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天理教では、年祭といって、教祖没後の10周年ごとに祈念する特別なイベントがあり、信仰活動を活性化させるための行事が10年ごとにある。この年祭活動は毎回3年千日という3年間の特定期間をもって3年前から企画されるのが常である。元来、本席様が在世中にこの年祭活動、3年千日の教理が確立された。それが本席没後も形式的に残されたといえる。年祭活動にあたり、毎回、真柱から諭達という地場からの声掛けが発して、この日を迎えたのであった。教祖百年祭の頃は、私の学生時代で、「百とは白紙に戻して一より
以前書いたものを、更新しました。『高慢と言われた茨木基敬さん』<天理教の立教:神と人との組織化原初形態>10月26日という日は、天理教が始まった日として永遠に記憶され、もっとも重要視される日とされる。それは、この日に…ameblo.jp
2代目の真柱の中山正善が、第23回国際東洋学会(ケンブリッジ大学)で報告された際の講演のタイトルです。「天理教教理に於ける神観念について」と和訳されるもので、権威ある国際学会で堂々と天理教の意義について報告されたものでした。Readatthe23rdInternationalCongressofOrinetalist,Cambridge,26August1954.中山みきへの神の啓示(thedivinerevelationtoMi
教祖が執筆された『おふできさ』は人類に公開された最初の天啓録であり、だれもが読める日本語だ。しかし、その神意には時代と共にさらに明らかにされるべき普遍的な原理が隠されている。明治2(1869)年から『おふできさ』が執筆されてはじめ、この歌は第1号のものである。このたびハやしきのそふじすきやかにしたゝてみせるこれをみてくれ(1-29)[この度は屋敷の掃除すきやかにしたてて見せるこれを見てくれ]「この度」とは、1869年の時点だけでなく、現在の2025年
■きょうのおさしづを読む(6月27日)2025/06/27「神一条の道は、表と裏とある。…内に運ぶ人が少のうてならん。これをよく、世上にやないで、心に定めてくれねばならん。」きょうとりあげるおさしづはこれです。明治二十一年五月二十一日午後四時【#210521B】増野正兵衛身上播州より帰りての願さあ/\いずれ/\道を通る。同じ道を通る。どういうものであろう。身上に一つ障りあり、先々は治まりてある。さあ/\神一条の道は、表と裏とある。裏の道は誠の道、一つさあ/\日々に
■きょうのおさしづを読む(6月23日)2025/06/23「細い楽しみの道、速やか掃除したら、いかなる心、あちらもこちらも見えない。順々治めてくれるよう。」きょうとりあげるおさしづはこれです。明治二十一年四月九日(陰暦二月二十八日)【#210409】真之亮不在中おぢばへ巡査踏み込み来り、寄留なき故厳しく言うに付、増野正兵衛国々所々へたすけに行って宜しきや、おやしきに踏み止って宜しきや伺さあ/\尽す処、その日/\心、その日/\心、さあ/\幾重だん/\尽す。あちらにも
■続連載・天理教学B1春学期講義ノート#(9)■教祖の歩まれた道③世界だすけの道(9)つとめ場所*教祖は熱心な信仰者があらわれるのをまって、救済の根本を教え、具体的に進めていかれることになった。*「六十七才より神の世帯をしたで」(梶本宗太郎「教祖様のお話」)→元治元年『復元』第22号所収)■元治元年(1864)つとめ場所のふしん⇒「この普請は、30年の見込み。」(教祖伝59頁)つとめ場所の普請に関して、おさしづの記述を見れば、親神の世界たすけの構想が手に取るように
