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【成就院文覚の像について】「源平盛衰記」や「平家物語」よると文覚は1139年(保延5年)俗名遠藤盛(えんどうもりとう)といい、鳥羽院の上西門院に仕える北面の武士、摂津の武士遠藤茂遠(もちとう)の子で両親を幼い時に亡くした盛遠は、叔母の衣川殿のもとで養われていた。袈裟はその衣川殿の娘。盛遠18歳の時に久しぶりに目にした同僚の「源渡」の妻・袈裟御前を見かけ一方的に恋してしまう。衣川殿を脅し袈裟に合わせろと強く迫る。袈裟は仕方なく文覚に会うが、自分の思いが遂げらなかったら母親を殺
先日中村屋でカレーをいただいた時に、中村屋サロン美術館の割引券をもらったので、早速行ってきました入館料300円なのに、割引が200円払った金額はたったの100円!今の時代に100円はおかしいでしょう?ありがたいですけど中村屋創始者の相馬黒光が芸術に理解があり、若い芸術家たちが自然と集まりサロンとなったそうです以前から相馬黒光さんに興味があったので、割引券がなくても来るつもりでいました博物館ではなくあくまでも美術館ですけどね中村彝アトリエ記念館に行った時の展示も面白くて、相馬夫妻の長
SOMPO美術館の帰りに久々に中村屋でカレーをいただきました本当に久しぶり!というより、もはや初めましてレベルこの前来たのは多分結婚前だと思うので、35年以上前!バブルの頃かもとにかく久しぶりですサラダとドリンクのセットにしましたちょっと辛めの大人のカレー薬味は6種類らっきょうは苦手です大きな骨つき肉がゴロンゴロン入っていました辛くてハフハフしながら完食しました思った以上に量が多くて、食べるのに苦戦!昔はペロリだったのにそういえば、サッカー日本代表の相馬選手はこの中村屋の
今年3月の出来事の備忘録です🙂『叙々苑』さんでランチした立ち寄ったのは『新宿中村屋』さんでした(*^^*)僕が子供の頃は地下道側から入るには今と違って一面の広く細かな階段を上る必要がありましたその階段を登りきると右手にカウンターがあって牛乳と餡饅・肉饅がイートインできました子供の頃の新宿中村屋さんへ行く楽しみでした🩷もう販売しなくなってしまいましたが新宿中村屋のソーセージも味がナチュラルで好きで
前回中村屋のことを少し書いた。臼井吉見の小説「安曇野」のおかげで相馬黒光、愛蔵のことが広まった。まあ人によっては周知ではあったろうが。この信州出身の小説家は、題材は信州が多く、書く小説はかなりくどい。だから長くて、途中で投げ出してしまった人が多いだろう。この評伝とも、小説ともつかぬジャンルは、フィクションであるはずなのだが、歴史的事実として歩き出してしまう。宮本武蔵の詳細のほとんどは、吉川英治によるものだ。だから私はよほどのことがないとこの手の小説は読まないことにしている。読む
色刷り2ページを使い、異なる美術テーマに沿ってたっぷり語る、日経新聞・日曜版「美粋の粋」。前の日曜日は”新宿に吹いたパリの風「中村屋サロン」群像”と題して、新宿の中村屋サロンに集った芸術家たち及び中村屋創始者・相馬夫妻の紹介でした。記事は、中村屋サロン美術館のパネルに書かれている内容との重複も多かったけれど、新たな発見もありました。おなじみのネタは、相馬夫妻の妻・黒光さんのにじみ出る才能ぶり。元の姓名は星良。だけど、若くして黒光というニックネームを女学校の教頭先生から授かります
市民タイムスに臼井吉見著『安曇野』が復刊されると言う記事が載っていました。単行本は絶版になって久しく今回は文庫本での復刊のようです。これは“安曇野“と言う名称を全国区にした小説でもあります。私が高校生の時、文化祭で臼井吉見氏の講演会が開かれたことがありました。同級生が氏のファンだったようで講演会を終えた氏と話している彼女と高校の廊下ですれ違ったことを記憶しています。私が『安曇野』を本格的に読み始めたのは父が入院した際、母や妹と交代で病院に通った時でした。父の書斎の本棚にあった
