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この方たちが取り戻したいのは、戦前の〝美しい国日本〟これは完全にアウトですね。もちろん、自由民主党総裁・安倍総理閣下も言外に・・教育勅語・わが闘争・核・サリンも容認⇒安倍内閣の本質を示す4つの閣議決定教育勅語を暗唱させた森友学園の、安倍総理の名を冠した日本会議的〝狂育〟小学校は頓挫したが・・米有力紙も報じた「安倍総理の危機」=日本会議的〝狂育〟小学校に肩入れしなければ・・【それにしても、安倍総理・松井大阪府知事らを擁し、今や飛ぶ鳥を落とす勢い、わが世の春を謳歌する〝日本会議〟幹部
失われた八咫烏の古史古伝「竹内文書」の謎(ムー・スーパーミステリー・ブックス)1,080円Amazonこれって真実?!摩訶不思議な皇国史観。再来日したイエスは自らを「八戸太郎天空坊」と名乗った。
もう、30年も前の話しなので、記憶も定かではなくなっていますが、(昨日の記事の)老先生は、確か定年まじかだったので、もしかしたら、既にお亡くなりになっているのかも知れません。昭和初期のお生まれなので、軍国教育を受けているはずですね。青春時代は戦渦の最中となります。軍国教育と言うと、私は映画で見た軍隊生活を想像する程度のものしか持ち合わせていませんが、まあ、軍人を育てるため、そして、戦争に勝つための教育(のはず)なので、それは厳しいものであったの
泉北コミュニティ2018年6月14日号より今回の共聴アンテナ(さらがい)は、ツッコミどころ満載です。・上空から見下ろせる通天閣のようなものをなぜ作らないのか。なんで通天閣のようなモンやねん・・・古墳群を見下ろせる場所に「新世界のシンボル」のような塔を建てるって・・・それこそ「景観破壊」とちゃいます??。おじいちゃんの感性なんやろなあ・・・。作ったら作ったで「何億かけて作りよった~~!」「無駄なハコモノ!」って揚げ足取るんでしょ?同じ作るなら日本一の「堺タワーを作れ」くらいの夢のある話
相変わらず切り口鋭い池上節。安倍一凶政治が終焉を迎えつつある今、是非、安倍政治の原点=岸信介氏のA級戦犯解除、自民党への資金援助、原子力の平和?利用・・戦後の日本を影で操ったCIAを取り上げていただきたい。できるなら、岸信介商工大臣らが関与?した、大陸でのアヘン密売事情、731部隊のその後など、闇の昭和史も・・関連記事自民政治家へのCIA資金提供「外務省が機密解除に反対」米元諮問委員が証言日本の原子力発電とCIAの関係岸・元総理も関与?!知られざる「麻薬大国」ニッポンの裏面史~
紫式部と敗戦(atombomb.jpg)(murasa3.jpg)(hata5.gif)(himiko22b.gif)デンマンさん。。。今日はあたくしを試そうとするのでござ~♪~ますか?(kato3.gif)。。。ん?僕が卑弥子さんを試そうと。。。?だってぇ~、タイトルに紫式部と敗戦と書いてあるではござ~ませんかア!そうです。。。でも、まさかァ~、僕が卑弥子さんを試そうなんてぇ~。。。そのような大それた事をするはずがないじゃありませんか。じゃあ、どう言う訳で「
今日は皆さんもご存知の通り、建国記念日です。皇紀では今年が2678年という事になります。皇紀とは、明治になってから古事記、日本書紀などの記述を元に、当時の歴史学者などが様々に計算して割り出した年代だそうです。現在は『皇国史観』による妄想の扱いをされ、顧みられることの少ない、日本独自の暦です。昨年一度、歴史の教科書から消された神武天皇は果たして実在したのかという記事をアップし、今の教科書で語られている日本の古代史の記述に疑問を投げかけました。その後なかなか続編が書けなかった事を、お詫
