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岐阜県飛騨市古川町で、200年以上続く伝統行事「三寺まいり」伝統行事「三寺まいり」を前にして、古川町中心部にある3寺院の山門のライトアップが1月5日夜に始まりました1月15日までの午後4時〜9時に点灯します。「三寺まいり」は、親鸞聖人の命日に営む法要「報恩講」が起源とされています毎年1月15日に円光寺、真宗寺、本光寺を参拝する習わしなのです。明治時代、大正時代には、出稼ぎ先の信州から帰省した糸引き工女が着飾って出かけ、男女の出会いが生まれたことより、良縁成就を願う行事として
<②真宗寺>親鸞聖人の命日は1月16日(旧暦11月28日)で、「三寺まいり」とはその命日前日である1月15日の夜に親鸞聖人の御遺徳を偲び三つの寺を詣でる、雪深い飛騨の伝統行事である。であるからこの記事のタイトルには“三寺まいり”ではなく、“三寺参詣”とか“三寺順拝“もしくは“三寺めぐり”とせねばならない。ただ、飛騨古川といえば“三寺まいり”が有名、いつの日か訪れるための下調べを兼ねてということで、承知の上であえて使わせていただいたのでご容赦を。円光寺から歩
藤村志保さんがお亡くなりになりました~芸名はデビュー作「破戒」の島崎藤村と役名「志保」から~飯山の真宗寺を舞台にして島崎藤村が書いた小説「破戒」を、市川崑が監督し、映画化された「破戒」で主人公の「丑松」の恋人役「お志保」を演じた藤村志保さんが亡くなられました。享年86歳だったといいます。心からご冥福をお祈り申し上げます。市川崑監督の映画「破戒」は、1962年に島崎藤村の小説「破戒」を映画化したもので、キャストは、瀬川丑松:市川雷蔵、土屋銀之助:長門裕之、風間敬之進:船越英二、お志保:藤村
ドラマの高野辰之役上条恒彦長野オリンピック冬期競技大会閉会式1988年2月22日ここで「故郷」の大合唱が行われました。長野オリンピックの年~SBC信越放送制作し、1988年1月17日に放映したドラマ「唱歌誕生ふるさとを創った男-高野辰之物語」を昨日観ました。昨年5月開催の~文部省唱歌「ふるさと」「朧月夜」誕生から110年記念「故郷を創った男」~作詞者高野辰之と唱歌誕生のドラマ~猪瀬直樹講演会の後、講演会の役員有志が始めた猪瀬直樹の「ふるさとを創った男唱歌誕生」の読書会で、長野オ
叔父の急な入院の知らせを聞いたのはほんの10日ほど前のこと人の命とはなんと儚いものだろうやましたひでこ公認断捨離®︎トレーナー東京多摩断捨離会山内悦子です。初めましての方へ私のプロフィールはこちらランキングに参加しています。この子にタッチ!ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村まだお若い住職様お亡くなりになった方は美しい極楽浄土へ行かれて小さな花の蕾になりその花は色とりどり「青色青光
おはようございますさて本日朝の5時ごろふと気づくと東の空がいい感じになってたのでおもわず姫路城と朝焼けの空スマホで撮影したのです船場川には青鷺(アオサギ)がいて飛んでいく姿かっこよかったなぁお堀の水面も朝はキレイです三の丸広場から見る姫路城5時半からオンラインでヨガが始まるのであわただしく帰りながらも姫路美術館と
井上武子(真宗寺井上弘円4女)は17歳の春~大谷光瑞の秘書になるべく光瑞と共に上海へ渡る~「ふるさとを創った男」は、月刊ウィークス連載から生まれた猪瀬直樹のノンフィクション小説です。物語は真宗寺住職井上寂英の4女、原田武子(旧姓井上)さんの回想と「僕」との対話で進められます。井上武子の父は、真宗寺住職井上弘円。井上弘円は、浄土真宗本願寺派第22世門主となる大谷光瑞とともにロンドンへ留学し、大谷探検隊員としてシルクロードを探検しました。武子はその弘円の4女。父弘円の姉瑞枝は
文部省唱歌「故郷」「朧月夜」誕生110年記念!「ふるさとを創った男」~猪瀬直樹講演会~会場一杯の参加者で大成功~武田徹さんが友情出演~飯山市出身の野上曉さんが総合司会~飯山市出身の猪瀬直樹さんが「わが故郷で語る唱歌誕生の秘密」を語りました。今年は、高野辰之が作詞した、文部省唱歌「故郷」「朧月夜」誕生してから110年。講演会はオープニング主催者「ふるさとを考える会」の会長の沼田秀美さんが、高野辰之が作詞した「春が来た」「春の小川」の独唱。つづいて「故郷」の全員合唱でオープン。第1部