以前の記事を改訂しました。『平成10年、世俗化した真柱様のその時の決意』産経新聞の記事から転載します。平成10(1998)年6月18日新真柱の中山氏会見 「これまでの路線を継承」 天理教天理教の新「真柱(しんばしら…ameblo.jp今の真柱様がリハビリで回復されてきたご様子で、身上を押して、おつとめに出られるお姿が信徒に勇気と希望を与えております。心の成人をするにはどうすれば良いのか。日々の与え、磨きの事情をどれだけ喜べるのか、しっかり心澄まして通
大正4年の年末に、中山正善は数え11歳のとき、初代真柱が49歳で早世され、ただちに管長(真柱)に就任した。大正5年は、教祖30年祭で、信徒が15万人も地場に帰参したという(青地、p.225)。教祖30年祭に先立ち、本部神殿、教祖殿などが新築された。東洋一の木造建築物が出現した。しかし「その莫大な費用をひねり出すために、山のような借財をかかえこんだり、貧窮に落ち込んだ教会もすくなくない」(青地、p.225)「この三十年祭の一年前、初代真柱の中山真之亮が出直した。一部の信者のあい
現教団が『おさしづ』を軽んじ、天啓継承の可能性を無視しながら、教祖(おやさま)のひながたの道をたどりなさいと諭達四号で、強調されております。存命の理をはきちがえて、教祖(おやさま)は存命であると言っても筋が通りません。改めて、存命一つの理について、『おさしづ』にどのような書かれているのか、復習してみましょう。本稿の参考資料として、植田義弘氏の『おさしづに啓示された理の研究第一部天の言葉』(なるほど編集室、昭和52年改訂4版、42頁)に引用された、『おさしづ』を利用します。
令和4年10月26日、ご本部秋の大祭にて、真柱様から、諭達(ゆたつ)第4号が発せられた。脳梗塞か何かで倒られた真柱様であるが、公の場でのご発言に、天理教の信徒達からもかなりの親愛の情が寄せられたことであろう。この中で、存命の教祖(おやさま)を慕うこと、教祖の御生涯がひながたの道として、信仰の原型(モデル)であることが改めて、開示されていた。諭達(ゆたつ)とは、天理教の教団指導者トップである真柱(しんばしら)が全教にむけて、発する公式の指示書で、現在の神意がわからない中で、教団として最高
horeken様の純粋な信仰心を求めるお心に答えして、以下の存命の教祖の思惑とは何かを一緒に思案したいと思います。これは私の8月10日の投稿(以下のサイト)へのhoreken様のコメントにお答えするものです。『天理狂批判に対して』以前に書いたものを補筆しました。一番読まれているブログ記事です。真柱の権威の源泉である、「おさづけを渡す役割」がいつから、そうなったのかの歴史的背景に…ameblo.jp純粋に理を求めるお方の気持ちが2度のコメントから感じられました。本当に有難
以前に書いたものを補筆しました。一番読まれているブログ記事です。真柱の権威の源泉である、「おさづけを渡す役割」がいつから、そうなったのかの歴史的背景にも、実は触れてあります。旧統一教会への批判にも関連して、補筆しました。『天理狂への内部告発を読んで―多額の献金をした親戚、T大の先生に頼る本部員先生』Twitterで、盛んに教会本部の体制に体験的な立場から批判されているお方が語っていることhttps://twitter.com/toku_Music123…ame
以前書いたものを、改訂しました。『神なる真柱にお願いして?』『天理教資料研究』(宇野晴義、昭和48年)によれば、以下のような記述がある。本席様は「神が入り込めば、神や、神が去れば人間である」とお聞かせ頂ているが、真柱…ameblo.jp天理教の教団のトップリーダーの在り方について、その存立意義について、及ばずながら提言したものです。わたしが安倍首相なら、最後に云いたかったことは、ここに書かれています。いかなる政治家といえども天の声に耳を傾けて、わが身や世界
