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「穢れ」と「言霊」の謎:その51戦後に「氣」を「気」に変えられたことで、「米」から「〆」としたことににはわけがあった。部首である「ノ」の1画目はヘブライ文字「ヨッド」で、それは創造神の手が伸び、その指先で「文字」を書いたて日本人を「しめた」のである。「〆」が「締める」と同語源のわけはここにあり、「手やひもなどで強く押さえつけたり、巻きつけたりする。また、そのようにして殺す。」という意味を持つのは、皇祖神を敬うための神道を、狂った「カルト宗教」に仕立て、「ヤ・ゥマト=ヤハウェの民=神の民」
私は歴史の勉強が嫌いで、苦手だった。その理由はちっとも面白くなかったからだ。でも今考えると、歴史が面白くないのではなく、教える側に歴史を面白く教えようとする気持ちがなかったせいだと感じる。おそらく、その面白くなさというのは、私が子供の頃でも、現在でも大きく変わっていないと思う。これは一つには学者の責任であるように思う。学校で習う歴史には、一言で言えば歴史観がない。歴史観とは「歴史を全体的にどう見るかという根本的なものの見方。」(デジタル大辞)ということだけれども、学者・研究者が分かっていな
今回紹介する記事は2023年9月28日付けの「毎日新聞」の記事です。【木原稔と「教育勅語」】というタイトルで、東京学芸部吉井理記氏が、国民主権の現憲法下で選ばれた政治家でありながら、今なお教育勅語を崇めている人間が防衛大臣に任命されたことについて、紹介しています。いつもどおり、「4つ」の視点でこの記事を見ていきます。(4つの視点についてはこちらをご覧ください)☆新聞記事の紹介について(発信者が重視するテーマに関してはこちらをご覧ください)★始めに読んで
「日本人が世界を救う」「東の国、日本人から救世主が現れる」という言説が、都市伝説のごとく、というか都市伝説的に、まことしやかに広がっております。こう言うことを聞くと、それだけで日本人としてのアイデンティティ(存在意義)や、自尊心が満たされますね。だって、日本人が、「特別な存在」ですから。あなたも特別な存在として、特別じゃない普通の人たち相手に、救う側に君臨できるわけです。気持ちいいですよ
神の国、神様が先祖、特別な国、選ばれし民族いろんな思いが日本人にはあると思いますが、これは皇国史観を引きずっている悪しき状態。かくいう俺もその意識はあった。日本人は外国人と違い、素晴らしい民族で、特に隣の朝鮮や中国なんかとは別次元の高貴な人間だと。そんな意識の強かった俺が日本人のルーツ、日本人の歴史、天皇の歴史を調べていくと、それが幻想なんだと強く感じた。全くもって思い上がった考えである。まず、正
池田信夫氏が「日本保守党は万世一系を語る皇国史観」とコメントしている。しかし、百田氏に批判的な人たちは「百田氏は、継体が行為を簒奪した」という説を主張しているというので、万世一系と矛盾することを指摘している。そもそも皇国史観という概念をどう捉えるかである。皇国史観を代表する平泉澄の考え方は、若井敏明の『平泉澄』によれば『神皇正統紀』と近世勤王家などの研究によって培われた。それが明確に述べられたのは、昭和3年11月16日に昭和天皇の御大典に際して、ラジオで放送された平泉の「国家護持の精神
薩摩の小京都と言われる知覧の武家屋敷で、かつてNHK大河ドラマ『西郷どん』が撮影されたそうですね。私は観たことがないので知りませんでしたヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ(ネットからの借り物)この撮影場所となった知覧武家屋敷の一つ森重堅氏邸を、今回24年ぶりに訪ねてみました。どうしてもここに来たかった理由は、私が24年前に訪れた際、ここで出会ったとても気品のある当主(当時)のおばさまと、もう一度お話がしたいと思ったからです。当時、70歳前後と思われたおばさ
