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【真田大助(真田幸昌)】1615年の大坂夏の陣では父真田信繁(真田幸村)と共に出陣。豊臣秀頼を守るようにと父から命じられ大坂城に戻った。しかし5月8日大坂城は落城。淀殿や秀頼は自刃。大助は自軍速水守久らから脱出を勧められたが拒否「我は真田左衛門佐信繁の倅なり」と叫び大坂城の山王曲輪にて切腹殉死。享年は諸説あるが13歳とも言われる。【楠木正行(まさつら)】父楠木正成は死を覚悟しながら湊川の戦場に。その途中、桜井駅にて正成は長男正行を呼び寄せ「お
容量オーバー言われたので二分割!!続いてこちら九度山・真田ミュージアムエントランスには真田三代人形幸村は義じゃなくて勇。大助が忠ではなく義だと思うんだが…因みに真田丸放送中は人形と一緒に撮影する人達で入口は大行列だったそうです。内部へ。一般的に信之を祖とする信州真田家を真田本家。これとは別に幸隆・昌幸・信繁(幸村)の三代を真田三代というのですが、九度山では幸隆は縁も所縁も無いので昌幸・幸村・大助を真田三代というらしい。上田時代真田安房宛武田勝頼条
本日より5日目。奈良県から和歌山県へ移動。リアルタイム旅行記『実刻旅記・紀伊国』リアルタイム旅行記五日目。本日は和歌山県。真田庵和歌山城(一回目)和歌山城(二回目)和歌山城(三回目)今日は昨日ほど歩かんだろうと思ったがそんな事はな…ameblo.jp今回は伊都郡九度山町へ。真田庵関ヶ原合戦後、九度山村へ蟄居となった真田昌幸・幸村父子の庵跡と伝わる場所に建てられた寺院で正式名は善名称院。真田庵の名称の方がすっかり有名になってしまった様ですがw因みに正面左奥の建物
久しぶりにホテルグランヴィアのロビー展示を見てみました。予想通り雛人形でした。4月から九度山町で開催される「町屋の人形めぐり」の展示です。しかし普通の雛壇と変わった壇が並んでいます。緑の壇は真田大助と大助十勇士と書かれていて,いろんな動物が並んでいます。ちなみに真田大助は真田幸村の子の真田幸昌の通称で九度山で生まれました。十勇士には猫もいますし,結構カワイイですよ。〈アクセス〉JR和歌山駅。ホテルグランヴィア1階ロビー。
ハタチなるかならないかで残された家族に凛とした手紙を残し散っていった特攻隊員…14歳で自爆テロリストに組みついて母校を救ったパキスタンの少年…父の命を受け大阪城を死守して自害し果てた真田大助…一説には13歳であったともいわれる。自分のための受験で泣き言を言い隙あらばサボろうという受験生を見てため息が出る。何がいったい違うんだろう…
2024-11-23さてさて、やってきました今日1番楽しみにしていたスポット到着です九度山真田ミュージアム六文銭のマークがあるね3人の名前の上に一文字漢字があるねなるほど、ピッタリな一文字です入館料を支払い入りまーす昌幸クンはさっきの真田庵にお墓があったね幸村クンは、どこにお墓があるんだろ?大阪の安居神社は命を落とした場所。。。?大助クンは秀頼クンと一緒に大阪城にいて、秀頼クンたちが自刃したのと同じように亡くなったんだよね〜大阪の陣のことについての展示なんだねあ、京都の
さて、昨日『【信長の野望20XX噺】不滅の六文銭(1)(2024.12.01訂正)』別に分割する人数ではないのだが、兄貴の方の数値が出揃ってないので分割。明日には出揃うと嬉しいが、期待は出来ないかなぁと思う。先ずは星5覇道者真田幸村さん生命上…ameblo.jpの続き。結局兄貴の数値は一部わからんままだが、予想でやっていこう。本日最初は星5射撃手真田信幸さん敵全体攻撃反射1T無効敵全体物理耐性−25%(予想値)前列全敵物ダメ0.85中列全敵物ダメ0.85後列全敵物ダメ0.85
期間:2024/11/21〜12/17天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額覇)真田幸村:万死一生の士射)真田信幸:信濃の獅子薬)竹林院:夷険一節の支覇)大谷吉継:金蘭の契り武)真田大助:雄心勃勃の威薬)阿梅:月心玉雪星3射)河原綱家:心眼・参星2射)河原綱家:疑心暗鬼©コーエーテクモゲームス
