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玉津岡神社山城国綴喜郡京都府井手町井手東垣内63(社前に広くなったスペースがあり駐車場代わりとなっている、4台程度可)■旧社格郷社■祭神[主祭神]下照比賣命(シモテルヒメノミコト)[配祀]味耜高彦根命[合祀]天児屋根命少彦名命素盞嗚命菅原道真「木津川」支流の「玉川」北岸、「万灯呂山」(「玉津岡」「天王山」等とも)の山腹に鎮座する社。姫神を祀るに相応しい、美しく穏やかな空気に包まれる境内が印象的。◎鎮座地は「井手町井手東垣内」。古代には「井堤(いで)」と表記された
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい、本日は藤原不比等の妻たちの系図です。藤原不比等は藤原鎌足の息子で、藤原四子や光明皇后の父。飛鳥時代から奈良時代初期にかけての政治家で、大宝律令などの編纂に関わりました。本日はこの古代の大物政治家・藤原不比等の奥さんたちの
源平藤橘とは、言うまでもなく平安時代以降に権勢を誇った氏族、源氏、平氏、藤原氏、橘氏の総称である。源氏、平氏は皇族が臣籍降下したときに与えられた氏で、有名なところでは桓武天皇の桓武平氏、清和天皇の清和源氏が挙げられる。藤原氏は中臣鎌足に下賜され、その子不比等の時代から権勢を誇った一族だ。よくある話だが、子どものころ、源氏、平氏、藤原氏から出た歴史上の人物の名前は言えても、橘氏となると、どうもいけなかった。橘諸兄橘奈良麻呂橘逸勢と指を折ると、もう次が出てこない。橘家圓蔵は、噺家だし
名古屋のシンゾウです今回から、50問ずつ掲載します。次回は、《過去問題から》10問、《何処の神社でしょうか》10問、《本尊は何かな》10問、《チョット難しい問題》20問を掲載します。本日の問題です―――――――――――――本日の問題(83)《漢字書取り》【04551】ついじべい【04552】ほんのうじ【04553】ぎおんばやし【04554】いっきゅうじ【04555】おうしゅうしおがま【04556】はやらいごう【04557】しせんどう【
名古屋のシンゾウです第17回試験2級・3級問題を真剣にやってみました。勿論、選択肢は無しです。次の答えは全く知りませんでした。曖昧なものも一部ありましたが.....京都踏水会元成徳中学校たけびしスタジアム京都バスケットボール川島甚兵衛11月15日京都服飾文化研究財団出題者も選択式問題を前提に作っているのでしょうが、これクラスの問題が、1級で出題されると......合格はかなり苦しくなります。「一体、何処まで勉強すれば良いのだ!!」と叫びたくなります。本日の問題です。
名古屋のシンゾウです公式テキスト、最後の「寺院」ゾーンに入りました。さすがのボリュームですね。4時間かけて、天台宗が終了しました。「寺院」を勉強しますと、本尊、院号、山号、宗派.....気になることが一杯あります。あまり覚えたくないのが、院号と山号です。これまでは、一切出題されていませんが、どうでしょう。今回辺りは、山号、院号が出題されるのではと予想しています。皆さんも、山号、院号は飛ばしてみえると思いますが、大寺院ぐらいは覚えておいた方が良いと思います。如何でしょうか!!―――――
最後に………中田文花さんが大学時代に作られた万葉かるたの一部をご紹介させていただきます。お姫様札ばっかりですが🎵大伴坂上郎女(おおとものさかのえのいらつめ)。御存知、額田王(ぬかたのおおきみ)。髪を揺らす風が感じられるようです鏡王女(かがみのおおきみ)。倭姫皇后(やまとひめのおおきさき)。天智天皇の正妻さん。県犬養橘三千代(あがたいぬかいのたちばなのみちよ)。藤原不比等の正妻で、光明皇后のお母さん。文武天皇の乳母も努めた人です。紀皇女(きのひめみこ)。天
前回の続きで興福寺北円堂。北円堂のそばの桜と芝生北円堂は藤原不比等のために元明天皇らの命によって建てられましたが、藤原不比等の娘の宮子は元明天皇の息子の軽皇子(文武天皇)の夫人でした文武天皇に宮子が嫁いだのはのちに藤原不比等の後妻となる県犬養橘三千代の力添えがあったといいます。県犬養橘三千代は、持統天皇や草壁皇子、妃の阿閉皇女(元明天皇)に仕え軽皇子(文武天皇)の乳母にもなった方。元明天皇から忠誠を賞さ
おそようございます。(9月3日分)朝から兄から電話。親戚になんとか?と身構えたけど、千葉市に台風上陸で電話してきたんだ。叔母や姉からも電話があった。被害は3世帯で利用しているゴミ箱が転倒していました。道路に落ちてなくてよかった。こちらに越して2回目だ。家のイチジクが転倒していました。家も地震かいなと思うように揺れたな。細君はそんな感じはしなかったようだ。松戸で三十年ぐらい知り合った友が10月にお姉さんがいる近くに帰るそうだ。その方の送別会を細やかにやった。元々は小生の人脈図の人たち
