ブログ記事3件
先月、リチャード3世の名誉回復を探偵小説の形で描いた『時の娘』についてアップしたところ、アクセス数が通常の3倍ぐらいに伸びました。なに、なに、何かあったの?と検索してみたのですがわかりませんでした。しかしその3日後にちょうどブログアップ当日に、リチャード3世の遺体発見を描いた映画「TheLostKing」(邦題:ロスト・キング500年越しの運命)について大手メディアのネット記事がアップされていたことがわかりました。(その記事が今みつからないのですが・・・)これが先月アップした『時の娘』
1485年8月22日、ヨーク朝最後のイングランド王リチャード3世が戦死しました。戦死したイングランド王は過去に3人おり、その最後に戦死した王がリチャード3世です。私が子供の頃リチャード3世といえばシェイクスピアの戯曲にもなるぐらい悪い人で、背中が曲がっており、血の繋がった幼い甥たちを殺害した悪い王様というイメージがありました。歴史関連の本を読むと必ずそういう風に描かれていたからです。ところが、そうしたイメージを覆す本がありました。ジョセフィン・テイの『時の娘』です。物語の中でキーとなる肖像画
1485年8月22日、ヨーク朝最後のイングランド王リチャード3世が戦死しました。戦死したイングランド王は過去に3人おり、その最後に戦死した王がリチャード3世です。私が子供の頃リチャード3世といえばシェイクスピアの戯曲にもなるぐらい悪い人で、背中が曲がっており、血の繋がった幼い甥たちを殺害した悪い王様というイメージがありました。歴史関連の本を読むと必ずそういう風に描かれていたからです。ところが、そうしたイメージを覆す本がありました。ジョセフィン・テイの「時の娘」です。物語の中でキーとなる肖像画
去年の今日、こんなブログを書いていました。先日も書きましたが、今も変わらず毎日そこかしこに考えてしまう日々です。しかし、昨年のこのブログを見ると、この時とずいぶん変わったこともあります。色んな事が露わになってきているからです。特にショッキングなのは、春友さんが皆信じていたであろう人ががっかりする人であったことです。時の娘とは、時に人を驚かせる真実も暴くということなんでしょう。そして、やはりお天道様は見ているし、八百万の神は見ていてもギリギリまで動かないのか・・・とも。しかし膿は
1485年8月22日、ヨーク朝最後のイングランド王リチャード3世が戦死しました。戦死したイングランド王は過去に3人おり、その最後に戦死した王がリチャード3世です。私が子供の頃リチャード3世といえばシェイクスピアの戯曲にもなるぐらい悪い人で、背中が曲がっており、血の繋がった幼い甥たちを殺害した悪い王様というイメージがありました。歴史関連の本を読むと必ずそういう風に描かれていたからです。ところが、そうしたイメージを覆す本がありました。ジョセフィン・テイの「時の娘」です。『「時の娘」』イギリ
いきなり始まりから脱字があって「イングランド王は過去に3人」となっていましたが、「戦死したイングランド王」です。大変失礼しました。21:351485年8月22日、ヨーク朝最後のイングランド王リチャード3世が戦死しました。戦死したイングランド王は過去に3人おり、その最後に戦死した王がリチャード3世です。私が子供の頃リチャード3世といえばシェイクスピアの戯曲にもなるぐらい悪い背中の曲がっており血の繋がった幼い甥たちを殺害した悪い王様というイメージがありました。歴史関連の本を読むと必
4年前、イギリスのリチャード三世の遺骨が駐車場から発見されて話題になったことがあります。リチャード3世といえば、シェークスピアの戯曲で有名で、冷酷な幼い甥の王子達を殺害した王として有名でした。ところが近年、それは濡れ衣だったとされています。それはジョセフィン・ティの小説「時の娘」を機に始まった名誉回復の研究ですが、リチャード3世の汚名はリチャード3世がヘンリ7世と戦い戦死した(負けた)ことにより、死後名誉を汚されたものだったというのです。つまり易姓革命でその前の王の名誉を汚すこと