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※2026年2月5日訪問※はの門を潜った先は【乾曲輪】という曲輪が広がっています曲輪の北側には地形に沿ってへの字に折れ曲がった平櫓【ロノ櫓】が見えていますねロノ櫓は左右に控える土塀と共に、国の《重要文化財》に指定されています左手に見える低い石垣の上には、かつて【イノ櫓】や【多聞櫓】が建てられていたようですこの辺りの石垣も石の積み方が古く、羽柴秀吉時代の石垣ではないかと推測されています◆播磨国・姫路城(白鷺城)十字紋の鬼瓦(にノ門櫓)/世界文化遺産・国宝・特別史跡◆に続く
※2026年2月5日訪問※将軍坂を登った先には【はの門】が待ち構えています梁の部分には【はノ門】と書かれた札が据え付けられていますねはの門は天守への侵入を防ぐ重要な門で堅牢な櫓門の形式です屋根は切妻造り、門扉は素木のままで、門を飾る金具も最小限に省略された簡素な造りの脇戸付櫓門です門の側には【石灯籠の基礎】と書かれた案内板が設置されているので確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼姫路城では、姫山やその近隣にあった寺の墓石や石仏、古墳の石棺などの石造品が石垣や建物
※2026年2月5日訪問※天守へと向かう登城路の途中に位置する【はの門南方土塀(将軍坂)】を見て行きましょうこの場所は、分厚い土塀を間近で堪能出来る、お城ファンにはたまらない場所ですよね観光客の方が多い時間帯などは道が混雑してしまい、中々シャッターチャンスが難しい場所ではありますが、土塀と坂道と天守群を1枚の画角に納める事の出来る絶好の撮影スポットでもあります📷ちなみに、この石段の坂道は、松平健主演のテレビドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系列/昭和53年〜平成14年放映)で江戸城という
※2026年2月5日訪問※西の丸跡から天守方面へ歩いて行きます途中に【「五芒星」の刻印】と書かれた案内板が設置されているので確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼一西の丸・化粧櫓西側一姫路城の石垣には、約50種90個の文様や文字などが刻まれ、これらを「刻印」と呼んでいます。刻印は、石の産地、提供者名、工事担当者名、運搬作業者名や呪符などではないかと考えられています。石垣の地面に近いところに、「奈良村」と刻まれた石があります。江戸時代、姫路市周辺に「奈良
※2026年2月5日訪問※化粧櫓のすぐ側には西の丸の北側の出入口である【西の丸北門】が設けられていました【西の丸北門跡】の案内板が設置されているので確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼西の丸への入口は、南北に一つずつあります。ここは北入口の門跡で、脇戸付きの高麗門でした。通路上に残る約50cm角の3つの石が門の礎石です。西の丸はかつて本多忠刻の居館があったので、出入口はしっかりと守られました。この門の西端には武者溜りがあります。化粧櫓1階部分の石垣を張り出さ
※2026年2月5日訪問※ワノ櫓から化粧櫓までの【百間廊下】と呼ばれる長屋の内部、約240mを散策して来ました百閒廊下の内部の印象としては、当時の女中や千姫達の『居住区』としての印象が強かったように感じましたしかし、姫路城はれっきとした『お城』という軍事要塞🏯🔥今度はその『要塞』としての様子がわかりやすい建物の外観を確認して行きたいと思いますまずは出口となった【化粧櫓】から【化粧櫓】【カノ渡櫓】【ヌノ櫓】【ヨノ渡櫓】【ヨノ渡櫓〜ヌノ櫓】【ヨノ渡櫓】【タノ渡櫓〜ルノ櫓〜ヨノ
※2026年2月5日訪問※西の丸百閒廊下の最終地点である【化粧櫓】を見て行きましょうワノ櫓から約240mに渡って続いた百閒廊下の出口部分になっている化粧櫓千姫所縁の櫓としてとても有名ですよね【化粧櫓】の案内板が設置されているので、確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼化粧櫓は、千姫が本多忠刻に嫁いだ際に、将軍家から贈られた10万石の化粧料の一部を使用して建設されたといわれる櫓です。階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室をとって、天井には杉板張り、壁面はすべて黒
旅行最終日は鳥取から姫路へ移動🚗💨💨途中、寄り道数箇所そのひとつが八頭町の物産館みかど八頭町は鳥取県最大の柿の産地ちょうどこの時期に収穫されていたのが鳥取県オリジナル品種の輝太郎柿甘味が強くて果汁の多い柿でした鳥取を後にして姫路城へ🚗💨💨姫路城は昨日行った松山城と同じく現存12天守のひとつで国宝で世界遺産にも登録されてる白鷺城とも呼ばれる綺麗なお城だ駐車場から大手門を通り城内へ進むとにかく広くて大きなお城でしたあの千姫も天守から城下を眺めていたのかも👀インバ