今まで真田幸村ゆかりの地を巡って各地を旅してきましたが、今回の旅は関ヶ原の戦いの後に徳川家康によって幽閉された高野山と九度山です。高野山から山を下って九度山に向かいます。九度山駅は静かな無人駅ですが、駅中の美味しそうなお店に行列が出来てました。二日目の今日は、九度山の歴史を感じながらのんびり街並みを散策しました。真田古墳美味しそうなお蕎麦屋さん真田庵真田幸村の父の昌幸の終焉の地であり、幸村の嫡男の大助の生誕の地です。九度山・真田ミュージアムこれで真田幸村の主要なゆかりの地はほと
続・大阪城。最初にエレベーターと階段で最上階まで上がってから上の階から順に下の階へ進んで行くという珍しい見学ルートなんだけどなんだそれ!?と一瞬思ったが最上階がスタート→まだ他の階を見てないのでそんなに長く居座らない。最上階がゴール→他の階全部見たしゆっくりしてくかと長く居座る。城の最上階は必ずといっていいほど混雑する。なるほどね。混雑回避になってるわけだ。因みに1階から階段で上がっていく見学方法もあるそうだがほとんどの人がエレベーターで登るでしょうな。というわけでま
令和5年6月17日参拝大歳神社御祭神天王宮素盞嗚神、櫛稲田媛命、大己貴命、事代主命、伊邪那岐尊、伊邪那美命、武甕槌神、経津主神、太田多根子命天皇宮長慶天皇、亀山天皇、後宇多天皇、後二条天皇、後醍醐天皇、後村上天皇大歳神社大歳神御由緒延喜式内社。社伝によれば約1300年前に存在した神社であり、元は「天王宮」「天皇宮」「大歳神社」の三社に別れていたが、文化3年(1806年)に合祀され、更に氏子4町の氏神を合祀し総称として「天王宮大歳神社」となり、現在に至る。拝殿弓道場御久
令和5年5月2度めの参拝大歳神社御祭神天王宮素盞嗚神、櫛稲田媛命、大己貴命、事代主命、伊邪那岐尊、伊邪那美命、武甕槌神、経津主神、太田多根子命天皇宮長慶天皇、亀山天皇、後宇多天皇、後二条天皇、後醍醐天皇、後村上天皇大歳神社大歳神御由緒延喜式内社。社伝によれば約1300年前に存在した神社であり、元は「天王宮」「天皇宮」「大歳神社」の三社に別れていたが、文化3年(1806年)に合祀され、更に氏子4町の氏神を合祀し総称として「天王宮大歳神社」となり、現在に至る。朔日詣の分の御朱
今回の合戦イベントは、陣触れから開戦までだいぶ間が空くことになったので、長らくお待たせする結果となってしまいました。本日は、ラスト、大手柄武将などを告知をします(´∀`)/「道明寺・誉田の戦い」の両軍の大手柄武将は、以下の通りとなりました!※ルビは武将検索用です。┃伊達軍の大手柄武将伊達成実(だてしげざね)鬼庭綱元(おににわつなもと)片桐且元(かたぎりかつもと)松平忠明(まつだいらただあきら)宮本武蔵(みやもとむさし)成実・鬼庭は伊達家臣、片桐は大坂
2021年12月11日この日は、ある目的地へと向かいココロは電車に乗り込んだ………到着したのは、JR大阪城公園駅だ【東外堀】ちょっと雲が多い天気だな本当に久しぶりの【大阪城】………こちらは、大阪城公園内を走る『ロードトレイン』だって有料ではあるが、駅から【大阪城天守閣】近くの【豊国神社】前(桜門手前)まで運んでくれるようだ。【極楽橋】【大阪城】も見えてきたぞあっ『ロードトレイン』だけでなく、お堀めぐり『大阪城御座船』もあるぞっイイネいつから始まったのかな新たな取り組み
私が大阪城を訪れる際の通常のルートは、南西にある大阪メトロ谷町線:谷町四丁目駅から向かっていくものです(^^)途中、大阪府警察本部前を通り、そして、西の大手門、南の桜門を通って、天守閣周辺へ辿り着きます(^。^)ところが、今回は、別に目的があったため、北東側から向かうこととなりました(^-^)いつもとは違うルートを新鮮に感じながらの散策です(^_-)初めて青屋門を通ります(^_^;)説明板によりますと、1620年頃に徳川幕府により創建され、明治維新の大火で被災するものの、その