くどいようですが、天皇の正しい理解はこうです:意外かもしれませんが、今の天皇制度は、幕末明治維新の志士=主に薩摩長州の下級武士がデッチ上げたものです。彼らは、『神代の昔から万世一系の天皇が日本の正統な統治者だ。』という水戸学の誇大妄想思想を吉田松陰から知り、倒幕に利用。当時死に体だった天皇を神輿に担ぎ、天皇を中心とする(実は利用する)国民国家統治体制を築いたのです。それが今日のような天皇への認識を生じさせたに過ぎません。言いかえれば、天皇制度は、討幕派テロリストたちが
前の記事の続きとして、日清~日露戦争・朝鮮(韓国)併合以後において東洋史学者の間から、朝鮮史というものは「満鮮史(満韓史)」という概念に置き換えられ、露骨に朝鮮の歴史的主体性を無視するような研究が横行するようになりました。無論、これは日本の大陸発展に呼応する変化であり、日露戦争の後、満韓経営の国策会社として南満州鉄道株式会社が生まれると、前述の白鳥庫吉は満鉄総裁後藤新平に説いて満鉄東京支社のなかに満鮮歴史地理調査室を設けさせ、満韓(満鮮)の歴史や地理の研究を始めました。前期の池内・津田・稲葉
以前の記事まで述べたことは、「日鮮同祖論」を筆頭に主として日本人研究者が日本古代史を研究する中で唱えたものでありました。これに対して、朝鮮史研究者(東洋史系統のもの)の側から反論が起こりました。朝鮮史の研究は、明治20年代から始まりますが、その開拓者であった那珂通世(なかみちよ)・白鳥庫吉、ややおくれて明治末年から研究に加わった津田左右吉・池内宏・稲葉岩吉など、みな日鮮同祖論に批判的でありました。日鮮同祖論者が国学の伝統に立ち、日本の古典を中心にして日本と朝鮮との関係を考えたのに対し、これ
こんばんはどこからともなくわいてきた森友学園土地不正取得疑惑事件それにともなって明らかになった籠池泰典理事長の経営する塚本幼稚園での驚愕の教育内容教育勅語の暗誦、安倍首相を賛美など幼稚園としてあるまじきことを教えています法律で特定の思想教育を禁止していることもありますがわたしが訴えたいのは人権です私立だから何を教えてもいいという考えは間違いです大人に対しても子供に対しても特に自我の確立していない子供に特定の価値観を植え
このような同祖論は、そののち朝鮮で三・一独立運動がおこると、さらに強く主張されました。先で述べた喜田貞吉は、彼らが主宰する『民族と歴史』で「日本民族とは何ぞや」・「朝鮮民族とは何ぞや」という題で日本・朝鮮両国民の起源を考えたのち、『日鮮両民族同祖論』(民族と歴史、六巻一号)という論文を出しました。そこで考古学的遺物、文献、言語、神話、風習などを多方面から同源・同祖であることを論じ、日本の朝鮮支配の正当性と、日本に反抗する民族独立運動の不当を主張しました。この論文の注目すべきは、日鮮同祖論が
前記事から引き続き、戦前の小中学校における日本史の教科書となった『国史眼』、とりわけその思想的母体となった「日鮮同祖論」の詳細、その急先鋒であった喜田貞吉の『韓国の併合と国史』について述べたいと思います。既述のとおり、彼は本の中で「日本と朝鮮は併合によって本来のカタチにもどったのだ」と述べましたが、その結論は以下のようになります。「韓国併合は実に日韓(朝)の関係が太古の状態に復帰したものである。・・・・・・韓国は実に貧弱なる分家で、我が国は実に富強なる本家と云ふべき者である。・・・・・・分家
とりわけ「日鮮同祖論」は、朝鮮併合後、日本が朝鮮支配の政策とした同化政策・内地延長政策にはもってこいの、まことに好都合な考えでした。最もこの思想の源流は、直接には江戸時代の国学でしたが、もっとさかのぼると、神皇正統記さらには『記紀(古事記・日本書紀)』にまで行きつきます。それは日本人にとって、非常に根深い観念であり、神国意識が強調されるときには必ず出現する意識です。昭和初期に「昭和維新」がさけばれたときには権藤成卿の『南淵書』(南淵とは天智天皇の師で大化改新を指導した人。この書は大正11年
