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月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月(「夏山雑談」)と歌われた中秋の名月は、旧暦八月十五日の月のこと。今宵は平城京跡の朱雀門をいれて撮ってみた。春日山から昇る名月名月を観ながら、奈良時代の貴族たちが催した宴にはどのような食事がふるまわれたのだろうか。古代食メニュー〇蘇(そ)乳製品〇楚割り(すわやり)魚の干物〇脯穴(ほじし)干し肉〇白酒(しろき)にごり酒
かみかかくたまのみすまるていしんしいてるますみのまたくかかみか(神掲ぐ玉の御統挺身しい照る真澄の全く鏡が)解説掲ぐ(かかぐ)は「高くあげる。さしあげる。」「人目につくように示す。」、挺身(ていしん)は「人の先頭に立ち身を投げ出して物事をすること。」、いは「主として動詞に冠し、語調をととのえ、意味を強める接頭語。」、真澄(ますみ)は「まことによく澄んでいること。まそい。」、全く(またく)は「(形容詞マタシの連用形から)すっかり。まったく。」、鏡は「滑らかな平面における光の
すへかみのまたみかかのみすまるなるますみのかかみたまのみかへす(皇神のまた見賀歌のみすまるなる真澄の鏡霊のみ返す)解説賀歌(がか)は「祝いの気持ちを表した歌。古今和歌集をはじめ、勅撰集部立ての一つとして、これらの歌を納めるが、特に長寿を祈る歌が多い。賀の歌。」、すまるは「集まって一つになる。すばる。」の意味です。
Facebookで、白山のサルタヒコ(https://www.facebook.com/sakai.youiti)と久しぶりに交流した。というか、10月は人間と交流することを自分に課しすぎて(満月と酒と、アワとスワ)ほとんど誰とも交流していなかった(じゃあ、交流してなかったのは誰なんだ?)。多くは記録することもできていないで、アカシックにそのまま格納されている。久高島で出会ったころ、無名だった(はずの)白山のサルタヒコは(そのときご一緒した当時こちらもガイドになる前の我那覇れなちゃ
旧暦では、7月〜9月が秋。7月が初秋、8月が中秋、そして9月が晩秋。月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月と歌われた中秋の名月は、旧暦8月15日の月のこと。今年は本日(10月1日)が中秋の名月にあたる。今年は大池から撮ってみようと出かけると・・・これは密に近いと思われるほどの人出・・・マスクをして撮影準備・・・。大池越しに上る名月を撮ってみた。ムーンロードが黄金色に輝く
とにかくこれを知らせないと!と思って書いている。締め切ってあるはずの部屋に朝の散歩から帰ったら蝉がいた。しかも、人に頼んで出してもらうまで、鳴くこともなく、じっとしてて窓をあけて、「飛べる?」と言われたら、静かに飛んで行った。蝉は、七夕で、高野山でみた(七夕だから〜比売神さまと空海とE.T.と)。筆と巻物を持った怖い顔の人の胸に止まってたやつだ。これはなんかすごいメッセージのはず!!!東京では今の時期がお盆である。安
連載「あなたの知らない神社仏閣の世界」2020.1.1107:00dot.#神社仏閣鏡餅まだまだお正月気分は抜け切らないが、“二十日正月”という言葉が残るように、正月20日に祝い納めをするという古くからの風習が未だ残る地方も多く、正月気分が残るのは仕方のない話である。【魔除けの小豆パワー“ぜんざい”】そして今日、1月11日は鏡開きの日である。鏡開きとは、簡単に言えば歳神さま(仏教では各仏さま)に備えていた鏡餅を食することを指す。ぜんざい●神さまの依り
目路はるか向こうの空より、紫の雲を押し分け、歓喜に満ちた言寿に包まれ、黄金の光まばゆい神輿が進んでくる。神輿のまわりには、幾百とも知れぬ旗指物が林立している。空中を流れるように走る神輿は、喜三郎の前に静かに下る。扉が開き、玉容まばゆいばかりの崇高い神があらわれ給う。――あ、国常立尊さま。第一回高熊山修行で、喜三郎はすでに拝顔している。「上田喜三郎、この方と共に、今より天国に来れ」かたじけなさにひれ伏す喜三郎の背を、神はやさしく撫で給う。思わず天地開けた心地し、感激