こんにちは今日もヒマヒマしてましたさぁ今回はずいぶん前に和歌山県の九度山に歴史の勉強に行ってきました神社仏閣はないですその前に腹ごしらえです無料の駐車場に止めてテクテク少し走ると慈尊院さん丹生官省符神社さんに行けますこの坂を登り左に真田庵真っ直ぐテクテク見えてきました到着です門をくぐりテクテクそば処幸村庵真田幸村が信州からそばを伝えたという物語にのせ信州仕込み手打ちの紀州九度山真田そばギリギリ座れましたなかなかの人気のお店みたいですお蕎麦を揚
大阪城天守閣に入館し、2階まで下りてきています(^^)その紹介の続きです(^_^)大阪城・上田城友好城郭提携記念碑のことは(その2)で紹介させていただきましたが、その友好城郭提携を記念しての石造モニュメントがここに置かれています(^。^)左の桐紋が豊臣家・大坂城を、右の六文銭紋が真田家・上田城を表しています!(^^)!現天守閣で使われている鯱、伏虎の原寸大レプリカです(^_^;)友好城郭の上田城、エッゲンベルグ城、ブルターニュ大公城の紹介、姉妹城の長浜城、和歌山城の紹介です(
和歌山県は九度山へ行って来ました「道の駅柿の里くどやま」道の駅の前の紀の川には「鯉のぼり」が泳いでいましたそして『真田庵』にも立ち寄りました真田庵には、今年の1月にもブロ友さんと一緒に来まして少し記事に書きましたので今回は4年前の5月に投稿した記事を少し編集したものを載せました大河ドラマ「真田丸」で盛り上がる真田昌幸、幸村ゆかりの地、九度山町に来ました!道の駅「柿の里くどやま」です!臨時駐車
期間:2020/02/04〜02/26天井:無し倍率:2倍射)伏姫:仁義八行戦)里見義堯:万年君様武)真田大助:雄心勃勃の威武)霧隠才蔵:跳梁霧消
【真田古墳】を出発した我々は、次なる目的地に到着した…………【九度山・真田ミュージアム】和歌山県伊都郡九度山町九度山1452-4前回は、大河ドラマ『真田丸』の時に出来たのかなココロは2回目の訪問となるここは、真田昌幸・幸村・大助(親・子・孫)三代の物語を長く後世へと語り継ぐことを目的とした施設だ。大河ドラマ『真田丸』のキャストが出迎えてくれるちなみに2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』もいいですねぇ毎週日曜日が楽しみになるやはり大河ドラマは「時代劇」じゃないとっ【エントランス】
うっちーこと宇都宮芳綱です前期末にワールド1の本城主から影城主に、真田大助さんを譲与しましたが、詳しくはこちら真田一族よ、影城主で輝け!スキルが完成してない状態のままだったので、こんな合成を試みましたどれが付いてもOKですが、コストで効果が変化する命運ノ渡しは、出来れば避けたい所ではあります果たして結果はう~ん!( ̄ー ̄;避けたいって言ってたのに付いちゃったもう付け替えるつも
九度山の町の散策、真田ミュージアムの紹介も残り僅かです(^_^;)NHK大河ドラマ「真田丸」で使われた陣羽織と壷も展示されています(+o+)真田丸のジオラマです(^o^)大阪明星学園の中学生、高校生が製作したものです(^_−)明星学園と言いますと、現在、真田丸跡地に建っている学校ですよ(^_^)大河ドラマのときの題字ですね(^-^)NHKと連携するミュージアムです(^。^)可愛げな真田十勇士の紹介もあります(^^;)企画展兜戦いのデザインの入口ですが
九度山の町の散策、真田ミュージアムの続きです(^^♪上田時代のコーナーの途中からでして、真田大助の軌跡です(^_^)1601〜1603年頃に九度山で生まれていますから、1615年の大坂夏の陣で自刃したときは、13〜15才ということです(+o+)で、大助は上田のことを知らないわけですから、いきなり上田時代のコーナーの中で紹介するのには本当は無理があるんですけどね(^_^;)真田昌幸について、武田信玄の重臣時代、長篠の戦いで二人の兄を亡くし、家督を相続した件が記されています!
