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《くまさんぽ》田中博文、通称{くま}が毎週いろんな場所に訪れるコーナーです。2017年も引き続き真田家の人達が関係した場所にattention!本日の散歩はこちら↓信綱寺
《くまさんぽ》田中博文、通称{くま}が毎週いろんな場所に訪れるコーナーです。2017年も引き続き真田家の人達が関係した場所にGO!本日の散歩はこちら↓廣山寺
皆様こんにちわ(´▽`)ノ今日は、武田家最後の居城・新府城をご紹介致します。新府城は信玄亡き後、長篠の合戦で武田家が大敗した後に築かれたお城です。普請を行ったのは、超有名な真田幸村の父・真田昌幸です。(アクセスは、新府駅から徒歩で15分ぐらいでした。新府城から富士山も見えるんですよ)ここから登ると一気に主郭部に行く事ができますが、私は左手に進みました。上記、二枚の写真は三日月掘と言います。名前通り三日月の形状をしています。真田築城術を甲斐まみえた気がします。そして城の南側から登って行
2017年2月11日㈯17時~[attention!]担当は田中博文、通称{くま}です。この番組では毎週《くまさんぽ》と称し、僕がいろんな場所に訪れるコーナーがあります。2016年は真田yearという事で、2017年も引き続き真田家に関係する場所にattention!本日の散歩はこちら→《戸沢神社》先週は初めてのゲストという事でくまさんぽ拡大版という事でお送りしました。またこちらの模様についてはフェイスブックに写真とともにアップしますね。大河ドラマ《真田丸》で信之妻のおこう役を演じ
次は、立札の後ろにあるお地蔵様に、願い事をすると叶うみたいな事が書いてあったので、(//∇//)ちょっとだけ、願い事しました。(//∇//)⬆︎この池で討ち取った首を洗ったらしい…なので首洗池と呼ばれたみたい…もう少しで終わる…_| ̄|○ので、⬇︎は、真田信綱、昌輝兄弟のお墓設楽が原からは、少し離れた山中にあった‼️真田信綱信綱の最期天正2年(1574年)5月に幸隆の死去に伴い正式に真田家の家督を継いだ信綱は[4]、その一年後、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦い
うっちーこと宇都宮芳綱です血染ノ陣が付いた高次さんですが(詳しくはこちら)、更に真田信綱さんでトライすれば、信濃の獅子一択になる予定だったんですが、くじから一向に降臨してくれませんし、かといってわざわざ買ってまでやるほどではないので、手元にあった堀さんでスキル追加にトライします信濃の獅子と比べれば性能は落ちますが、この際どっちでも良いので付いて欲しいです果たして結果はグッジョブ♪('-^*)/
村上義清軍と武田信玄軍の戦いがあった場所です7月23日㈯17時~[attention!]担当は田中博文、通称{くま}です。この番組では毎週《くまさんぽ》と称し、いろんな場所に訪れるコーナーがあります。2016年は真田yearという事で、真田家に関係する場所を散歩してます。本日の散歩はこちら→《千曲公園》千曲公園と聞いてパッと思いついた方はかなりの通です。岩鼻と聞けばすぐわかりますか?千曲公園は岩鼻の上にあるんです。上田市を見下ろすいい場所はいくつもありますが、ここもその一つで
5月21日㈯17時~[attention!]担当は田中博文、通称{くま}です。この番組では毎週《くまさんぽ》と称し、いろんな場所に訪れるコーナーがあります。2016年は真田yearという事で、真田家に関係する場所を散歩してます。本日の散歩はこちら→《御屋敷公園》御屋敷公園とは、真田氏が上田城の前に住んでいたといわれる館の跡です。僕は違う意見を持っていたりするんですが…(笑)公園化されて、西側の館跡、東側の歴史館という構成になっています。場所は、東御市から旧菅平道路をずっと旧真田町
戦国時代の真田家には、ふたりの源次郎(通称)がいます。『加津野昌春』と『真田信繁』です。加津野昌春は、真田幸隆(幸綱)の4男でした。主君武田信玄の命令で、『加津野』の家督を継ぎます。三兄の昌幸も同じく武藤家を継いでいます。昌春は後に『真田』に復姓して、『真田信尹』になります。信尹は小田原北条氏と戦った際に、功績がありました。敵の大将北条綱成が落とした、『地黄八幡』の旗を持ち帰った話が伝わります。もうひとりの『源次郎』信繁は、昌幸の次男に生まれます。武田家滅亡後に上杉氏の参下に入り、越
