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軍用監視哨?沖ノ島遥拝所福岡県宗像市鐘崎岬224(織幡神社)織幡神社旧社格は県社(昭和3年)、名神大社、宗像大社境外摂社(明治10年)主祭神は武内大臣・住吉大神・志賀大神の3柱。御利益は海上交通安全、武運長久、国家鎮護*実際の創建については詳らかではないが、社史によれば履中天皇在位中(西暦400〜405年)。西暦850年『文徳天皇実録』では織幡神に従五位下としての記述、西暦927年『延喜式神名帳』には、宗像郡4座の名神大社として織幡神社が記述されている、などなど。長い
※2021年6月14日に投稿した記事を書き直し戦前・戦中にかけて山口県下には民間による「防空監視哨」が数多く設置されていたが、まずは「民防空」について説明する。1.民防空について航空機は第一次世界大戦(1914-18,大正3-7年)で初めて登場したが、その後飛躍的な進化を遂げて戦略的に重要な役割を果たすようになったため、遠隔地から飛来する「空襲」への対策を講じる必要に迫られた。そこで軍部は本土を守るべく、高射砲や見張所を日本各地に置いて敵機を撃退する防空体制(軍防空)を確
[佐世保海軍工廠]金比羅神社の監視哨長崎県佐世保市金比良町2-1(金比羅神社)佐世保海軍工廠の連合部地下壕群の真上にある。佐世保海軍警備隊隷下の部隊が設置したと思われるが、資料が無いため設置部隊など一切不明。金比羅神社の大鳥居を入り、月極駐車場の敷地外の崖下にある。頭頂部はドーム型(ぽっこりしている)崖下に降りてみたなかなかスリリングだ。こちらも出入口部分が半分ほど埋没している内側から出入口部分を覗く内部の天井を見上げる*
[佐世保海軍工廠]神島町監視哨長崎県佐世保市神島町8佐世保海軍工廠に隣接する地にある。佐世保海軍警備隊隷下の部隊が設置したと思われるが、資料が無いため設置部隊など一切不明。鉄筋コンクリート造で内径は1.5m、入口と四方面に覗き孔が設けられている。この場所は海軍工廠との境界で工廠と佐世保湾を一望できる。頭頂部は平たい出入口は1ヶ所、ほぼ埋没内側から見た出入口やはりかなり埋没している・・海側(佐世保海軍工廠/SSK)の監視哨の露出部が多いのは、海側の土砂崩
[四国防衛軍]女城鼻監視哨高知県土佐清水市松尾198-6(女城神社)足摺岬の西3.5キロにある女城鼻。昭和19年、陸軍は女城鼻の女城神社の敷地外に監視哨を設けた。監視哨の出入口なんだか違和感のある案内版の内容( ̄‥ ̄a;)覘視口は海側に3ヶ所。見下ろすでは、内部へ(・∀・)退出(・ω・)ノ*女城鼻監視哨からみる景色女城神社がある松尾地区★目次(陸軍①)★★目次(陸軍②要塞以外)★
100機の米軍機と燃え落ちる浜松を目撃していた「気賀監視哨跡」。国民宿舎奥浜名湖そば細江公園入口に石碑が。(静岡県浜松市浜名区(旧北区)細江町気賀102近く)駐車場あり。トイレあり。自販機あり。第二次世界大戦/太平洋戦争末期日本各地に設置された“監視哨”(かんししょう)。「各地の空爆で残った爆弾は浜松で落とせ」という指令で爆撃作戦を行っていた米軍。3000トン以上の爆弾が落とされた浜松。こういう監視哨で敵機は発見され指令室に報告されていました。
[内之浦臨時要塞]持留監視哨(2号)鹿児島県曽於郡大崎町持留大崎町の中央部の山々は標高約100メートル。ここからの志布志湾や鹿屋市方面の眺望は素晴らしい。戦後に『四季の森』として整備され、監視哨(案内版ではトーチカ/観測所)が2基が保存されている。出典:戦史叢書57巻本土決戦準備<2>-九州の防衛-』(防衛庁防衛研修所戦史室)付図第4「第86師団(大隅集団)の志布志湾沿岸における配備計画図(昭和20年8月頃における)」、抜粋・加工*大崎町の持留地区は、戦史叢書によれば『
