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4月22日は曇り空の中朝から新潟に向けて出発実は前日の21日に車で秋田まで行く予定だったのですが、私の体調不良で秋田の宿はキャンセル一日遅らせて新潟に向かいましたまだ体調は万全とは言えなかったので出発も朝8時のんびり走って南魚沼の宿に行く予定でしたでもさすがに宿へ直行ではつまらない一か所くらいは観光もしたい、ということでまだ桜の見られそうなところを探してみた結果高速で休憩を取りながら、南魚沼市の銭淵公園というところに行ってみることにしました到着したのは午後1時3
ご訪問いただきありがとうございますよーこママと申しますお店の紹介お店は創業30数年母から引き継ぎ営業を続けていますお客様は家族ぐるみやカップルでもご来店頂いているアットホームなお店です手作りお通しが喜ばれていますお店の情報や本日のお通しなど発信していきます皆さんこんにちはGWはいかがお過ごしですか山の緑も鮮やかになり始めてきた今日この頃…いよいよ山菜の季節となりました山菜といえば先日は「こ
武)直江兼続:勧農治水の才武)柳生宗矩:修身の剣武)井伊直政:栄光の傷痕武)森長可:白衣夜叉の臨武)淀殿:母子密着の結武)虎御前:虎母咆哮©コーエーテクモゲームス
前回より4月中旬の週末に新潟県内を訪問、「グルメ&山城めぐり🏯」を愉しんだ旅の様子を紹介します。今回は県中南部「長岡市」を訪問して、「与板城(よいたじょう)」を登城しました。キツイ階段が連続していたので「山城らしい山城」と思ったのでした。「山城らしい山城」与板城を登城今回は長岡市内にある「山城らしい山城」与板城を登城。(米沢城訪問時に撮影)こちらのお城は長尾(上杉)氏の家臣「直江氏」の居城。大河ドラマの主人公になった「直江兼続」の代に上杉家が会津に
英傑の日本史上杉越後軍団編Amazon(アマゾン)英傑の日本史上杉越後軍団編井沢元彦あらすじ乱世を「義」に生きた武将・上杉謙信、上杉景勝の右腕として御家騒動や徳川家康の脅威に抗した名家老・直江兼続――。川中島から関ヶ原へ向かう戦国の世、時代を駆け抜けた男たちの人間ドラマに迫る!グッときたポイント井沢元彦氏の歴史シリーズ。今回は上杉謙信を紐解く。謙信及び、周りの人物たちのそれぞれの立場から、行動心理に深く分け入り生き生きと分析している。ここに出てくる人物や出来事は初耳の
天海(153)「六月十日、陸奥会津ノ上杉景勝、徳川家康ノ出陣セントスルヲ聞キ、部下将士ヲ訓シ、去就ヲ決シム。」(「史料綜覧」)直江状の真贋はともかく、景勝は上洛も再度検討していたようである。ただ、条件として讒言をした者(堀秀治・直政ら)の取り調べを要求したが、家康に無視され、遂に決戦やむなしとなったのである。さて、当時上杉家は120万石であるから、120万石×300人で36,000人の動員が可能と思われる。さらに防衛戦であるから全体で5万人弱の配置が可能であったこと
天海(152)「慶長五年五月三日、徳川家康、陸奥会津ノ上杉景勝ノ老臣直江兼続ノ答書ヲ見テ怒リ、諸大名ニ出征ノ令ヲ下ス、徳川家康、下野ノ士伊王野資信ノ、陸奥会津ノ形勢ヲ報ゼシニ答ヘ、守備ヲ厳ニセシム。」(「史料綜覧」)直江状に目を通すと、家康は激怒し、直ちに景勝の征伐を決意した。ただし、ここまでは家康の想定通りである。景勝は前田家のように、戦わずに屈することはないであろうと考えていた。家康の頭の中には、秀吉が行った「四国征伐」や「九州征伐」の光景が浮かんでいたので
