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昨年(2018年)11月2日以来、22回にわたって『日本とイングランドのパラメータ』を続け、紀元1世紀から16世紀に至るまで、日本とイングランドの歴史が同時期にまったく類似の政体や宗教をもって発展してきていたということを明らかにしました(その概要と結論は、最終今年1月18日付『日本とイングランドの歴史が相似の照明に成功!』に示しています)。イングランドの16世紀末までの歴史は、17世紀の世界初の市民革命(清教徒革命と名誉革命)へとつながるのですが、しかしその最もピュアな部分を引き継いだのは
19世紀半ば過ぎから20世紀初頭にかけて生きたドイツの学者がいます(1864-1920年)。日本風に彼の肩書を書くとすると、社会学者兼哲学者兼宗教学者兼法学者兼政治学者兼経済学者となることでしょう。以上のそれぞれの分野においてトップクラスの論文を書けるほど精通しており、例えば、1895年に『国民国家と経済政策』を著せば、1916年には、『儒教と道教』、『ヒンドゥー教と仏教』という2作を発表するといった具合です。マックス・ヴェヴァ-(左)とその著作【画像出展:WikipediaFile:
蓮如は、近江の堅田〈かたた:現在の大津市の北部〉から浄土真宗の布教を急拡大し、日本海の海岸線に沿って教線〈きょうせん;布教を終えた地域を結んだ線〉を東北地方に向かって拡大していきました。まず第1に、線上にある流通拠点都市の有力商家の既存権力への反発の動きを援けることによって、それらを門徒とし、そしてその都市の市場を小規模商家にも開放することによってそれらも門徒としました。このことは、蓮如が進出した都市では、市場が外の権力者の管理から解放され、そして内においても誰にもオープンな自由市場が生れ
連載『日本とイングランドのパラレルワールド』の前回(12月26日付第18回)で、蓮如の浄土真宗教団大拡張のところまで話ししました。今回は、戦国時代に起こった加賀国の一向一揆について話す予定でいたのですが、準備が整いません。なので、来週まで記事のアップに時間の猶予をください。記事を書くのに時間を要している最大の理由は、1488から1580年に至る92年間の加賀国(現在の石川県から能登地方を除いた地域)の歴史がそっくり残されておらず、ほぼ空白になっているからです。作家の五木寛之は、金沢は