教祖(おやさま)の神意は『おふでさき』1711首に書き残されていて、日本語がわかれば、だれにでも等しく理解することはできる。その他、口伝や言い伝えもあり、教祖の言葉だとされるものが歴史的に残されている。ここに紹介するものもそうした貴重な教祖の言葉であり、以下、書き残したい。ただ正確性を欠いていたり、聞き間違いもあるかもしれない。そういった限界も認識しつつ、ご紹介します。これは『梶本宗太郎自叙傳』(橋本正治編、昭和32年)に記載がありました。宗太郎の祖父、惣治郎の筆跡で、
『おふでさき』には暗号のようなお歌があり、以下もそのような一首です。十一に九がなくなりてしんわすれ(3-73)正月廿六日をまつ“十一に九が無くなりて芯忘れ正月二十六日を待つ”【理の思案】ここにはいろいろな説があり、明治二十年正月二十六日に、11歳のたまえ様で、90才の教祖の御年のことだと言うものです。ただ、『おふでさき』3号が永遠の真理を唱える書とすれば、「真の柱」や「しん」の意味にも重きを置くべきであり、人間の心の芯の在り方に、より焦点
今日は全教一斉ひのきしんでーだった。姉と次女とファミール場所に行った。真柱様のお話とよろず八首を唱えさあ草取りするぞ〜っと思った矢先ザーッと雨が降って来て10分程で終了となった。その後、姉と次女と3人でモーニングに行ってお昼まで喋った。きのことチキンのドリアフライドポテト(業務用)サラダ🥗
朝は、爽快な目覚めでしたいつものようにソファーに手をかけて軽い運動筋肉痛?昼食を食べるのも辛くて鎮痛剤をのんだら3時前?くらいから寝てしまったようですきょうがまた無くなったでも、アンラッキーではなかったよブルースカイブルー西城秀樹youtu.be
SNSで情報が飛び交い、何が真実で、何がフェイクなのかが日々問題となっている。虐殺があったのか、なかったのか。そこには言葉の信頼性に依存する我々は社会の在り方、秩序が関わっている。教祖(おやさま)が始めたこの道は、一人の女性が発した神の言葉によって始まった。そのお言葉を真実と受け入れるか、軽く扱うか、信じるか。逆に疑うか、反対するか、弾圧するかは人間次第であり、人間の自由にゆだねられる。今でも世界でも数%以下も信徒がいない。この道はじまり、まだ184年目である
これは『おさしづ』の一節で、神様から、松尾與蔵に下された、「おさづけさしづ」です。「おさづけ」とは一種の救済の技法で、信徒の心を見定めて、神様が人間に渡すものです。今の時代は、真柱様が形式的に渡す決まりとなって、100年ほどたちますが、元々は、教祖や本席様から直接渡されていました。人間が望んでも、もらえなかった人もいました。さづけにも種類があり、今では「悪しきはらいのさづけ」だけが教会本部で伝承されています。しかし、これは、「かんろうだいのさづけ」というさづけで、甘露台という信仰の
天理教の教規で、中山家(の長男?)の中から候補者が本部員会議で推戴されて、天理教の真柱になることが定められているようだ。真柱(しんばしら)と読んで、建築用語で、建物の中心となる柱のことを意味して、教団の対外的なトップリーダーを意味する。会社でいえば、CEO。国でいえば、大統領とか首相に相当する。いわば特定の組織の代表者である。「真の柱を早く入れたい」という教祖から明治7年に『おふできさき』で預言があって、最初の真柱となったのは、梶本家から来た外孫の真之亮である。かれが中山家の家督を継
19才の女性に降りた、六度目の天啓は以下のような8首のお歌で、一挙に内容が増した内容です。各歌の冒頭の番号は、説明のために私が付けたものです。平成二年十二月十一日午前一時二十分1.真実の心をすぐにつくりたらすぐと受けとるそれが神やで2.心にも神の思惑映しおく魂で感じ考えよ3.魂で考えたこと人間の心と違う確かわかるか4.感じたらすぐに答えを出してみよ神は答えを待っている