こんにちは、くるまやまこっちゃんです!ご覧いただき、ありがとうございます☆米沢城跡から、ずっと来たかった場所に今日は行きますすごく静かな場所!パワースポットのような涼しさです。ここは上杉謙信の御遺骸がある墓所です!右側には、3代・定勝公から5代・綱憲公7代・宗憲公9代・重定公11代・治広公と続きます。左側には、2代・景勝公14代・茂憲公記念碑4代・綱勝公6代・吉憲公8代・宗房公10代・治憲公世子・顕孝公12代・斉定公と続きます。真ん中には上杉謙信公がおられます
天海(151)実は当年三月は謙信公の追善供養にあたるので、夏中には上洛するつもりであります。それまでに武具を集め、国政を整えていたところ、長盛と吉継の使者が来て、逆心がなければ直ちに上洛せよと言ってきました。赤児でもあるまいに、内府様にしても、讒言を真に受けずに、しっかりと調べれば分かることでありましょう。大体、逆心があっても、知らん顔して上洛すれば褒美をもらえるのであろうか。景勝はそのような世では生きづらいし、弓取りの誇りも失われるであろう。まずは讒言したものを御取調
天地人直江兼続の一生見落としていた作品を最近BSで発見まだ2回目ですが初回から子役の演技に泣かされます時代とはいえわずか5歳で小姓となるよう手放す親の気持ちを思うと泣けて仕方がない歳を重ねるとますます時代劇に惹かれます💓若い頃は全く興味がなかったけれど史実に隠された人としての生き方を心構えを気付かされるようです
天海(150)「慶長五年五月三日、徳川家康、陸奥会津ノ上杉景勝ノ老臣直江兼続ノ答書ヲ見テ怒リ、諸大名ニ出征ノ令ヲ下ス。」(「史料綜覧」)家康の弾劾状に対して兼続は返書を送った。これが有名な直江状である。但し、この直江状には真贋論争があることには留意が必要だ。何であれ、兼続の返書が家康を怒らせたことは確かである。(以下意訳)「お手紙13日に届きました。内府様の御不審は残念です。京都・伏見でさえ色々雑説が流布するのですから、遠国で若輩の景勝に雑説が流れるの
天海(149)さて、私たちは既に結果を知っているので、信吉、兼続のどちらの判断が正しかったかは、明白である。信吉の言う通り、安易に挑発に乗らず、家康に従属していれば、上杉家も前田家と同様に大大名として生き残れる可能性はあったであろう。しかし、その一方で景勝は、果たしてその道を選ぶことが出来たであろうか。武田家滅亡後、上杉家は風前の灯火であった。景勝は死を覚悟していたはずである。本能寺の変後、上杉家は秀吉と同盟を結ぶことで、息を吹き返したのであった。その後、景
天海(148)「陸奥会津ノ上杉景勝ノ将藤田信吉、景勝ノ石田三成ニ応ズルノ非ナルヲ説キ、老臣直江兼続ト合ハズ、兼続、景勝ニ勧メテ之ヲ誅セントスルニ依リ、信吉、会津ヲ去リ、江戸ヲ経テ入京ス。」(「史料綜覧」)「景勝の将・藤田信吉」とは、元は上野国の豪族で北条家の家臣であった。しかし天正8年に武田家の将・真田昌幸の調略を受けて、武田氏に沼田城を引き渡したという。その武田家では5700貫の所領を得たというので、厚遇されていたようである。天正10年(1582年)武田氏が滅
天海(147)「慶長五年三月十六日、和蘭船リーフデ號、豊後ニ漂着ス、徳川家康、同船ノ按針英国人ウィリアム・アダムス等ヲ大坂城ニ引見ス」(「史料綜覧」)オランダ船リーフデ号が豊後国臼杵黒島に漂着した。リーフデ号は1598年6月24日にロッテルダムから五隻の船団で出港し、極東を目指したという。しかし、この航海は悲惨なものであった。マゼラン海峡を抜けて、太平洋を横断できたのはリーフデ号だけで、さらにそのリーフデ号も110名いた船員が日本に到着する頃には24名まで減って
純烈コンサートの続きです。ラウンドが終わり、席を立っていらっしゃったかたがあるらしく、リーダーが「曲が始まると暗くなるから」と着席を促していました。気遣いが素晴らしいです。そして曲は「だってめぐり逢えたんだ」「君を奪い去りたい」「バッチグー」曲順を間違えて紹介するおっちょこちょいなリーダー。メンバーに突っ込まれると「覚えてへん。昨日の夕飯もわからない」リーダーが白川さんに「リードボーカルとして頑張って貰ってるけど、なんでずっと頑張って
