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『脱出ゲーム香川県からの脱出』に登場する歴史上の人物を訪ねる旅。大鳥大社で日本武尊にお参りした後、せっかくここまで来たので、近くの有名な史跡に立ち寄ることにしました。1.7km行ったり来たり。JR阪和線、たった1駅の東羽衣支線「先が見通せるお守り」が人気の大鳥大社(前編)堺の大鳥大社(後編)日本武尊にゲームのヒット祈願大きな仁徳天皇陵の最寄り駅は小さな百舌鳥駅JR阪和線、南海高野線、バス、南海本線を細かく乗り継ぐ鳳('23.12.23)『脱出ゲーム香川県からの
3月、堺の江戸時代から残る町並みを散策『3月にOPENしたばかりの堺市、鉄砲鍛冶屋敷資料館!』おはようございます。いやぁ、桜が咲きそうでまだ咲かないどころか雨嵐が続く3月下旬、今日はようやく晴れそうね。それにしても春は眠い!眠いわりに何故か早くに目が覚…ameblo.jp『堺伝匠館で包丁ざんまい!!堺って伝統産業の宝庫やん!』もう少し続きます大阪府堺市の街巡り!古墳だけではなく、3月にOPENした鉄砲鍛冶屋敷資料館など歴史的な建物が残る町並みが素敵な堺の街です!碁盤目の細い路地を歩…am
世界文化遺産に登録された百舌鳥古墳群の一角、日本最大の仁徳天皇陵古墳と履中天皇陵古墳周辺に位置する大仙公園・・・その大仙公園でポートレート撮影大仙公園(だいせんこうえん)堺市(sakai.lg.jp)緑の多い都会の中のオアシスそこでポートレート撮影公園内に多くの古墳がありますこのあたり百舌鳥古墳群・・・子供たちの遊具も大きな池もありました湖畔でポーズ一休み・・・ほんと古墳が点在してましたお茶室も女装子蘭のお出かけ動画作成した動画を友だち、家族、世界中の人た
今朝は、百舌鳥界隈をブラリニサンダ↓リチュウ↓ニントク↓イタスケ↓ゴベニサンザイ古墳↓履中天皇陵↓仁徳天皇陵↓イタスケ古墳↓御廟山古墳(ごびょうやま)
今月末(3/30)に大阪の堺市でライブやるんだけどさ、ちょっと調べてみたら結構近くに世界遺産にもなった「百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)」があるんだよね。ほら、あの仁徳天皇陵(大仙古墳)で有名なところですよ!まあ、現在も天皇陛下っていらっしゃるわけだから、そのご先祖様のお墓を「世界遺産」つていうのもなんだか変な感じだけど、歴史的にも超有名古墳だし、なんといったって、世界最大の規模を誇る陵墓、つまりお墓だからね!!せっかくなので立ち寄ってみようと思う。我々SMELLYSOXは、神社マニア
今日は天気がよかったので堺市の大仙公園へ行ってきました(3月15日)JR阪和線の百舌鳥駅で降りると駅の横に桜が咲いていました。多分河津桜ではないかと思います。西側へ歩きます。右側に見えるのは収塚古墳です。古墳という感じがしないですね。仁徳天皇陵古墳に来ました。ボランティアの人が説明を行っています。この柵から向こう側へは入れません。大仙公園を散策します。まずは堺市博物館へ行きたいと思います。千利休の像がありました。千利休は堺の出身なんですね。中に入り
百舌鳥古墳群37(大阪府堺市)2024年1月19日反正天皇陵で正しいのかどうかは専門家にお任せとするとしても堺市内ではほとんど考古学的な呼び方ではなく天皇陵としての表記しかないところにすこし驚きました。それもこれもこれだけ天皇陵候補が並んでいると嫌でもそうなるものかもしれない。ちなみに天皇陵や陵墓参考地の場合は、宮内庁の立ち入り禁止という文言だけで解説というものが存在しない。なぜならそもそも陵墓に説明が必要ではないという立場なのか。そんなわけで他の地