新宿区には区で運営する記念館(博物館)が5か所あるんですが比較的有名な3つに比べ、下2つのアトリエ記念館の知名度がイマイチ。今、ここに林芙美子記念館を加え、新宿の落合地区の3つの記念館のスタンプラリーを開催中です。落合の文化を訪ねるスタンプラリー(11月26日~令和7年1月31日)-新宿歴史博物館www.regasu-shinjuku.or.jpJR目白駅から西武新宿線中井駅まで、徒歩50分で散策できるよう詳しいルートを描いた地図は前にもみたことあるから毎年やっ
40代会社員。田舎育ち、東京暮らし20年目。だんなさんと電車大好きぼっちゃま。(2020年生)の3人家族。子どもの頃から本が好き!夢は図書館に住むことでした。念願かない?、図書館から徒歩1分に居住中。本の話題を中心に暮らしのなかのうれしい・楽しいの記録。ぼっちゃまの影響で、電車率が高め!3連休初日。仕事も休み、お母さんもお休み。ぼっちゃまはだんなさんにおまかせして、一人で新宿へお出かけ。気になっていたこちらの展覧会へ。■「中村屋の中村彝」中村屋サロン美術館開館
3連休、中村屋の美術館で荻原守衛の「女」を見たら、、(▼)『「中村屋の中村彝」中村屋サロン美術館開館10周年記念展』40代会社員。田舎育ち、東京暮らし20年目。だんなさんと電車大好きぼっちゃま。(2020年生)の3人家族。子どもの頃から本が好き!夢は図書館に住むことでした…ameblo.jpモデルの相馬黒光さんについて、もっと詳しく知りたくなる。新宿からの帰り道、図書館で「相馬黒光」関連本を探し、書棚に出ていたこちらを借りてみる。蝶のゆくへ(集英社
相馬黒光(そうまこっこう、1876年9月12日-1955年3月2日)夫の相馬愛蔵とともに新宿中村屋を起こした実業家、社会事業家。<略歴>宮城県仙台市の生まれ。14歳のとき、仙台日本基督教会で押川方義より受洗。宮城女学院に入学するがストライキ事件に連座して自主退学、フェリス英和女学校に転校し更に明治女学校に移り島崎藤村の授業を受け、国木田独歩との交流も深めた。本名は旧姓星良(りょう)であるが、「黒光」の号は同校教頭から与えられたペンネームで、彼女の性格の
2009年2月の旧ブログに、こんなことを記していました:ー東京国立近代美術館で、「中村屋に集った画家たち」という企画展を見た;ー中村屋ってカレーやあんぱんだけではなく、文人、芸術家たちが集った場所でもあったのか;ーエロシェンコの肖像画で知られる中村彝もこのサロンのメンバーだったと知る;フランスでは、20世紀初頭ぐらいまでブルジョワや貴族の館を中心にサロンが花開き、多方面の芸術家の競演が見られました。(*)でも、日本にもそんな芸術家たちが切磋琢磨するようなサロンが存在してい
メディアで南海トラフ地震とか巨大地震注意の文言が飛び交うなか、大きな疑問がひとつ。注意の範囲は正確にはどの県までなんだろう?地図を見ると東京も赤い色がついてるけど・・‥そんな矢先、NHKが疑問を払拭してくれた。検討会会長/名誉教授の会見後、質疑応答でのこと:NHK:巨大地震注意の範囲は、今回地震があった宮崎を中心とした南海トラフエリアととらえていいのか?会長:答えは、No。全体が注意地域になる。(でもわたし、その南海トラフの正確なエリア広がりを把握していない
おはようございます♪今日は令和6年4月23日の日記です♪ーーーーーこんばんはー♪現在18時10分ですね。。表題のとおり外食に行っていたので、少し遅めですね(^。^)室温は20、2度。湿度は68%です。昼間に入れた冷めたコーヒーをそのまま飲んでいます。今朝はバナナだけです。。すこ〜しダイエットです💦でも、この後柿の種小袋一袋を食べてしまいました💦本当に。。買ってきちゃダメですね。午前中はいつものルーティーンをこなして、2024年5月号の英会話のテキストを通読し終えまし
相馬黒光(そうまこっこう)明治、大正、昭和を生きて、もの凄い才を発揮した人だけど、夫婦のお墓(府中市多磨霊園)は予想外に質素だ。かつてはラス・ビハリー・ボースや娘の俊子と墓が並んでいたと記憶しているが、流石にインドの歴史教科書に載るボースだから分葬したのかもしれない。黒光は魔性の女のイメージで描かれることが多いが、それは間違い。臼井吉見の『安曇野』で忠実に描かれているが、子ども達への躾も当時としては極めてしっかりしていた。その黒光が、娘を偽装結婚させてまでも、ボー