【問題再掲】(城郭検定模擬問題1)山形城の別名は?(城郭検定模擬問題2)公園内にあるカッコイイ騎馬像の武将名は?(漢字とひらかなで書け。)(城郭検定模擬問題3)この騎馬像の背景の戦い名は?(城郭検定模擬問題4)山形城の三の丸まで含めた城全体の広さは、全国何位でしょうか?【解答】(1及び3)山形城の別名は、霞城(かすみがじょう、通称かじょう)です。〖出羽の関ケ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れたことから〗と山形市の観光パンフに書かれています。出羽の関ケ原合戦とは「北の関ケ原」と呼
先月末のイケ戦の本編応援イベあなたの心の声が聞こえる〜ことば以上に愛されて〜マダムは全コレしておりましたのよむふふー♡▷義元さん俺の心の声が聞こえていて嬉しいよだって心の声の分まで愛を伝えられるってことでしょ…からの"らぶりー攻め"…ご馳走様です♡▷信玄様君に溺れきった俺の想いをさらけ出すなんて恰好が悪いとも思っていたが君の笑顔の前では俺の小さな見栄なんて…♡▷幸村心の声が(めちゃくちゃ可愛い)なのに口に出すのは「おー」…幸村らしい。笑事情を知
お買い物マラソン開始ですね!エントリーをお忘れなくアメブロをご覧の皆様いつもありがとうございます😊本日のマーケット日経平均株価は+321円高今日ももしかしたら下がるのか?なんて構えていたら寄付きから持株は真っ赤🟥それも束の間で…持株の前日比はマイ転、プラ転を繰り返していました😅チェック株の動き◆上昇チェック株積水ハウスは良さそうな材料がでたのか?自宅に株式総会の書類が届いていたが積水ハウスの役員は流石って感じのラインナップですね…トヨタもホンダも揃っ
盛岡藩の殿様も好きだったウコギ私もウコギをほろほろにして食べるのすきですねほんまほろほろほろほろと美味しさに涙もほろほろほろほろとほんま飯泥棒箸でつまんだところほろほろとこぼれ落ちるところから名づけられたとかでご先祖様ちょと贅沢過ぎますけどぉ羨ましいすぎますウコギは葉の付け根に鋭いトゲがあることから防犯用に生け垣として植えられていた家主は春になるとその若芽をつみほろほろにして食べていたらしい羨ましいです山形にも似たような話が伝わっています直江兼続が米沢に持ち込んで生け垣と
こんばんわ😁今日は、誕生日でした。。知り合いに。いろいろ祝っていただきました。いろいろあったけど「生きてて、良かった」思える1日でした歳とって行くだけなんですけどね💦でも生きていれば、なんかできます。。その意味を大切に考えながら生きてゆこうとおまいます😊。一昨日腸内ポリープの「病理検査」の結果を聞きに病院いってきました。結果「良性」まだできます。。心配してくれた方。してくれている方。ありがとうございました😊僕の尊敬する歴史上の人物。自分にどれだけ能力
本編・続編応援「あなたの心の声が聞こえる~ことば以上に愛されて~」開催中です!3月31日まで。ワタクシの苦手な本編応援イベントなのですが、なんと!兼続さんがいらっしゃるんです!でもなあ、苦手なことに変わりはないのでありまして…さらに問題なのは、ストーリーが前後編であることです。恋のハートを520個集めないと後編まで読めないんです。そんなの無理(笑)行けるところまで行きますが…もうなんだか前編も読めるか怪しい。