[陸軍153師団]七尾田陣地(畔名口トーチカ)三重県志摩市大王町畔名本土決戦用陣地第153師団は阿児町の国府白浜〜市後浜〜東浦に水際陣地(第1線陣地帯)、国府〜長沢に前地地帯(第2線陣地)に機銃用のトーチカなどを構築した。大王町〜阿児町の陣地配置図出典:「三重の戦争遺跡増補改訂版」P.190谷間という谷間には、水田?耕作地?があり「谷間が敵に通り道になる」と考えたのだろう。谷間に迫る山の中腹にも多くの防御陣地を構築している。出典:国土地理院1947/09/23
[沖縄戦]新城対空監視哨沖縄県島尻郡八重瀬町字新城(八重瀬町戦争遺跡公園)ヌヌマチガマ(第24師団第1野戦病院新城分院)に隣接する、八重瀬町戦争遺跡公園の頂上に「八重瀬対空監視哨跡」がある。独立混成44旅団の新城前進陣地で、第2歩兵隊第3大隊が駐留していた。6月7日に米軍に包囲され、馬乗り攻撃を受け敵中に孤立する。残存兵は9日夜に新城地区から撤退、大隊本部壕に集結した。ここも激しい戦闘があったため、往時の対空監視哨がどのような建物がたっていたか?とか詳細不明。跡地とし
八戸要塞(通称):種差防空監視哨(物見岩)出典:八戸地域の戦時遺構に関する研究、P.24より抜粋・加工葦毛崎。葦毛崎海軍電探基地、マイルポスト、鮫角砲台がある一帯の後方に「物見台」があるが、ここは(陸軍)種差防空監視哨だった。物見台の頂には祠の残骸?が置かれていたところで『昭和20年5月17日付け、東北軍管区陣地設定概見図』をみると、葦毛崎にはA(1)/12K(2)の印がある。『鮫臨時砲台』と呼ぶようだ。12K(2)=12センチ加農砲が2門、Aって
八重瀬町具志頭のヌヌマチガマに隣接する八重瀬町戦争遺跡公園に対空監視哨跡があります。5分ほど、さほど急勾配でもない階段を登っていくと高台に到着します。詳しくはYouTubeをご覧ください。【沖縄地上戦】八重瀬対空監視哨について#戦争#自衛隊#沖縄戦#八重瀬町#監視哨#歴史#日本軍youtu.be
[海軍第11空廠工場]防空監視哨広島県安芸郡海田町畝2-10-20(ふるさと館/観音免公園)「外壁はコンクリートで固められ、中に銃火器などを備え、防御陣地として使用された」と書かれた案内板は無かったのが残念。コンクリートの厚さは・・・こりゃトーチカじゃない(( ̄∇ ̄)内部は一人がやっと入れるの狭さ、立てないのでしゃがむ。この内部でだ、どうやって銃を構えるのか?案内板を書いた人は銃=ピストルを思い描いているのだろうか。しかもこんな薄い壁、防御陣地的な
[呉海軍工廠]宮原防空監視哨呉海軍工廠は多くの艦艇建造を手がけ、日本海軍艦艇建造の中心地であり東洋一の海軍工廠だった。単なる造船だけではなく砲熕部(砲塔・砲身の製造や研究開発)、製鋼部(装甲板の製造や研究開発)も担っていた。明治22年(1889年)に呉鎮守府設置と同じくして「造船部」を設置、小野浜造船所を管轄。以後、兵器製造、造船部門などが合併・再編を繰り返し、明治36年(1903年)に呉海軍工廠となった。呉海軍工廠第一工区内には、防空監視哨(3基)や防空機銃陣地がある。
[呉海軍工廠]船見防空監視哨呉海軍工廠は多くの艦艇建造を手がけ、日本海軍艦艇建造の中心地であり東洋一の海軍工廠だった。単なる造船だけではなく砲熕部(砲塔・砲身の製造や研究開発)、製鋼部(装甲板の製造や研究開発)も担っていた。明治22年(1889年)に呉鎮守府設置と同じくして「造船部」を設置、小野浜造船所を管轄。以後、兵器製造、造船部門などが合併・再編を繰り返し、明治36年(1903年)に呉海軍工廠となった。呉海軍工廠第一工区内には、防空監視哨(3基)や防空機銃陣地がある。
前回の続きです(=゚ω゚)ノ🕥祐向山まで来まして、昼メシは後回しにして・・・続いて大平山を目指します😅コケリン♪🚶掛洞城跡コケリン♪東方面👀🚶そして、祐向山から50分ちょっとで・・・お久しぶりです(^^大平山212m登頂♪(看板が木の下に落ちて(置いてある?)、以前よりボロくなってる??)だいぶ歩きましたので、お腹も空きました(^^;)オレギリ🍙登場~👍(ゆかり+南高梅ね)
