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人類史のなかで現代人にとって無くてはならないコトタマ復活までの道筋コトタマの学問復活に向けての始まりは、物質科学の分野で物質内の先験部分、いわゆる物質の核内の研究に入ってきた頃の事です。時同じくして、日本の宮中において明治天皇・皇后両陛下・皇后付の書道家である山腰弘道氏により、人の心の分野であるコトタマ学研究が行われた事によります。明治天皇ご崩御後、コトタマ学研究は大正天皇には伝わらずそのまま山腰弘道氏が継続し、その時より皇室を離れ民間で研究が行なわれる事になりました。
古事記について(言霊学随想)古事記についてお話しましょう。この書物は七一二年、奈良朝初代、元明天皇の勅命を受けて太安万侶が選録した日本古代の歴史書であります。天皇の命令により編纂された書物でありますから、五十年程以前までは皇典古事記と呼ばれました。これからこの古事記に書かれた内容について、今までの日本人(研究者を含めて)が全く気付かなかった事を二つ皆さんにお伝えしようと思います。古事記は上つ巻、中つ巻、下つ巻の三巻に分かれています。その中で中つ巻と下つ巻の二巻で神倭皇朝初代神
三現今の為政者には皇道のコの字も判つてゐない。だからそのいふこと為すこと悉くが国家の不利益となり、国運の進展を害し、国民をして益々困窮のドン底へ墜し入れて、何も彼も行詰り、メチヤ/\になつて行くばかりである。為政者ばかりではない、世の指導的地位にある者の頭の中は殆んど欧米の唯物的思想で満され、金銀を以て本とするその国家経綸策に心酔してゐる。だから皇道も帝道も同じ位にしか考ヘてゐない。その証拠には「日本帝国」と公然称し、且つそれを怪しむ者がないではないか。帝道国
「三五教」と書いて「あなない教」と読みます。「あなない」は古語辞典を見ると「あななひ:高い所にのぼる足場」とあります。漢字では「麻柱」と書くほか「輔(あなな)ひ」と書き、「助けること」という意味もあります。また、王仁三郎聖師が「晴れわたる三五(あななひ)の月を眺むれば心の曇も消えうせにけり」と詠っているように、三五の月は3×5=15で十五夜の望月を表していて、三五教は穴(欠点)の無い完全無欠な教えを指しています。「この三は瑞(みず)、五は厳(いず)を象徴し、よって三五は厳
某『それでは其(そ)の至厳(しげん)なる親権(しんけん)主権(しゅけん)が何時(いつ)地上(ちじゃう)に降(くだ)りますか』王仁『今に降ります。その時(とき)に初(はじ)めて安寧(あんねい)秩序(ちつじょ)を妨(さまた)げるか妨(さまた)げぬか、及(およ)び日本(にっぽん)臣民(しんみん)たるの義務(ぎむ)に背(そむ)くか背(そむ)かぬかの所以(ゆゑん)が明確(めいかく)になって、夜(よ)が全(まった)く明(あ)け渡(わた)ります。群星(ぐんせい)の光(ひかり)が悉(ことごと)く
(一五)開祖の神訓に曰く、『今迄の世は何も彼も全然《さつぱり》暗黒《くらがり》の世、さかさまの世、大の字さかさまのむちやくちやの世でありたぞよ。神が表に現れて、世を立替へて元の昔にかへすぞよ。この極悪の世のやりかたつよいものがちの世の政事を根本から立直す世が参りたぞよ。大の字を本《ほん》さまへかへして世界の人民を安心させるぞよ』云々と、本末、主客顛倒せる日本国、対世界各国の関係的現象を描写して余蘊《ようん》なしである。抑も天下統治の天職を帯び給へる万世一系の天皇を
(一一)租税制度を根本より廃絶せしむ可き理由を略陳すれば、謹み惶しみて神聖なる皇祖御遺訓皇典古事記に示させ給へる租税制度を、我国に布き給ひし由来を尋ねれば『皇典古事記』の中巻に、御真木入日子印恵命《みまきいれひこいにえのみこと》の段(崇神天皇)(一)於是初令貢男弓端之調。女手末之調。(ここにはじめてをとこのゆはずのみつぎをんなのたなすゑのみつぎをたてまつらしめたまひき)(二)故称其御世。謂所知初国之御真木天皇也。(かれそのみよをたたへまつりてはつくにしらししみまきのす
(一〇)抑も国体経綸の根本義は其淵源する処最も高遠なものであつて、古事記の真義大精神を奉拝せないものは、其経綸の真相を窺知《きち》する事は出来ないのである。掛巻も畏き宇宙の統主天之御中主神より世界修理経綸の大命を享けさせ給へる伊邪那岐神は、御子天照大神に天下統治の大権を授け賜ひ、皇孫邇邇岐命は世界経綸の本能を保有する草那芸神剣即ち大日本神国日向高千穂峰に鎮座し給ひ、世界の人文を開発して天下統治の神権を行使すべき時運の到来を待たせ給ひし事、大正の今日に至るまで実に一百八十万年である。
言霊原理隠没の二千年の暗黒時代に、最初にその原理の存在を知り、復活の仕事を始められたのは明治天皇とその奥様、昭憲皇太后であります。この事について先師、小笠原氏が遺した記事がありますので紹介しましょう。先師の主催する「第三文明会」の第百回を記念して、言霊布斗麻邇復活に関係・尽力した物故者の慰霊祭が東京銀座のレストラン八眞茂登で行われました。昭和四十八年四月二十八日の事であります。その慰霊祭で述べられた文章の一部であります。――「(明治天皇、昭憲皇太后)宮中賢所と皇太后が一
神霊界大正8年4月15日号(第84号)皇道我観(二)皇道の本義世俗往々にして、我々の宣伝する皇道を目して、現代の所謂十三派の神道宗教と同一視し、以て神聖なる皇祖皇宗の御遺訓を奉釈する皇道大本と、宗教との根本的解釈に迷へる者多きは、実に斯道の為に慨嘆禁ずる能はざる所なり。吾人は茲に、皇道と神道との区別を略述し、世の誤解を解き、我国体の精華を根元的に明瞭ならしむるの、最大急要事たるを自覚する者なり。皇道の本義は、畏くも万世一系の皇統を継承し給ひて、日本神国に君臨し、地球上に於け
○聖代せいだいの大おほ御代みよは、古事記こじき一巻くわんに愚たたみ込こまれたる一切さいの秘奥ひあうの啓示けいじせられ、一切さいの経綸けいりんの実現じっしすべきの時ときなり。則すなはち時運じうん到来たうらいせるが故ゆゑに、茲ここに大本おほもと開祖かいその神訓しんくん宣揚せんやうとなり、又また大だい日本にっぽん国こくに幸さきはひ助たすけ天あま照てり玉たまふ言霊ことたまの稜威みゐづによりて、皇祖くわうそ皇宗くわうそうの御ご遺ゐ訓くんを闡明せんめいし奉まつる事ことを得えたるなり。古来
惟神の道65神習の道皇典古事記は「斯乃邦家之経緯王化之鴻基」と、天武天皇の詔り給ふ所であって、大は以て天津日嗣天皇の天ケ下を安国と平けく知しめすべき大道であり、小は以て臣民の修身斉家の御遺訓であり実に千古不磨の活大経典である。その規模の神聖偉大にして無限なる、到底人智の測度すべからざるものである。故に後世欣慕讃仰きんぼさんかうのあまりこの道を神習かむながらの道と謂まをすのである。しかるに、物質文明のみに心酔累惑せる浅学者輩は、皇典古事記を荒唐無稽の神話くらゐにみなし