直江兼続は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、伊達政宗の重臣として知られています。彼は、「愛」の逸話で有名な「献策」を政宗に提出したことや、奥州仕置などの重大な任務に関わることで歴史に名を残しています。その一生は、武士としての忠義と勇敢さ、そして理想を追求する情熱的な生き方が特徴的でした。1622年、74歳でこの世を去りました。直江兼続の戒名です。「達三全智居士」道号「達三」の「達」は、到達、達成を意味し、仏道を究めた結果到達する境地、すなわち悟りの境地を示唆し
名称:直江山城守本陣築城年:1600年築城主:直江兼続主要城主:直江兼続所在地:山形市大字菅沢慶長出羽合戦長谷堂城遠景長谷堂城合戦古戦図
名称:鶴ヶ岡城別名:大宝寺城城郭:輪郭式平城築城年:鎌倉時代初期築城主:大泉氏(武藤氏)改修者:直江兼続、最上義光、酒井忠勝主要城主:武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏所在地:鶴岡市馬場町4指定文化財:国史跡、名勝続日本100名城外堀二ノ丸大手門跡二ノ丸外北門二ノ丸跡内堀西門跡中ノ橋本丸御殿御玄関跡本丸跡本丸御角櫓渡櫓跡案内図
時をかけ・る~LOSER~―歴史の真実を調査せよ―STORY近未来。一部の政府関係者が「タイムトラベル」が出来るようになった時代。とある大学で教授の助手をして歴史研究に励む5人の若者たち。彼らは国から特殊任務を帯びている。それはタイムトラベルを行い、国が選んだ歴史上の人物(対象者)を調べること。そしてまだ未発見の真実が見つかった場合には国に「報告」をすること。任務を受けた若者たちは、意気揚々タイムスリップし、それぞれの任務に当たろうとするが…。歴史の敗者の真実を知った時
名称:米沢城別名:舞鶴城城郭:輪郭式平城築城年:1238年築城主:長井時広改修者:伊達晴宗、蒲生郷安、上杉景勝主要城主:長井氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏所在地:米沢市丸の内1-4-13続日本100名城水堀舞鶴橋菱門橋上杉謙信像上杉景勝・直江兼続像上杉鷹山像春日神社上杉神社
義を貫く武将直江兼続のリストラ拒否と武士の困難関ケ原の戦いにおいて徳川家康に敗れた直江兼続。兼続の主君:上杉景勝は、会津120万石から米沢30万石へ大幅な領地を没収されてしまいました。通常、領地没収された君主は家臣たちのリストラを行い人件費を削減するのですが、直江兼続は、「大禄は払えんが、付いて来たい者は米沢まで付いて来い!」と言って積極的なリストラをしませんでした。結果、米沢藩の人口に対する武士の比率は異様に高くなってしまい、
純烈さん、おめでとうございます。ゴールドヒット賞と映像ヒット賞、もはやクラウンの稼ぎ頭と言ってもよい。日本クラウン2023年度(第60回)ヒット賞を発表、ゴールドヒット賞に純烈「だってめぐり逢えたんだ/いまでも一番星」|Musicman日本クラウンは3月12日、2023年度(第60回)ヒット賞の受賞作品を発表した。例年は、ヒット賞各賞の受賞アーティストが集まっての授賞式が開催されていたが、コロナ渦以降授賞式の開催は見送られ、受賞者には記念の楯が贈られた。受賞作品ゴ
伊達政宗が生まれたとされる米沢城その後明治維新まで上杉氏が居城直江兼続が城主を務めたことも本丸跡には上杉神社がありました上杉謙信を祀る神社です
役の紹介:『直江状』とは?「天下統一」は、武将や姫の絵札を集めて歴史に基づいた役を完成させる2人~4人用の絵合わせゲームです。本日は、その役の中のひとつ『直江状』についてのお話です。先日、直江兼続のイケメンエピソードでも紹介した『直江状』。詳しくは、ブログ読んで頂けると幸いです↓↓↓直江兼続のイケメンエピソード天下統一ゲームでは、この史実の登場人物、徳川家康2枚・直江兼続2枚・同色2枚(フリー)の絵札を揃える役の名前を『直江状』としました武将や姫の絵札