うっちーこと宇都宮芳綱ですほとんどは素材として溶かしてきた京極高次さんですが、コスパは悪くはないので1枚は育成しようと思い、真田信綱さんからスキル追加トライです血染ノ陣は10合流でこそLV10で25-40となかなかですが、信濃の獅子は条件なしで20-50なので、本命はこちらですね果たして結果はグフッ!><赤文字で一瞬喜んだけど、そっちですかまあこれで次にトライする時は信濃の獅子一択ですね血染ノ陣は
真田ゆかりの地巡り題して、真田紀行~上田市・真田町編~まとめでーすぅえーい個人的に情報を整理・保存したいって意味もあるので、興味のない方はスルーしてくださって大丈夫でぇーーすちょっと退屈なブログになりますwまず、上田菅平インターをおりて、初めに感動したのは、交差点の真田の文字すでに萌え~~上田へは、我が家から高速で2時間近いでーす初めに目指したのは、信綱寺こちらが信綱寺のぶつなでら、と書いて(しんこうじ)と読みます真田昌幸により建立されましたち
~完封~真田の郷である真田町。その周遊バスに乗ると到着する場所の一つにある信綱寺(しんこうじ)バスを降りてちょっとした山道を五分ほど進めば黒門があり、黒門をくぐれば、深緑鮮やかな道が続く梅雨の頃には一面を紫陽花が咲き誇り『あじさいの小径』と呼ばれるこの道を抜ければ信綱寺は目の前だ。信綱寺には真田昌幸公の二人の兄である真田信綱公真田昌輝公信綱公の奥方のお墓が小高い山の一角にある。お二人は武田勝頼公と織田・徳川軍とが激突した長篠の戦いでその命を散らす。そのお墓から見下ろ
おはようございます。今年も歴史を追って、アカデミックに過ごす一面がある、じゅんのすです。さてさて、今回は…こちら。そう、右側です。お茶じゃなくて、本の方。今年、一部のファンの中で絶賛放送中の大河ドラマ「真田丸」でも注目の、真田信繁(一般的には真田幸村の呼び名が有名)。そのお爺ちゃんの真田幸綱叔父ちゃんの真田信綱お父ちゃんの真田昌幸お兄ちゃんの真田信之真田家嫡流のこの四人と、信繁の5人の生涯に焦点を当てた、ちょっとライトな歴史書に近いものです。書いたのは、大河ドラマ
貞松院/松平忠輝の墓(長野県諏訪市)日本隅々の旅全国観光名所巡り&グルメ日記-Seesaaブログ貞松院/松平忠輝の墓(長野県諏訪市),自然・史跡・庭園・寺社仏閣・滝・桜・紅葉・城・古い町並み・温泉・夜景・ご当地グルメなど全国いろいろご紹介したいと思い...エジプト③ルクソール西側観光!王家の墓の壁画に感動生存報告日記~社会人編-FC2王家の墓の壁画に感動.2016/08/06;23:22.ルクソール初日。昨日電車乗ったときに5時に着くよ~って言
未だに梅雨明けしない関東のジメッとした天気にやきもきしつつ始まりました…舞台『SHINGEN』武田家滅亡のきっかけとなる長篠の合戦までをシェイクスピア作品のハムレットに置き変えて演じる作品です。今回僕は真田信綱という役をやらせていただきます!信綱?誰?って方、真田信綱は真田幸村の叔父にあたる人物です!目黒祐樹さんが演じる真田幸隆の長男として最後まで武田勝頼を守るポジションです!本物の鎧を着て走り回るしんど過ぎる夏が来ました!笑大門正明さん、神太郎さん、金すんらさんといった大ベテラン
約2ヶ月ぶりのクエストイベント「桶狭間の戦い」と「長篠の戦い」が明日5月21日よりスタートします。例によって急な告知ですいません...。この両合戦、桶狭間が5月19日、長篠が5月21日に実際に行われたこともあって、クエストイベントでは3年連続同時スタートです。決して業務効率化のためではありません( ̄∀ ̄)どちらも信長の戦いではありますが、その内容は対照的。長篠が盤石の勝利だったのに対して、遡ること15年前の桶狭間はまさに起死回生。京の町衆の間ではレスター優勝のオッズより高かったとか。
戦国大名武田信玄は、甲斐(山梨県)や信濃(長野県)に加え、三河や美濃の一部など広大な土地を支配していました。その息子勝頼はさらに領土を拡大します。意外にも、武田の版図が大きい時代は勝頼の代です。信玄は自分の死後、『内政に重きを置き、領土を維持するよう』を遺言で伝えました。しかし、跡をついだ勝頼は、『国の外』で戦い続けたのです🍀研究者はこの点を指摘して、「勝頼は美濃や三河の土地を捨てて、甲斐に籠るべきだった。」と言っています。山岳地帯の甲斐や信濃に立て籠り、持久戦に持ち込めば武田に勝機
戦国武将真田信綱は安房守昌幸(幸村の父)の長兄に当たります。信綱は猛将で聞こえ、武田24将の一人に数えられました。数々の戦いに手柄を立てるも、長篠の戦いで亡くなります。本書では、信濃豪族の真田家に生まれ、武田信玄に見いだされていく様子が描かれています。真田家初代とされる幸綱(幸隆、信綱の父)は謀略家でしたが、長男信綱は武勇の将として描かれています💠。典型的な戦国武将で戦いたくてうずうずしているのです。しかし、義理も妻も大切にし、弟の昌幸の才能も認めるというストレートな性格の持ち主とし