百舌鳥古墳群34(大阪府堺市)2024年1月19日田出井山古墳は百舌鳥古墳群の北端にある前方部を南に向けた、前方後円墳で、現在は百舌鳥耳原三陵の北陵反正天皇陵としまして宮内庁が管理しています。墳丘の規模は全長148m、後円部径76m、高さ13m、前方部幅110m、高さ15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさ。仁徳天皇陵古墳の1/3ほどの大きさで、天皇陵では小さいほうですがその理由はよくわかっていません。墳丘は3段に築かれその形や出土した埴輪から、5世紀中頃に造ら
大阪府の世界遺産百舌鳥古墳昨日そちら方面に用があったので行って来ました。お家からは自転車で行ける距離です。でも古墳って写真撮ってもよくわからないわ😂😂😂この向こうに仁徳天皇陵古墳があります。自転車でぐる〜んと周りました😂小さい古墳はこんな感じ大中小と古墳はいっぱいありました。古墳…形もいろいろあるみたい💦少し勉強してから又行きたいと思います💦気を取り直して〜大仙公園をお散歩サザンカの絨毯綺麗🩷サザンカいっぱい梅🩷梅🤍こちらは早咲きの桜、オカメ桜🌸って書いていまし
百舌鳥古墳群28(大阪府堺市)2024年1月19日「いたすけ」という名前の由来について調べてみると、周濠部分が板鶴(いたづる)池と呼ばれていたり、「井タツケ」と描かれている絵図もあるそうです。そのいたつけ古墳。もとい。いたすけ古墳には想像していたよりも木々が残っていない。板付けとかまぼこの違いは何か。板付け=かまぼこではないが、ここでは議論しません。元々は木々に覆われていたようだが、昭和30年(1955年)9月に私有地であったため、土砂採集と住宅造成のため破壊され
26日は、有給をとってあり、今日も1日ゆったり過ごせます!2日目のルートはこんな感じです!京都駅(8:45)発~特急はるか13号~天王寺駅(9:31)着(9:51)発~JR阪和線熊取行~百舌鳥駅(10:14)着~仁徳天皇陵古墳大山公園観光〜百舌鳥駅(12:32)発~JR阪和線天王寺行~三国ヶ丘駅(12:34)着(12:48)発~南海高野線準急なんば行~堺東駅(12:50)着~徒歩8分~フェニーチェ堺石田組SUGIZO越境ライブ~堺東駅~南海高野線~三国ヶ丘駅~関空快速天王寺行~
百舌鳥古墳群26(大阪府堺市)2024年1月19日今回の調査結果、御廟山古墳の全長が、従来より約14m長い、約200mになることが判明しました。出土品から築造年代は従来の5世紀後半から中頃に遡ったことで、仁徳天皇陵よりやや早い築造時期であると見られています。測量図によれば、後円部と前方部の頂上に円錐状の円丘が認められますが、主軸線より北側へ偏することから、築造当初のものではない可能性が高いとされる。現在は一重の濠が巡るが、築造時には二重周濠であったらしい。現在、外
百舌鳥古墳群22(大阪府堺市)2024年1月19日昨夜アップしていたつもりでしたが、「投稿する」を押し忘れていました。お恥ずかしい。さて、百舌鳥古墳群の西南端まで来て、再び大仙公園東隣り二つの古墳をお邪魔します。御廟山古墳へは北へ府道197号を1㎞ほど走る。いったん百舌鳥駅近くに向かい、踏切手前の交差点を左折すれば、ほとんど御廟山の前方部に近づいている。戻ってきた感あり。手近の進入路に入るが、どの道も住宅地の囲繞地に行き詰まる。お濠からの排水路らしきは
百舌鳥古墳群19(大阪府堺市)2024年1月19日5世紀後半の築造と考えられており、百舌鳥古墳群の大型古墳の中では最も時代が新しい。大仙陵古墳の築造後、百舌鳥、古市古墳群はそれぞれペースを異にしつつも、終焉へ向かっていきます。百舌鳥古墳群では最後の大型古墳である土師ニサンザイ古墳が築造されました。この土師ニサンザイ古墳が古墳群の中では最後の大古墳となります。土師ニサンザイ古墳では近年、後円部から周濠にかけて並ぶ木柱列の痕跡が発見されました。周濠を渡る橋がかけられ