今日は、飛騨古川ヘお出掛け。明日から三寺参り。飛騨古川駅には大ろうそくが陣取っていました😄。町中へのろうそく🕯設置は明日からだそうです。一寺目円光寺。今日は、お土産屋さんの多くが休業していました。明日からの為に準備中か?二寺目真宗寺です。三寺目本光寺です。昨年より随分と暖かく(と言っても0℃でしたが😅)、独りでのんびり散策しました。高山よりも時間がのんびり流れて好きな街です。
飯山市第6次総合計画飯山郷創~世界にひらく里山の未来~の実現を目指して~飯山市が、令和5年3月に策定した第6次総合計画書の冒頭に、江沢岸生飯山市長が次のように述べられています。、このたび飯山市では、令和5(2023)年度から10年間のまちづくりの基本方針となる「飯山市第6次総合計画」を策定いたしました。近年の人口減少・少子高齢化の進行、新型コロナウイルス感染症のまん延による人々のライフスタイルの多様化およびデジタル技術の急速な進化など、飯山市を取り巻く状況は大きく変化しています。
【ふるさと納税】訳あり高山ラーメン15食詰め合わせセット食べ比べ食べくらべ麺麺類醤油しょうゆ味噌みそちゃんぽんわけあり訳アリ人気5000円高山めん本舗高評価レビューTR4034楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}5,000円【ふるさと納税】うまい赤身にこだわった飛騨産黒毛和牛切り落とし350gスライス飛米牛ひめぎゅう牛肉和牛国産訳あり訳アリわけありワケアリ不揃い部位お任せカレー牛丼
現役保育士エイせんせいです!保育の仕事大変・・・でも子どもたちかわいい保育や子どもの勉強するのも楽しい疲れたら空気のいいところに避難(笑)子どもと自然に癒されながらエイせんせいは今日も頑張ります気が向いたら研修や勉強会で得た知識を紹介するかも(しないかも)こんにちは!今回から2019年の旅を振り返り!今回は岐阜旅・飛騨古川。・・・岐阜旅長いなぁ(笑)真宗寺飛騨高山のお寺を3カ寺めぐる『三寺まいり』があったので早速御朱印帳を持って参拝
飯山の人たちは~崎藤村の小説「破戒」と「千曲川のスケッチ」を、もっと大切にした方がいいと思う~飯山再発見のための連載~266「破戒と飯山&真宗寺」66千曲川のスケッチから~「破戒」へ連載の最終回島崎藤村は「破戒」執筆のために飯山町を訪れた時、真宗寺住職の長男井上弘円と長女の夫藤井宣正の二人が、大谷光瑞印度仏跡探検隊に参加し、藤井宣正がその探検から帰る途中マルセイユで客死したことを知り、しかも、藤井宣正が義父である井上寂英宛てに送られ手来ていた大量の絵はがきや書簡をもとに「椰子の葉蔭」を
島崎藤村が「破戒」取材のために飯山へ来たのは2~3回が通説~それは千曲川のスケッチからの推測~飯山再発見のための連載~265「破戒と飯山&真宗寺」65千曲川のスケッチから~「破戒」へ「破戒と飯山のこと」を中心として9ヶ月近く連載したきた。島崎藤村が、「破戒」の取材のために飯山に来た回数はあまり多くなく、2~3回位で飯山滞在も長期間ではなかった。というのが、藤村研究家の通説だった。この通説の根拠は、島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に寄るところが多い。「千曲川のスケッチ」には、「破戒」
破戒DVDの雪景色より清水謹冶は、アララギの島木赤彦と長野師範で同級、「故郷」の作詞者高野辰之とは従兄弟同士~飯山再発見のための連載~264「破戒と飯山&真宗寺」64連載をまとめるにあたり4準教員清水謹冶のこと明治37年1月、飯山小学校で開催されていた「長野師範学校第三種講習」の年末年始休み明けに、島崎藤村に同行して飯山に戻ってきた小諸の白檮山いそじは、破戒が出版された後~「清水謹冶先生は、私どもが参加していた「三種講習会」の学校の先生でした。先生も私どもと同じ真宗寺に下宿されて