❤️✨2023-01-11『花人*とみばな*拾参花』片目をつむるというのは見て見ないふりじゃなくつむっている片目では自分の心の姿も見るといいのね。三浦綾子(『現実の結婚生活から』より)結婚前には両目を大きく開い…ameblo.jp🧡✨2022-12-08『花人*とにばな*拾弐花』🏵愛は理くつでなく存在である高群逸枝(「続愛鶏日記」より)女性史の研究に大きな成果を残した高群逸枝その著書も膨大な数にのぼります彼女の個人全集は死後夫の橋本憲…ameblo.jp💛✨
今回の感想はクイズからです。【ネタバレします】皆さんは新宿中村屋といえば何を思い浮かべるでしょうか。月餅、カレー、どら焼き、中華まん、水羊羹、かりんとう、クリームパンなど、いろいろありそうですね。◆では、その新宿中村屋の創業者を知ってますか?「中村なんとか」さんじゃないの?と思うでしょう。残念ながら、中村さんではなく、相馬愛蔵・相馬黒光(こっこう)夫妻です。ではなぜ、中村屋という名前なのかというと、夫妻が店を始めるにあたり、東大前にあった中村屋というパン屋を居ぬき
こんにちは新宿中村屋と聞いて思い出すのはカリーでしょうか。ご存知の方も多いでしょうが、日本の西洋美術史の1ページを飾るすてきな場所でもあったのです。創業者相馬愛蔵・黒光夫妻はクリームパンを発明、新宿に店をかまえます。月餅や中華まん、インド式カリーを世に送り出し、事業を確立していきました。夫妻は若き藝術家たちを応援し、中村屋に集うことを許したのです。荻原碌山、中村彝、高村光太郎、木下尚江、松井須磨子、會津八一といった錚々たるメンバーで、後に中村屋サロンと呼ばれます。新宿中村屋3階
佐伯祐三アトリエ記念館の次に向かったのは中村彝アトリエ記念館です中村彝を知ったのは東京国立近代美術館の所蔵展です「エロシェンコ氏の像」という絵を見た時に初めて中村彝という画家の名前を知りましたキャプションから中村屋のサロンとの関わりとかも知りました中村屋の女主人の相馬黒光がサロンを開いて、若い芸術家たちを支援していたのは知っていたのですがその中の一人ひとりだったわけですねこちらも住宅街の中にあるので、特に目印もないのですが、すぐに辿り着きましたよお庭がきれいに手入れをされていました
美術家のパトロンとして知られる新宿中村屋の創業者・相馬愛蔵、黒光夫妻の息子(後の2代目社長)は、早稲田中学教頭を務めた會津八一の教え子なんだそうだ。そんなわけで、秋艸道人、羊羮や月餅の字を書いている(笑)。看板も書いている(笑)。言われて見ると、なんとも羊羮ぽい字だなあ。しかし、黒光羊羹とは…(笑)。
久しぶりに作った三色丼。紅生姜を入れれば四色丼かな。たまに無性に食べたくなります。久しぶりと言えば、これ。新宿中村屋の「うにあられ」。煎餅類の中で一番好きなやつです。サクサクして「うに」部分の旨味がたまりません。自分は混ぜご飯も、まんべんなく混ざるより偏りがある方が好きなんですその新宿中村屋を発展させたのが「相馬黒光」。明治8年、仙台生まれ。名前だけ聞いたことがありました。図書館で見つけた本です。相沢源七著。上の言葉通り、「黒光」さんはキラキラして「火の玉」のみたいな人だっ
画家・布施淡(あわし)は布施家15代で、仙台神学校(東北学院大学の前身)に学び、同校の画学講師となり、当時、詩人・島崎藤村が仙台に赴任した際に、交友を深めています。また、星良(新宿中村屋の創始者相馬黒光)とも幼馴染みでもありました。淡は29歳で病魔に倒れ、北山キリスト教墓地に葬られました。この布施家5代布施和泉定安(いずみさだやす)は、頭脳明晰、能や茶にも精通し、人望が厚く、藩主に信頼され奉行職等の要職についており、4代藩主綱村の時代2000石となりました。正徳3(1713)年、病気を理由
どうして、見てきたように、書けるのだろうか。守衛(荻原碌山)、あるいは良(相馬黒光)から、なにか聞いていたのか。だとすると、毀誉褒貶のある巌本善治について、ここまで書いてしまう理由はなんだろう。事実だから?嫌いなワケがあった?大塚楠緒子-Wikipediaja.wikipedia.org相馬黒光-Wikipediaja.wikipedia.org荻原碌山-Wikipediaja.wikipedia.org巌本善治-Wikipediaja