百舌鳥古墳群16(大阪府堺市)2024年1月19日こうして墳長第1位の大仙陵古墳と3位のミサンザイ古墳を拝見して大きな違いが判りました。大仙陵古墳は、非常に等高線が乱れており、現在は美しい構造とはいえない。専門家によるとこの等高線の乱れは人為的なものではなく、地震による地すべりが原因だそうです。ところが、すぐ近くの上石津ミサンザイ古墳は全く等高線に乱れがありません。なぜ、このように違うのでしょうか?大仙陵古墳の等高線の乱れは、地震に
百舌鳥・古市古墳群をめぐって「もずふるカード」をもらいに行きます🏍️前回は百舌鳥古墳群をすべて廻ったので今回は古市古墳群を廻ります🏍️先ずは『大阪府立近つ飛鳥博物館』『安閑天皇陵古墳』『仁賢天皇陵古墳』『誉田白鳥埴輪製作遺跡』途中、梅の花を見つけました『津堂城山古墳』『雄略天皇陵古墳』『仲哀天皇陵古墳』『藤井寺市立生涯学習センター』この他、所定の古墳などを全部回って全67種類を全て集めました全てのカードを持って配布場所へ行くとコンプリートカードをもらいました↓斜
昨日2024年2月3日もイチオシライバー扶実ちゃんのイベントが大阪でありましたので、大阪に出撃です!https://www.showroom-live.com/r/495d43547410次19:00🔥最終日🍥扶実ふみのふむふむ🦕|SHOWROOM(ショールーム)2月1日毎日配信4周年💐🤍毎日本当にありがとう𓂃🫧見つけてくれてありがとう🕊👇🏻各SNSフォロー嬉しいです🌿ܸhttps://linktr.ee/fum_72f9、10月ファンありがとう💐🤍曲リクエストファンレベル高
昨日2024年2月2日は、大阪で、イチオシライバー扶実ちゃんのイベントがあるというので、大阪に出撃して来ました!https://www.showroom-live.com/r/495d43547410次12:00👘愛和服🍥扶実ふみのふむふむ🦕|SHOWROOM(ショールーム)2月1日毎日配信4周年💐🤍毎日本当にありがとう𓂃🫧見つけてくれてありがとう🕊👇🏻各SNSフォロー嬉しいです🌿ܸhttps://linktr.ee/fum_72f9、10月ファンありがとう💐🤍曲リクエストファ
特報ハニワ局長@懺悔する?飛ばない気球12時に懺悔予告14時に発表。2月1日提供ガス気球事業におけるヘリウムガス漏出事案の調査結果を公表しますwww.city.sakai.lg.jp14時の飛ばない気球の懺悔報告の予告だったのか…笑笑
また古墳を巡ってきた🏍️向かったのは堺市にある百舌鳥古墳群『御廟表塚古墳』『百舌鳥のくす』『定の山古墳』『ニサンザイ古墳』『乳岡古墳』『銅亀山古墳』『菰山塚古墳』『丸保山古墳』『永山古墳』『旧天王貯水池』『鈴山古墳』カード対象外『田出井山古墳(反正天皇百舌鳥耳原北陵)』『塚廻古墳』『源右衛門山古墳』『大安寺山古墳』『茶山古墳』今回は13か所回ることができて百舌鳥古墳群はコンプリートしました✨次は古市古墳群をめぐりたいと思います🍀いつ行けるかなpm
百舌鳥古墳群7(大阪府堺市)2024年1月19日ビジターセンター裏の歩道が沿っているのは三重目の周濠らしく遥拝所の奥に見えるは二重目の周濠であり、その奥に巨大なお濠が巡らされているようです。古墳最大長840mともなると遥拝所前からどれだけのものも見えません。現在墳丘は三重の周濠で囲まれているようだが、江戸時代の元禄年間に当時の堺奉行所の指示で最外部の濠は一部を除いては畑地に開墾され、ほぼ二重濠のような見かけになっていたらしい。古今東西、古墳改変は日常茶飯なれど「
百舌鳥古墳群5(大阪府堺市)2024年1月19日Priusを停めた小公園に戻ってみると、一角に小さな古墳らしきが鎮座していました。径20m高さ3mほどの円墳のようで大木が繁り、いかにも公園の一部と化していますが、周囲を柵で仕切られて立ち入れない。正面に廻れば国指定史跡との案内板があります。収塚古墳(おさめづか)という全長61mの帆立貝式前方後円墳。前方部は削平されている。墳丘の周囲をめぐっていた盾形の濠は埋没しているが、道路上に濠の位置がタイルで表示され
