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もう九年ほど前になるが、真田信之と稲姫の末裔になる信濃松代藩第八代藩主真田幸貫の墓碑に遭遇した話をばご披露☝️😅吾輩のガラケー時代の別ブログ「七面堂九齊のしちめんどうくさい話★とんだりはねたり」から...ってか、何で自分のblogをリブログせにゃならん?😓
長野市の象山神社に行ってきました。かの有名な幕末の思想家、佐久間象山を祀っています。読みはしょうざんではなくぞうざんです。入り口にある佐久間象山先生の像です。おーい竜馬では西洋産の白馬にまたがり、ろくに共をつけずに出歩く様子を勝海舟から目立ちすぎて危険と咎められるシーンがありましたね。その後史実通りに河上彦斎らに暗殺されてしまいました。どこの池でも気配を感じて寄ってきますね。飼い慣らされております。おまけの松城範8代藩主真田幸貫公です。佐久間象山を抜擢した名君です。寛政の改革で有名な松平定
旧松代藩文武学校(uchiyama.info)真田宝物館(sanadahoumotsukan.com)松代藩文武学校|信州松代観光協会(matsushiro-kankou.com)『松代藩文武学校』がリニューアル!新体験コンテンツで楽しみながら歴史を学ぶ|_歴史博物館・郷土資料館|_歴史博物館・郷土資料館|トリップアイデア|GoNAGANO長野県公式観光サイト(go-nagano.net)長野県長野市にある文武学校の概要と見どころをご紹介
象山神社の境内には・・・高義亭吉田松陰に海外渡航を進めたことで松代藩に戻ることを命ぜられ戻った松代で9年間過ごした家が高義亭もともとは家老望月家の下屋敷にあった建物だそうです『十思公園と伝馬町牢屋敷』小伝馬町交差点から歩くこと数分現十思スクエア(旧十思小学校)と十思公園とその前のお寺を含めた付近が、江戸町人も恐れた伝馬町牢屋敷だったそうです。十思公園内の…ameblo.jpその間も多くの志士たちがこの高義亭を訪れ2階7畳半の間で今後の日本について熱く議論したともいわ
『美少女戦士セーラームーン』30周年を記念して日本各地の伝統工芸とコラボしたアニバーサリー...atpress.ne.jp江戸の粋な美意識が息づく東京のガラス工芸「江戸切子」の繊細な細工と澄んだ煌めきに、美しい星々の瞬きをうつした江戸切子グラスです。セーラー5戦士と...江戸時代に生産された富谷茶を復活へ宮城・富谷市で茶摘みスイーツとしても商品化を目指すkhb東日本放送江戸時代に盛んに生産された富谷茶の復活に取り組んでいる宮城県富谷市で、茶摘みが行われました。富谷市では5
三百諸侯のなかで他家から養子を迎えたことがない家なんか、たぶん数えるほどしかないんじゃないですか。徳川将軍家と御三家のなかで見ても、他家から養子を迎えてないのは水戸だけです。これはむしろ奇跡的なことだと考えられていて。だから幕末には「水戸の血筋は異様に生命力が強い」という評判?が立ち、それで水戸の息子の一橋慶喜に期待が集まったわけです。それくらい、大名の家が直系で繋がっていることは希です。そもそも田安、一橋、清水の「御三卿」てのは、あれは藩でも家でもなく、「養子待機室」に過ぎない。全国
小学生の頃、担任の先生に「幕末の頃、この信州からも歴史に名を遺す偉人が出たんだョ。」と言われたことが。今日は、その思想家・教育家だった佐久間象山の命日にあたります。なぜ小学生時代の記憶が鮮明かと言うと、先生が彼の名を〝ぞうざん〟と呼び、それが珍名として脳みそに刻み込まれたから。※一般的には〝しょうざん〟ですが、地元信州では〝ぞうざん〟と呼んでいます。象山は1811(文化8)年に、信濃松代藩士・佐久間一学国善の長男として生まれました。父は藩主の側右筆を務め
佐久間象山寓居跡京都府京都市中京区上大阪町516江戸時代に活躍した信濃国松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。通称、修理、諱は国忠、啓、子迪、子明。佐久間家の祖は戦国時代の北信濃葛尾城主で武田信玄を破った名将・村上義清に仕えた佐久間大学。身長は約175cmと長身で、「梟の眼」と目に特徴があったことから、あだ名は、テテツポウ(松代における梟の方言)。藩儒の竹内錫命より詩文、鎌原桐山より経書、町田源左衛門正喜の会田流より和算を学ぶ。象山は数学を「詳証術」と称した。真田幸貫藩主の真田幸良
銅像建立記念碑:真田幸貫・享年62歳:象山の江戸遊学を支援、象山が終生、師と仰ぎ尊崇の念を持った松代藩第八代藩主佐久間象山・享年54歳:象山が40〜42歳で江戸砲術塾を開いたときの門下生勝海舟・享年77歳:象山砲術塾に入門、西洋砲術を学ぶ。吉田松陰・享年30歳:19歳で象山塾に入門、象門の二虎と呼ばれたひとり坂本龍馬・享年33歳:象山塾に入門小林虎三郎・享年50歳:象山塾に入門、松陰と象門の二虎と呼ばれ、塾頭を務める。橋本左内・享年26歳:象山の弟子となる
