀`)たま~にお花の歓迎…ん?(・Θ・;)スプリンクラーwwwwwwなんというセンス。笑そんなこんなで最初の目的地、上田城築城以前の居館・真田氏館に到着です。縄張図を確認しつつ、見所を押さえていきましょう。(・ω・)bこれが大手門。土塁止めに石垣が使われており、大ぶりの石も多い事からも重要な虎口
どーも※2016/8/18のお話です。上州信州ロケ3日目。えー戦国武将の姓っていうのはそのルーツとなった土地の名前を名乗ってる場合が多いです。(例:松平氏→松平郷など)当然、真田氏もそのルーツになった土地っていうのがあります。その名も真田郷。(そのまま)しかも同じ上田市内にあるとの事なんでちょっと行ってみる事にしましょう。(・∀・)/まずは大事なアクセス!車の人は「ゆきむら夢工房」をナビればいいと思いますが、バスの人は上田駅から出てる路