岩隈山の切り通しから此方も行きたかった鞠智城跡へ駐車場に車を🚗停めて見学によく写真で見た建物です曇って綺麗に撮れませんでした寒さもあり見学者じゃ数える程よく見ると全て木造作り中も見れましたが三階建て何に上に上がる階段は有りませんでした真ん中にはデッカイ真柱が上迄続いてたグルリと回るけどどの角度から見ても同じ米倉復元の説明板此方が復元された米倉高床式の倉庫で周りにはネズミが入られないような返しが施されてました此方初めて傭兵さん達の宿舎小高い丘にあるので景色はいい
今回は、世界遺産薬師寺です。おおざっぱに言うと平城京1400年の現存建物は東堂(国宝)だけです。東塔の真柱の公開もしてるので訪問する価値はあると思います。薬師寺には塔が2塔あり、西塔が赤色、東塔が黒色、真ん中が金堂です。薬師寺東堂西塔金堂奈良市youtu.be東塔(とうどう)⬇️国宝コウラク門⬇️西塔⬇️金堂⬇️東塔⬇️大講堂⬇️金堂⬇️玄奘塔⬇️げんじょうとう薬師寺薄墨桜(うすずみさくら)⬇️
今の天理教の信徒にとって、真柱(しんばしら)様こそは教団のトップであり、大教会に真柱様がお入込みになることは最高の栄誉である。その奥様の中山はるえ様が東京教区でお話されることも最高の栄誉であった。https://tenrikyo.tokyo/pdf/%E6%95%99%E5%8F%8B689%E5%8F%B7.pdfただ、天理教の歴史、その始まりの由来を辿ると、真柱様を至高のワントップとする体制は大正期に意図的に作られたことが分かる。それも教祖(おやさま)の遺徳を継承する中山家を
まさかここまで解体するとは…さらに壁もなくなりました。こうなると、見えなかった箇所の構造もよく分かる。一階部分もどこまで丸裸になるのか、ここまで来たら楽しみしかない。しっかりと中を見てもらい、ヤバそうな箇所がないか、しっかりとチェックしてもらおう。ちなみに、2階の感想予定図はこんな感じ。
不思議や奇跡で助かった、それで終わりという神ではない。助かった意味、そのもと、根源的な理の諭しをしたいのが神様の本音である。しかし、人間から求めて、本真実を知りたいという意欲がなければ、神様は無理に人間に教えを開示されない。真柱様は、おさづけを渡すことはできても、存命の教祖(おやさま)の思惑を明かすことはもちろんできない。今の本部の集団指導体制の中では、声の大きな人の発言がそのまま通ってしまうだろう。そこには幾重の人間心が入り込む余地があり、縮小均衡していき、高齢化が進む教団、
☆勝手に葛城八景-傘堂傘堂は風変わりな建物ですが、なぜか不思議な安定感を感じます。傘を持参し撮影されては(^^♪この建物の詳細は、敷地に設置されている内容(下記)のとおりです。同資料から、藩主を慕う武士の姿を見えてきますね。【奈良県指定有形民俗文化財】傘堂1棟附梵鐘1口・位牌1基・石碑2基所在地葛城市染野字新山所有者新在家・今在家・染野3地区共有二上山の東麓、當麻山口神社の鳥居北側に、真柱一本のみで宝形造りの瓦屋根を支える総欅作りの風変わりな建物がある。小振りながら重
7年前の今頃?あちこちからメールが真柱邸の玄関から入るように②夫に告げた俺なんかが入れないよ!大丈夫!今夜だからあなただからしなければならない事があるからわたしは、あの木のところで待っているからずっと待っているからちゃんとお別れをして来なさいこの年から変わり始めたいろいろとよんとにとろくが重なるときなにか大きなことがおこる言わなければ良かったと気がついたのはこの日から
本席様の御啓示からの引用をします。明治二十四年一月二十八日夜八時半刻限(前おさしづに基づき中山會長へ御願い致しました處、會長は前川方は中山のある限りは粗末にはせんと仰せ下されました、前川方へ行き御話傳えました。)さあよく/\聞き分けるなら、一つの話をしよう。分かりてあるやろう。分かりてあるだけでは運ばん。前々以て一つ尋ね出る處、中山家のある間、一つも粗末にはせんというは、どういう處より出るか。この理を聞こう。神の方より聞こう。押して願さあ/\洗い替えて速やか。日々の處から