東京国立近代美術館常設展によく出ている荻原碌山の名作『女』。↓頭部のモデルは伝説の女性・相馬黒光さんというのは有名な話ですが、現在サッカーW杯日本代表で闘っている相馬勇紀選手の高祖母でもあります。厳密にいうと、碌山は彫刻を制作する際、山本みどりというモデルを使用したのですが、顔のほうは、恋心を抱いていた黒光さんの顔になってしまった、、ということ。実際、黒光さんの娘・俊子さんは、この像を一目見るや、「お母さんだ!」と口にしたのだとか。中村屋の創業者・相馬家というと、カレーやパ
(ネット画像借用)エントランスに碌山の言葉LOVEISART.STRUGGLEISBEAUTY.愛は芸術なり、相克は美なり。美は愛の相克から生まれる。それを描くことが芸術なのである。碌山碌山(ろくざん)とは、荻原守衛(1879〜1910)の画号です。わずか30年の短い生涯だった画家・彫刻家の荻原守衛。彼の生まれ故郷、安曇野に「碌山美術館」がある。松本から車で約40分、安曇野には日本の原風景と芸術があった…登録有形文化財にもなっている教会のような美術館は、碌山の生
🌻お金でも品物でも何でも可愛いがって使うものに可愛いがられるのでしょう相馬黒光(『夫婦教育』より)お金や品物に可愛がられるという表現にとっても納得させられましたお金を可愛がる品物を可愛がるというとそれに執着する人のように思えますがそうではありませんね人を可愛がることと同じように愛情を持って接する相手をいかしてあげようとする・・・・・・そういうことなのでしょう日本人は昔から言葉には魂があり花鳥風月には心があるというようにすべてのものに命を感じ
またまた時間が空いてしまったけれど、5月の連休中にでかけた芸術家のアトリエ第2弾。佐伯祐三宅の次に訪れたのは中村彝のアトリエです。やはり落合方面にあります。(新宿区下落合3丁目5−7)こちら、2度目の訪問でしたが、画家のパネルが戸口でお迎えするなど、1度目よりもブラッシュアップされていました。先日書いたとおり↓、中村彝というと東近美所蔵のエロシェンコの肖像(正確には「エロシェンコ氏の像」)が一番知られているところかもしれません。早世したこともあり、作品展数は
こんにちは新宿中村屋と言えば、何を思い出しますか?カレーかな、中華まん?うにあられでしょうか。中村屋の創業は1901年、場所は本郷でありました。帝大正門前にあったパン屋を居抜きで購入したそうです。その後、事業拡大等の理由で新宿に支店を出します。1907年のことでした。相馬愛蔵・黒光の夫婦は日本初のクリームパン発売など、知恵を生かして商売を成功するかたわら、教育の必要性もうったえ、従業員の学びの場を設けるなど、自分たちの理想を実現していきます。若き日の黒光(星良)中村屋ホーム
日本青年館ホールで月組公演を観た後,せっかくの機会なのでJR千駄ヶ谷駅から中央線に乗って新宿まで出て新宿中村屋ビル地下2FのレストランMANNAでコールマンカリーを食べてきました。正確にはChickenKormaCurryです。骨つきチキンの入った比較的まろやかな風味のカレーです。ちょっと前より値段が上がっていて,コールマンカリー¥1,900,サラダ&ドリンクセット¥680で税込¥2,838でした。カレー定食で3,000円近い食事代は高く感じますが,老舗の雰囲気と味を堪能できました。新宿中
ご訪問ありがとうございます。本日、新宿中村屋の創業者の相馬愛蔵について紹介します。新宿中村屋について、以前一度書いたことがあります。『ニッポン魅力発見の旅新宿中村屋を訪ねる』ご訪問ありがとうございます。今回も2月末に東京でフィールドワークしたことについて書きます。今回は、新宿中村屋について書きます。余談の話ですが、2021年5月か…ameblo.jp余談の話ですが、だいぶ前から、新宿中村屋と相馬愛蔵夫妻の創業史に関心を持っていました。市民講座の準備のため、この2ヵ月ほど