九度山の町の散策、善名称院の続きです(^_^)以前にも見学したことがありますが、ここが宝物資料館の入口です(^o^)まずは、近年に製作されたと思われる甲冑類、さらにはミニチュア甲冑の展示があります(^_^;)真田家系図です!真田幸村(信繁)直筆の書のようです(^-^)幸村使用と伝わる水馬の鎧と昌幸木彫りと伝わる犬です(~_~)幸村使用と伝わる飯盒と真田家の望遠鏡です(^。^)幸村使用と伝わる六文銭入り陣幕の拡大です(~o~)甲冑と、さ
九度山の町を散策しています(^^♪真田古墳から西北西へと進みますと、民家の片隅に高さ2メートルもある米金の金時という陶像があるのが目に止まります(^_^;)説明によりますと、大正時代に南紀莊平という人が焼き上げたものが九度山焼と呼ばれており、その人の作品であるらしいのですが、このように2メートルもある陶像は全国でも珍しいようです(^_^)さあ、ここから少し南へ進みますと、真田庵と呼ばれる善名称院があります!(^^)!九度山で一番の真田の名所です(^-^)/山門です
うっちーこと宇都宮芳綱です前期末、ワールド1でのことですが、活躍の場がなく髀肉の嘆をかこっていた真田一族を、本城主から影城主へ譲与させましたグッジョブ♪('-^*)/真田一族じゃない方もいますが砲が生産出来るようになると彼らの出番はありませんまあそれまでも部隊スキルを考えると姫武将の出番が多く、このままでは限界突破させ溶かすことになる所でしたんで、それならばと影城主に送ることにした次第です彼ら以外にも
<お詫び>読者のみなさまへブログ中の画像が消えました。原因はわかりません。なので、、画像なしの妄想で読んでみて下さい。誠に申し訳ございません。永倉新八前回ブログの続編幸村ゆかりの地『九度山』幸村ゆかりの地『真田庵』正門に到着した新撰組二番隊・永倉隊さっそく巡察を開始した。
今回も、前回記事のつづき=九度山での武者像探しになります。関ヶ原合戦後、真田昌幸・幸村親子隠棲の地・九度山真田庵の近くに「九度山・真田ミュージアム」があります。大河ドラマ「真田丸」の放映に合わせて、その頃にできた施設だと思います。その頃は、エライ混雑ぶりで、施設のスタッフまでもたくさんいらっしゃいましたが、今回も結構な賑わいでありました。真田昌幸・幸村・大助(九度山真田ミュージアム)真田幸村(九度山真田ミュージアム)真田昌幸(九度山真田ミュージアム)真田大助(九度山
久々のブログ更新になります。ワタクシ、大体ネタ切れになると伺うのが、①尾張・秀吉さん系、②幸村さんゆかりの地、③関ヶ原、この3本柱なのですが、今回は久々に昌幸・幸村隠棲の地・九度山に伺いました。真田幸村(真田庵・善名称院)「武将銅像天国」などと謳いながら、今回もまた石像です。しかも、お寺さん・お宮さんによくある「おもかる石」になっちゃってます。幸村さんを持ち上げて「重い」or「軽い」と感じる→どういう意味なのか?よくわかりませんが、こういう感覚は好きです。真田昌幸(
岡田秀文さんの歴史ミステリー小説「秀頼、西へ」(光文社文庫)大坂冬の陣からしばらく後、再度の戦いの気運高まる大坂城。豊臣秀頼の母、淀の方の乳母の息子で、大坂方の重臣である大野治長のもとに、ひとりの男がたずねてきました。男は島津義弘の使いと名乗り、いよいよ、大坂の命運が尽きるようなことになったら、島津一族には秀頼とその一族をかくまう準備があると告げます。このはかりごとを知っているのは、大坂城内ではあとひとり、真田幸村だけだということも。そして、大坂夏の陣前夜、真田幸村は息