【序論の結び】古事記の翻訳を終えて、チェンバレンは「私たちと日本古代の正しい知識との間に未だ存在する懸隔を埋め得るものでもない。」と心情を吐露した上で、「それを果たすためには、考古学者の協力は必須であり、また、多くの文献の批判的研究調査もなされなければならない。」と記している。あくまでも客観的な評価の重要性を指摘した上で、「もし日本の上古の歴史のすべてが真実でないとすれば、それを真実と見せかけることもできないだろう。」とし、続けて、「私たちがすべきことは虚偽の中から真実を
注意❗️何やら良からぬ集団がSNSにまで言論統制を始めつつあるという情報を得ました。皆さん!きわどい内容の情報発信には「アノ省庁」のことは「Z」とか「カルト省庁」などと直接名は避けた方が良いようです。しかし!本ブログは直接、言ってやるぜ😡では、お馴染みのイントロです。(興味ない人、何度も読んでる人は本題まで飛ばしてください)【ストップ!インボイス】「2023年10月からインボイス制度導入」するのはあくまで予定❗️誰が導入させるか!超拡散希望!【ストップ!インボイス】h
邪馬台国は九州佐賀県にあった説は納得。戦後のマッカーサーにより刷り込まれた、日本人の自虐史観により、厳然たる皇国である我が歴史が歪められ、古事記、日本書紀を史実でなく昔話のように考えてる、残念な老若男女たちが多い。【魏志倭人伝】邪馬台国の秘密【真・日本の歴史】邪馬台国と大和朝廷との違いを述べ、歴史学者に利用された卑弥呼の死と大和王朝の拡大について等を解説していく動画です。邪馬台国は日本の古代史の中でも人気がある分野で、女王卑弥呼が治めたミステリアスな部分も人気の秘密なのでしょう。そのため、邪
ひたすらどうでもいい、イデオロギーまみれの二人の争い(笑)田島陽子氏「自虐史観って何よ」竹田恒泰氏と『はだしのゲン』めぐって大激論|東スポWEB女性学研究家でタレントの田島陽子氏(82)が30日放送の読売テレビ「そこまで言って委員会NP」...www.tokyo-sports.co.jp【田島陽子氏「自虐史観って何よ」竹田恒泰氏と『はだしのゲン』めぐって大激論東スポWEB女性学研究家でタレントの田島陽子氏(82)が30日放送の読売テレビ「そこまで言って委員会NP」に出演。竹
【皇国史観】江戸時代には、徳川光圀(1628-1701)によって設立された彰考館を史局として大日本史の編纂が開始された。史局には水戸藩出身者だけでなく他藩からも多くの招聘者がいたが、この頃に水戸学の基礎が築かれた。修史事業は光圀の死後しばらくして中断されることになるが、水戸藩中興の祖と言われる徳川治保(1751-1805)によって再開される。後期水戸学である。18世紀末のロシア船の来航に始まる列強からの圧力によって国内に危機感が深まってきたことが背景にあった。後期水戸学は、
「歴史」は編集です。解釈により「物語」は変わります。日本は「鎖国」していなかった。「生類憐みの令」はなかった。鎌倉幕府成立はいつから?教科書では「1192年」けれども、私は史学科では1185年と学びました。頼朝が守護・地頭という朝廷から独立した行政権を獲得した年だからです。征夷大将軍任命は形式にすぎないと。が、幕府は天皇から征夷大将軍に任命されてから始まるということで、1192年説が幕府の始まりとされています。第二次世界大戦も何を指すのか実は不確実です。終わりは8月
馬渕睦夫さんの天皇制に関する議論は、恐らく保守系右派に共通だろう。馬渕氏は、「天皇は日本国民をまとめる存在であり、統治すると言っても西欧の国王のような存在ではない。その原点に、ニニギノミコトが日本(豊葦原瑞穂の国)に降臨された時にアマテラスに授けられた神勅がある」と仰る。https://www.youtube.com/watch?v=76isINej6L8(画面アップ出来ず)アマテラスは、天壌無窮の神勅など三つの神勅を授けた(補足1)。その中の「就でまして知らせ」という言葉は、「日本に行