普段は徒然なるままに加賀百万石の城下町・金沢について紹介しているこのブログ。今回は金沢から離れて、京都府にある梅宮大社について紹介しようと思う。梅宮大社は京都市右京区にあり、日本最古の酒造の神と称している。酒好き呑兵衛としては、やはり一度は参拝せねばならないだろう。「梅宮大社鳥居」梅宮大社は、県犬養橘三千代が橘氏の氏神として現在の綴喜郡井手町付近に創建したのが始まりと言われる。県犬養橘三千代は橘の氏を最初に元明天皇から賜った女性であり、彼女と美努王の子息である葛城王と佐為王が母の
普段は徒然なるままに加賀百万石の城下町・金沢について紹介しているこのブログ。今回は金沢から離れて、我が憧れの地・奈良県の紹介をしていきたいと思う。本日取り上げるのは奈良県にある興福寺の五重塔である。興福寺は南都六宗の一つである法相宗の大本山であり、藤原氏の氏寺として古代から中世にかけて大きな勢力を持った寺院だ。現在は「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されており、観光客も多い。興福寺の五重塔塔は仏教の祖・釈迦の舎利(遺骨)をおさめる墓標である。奈良時代の天平二年(730)
橘の精霊橘の精霊で、いきなり桜の花の写真が出ました。桜が満開のとき、桜並木を歩いていると、クラクラと目眩がして、桜の花に吸い込まれて行くような感じがして、夢の中を歩いているような感じがすることがよくありました。これは、一週間で解消しました。答えがわかったら、ロマンティックでも何でもありませんでした。ちょっとがっかりです。桜の花は人を惹きつける魅力があります。人を集めます。桜の木の下で宴会をしている人がよくいますね。桜は、宴会です。宴会を開くということは、派手に散財してしまうというこ
藤原不比等&県犬養三千代をご紹介しましたので、今日はその娘についても書かせていただきますね(^^)かぐや姫のモデルになったという説もあるほど、光り輝く美しい女性だったようです『藤原光明子』ふじわらのこうみょうし藤原不比等の三女で、母は県犬養三千代。分かりやすくいえば、藤原鎌足の孫ですね。幼い頃から大変聡明で美しかったといわれています。幼名は安宿媛あすかべひめ。昨日の記事の通り、文武天皇の妃である宮子(藤原不比等の娘・光明子の異母妹にあたる)が首おびと皇子(後の聖武天皇)を懐妊した時
さてさて♬藤原不比等を記事にしたなら、とーぜんこの女性もご紹介しなければなりませんね(^^)絵が残されていないようなので、こちらの「伝橘夫人念持仏(法隆寺)」をお借りしました。『県犬養橘三千代』あがたいぬかいたちばなのみちよ県犬養橘三千代は橘氏の始祖であり、東大寺の大仏建立で有名な第45代聖武天皇の皇后「光明皇后」の母親にあたります。そして昨日ご紹介した藤原不比等の妻でもあります。三千代の出生時期は不明ですが、天武天皇の時代から宮中に仕え、軽皇子(文武天皇)の乳母を務めて、後宮で影
飛鳥の石舞台…乙巳の変からの大化改新…入鹿の父蝦夷やその父馬子の墓という説もあり…蘇我入鹿暗殺や額田王、長屋王の悲劇他昔読んでいた本は手元に無く…県犬養三千代から暗殺や陰謀がうごめく女帝か多い恐怖政治の始まりの乙巳の変から…行きの新幹線から読み返した😅先週NHKで阿修羅像の事を見た光明皇后が1歳で亡くなった基王の姿を阿修羅に投影したと言う光明皇后の母が県犬養橘三千代遠い昔に読んだ五木寛之の時代を変えた女たちでは冷酷な悪女という事だっがそうでは無いかもしれない…鎌倉の杉
心屋カウンセラーのなおです、こんばんはにて候。さて、今日は、わたしの好きなことについての話。わたしね、日本史が好きなんです。いわゆる歴ヲタってやつよ。大人になってから、しかもここ10数年で、かなりハマってきたのよね。よくね、『歴女』さんなんですね、って言われます(笑)。この、『歴女』というワード、「一般的に、というよりも、だいぶかなり、偏狭的に歴史が好きな人」という説明が、このひと言にすべて込められているので、最近では自分から「歴女なんですぅ~」
ルアンババーン世界遺産地区仏像修復報告書身延山大学ルアンパバーン世界遺産地区仏像修復報告書(柳本).真撮影を含む、調査カードの作成と、当初計画した仏像10点(結果的に7.点の修復が完成した)の修復を.ラオス仏像分類に関する報告身延山大学世界遺産地区内寺院で調査対象となった仏像群は、その数1千体を超えるが、...整理してゆくことで、ラオス北部域における木彫像群を中心とする仏像の基準.77...イケメン大仏からアニメのキャラクターまで!日本一の銅像づくりのまち日刊
13日、橘諸兄が創建した井手寺跡で、金堂の一部と思われる柱跡が見つかった。これにより金堂の位置が確定、伽藍配置が「法隆寺式」であることがほぼ断定された。[共同通信・京都新聞]●橘諸兄(たちばなのもろえ)[1]・[2]・[3]・[4]●●橘諸兄(たちばなのもろえ)●(684-757)奈良時代の公卿。左大臣。橘氏の祖。美努王(みぬおう)と県犬養橘三千代(あがたのいぬかいのたちばなのみちよ)の子。光明皇后の異父兄として藤原四兄弟没後に政権を握り、左大臣に昇進、大仏造立・国分寺建立など聖