(緊急連載)百舌鳥古墳群(大阪府堺市)2024年1月19日伊予巡礼落穂ひろいの宇摩巡礼の途中、昨日決行した百舌鳥古墳群の短期集中連載と致します。そもそもなぜ百舌鳥古墳群なのか。前回の佐紀古墳群の流れからすれば纏向か古市のところが、百舌鳥には訳があります。当日はジャーナリストの今井一さんがYoutubeの「一月万冊」で本間龍さんとやってる万博問題のオフ会の告知があり、おふたかたのファンとしては是が非でも参加したいところ。ところが数回の追加募集もすでに締め切り。止む無く自車
【スタンプ】百舌鳥古墳群ビジターセンター大阪府堺市堺区世界遺産
前回の続きです堺の古墳をめぐります『百舌鳥耳原南陵(履中天皇陵古墳)』『いたすけ古墳』『善右ヱ門山古墳』『御廟山古墳(百舌鳥陵墓参考地)』『収塚古墳』バイクを仁徳天皇陵の駐車場に駐めて『大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)』大仙公園内の古墳を散策します👣『孫太夫山古墳』『竜佐山古墳』『狐山古墳』『七観山古墳』『寺山南山古墳』『旗塚古墳』『グワショウ坊古墳』『長塚古墳』『堺市博物館』『百舌鳥古墳群ビジターセンター』ここで行ってきた古墳の看板写真を見せて
こんにちはNARUMIです✨今年レポの途中だった関西旅行の続きとなります🤣💦関西旅行3日目(3/20)この日は大阪巡りの予定でまずは仁徳天皇陵古墳を目指し梅田のホテルを出発堺市JR百舌鳥(もず)駅へ桜🌸が綺麗✨百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)たくさんの古墳のある地域です駅から百舌鳥古墳群ビジターセンターへ向かう途中にもたくさんの古墳がビジターセンターで古墳群や堺市の情報を得て再び出発(すごい迫力のプロジェクションマッピングも観ました✨)ほぼ目の前に
皆様方こんばんは。昨日クリスマスでしたね。が、独身のアラフィフの私にとってはクルシミマス。というだじゃれは置いといて。12月10日に応神天皇陵参拝の後その北側に存在する前方後円墳を見学しました。大鳥塚古墳です。前方部から後円部を望む。↑石碑また前方部。↑看板。看板にありますように墳長約110mあります。円筒埴輪と形象埴輪が出土しています。約7年ぶりに見学しました。応神天皇陵参拝所の駐車場に母の友人方がお待ちですのでここまでにしました。やはり古墳見学は冬が
年末年始の旅行の準備をしたり、名古屋にお出かけしてこんなのに参戦したりしてきました。浜省も70歳かぁ。コロナ明け、前よりもチャンスがあったらライブなどにも参戦しています。これからもそうします。さ、ゆっくり寝てあさ8時少し過ぎに急いで朝ごはんへもういっぱいだった。仕方ないですね順番が来るとルームナンバー呼びます。英語でね。入店してみたら8割強くらい外国人観光客。これは英語でルームナンバー呼ぶわね席について飲み物と卵料理をオーダーし、それ以外はビュッフェなので自分で取りに行
佐紀古墳群27(奈良市山陵町)2023年11月9日これらの巨大前方後円墳は古墳を造る場所を、まず大和の東南部に求め、次いで大和の北部に移りさらに山を越えて河内南部に移動しています。しかし、古墳の形態は時間の推移にしたがいスムーズに変化していると理解できるのです。したがって少なくとも古墳設計者は同一系統に所属する技術者であったことは確かでしょう。さらにいえば、政治的記念碑でもある最高権力者のお墓の形態が大きな変化なく造られ続けるということは、この間
佐紀古墳群25(奈良市山陵町)2023年11月9日次には、ヤマト政権運営として大王墳の造営地をどこにするかの決定が急がれたのです。結果からいうと、奈良盆地北部が選ばれたのです。それはこの地が先に述べたように複雑な利害関係がなく、大半が未開原野だったことが最大の理由だったのでしょう。加えて、奈良盆地北部の佐紀の地は、山背国(現京都府)と河内(現大阪府)国境に近接するという交通の利便性が考慮されたのではないでしょうか。五社神古墳(神功皇后陵)をはじめとする佐紀古墳群出現はヤ