年末年始は長野で過ごしてきました。いつもは初詣しないのですが、折角なので長野市内にある象山神社に行ってきました。入り口では佐久間象山先生が、自ら馬に跨りお出迎えでございます。江戸の街中を白毛のせいよう馬に跨り闊歩する姿は、かなり目立っていたそうですね。小さい神社ですが、お参りに来る人は多いです。象山先生の像がもう一つありました。地球儀を手に持っています。今はグーグルマップで簡単に世界を調べられるので便利です。地球儀のインテリアとして以外の存在価値が問われます。時の松代藩主、真田幸貫公の
友人から佐久間象山関連の資料を戴いたので、「象山先生」について書きたいと思います。これは明治維新150年佐久間象山先生を顕彰する会・発行のものです。企画・製作は信濃毎日新聞社です。漫画で象山先生の生涯を描いています。これは松代文化施設等管理事務所(真田宝物館)発行のもの。こども向きの佐久間象山と松代の町のガイド本という感じのものです。こちらもとても分かりやすく、しかも詳しいです。他にBDなども戴きました。佐久間象山は文化8年(1811)に松代藩士佐久間一学の子として
幕末・志士幕末暗殺辞世時にあはば散るもめでたし山桜、めづるは花の盛りのみかは※晩年の歌佐久間象山(さくましょうざん、-ぞうざん)生誕文化8年2月28日(1811年3月22日)死没元治元年7月11日(1864年8月12日)江戸時代後期の松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家。松代三山の一人。通称は修理(しゅうり)、諱は国忠(くにただ)、のちに啓(ひらき)、字は子迪(してき)、後に子明(しめい)と称した。位階は贈正四位。象山神社の祭神。象山の号は
こんばんは。続きです。マヤ暦で人物像をよむのは邪道と思う人もいるとはわかっているのですが、幕末の人物をマヤ暦でみてみると、いままで見てきた景色とは違ってみえて、その人物への理解が深まるというか、別角度で見ることができるのが私は楽しいです。そんなわけで真田シリーズご覧ください。佐久間象山が世に出たのは真田幸貫という藩主がいたからです。幸貫公が老中となり海防掛に任命されたことで、象山がその顧問としてブレーンへ抜擢されるのです。当時日本海には外国船が出没しており、中国はア
この頃幕末の偉人について調べて読むようになった。ある人物を調べると、その人物に関わる他の人物のことも調べなければならなくなり、こうしていろんな人物の逸話を読むようになってきたのである。今日は我が両親の故郷長野県の松代藩士佐久間象山(さくましょうざん/ぞうざん)の話を読んだ。幕末の志士・吉田松陰、勝海舟、坂本龍馬らは佐久間象山の門下生である。この佐久間象山が活躍した時代の松代藩主・真田幸貫(さなだゆきつら)公は母方の御先祖様が右筆(ゆうひつ)として仕えていた主君であった。余談だが佐久間象山
最初の対話集会から8年が経ちました。農民側では、年貢の7割にも及ぶ賄賂並びに足軽の接待がなくなり、また、年貢の未納分の棚上げ、理不尽な先納の廃止などにより、きちんとした年貢さえ払えば、あとは、真面目に農作業に精を出してさえいれば良いという安心感があるのです。19世紀に入ると、松代藩は裕福な藩へと変わります。江戸時代後期の藩政改革の名君、第8代藩主、真田幸貫の時代になってきますと有名な『佐久間象山』という人物が出てきます。洋学の研究が進められ大砲や元込め銃の開発
昨日の続きです。今日は松代の天才といえる佐久間象山の紹介です。文化8年(1811年)2月28日、信濃松代藩士・佐久間一学国善の長男として信濃埴科郡松代字浦町で生まれます。生家の佐久間家は五両五人扶持の下級武士でしたが、敷地は8779平方メートル(長方形なら100m×88mの広さ)におよび、母屋のほか槍・剣術道場、学問所、硝石製造土置き場などがあったといわれています。父が私塾や道場を経営していたようです。今思えば中津藩の福沢諭吉の生家も土蔵のある立派な家でした。足軽で城の門番をして
昨日の続きです。今日は文武学校の入口番所から表門と番所です。文武学校説明板です。学舎建設の計画を立てていたときに、佐久間象山は藩家老矢沢監物に「学制意見書及学堂規則」を提出、藩主の真田幸貫は水戸の弘道館を参考にするため、藩の儒官林鶴梁を通じ藤田東湖から組織、経営方法を聞くよう申渡します。真田幸貫は東湖からの詳細な返事を経て建設を決意し、総奉行に鎌原貫唯、奉行に菅沼正身と長谷川昭道を任じ、喰違御用屋敷と、藩士の金井美濃輔の屋敷を併せて地割します。棟梁などを手配し着手しま
平安期の歌会遊び朝倉氏遺跡で曲水の宴中日新聞平安時代の歌会遊びを再現した「越前朝倉曲水の宴(えん)」が五日、福井市城戸ノ内町の一乗谷朝倉氏遺跡であり、平安貴族の衣装をまとった宴者が短歌を..喜多川歌麿を中心に同時代の美人画や役者絵の展覧会大人の社会見学ニュース神奈川県川越市にある川越市立美術館では、現在『黄金期の浮世絵歌麿とその時代』を2016年6月12日(日)まで行っている。喜多川歌麿(1753?-1806年)...中世の時代にタイムスリップ!ハンガリーの魅力を