私本・太平記南北朝時代の軍記物を基に吉川英治さんが著した壮大なる人間史登場する人々は、各々の願望と社会善悪の中でもがきます。本来は、遊侠の人、でも権力に病んでいく最後の執権、北条高時鎌倉と運命を共にする権力者、長崎円喜鎌倉幕府内の歪み後醍醐天皇に美を見いだし、でも現実的な政治体制の必要性を築こうとする名門足利家の総領、尊氏兄が大好きなのに源氏復興こそという直義尊氏の家族も崩壊していく執念の人その出自から国の美しいかたちを標榜しつつ最後まで武士を信頼できない
NHKの歴史探偵を見てて、ずっと「こうぎょう」って言ってた。「公暁」昭和の教育では「くぎょう」だし、変換もくぎょうでないと出ない。最近、読みが変わってるモンが増えた。その中で一番衝撃を受けたのが「フランシスコ・シャビエル」もうザビエルじゃないのか。。。あの誰もが一度は見たことがある、胸に手を当てた人。神戸市立博物館所蔵の逸品、レプリカは常設で展示してあるよー。ちょうど大河ドラマでやってるけど、鎌倉幕府の成立が違う。1192じゃないんだよね。征夷大将軍
「「日本史の法則」本郷和人著河出新書」日本の歴史を眺めてみると、変革が起きにくいというのが著者の主張です。確かにそうだと思います。ヨーロッパや中国では、皇帝を殺して自分が皇帝になるということがしばしば起こるわけです。例えば、始皇帝の行列を見た項羽が、その瞬間、自分が取ってかわろうと思うわけですから。ヨーロッパや中国では、新しい勢力が天下を取ったら、旧勢力は皆殺しになってしまうのです。日本にはそれが、ほとんどない。だから、徳川慶喜は明治維新後も生き残ることができたのでしょう。
少なくとも民主主義世界において、選挙の結果とは常に多数決であり、少数意見の尊重をしつつも、それこそが「民意」である。沖縄で知事選挙が行われ、米軍基地反対派の玉城デニー氏が再選を果たした。その差は6万票ほどであり、まさに「民意」が示されたといえよう。もっとも米軍基地移転先の辺野古地区や普天間地区では玉城氏は票数では少数派だ。この結果を持ってして、米軍基地容認派、辺野古容認派は、選挙結果は「民意」ではないとする。こうした人たちは、玉城氏がわずかな差で知事選挙に敗れ、かりに辺野古地区
皆様、ご機嫌YOです!以前に書いた歴史ゲームリプレイにかこつけた読み物、「楠公戦記」の主人公の一人である楠木正成。今更言うまでも無く、彼は日本史上でも人気が高い人物です。しかし、これまで何度も言ってきましたが現在における正成には多分に旧帝国や薩長の遺物共に偶像化されたイメージが未だ強いです。とは言え、戦後の皇国史観の軛から解き放たれた結果、以降の研究では彼の知られなかった一面が明らかになってきており、特にその現実的な戦略眼や時代から一歩先を行っていた戦術面などの再評価が進んでいます。
皆様、ご機嫌YOです!さて、日本史においてかつてはびこった皇国史観。戦後はその影響が一掃された…と言いたいのですが、薩長政権や旧帝国統治下で刷り込まれたこの歴史観は我々の意識してない所で、GKBRのように未だしぶとく残っています。さらに旧帝国の世を懐かしむウヨ共や薩長の遺物はこの皇国史観にどっぷりと染まった古き歴史観を喧伝し、戦後生まれた歴史的発見に目を背け続けています。正直、日本の本当の歴史を知る為の最大の障壁と言っても過言では無いと僕は考えています。と言う事でそろそろ本題に入
尋常小学国史https://w.atwiki.jp/internetkyogakusys/pages/414.html尋常小学国史の上巻を近日中に完成させる予定です
『維新と興亜』第十二号。特集「日本よ国家たれ」ご興味のある方は是非ご購読下さい。047-352-1007、mail@ishintokoua.comまで。小生の「大川周明は不敬なのか」も掲載頂いた。大川氏『日本二千六百年史』における観念右翼(蓑田胸喜氏ら)による論難について、『神皇正統記』を紐解きながら解説した。小生は大川氏は根源的には勤皇主義者であった、と考える。・大川の源頼朝評・大川の北条泰時評・大川の足利尊氏評価・不敬と目された箇所