[呉海軍工廠]串山防空監視哨呉海軍工廠は多くの艦艇建造を手がけ、日本海軍艦艇建造の中心地であり東洋一の海軍工廠だった。単なる造船だけではなく砲熕部(砲塔・砲身の製造や研究開発)、製鋼部(装甲板の製造や研究開発)も担っていた。明治22年(1889年)に呉鎮守府設置と同じくして「造船部」を設置、小野浜造船所を管轄。以後、兵器製造、造船部門などが合併・再編を繰り返し、明治36年(1903年)に呉海軍工廠となった。呉海軍工廠第一工区内には、防空監視哨(3基)や防空機銃陣地がある。
船越防空監視哨秋田県男鹿市船越秋田県の男鹿半島の付け根、船越海岸に現存する防空監視哨。八郎潟の干拓事業で、八郎潟から流れ出る船越水道は河口の位置が変わっている。昭和23年5月米軍撮影出典:国土地理院1948/05/21(昭23)USAR147255↓2022年のGoogle秋田県戦争遺跡研究会編「秋田県の戦争遺跡」p.123秋田県戦争遺跡研究会編「秋田県の戦争遺跡」の123頁船越防空監視哨が紹介されている。同書によれば「男鹿半島の他の4監
高知航空基地(日章飛行場)監視哨高知県南国市久枝乙190付近高知海軍航空基地(日章飛行場)着工/竣工:昭和16年(1941年)1月竣工(暫定):昭和19年(1944年)3月15日(滑走路1,250mX60m)滑走路:1,500mx60mコンクリート、1,000mx40m砂利×2本掩体:中型15、小型9、W型掩体17(有蓋型9基・無蓋型32基)主任務:偵察教育主力飛行機:白菊(機上作業練習機)出典:掩体は語る高知海軍航空基地は、昭和19年3月に偵察練習航空隊の基地と
玉島防空監視哨岡山県倉敷市玉島乙島1251(戸島神社)県道191号線から戸島神社に入る1本目の階段を登りきって左折。やや登り掛けた左側の崖地にある。トーチカに似た構築物昭和18年、戸島神社の眼下(南側)に広がる養父ヶ鼻地先の大平新開に神戸製鋼所玉島工場の建設が始まる。この工場は日本海軍の潜水艦用エンジンを製造する予定も、第1剛毅の完成を待たすに終戦。この構造物はこの工場と何らかの関係があったものだろうと考えられる(倉敷市の説明板)内部は水没(*_*)
都城西飛行場の防空監視哨宮崎県都城市橫市町「母智丘のトーチカ」と紹介されている防空監視哨。都城市の説明によれば「昭和18年に、本土決戦のために多数作られたもののうち、この1基だけが横市川を望む母智丘の桜並木沿いに残っています。西飛行場を空爆する米軍機を迎撃していたと思われます」--「内に銃火器などを備えた防御陣地」・・・いやいやいやいや、違うー!建てられている場所(地形)防御には耐えられない薄さその開口部の形状や窓の位置建てられた時期と飛行場の特性
三連休の初日…晴れ予報だったのに…朝から小雨が💦昼頃から晴れてきた♪ちょっと、お出かけ♪久しぶりの九十九島観光公園丘の上には行きません(笑)佐世保市街に戻り金比羅神社の監視哨↑詳しくは…駐車場横の崖下にポツンとお隣は米軍住宅金比羅神社神社下には戦時中の地下倉庫があるそうです。そろそろ西海橋の河津桜は?と…西海橋へ移動ぽつぽつと咲き始め?1本だけ咲いてた♪来週?再来週辺り?が見頃かな?メジロの姿はありませんでした💦針尾側で休憩して帰ろ~本日の走行距離7
大牟田市役所の防空監視哨/高射機関砲台座福岡県の大牟田市役所は1936年(昭和11年)完成。耐震に問題があるとかで近々、取り壊して新庁舎に建て替える話がある(T_T)この庁舎の屋上に、高さ約2.2メートル×直径約2メートル程の円筒形のコンクリート製防空監視哨がある(写真の右上)。入口は東側に開けられており、中の空間は人が1ー2人立てるくらいの広さ。監視用窓が東西南北に開けられ窓は5個ある。防御のために覗く部分は小さく、外に向かって広がる四角い形をしている。