破戒DVDより清水謹冶は「準教員」~「保科百助」は首席訓導として同じ年に飯山小学校に赴任~下宿は真宗寺~飯山再発見のための連載~263「破戒と飯山&真宗寺」63連載をまとめるにあたり3準教員清水謹冶のこと放課後には、清水謹冶などの若い準教員を集めて、英語を教え、百人一首や徒然草などを教え、下宿でも論語の講義をして、長野師範学校進学を目指す謹冶達の指導をした。一方、設立されたばかりの「長野県教育会下水内支部」では、教員の資質向上のため積極的に提案し、行動したため赴任半年で理事に推薦
清水謹冶「破戒」の中に度々登場する「準教員」は、後に飯山小学校校長・飯山町長になる清水謹冶~飯山再発見のための連載~262「破戒と飯山&真宗寺」62連載をまとめるにあたり2準教員清水謹冶のこと「破戒」では、年若な準教員が度々登場する。丑松が「猪子連太郞」の「懺悔録」を買った本町の雑誌屋の場面。天長節の日の午後、風間敬之進の送別の茶話会の後運動場でのテニスの場面。この時は、丑松と仙松がチームを組み、文平と準教員のチームと戦い負けている。そして、丑松が学校へ出勤するのが苦しくな
静間平の静観庵島崎藤村は小説「破戒」の執筆にあたり何回取材に来て、どんな取材をしたのか?連載のまとめ~飯山再発見のための連載~261「破戒と飯山&真宗寺」61連載をまとめるにあたり1破戒と飯山&真宗寺について書いてきた。唱歌「故郷」の作詞者が高野辰之であることを書いた~「故郷を創った男」(1990年初版発行)の著者猪瀬直樹氏が飯山出身であることから、1991年8月に「福祉の街ボラントピアをめざすとうど塾」に猪瀬氏を招き『「破戒」と真宗寺』というテーマで講演してもらったことや、井出孫
「破戒」は昭和37年にも映画化された~監督は市川崑。丑松は市川雷蔵、お志保藤村志保のデビュー作~飯山再発見のための連載~260「破戒と飯山&真宗寺」60藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと30「破戒」はもう一本の映画がある。昭和37年に大映により映画化された。脚本:和田夏十、監督:市川崑、出演者:市川雷蔵、長門裕之、船越英二、藤村志保、三國連太郎、中村鴈治郎、岸田今日子、宮口精二、加藤嘉、杉村春子、見明凡太朗、潮万太郎、浜村純、浦辺粂子とそうそうたるメンバーの映画であ
「破戒」~木下恵介監督で映画化~丑松は池辺良、志保は桂木洋子、猪子蓮太郎は滝沢修、土屋銀之助は宇野重吉~飯山再発見のための連載~260「破戒と飯山&真宗寺」60藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと30終戦直後に、東宝の映画監督阿部豊が久板栄二郎の脚本で映画化に挑んだ。丑松役に池部良、土屋銀之助役に大日方伝、お志保役に高峰秀子を迎えて撮影が行われたが、昭和23年に東宝争議が発生して制作が断念された。その後、松竹が木下惠介監督で製作を引き継いだ。丑松役は、池部のまま、お志
飯山小学校さすが信州第一の仏教の地、古代を眼前に見るやうな小都会、北国風の屋造、板葺の屋根、、冬期の雪除~飯山再発見のための連載~259「破戒と飯山&真宗寺」59藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと29小説「破戒」は、部落差別という重い内容を持った社会小説である。「瀬川丑松が急に転宿(やどがへ)を思ひ立つて、借りることにした部屋といふのは、其蔵裏(くり)つゞきにある二階の角のところ。寺は信州下水内郡(しもみのちごほり)飯山町二十何ヶ寺の一つ、真宗に附属する古刹(こせつ
綱切橋安田側船橋のあ辺り辺り川幅が広い丑松は二度も三度も振向いて見て、ホツと深い大溜息を吐ついた、思はず熱い涙が頬を伝つて流れ落ちた~飯山再発見のための連載~258「破戒と飯山&真宗寺」58藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと28「丑松」が担任する高等4年の生徒達は、丑松が自ら「被差別部落の出身」だと告白し、それを隠していたことを謝罪した後に、「先生を退職させないでくれ」と校長に級長を中心に嘆願し~昨日校長が「生徒一同を講堂に集め、丑松の休職になつた理由を話し、その