大河ドラマ鎌倉殿の13人が話題だ。コミカルとシリアスの流れが絶妙で、鎌倉に住む者として楽しく視聴している。しかし、北條義時と言えば、朝廷に弓を引いた鎌倉側代表人物として甚だ評判が悪い。足利尊氏と並び「国賊」と非難する方もいる。そもそも、鎌倉時代からして武家政権ということで、皇国史観の立場からは変則時代であり、否定的になるかも知れぬ。戦前に文部省が編集した『國體の本義』は神武天皇や建武中興、明治維新は多く記しているが、鎌倉時代は否定している。一方、同じ皇国史観でも『神皇正統記』は源頼朝を高
毎日新聞、朝日新聞も、作家百田尚樹氏の日本国記を自由主義進歩史観とマルクス主義の唯物史観で批判をしている。百田氏のこの本のブレーンは皇国史観、陰謀史観で日本の歴史を論じた。だから、残念ながら論争にならないのだ。保守派の歴史家は近代史の研究家が多い。伊藤隆東大名誉教授、鳥海靖東大名誉教授等である。だから、神話・古代・中世・近世という日本の歴史は保守系の学者が少ない。そこで、日本国記は知的に新鮮なのである。
近代史を見る眼石井孝吉川弘文館著者が書いた横浜史が分かり易かったので期待して借り出した。ところが、最初のテーマが「天皇国史批判」でビックリした。確かに見方により違うのだろうが、まだ何も見ていない私にはハードルが高すぎた。それでも明治維新を始めとする様々なテーマが扱われており、学ぶことが多かった。例えば明治維新はいつ始まりいつ終わったかを論じている。その時、経済体制に注目するか政治体制に注目するかでずれが出る。まったくその通りだと思う。そのまま理解すれば良いような気がするが、、、石
またですか、というのが正直な感想だ。東京オリ・パラ組織委員会会長の森喜朗会長の発言。あの方が総理大臣の時の2001年2月10日、愛媛県立宇和島水産高校の練習船が、ハワイ沖で米軍の潜水艦の急浮上の際に船底に追突されて、沈没、35名の教員、生徒のうち9名が死亡したという事件が起こった。その際ゴルフ場で森氏は一報を受けたが、そのままプレーを続けたと当時のマスコミに叩かれた。ご本人は「後の組みも追いかけてきているのに座ってまっているわけにはいかないじゃないか」とそのままプレーを
現在、11月23日は「勤労感謝の日」で祝日になっています。太平洋戦争終戦までは、「新嘗祭」という祝日でした。日本が農業国家だった頃、その年の農産物の収穫に感謝する日でした。一次産業の農業中心から二次産業の工業や三次産業の商業・サービス業へ産業構造が変化したので農作業だけでなく、全ての勤労に従事する人に感謝する日になりました。皇国史観につながる行事として、日本を占領した連合国軍総司令部が新嘗祭を廃止したという事情もありました。アメリカでは、11月の第4木曜日が「感謝祭」の祝日です。感謝祭
←片山杜秀著『皇国史観』(文春新書)「幕末維新から令和の代替わりまで歴史と天皇をめぐる「思想の戦い」が始まる!『未完のファシズム』、『近代日本の右翼思想』など、ユニークな日本思想史で知られる片山杜秀が問う。危機の時代だからこそ、考えたい「国のかたち」。」寒い。仕事からの帰宅時、シャワーを浴びたい。けど、浴室も脱衣場も寒い。髪が痒かったけど、我慢して寝た。たった今、シャワー浴びた。脱衣場などをストーブで一時間ほど暖めて。昨日、仕事の日は真っ青な空。紅葉に高揚。立山連峰の山頂
11月3日は「みかんの日」ではなく、「文化の日」がふさわしいと思います。みかんの日は12月3日もあります。1946年11月3日に日本国憲法が公布され、翌年5月3日に施行されました。1948年に11月3日が「文化の日」、5月3日が「憲法記念日」として、国民の祝日になりました。11月3日は明治天皇の誕生日で、「明治節」という祝日でした。太平洋戦争の敗戦で、占領軍総司令部(GHQ)の指令で廃止されました。軍国主義につながった皇国史観を認めないということです。そのため、「文化の日」という名称