与那城監視哨沖縄県うるま市屋慶名イシマシムイの丘上にある監視哨案内板「正八角形のコンクリート製で、入口以外の7つの壁面にはひとつずつ窓枠があり、360度見渡せる構造になっています。外側の窓枠から下の部分は土に埋まっています。当時、沖縄県内には11ヵ所の防空監視哨が設置されており(那覇、糸満、本部、金武、国頭、嘉手納、宮古、八重山、西表、久米島)、本監視哨もその一つです」1943年(昭和18年)に現在のコンクリート製に建て替えられた。初代の監視哨は1938年(昭和13年)
日本以外の日本陸海軍の遺構台湾[明治期]澎湖島要塞・外按社砲台/外垵餌砲・猪母水砲台/五德餌砲・旧西嶼西堡塁/西嶼西臺・西嶼西堡塁電燈・西嶼西堡塁①・②・③・内按社框舎(含トーチカ)[大正/昭和期]・西嶼島北のトーチカなど・西嶼島中央部のトーチカなど・澎湖島中央部のトーチカなど・澎湖島海辺のトーチカ----------中国香港タイミャンマーマレイシアシンガポールオーストラリアミクロネシア連邦パプア・ニューギニ
その他北海道:小巻沢林道橋(九九式重構桁鉄道橋)根室国後間海底電信線陸揚施設樺太日露国境第二天測標、戸井線青森県:大間鉄道秋田県:船越防空監視哨岩手県:花巻防空監視哨(聴音壕/集音壕)宮城県:東北帝国大学科学測量研究所防空壕(御嶽三吉神社)茨城県:水戸藩安楽車、[気球爆弾大津放球基地]放球台東京都:[立川飛行機立川工場]給水塔と99式高等練習機(ki-55)一式双発高等練習機(キ54)①・②[日立航空機立川工場]変電所[中島飛行機]浅川地下壕神奈川県:
徳島県阿南市羽ノ浦の岩脇公園に残る監視哨跡です。が・・・遺構の痕跡はありません。全く詳細不明w「監視哨跡」そう呼ばれてる場所・・・です。小松島海軍航空隊防備に関する防空監視哨だったと思われます。建物があった痕跡もありません。聴音壕が造られてたのか・・・詳細は不明。因みに、小松島海軍航空隊をザックリと・・・昭和16年10月1日に大日本帝国海軍呉鎮守府の隷下部隊として小松島海軍航空隊が発足。昭和17年には第12連合航空隊に編入。海軍飛行予科練習生訓練施設が置かれ水上機約10機、隊員約
地図に載っていない山越の道見つけました、復活させたい❗
こんばんは、mmm(まーママ)です。「鎮守府横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~」構成資産の一部(51ヶ所)に説明板を設置地元で、日本遺産を探す旅。⑮金刀比羅神社の監視哨(ことひらじんじゃのかんししょう)金刀比羅神社の鳥居の先にある駐車場のフェンス前に説明板を見つけました。フェンスの下をのぞき込んでいたまーパパが、「何かあるよ~!」この円筒型の建物は、鉄筋コンクリート造で内径は
また前回の続きです(=゚ω゚)ノ(これで最終回にしますので、写真イッパイあります)~祐行山をあとにしまして・・・サヨナラバイバイ🚶この展望地で、地元のオジサン(オレより5歳くらい上?)に声を掛けられ、5分くらい話込んでしまいました(;^_^A(早く大平山に行きたい・・・)~話を切り上げ、再出発して、しばらくすると・・・掛洞城址🚶尾根筋をひたすら歩きます・・・(時々出てくる案内板にε-(´∀`*)ホッ)🚶
『大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊訓練場』ザックリな説明はコチラ↴大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊訓練場跡・・・その①あまり遺構は残ってないんですけどね。確認できたモノだけアップしていきたいと思います。トーチカ・・・と、されてる遺構が滑走路があったであろう場所を囲む様に4基残っています。トーチカであるなら銃眼は滑走路を守るべく外側に向いてるはずなんですが、銃眼は滑走路があったであろう方向を向いてるように思われます。何とも言えませんが、トーチカではなく練習機の監視用だったとも思える遺構です