安田の休み茶屋があった辺り丑松の見送りには、弁護士、大日向、音作、銀之助、志保と省吾。高等4年の丑松のクラスの生徒~飯山再発見のための連載~257「破戒と飯山&真宗寺」57藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと27上の渡しは、飯山町にある千曲川の2つの渡しの一つ。その渡しのすぐ側に、新町と安田を結ぶ船橋が架けられていた。その丑松と蓮太郎の未亡人は、安田の休茶屋から橇に乗り中野市を通って豊野まで出て東京へ向かうのである。丑松の見送りには、弁護士、大日向、音作、銀之助、志
上船渡船橋上の渡しの長い船橋を渡った対岸に休茶屋があり、丑松、銀之助、志保などの別離の酒を酌み交わした~飯山再発見のための連載~255「破戒と飯山&真宗寺」55藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと25「破戒」の冒頭部分に登場した大日向大尽が、結末部分でも登場し、アメリカのテキサスで事業を興し、丑松にもそのテキサスに行かないかという誘いがあり、丑松も心を動かされたこともあり、丑松がアメリカのテキサスへ逃亡してしまった。そして、志保とも決別してしまった。と、読まれることも
「丑松」は真宗寺からの引っ越しの準備などは全て銀之助に任せ~扇屋から飯山の町を離れることになった~飯山再発見のための連載~254「破戒と飯山&真宗寺」54藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと24丑松は自分の出自を、自分の担任のクラス生徒や、事業の参観に訪れていた師範学校の学生やなどに告白し、猪子連太郞の火葬等があり上町の扇屋に泊まっていたため、下宿の真宗寺からの引っ越しの準備などは、銀之助にまかせたまま、真宗寺への別れのあいさつをすることもなく飯山を後にすることになった。
連太郞の棺が荼毘に附された日~丑松は、高等4年の自分の受持の生徒の前で自分の出自を告白した~飯山再発見のための連載~253「破戒と飯山&真宗寺」53藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと23猪子連太郞の棺が荼毘に附された日~丑松は、高等4年の自分の受持の生徒の前で自分の出自を告白した。「~丑松はまだ詑び足りないと思つたか、二歩三歩あとずさりして、『許して下さい』を言ひ乍ら板敷の上へひざまづいた。何事かと、後列の方の生徒は急に立上つた。一人立ち、二人立ちして、のしかゝつて眺め
藤村の長男楠雄氏筆の「小説破戒蓮華寺跡」(昭和三十九年建立)上「破戒」の原稿の冒頭をそのままに刻んだ記念碑(下水内教育会昭和四十年建立)下「破戒」最終章~丑松の転宿の原因となった大日向大尽が登場し、丑松のテキサス行きが話題になった~飯山再発見のための連載~252「破戒と飯山&真宗寺」52藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと22蓮華寺では下宿を兼ねた。「瀬川丑松が急に転宿を思ひ立つた」~「破戒」の冒頭部分。丑松が鷹匠町の下宿から蓮華寺への急な宿替えを思い立ったのは~
明晶寺の六地蔵飯山の火葬場のあった付近島崎藤村は、棺を『いたや』造りの橇に載せて焼場まで運ぶことや、飯山地方の葬式の風習まで取材~飯山再発見のための連載~251「破戒と飯山&真宗寺」51藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと22猪子連太郞の亡骸は荼毘に付された。『いたや』造りの橇へ載せられた棺は、薄暗くなった町の通りを火葬場に向かった。当時の焼き場=火葬場は各集落毎にあった。都市部では土葬が禁じられていたが、飯山では土葬の習慣もまだ残っていたが、蓮太郎は飯山で客死
「破戒」は映画にもなっている主演は市川雷蔵扇屋は、猪子連太郞の飯山の宿。その扇屋の亭主の好意で蓮太郎の弔いが行われた~読経は法福寺住職~飯山再発見のための連載~250「破戒と飯山&真宗寺」50藤村が~清水謹冶から保科百助について取材したこと21「破戒」の終盤~暴漢の襲われ命を落とした猪子連太郞の弔いの会が開かれた。扇屋は、猪子連太郞の飯山での宿。その扇屋の亭主の計らいで、焼場の方へ送る前に一応亡くなつた人の霊魂を弔ひたいといふ。読経は法福寺の老僧が来て勤めた。其日の午後東京か