↓の動画をご覧になって、どうお感じになられましたか?http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170301-00000247-fnn-soci一面からしか物事を考えないように幼児を育てる洗脳教育でしかないようにしか思えませんでした。生物学でも、社会科学でも多様性を重要視するモノの見方が大切であると、私は思っています。時代が逆戻りしているように危惧しているのは私だけではないと思います。個人的には安倍首相は嫌いです。で
朝鮮の歴史あるいは日本と朝鮮との関係の歴史に対する研究は、日本人の朝鮮観の形成に大きな役割を演じました。歴史研究は各種の朝鮮観の主張者に材料を提供し、その朝鮮観の形成の加わるとの同時に、歴史研究者としての朝鮮観を作り出しました。その代表的なものを挙げます。一つは「日鮮同祖論」。これは主に日本史研究者が唱えたものです。もう一つは「満鮮史」。これは主に東洋史系統の学者が作り出しました。前者は主に「日鮮同種論」「日鮮同域論」などとも呼ばれ、一方では太古における日本と朝鮮との一体不可分の近親
幕末の海外雄躍論=アジア侵略論は、外圧による危機感から生まれた着想であって、外圧による危機感から生まれた着想であり、当時の国内情勢の下では実現の可能性は低いものでした。ところが明治維新後になると、それは政府首脳部に取り入られ、現実性のある政策論に発展しました。そこにあらわれたのが『征韓論』です。征韓論をいち早く提唱したのは木戸孝允です。彼は明治元年12月14日の日記の中で、「使節を朝鮮に遣わし、彼の無礼を問い、彼もし不服のときは、罪を鳴らして其の土を攻撃し、大いに神州の威を伸張せんことを
このように、例外を除いて江戸時代の朝鮮観には相対立する傾向のものがありました。しかし、幕府の友好的政策のもとでは朝鮮の優れた学問や、それを生んだ朝鮮の学者に対する尊敬の念が強かったのです。やがて幕末になり、欧米列強の艦船が来航し、日本人が外圧におびえ危機感を持つ時代になると、朝鮮観に大きな変調があらわれました。林子平は天明五年(1785年)に『三国通覧図説』を著し、朝鮮が琉球・蝦夷とともに日本の国防に深い関係があることを述べ、朝鮮研究の緊急性を唱えました。そこには、列強の侵略に対抗するため
日本人の朝鮮観の系譜や伝統を知るうえで、日本古代国家の形成の時期の朝鮮観にまでさかのぼらなければなりません。元来、日本の古代国家は朝鮮との深い関係の中で形成されました。ゆえに、古代の日本人は朝鮮に大きな関心を持ちました。そして中華律令体制導入以後の日本において、自王朝中心主義の『史(フミ)』の思想にはじまって、古事記・日本書紀その他の古典には、古代日本人の朝鮮観を示す材料が豊富に含まれております。しかも古代国家の形成期につくられた朝鮮観は、その後長く日本人の考えを支配し、また狭めていったも
中道左派のtaoです。先の参院選の特番で、池上彰さんと三原じゅん子さんの間で次のようなやり取りがありました。池上「神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?」三原「いろんな考えがあるかもしれませんけど、私はそういう風に思ってもいいのではないかと思っています。」池上「学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物で、実在していた人物はその後だということになってますが?」三原「神話の世界の話ではあったとしても、そうしたことを含めて、そういう考えであってもいいと思います。」池上「神話
こんにちは。弱気の虫と闘いながら読む解く努力を重ねてくれている皆さん、本当にありがとう。「昭和天皇7つの謎」(『歴史読本』、新人物往来社、2003年12月号)の⑥「秩父宮との緊張関係は天皇の政治的行動に影響を与えたのか?再燃する秩父宮問題(2)」です。☆★☆★☆■再燃する秩父宮問題(2)平泉は当時、皇国史観を説く東京帝国大学教授(国史学)で、秩父宮に政治史を進講したこともあり、旧知の間柄であった。保阪正康『秩父宮』によれば、平泉は蹶起部隊に肩入れしていたという。