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2からのつづき※ご朱印を追記しました。東室から百済観音堂へと向かいます。手前に馬屋がありました。聖徳太子が献上された馬に乗って富士山へ行ってきたという話があるそうで、その時乗っていた黒い馬の像がここに展示されています。3日間で行って帰ってきたそうです。綱封藏(こうふうぞう)寺宝を保管する藏。高床式の漆喰壁になっていて、2つの藏が1つの屋根に覆われているのが特徴です。(国宝)食堂(じきどう)もとは、寺務を司る政所であったが、平安時代に
平安時代先週の金曜日に訪れました法隆寺探訪紀の続きになります世界最古の木造建築群の西院伽藍をあとにしてやってきましたのは...鎌倉時代創建の聖霊院・国宝聖徳太子信仰の中心となる建物で、内部には3つの厨子があり、中央には(画像お借りしました)平安時代に造られた聖徳太子像(国宝・秘仏)が祀られています秘仏ですので、すーやんも観ることができず3つの厨子のみ拝見してきましたよお次は、奈良時代創建の東室・国宝前が聖霊院、矢印部分が東室になりますこちらは僧が生活するための僧房で、
法隆寺を代表する素晴らしい仏像のひとつである夢違観音像についてですこの、白鳳時代の金銅仏は、夢違観音と呼ばれています読み方は、人により「ゆめちがい」とも「ゆめたがえ」とも読まれるようですが、私は「ゆめちがい」と呼んでいますモチロン、国宝です(国宝に向かって言うのは甚だ恐縮ですが)私は、この方いつもニヤニヤしている(^~^)と思います実際の画像をご覧になってください↓ほんとに、ステキな仏像で、大好きなんですが、ニヤニヤしています古拙の微笑み、アルカイックスマイルというも
1月1日法隆寺の続きです。聖霊院(鎌倉時代国宝)聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。内部には3つの厨子があり、中央の厨子にはご本尊の聖徳太子の尊像、向って左の厨子には太子の長子・山背大兄王や兄弟皇子の殖栗王の像、右の厨子には太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ、毎年3月22日のお会式(御命日法要)の時に扉が開かれます。御朱印はこちらでいただくことができます
西院伽藍の隣には聖徳太子尊像を安置する国宝の聖霊院があります。こちらは西側の西室と三経院と対をなす位置にある建物で、やはり国宝の東室の南端側を改造して建てられています。聖霊院の前に手水舎がありました。水が流れ出る本体は壺のような水瓶のようなちょっと形の変わった造形で、よく見ると水口は龍の顔のようになっています。その表情はギザギザの歯並びでさらに凶暴に見えますが、ちょっと引いて見るとまるで「エイリアン」の怪物のようです。水を受ける水盤には元禄の文字。