※2026年2月5日訪問※ヨノ渡櫓南棟から扉の奥の【ヨノ渡櫓北棟】へと進んで行きます門を潜り、90度折れ曲がるとその先にヨノ渡櫓北棟・ヌノ櫓・カノ渡櫓と小部屋が続きますこちらは【ヌノ櫓】部分ヌノ櫓も国の《重要文化財》です幅1間の廊下は何度も曲げられており、廊下側には石落しや狭間、高窓(煙出し)など、厳重に警備されています🔥ヨノ渡櫓・ヌノ櫓・カノ渡櫓はかつて千姫の待女達が暮らした《長局》で、昭和の大修理の際に華麗な装飾が施されていた事がわかっています続いては【カノ渡櫓】へこちらも国
※2026年2月5日訪問※タノ渡櫓から進み【ルノ櫓】へ歩いて来ましたこのルノ櫓も国の《重要文化財》に指定されていますルノ櫓内部では姫路城や城郭建築についてのパネル展示がなされていました【伝統の技術】▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼姫路城は、慶長6年(1601)の池田輝政による大改修により完成。明治政府の廃藩置県や第二次世界大戦の空襲など、幾度かの消滅の危機を乗り越え、大、小の天守群をはじめとする多数の木造城郭建築群が、築城当時とはほぼ変わらない姿で約400年後の今日まで伝えら
※2026年2月5日訪問※仮設廊下から扉の先に進むと【ヲノ櫓】に入ります階段を上がり櫓の二階部分へこちらのヲノ櫓も現存する貴重な櫓で、国の《重要文化財》に指定されています城の外側を向いた壁には狭間が設けられています【狭間】についての案内板が設置されているので確認していおきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼挟間は、鉄砲や弓矢を放つために土塀や櫓等の壁面に開けられた開口部です。円形、三角形、正方形のものは鉄砲挟間(銃眼)、縦長の長方形のものは矢挟間です。西の丸の櫓群には
※2026年2月5日訪問※百間廊下の中でも比較的新しいと感じる長屋部分を進んで行きます実は百間廊下のほぼ中央部、ヲノ櫓とレノ渡櫓のこの部分は、昭和になって建てられた【仮設廊下】の長屋なんです1934年(昭和9)年にレノ渡櫓に続く隅櫓が石垣もろとも崩落修理にあたり、隅櫓に接する渡櫓も腐朽が激しかったために解体され、石垣だけが詰み直され、土塀が新たに築かれました建物の復旧は諦めた為、現在は渡り廊下として整備されており、この部分は文化財指定は受けていないとの事でした◆播磨国・姫路城(白鷺城
ご自宅で、玄関マットを使用しているという方、そうでない方、ポチッと、応援お願いいたします。スピリチュアルブログランキングへにほんブログ村有難うございます。玄関マットは、外から持ち帰った不要なエネルギーを吸収してくれています。気が付いた時にでも、お手入れなさった方が良いと思います。ささっ、本文を読んでくださいませ。私が、ご縁を頂く方の中には「最近、○○という体験をしたのですが、これってどういう意味でしょうか」と、お尋ねくださる方もいらっしゃいます。私は、「その体験の意味を、本当に
※2026年2月5日訪問※廊下の突き当たり部分には【石落し】を確認する事が出来ます【石落し】の案内板が設置されているので確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼石落しは、橋、城門、土塀などに設けられる防御のための設備で、下に迫る敵の監視や攻撃を行うための防御設備です。建造物の外壁や塀の一部を張り出し、床面の開口部には蓋を設けて、主に鉄砲、館、矢等で攻撃することができます。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲階段を登って、更に先へ進んで行きます【近代の姫路城】
※2026年2月5日訪問※ワノ櫓から【百間廊下】へと向かいます🚶まずは百間廊下についての予習をしておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼西の丸を囲むように築かれた300m近い長屋は「百間廊下」と呼ばれています。右手(北)の部分は長局で、忠刻の御殿で働く奥女中の住む部屋がありました。そうした居住施設としての機能の他に、西側からの攻撃に対する防御機能がありました。姫路城の西側は山がすぐ近くに迫り、防御上の弱点でした。そのため、百間廊下では外側(西)に向かって格子窓や狭間
※2026年2月5日訪問※続いては【ワノ櫓】を見て行きましょうこちらの櫓も二重二階隅櫓、本瓦葺の建物で、南側の屋根には唐破風が据えられていますワノ櫓も現存する貴重な櫓で、国の重要文化財に指定されていますこのワノ櫓が西の丸の【百間廊下】の入口部分となります履き物を脱いで袋に入れて建物内部へ階段を登り、左手にはワノ櫓内部へと入る扉、右手には百間廊下が続いていますね扉の上には【ワノ櫓】の木札が据えられていましたワノ櫓から百間廊下へと向かいます🚶◆播磨国・姫路城(白鷺城)西の丸跡レ
※2026年2月5日訪問※【カノ櫓】とその西側に位置する【ワノ櫓】の間を結ぶ【土塀】を見て行きましょう土塀部分を良く見て頂くと、数ヵ所の【石落し】が設けられていることがわかります実は土塀に石落しが設けられているのは、全国的にも珍しい事例だそうです確かに石落しというのは、下から登ってくる敵に対して、上部に位置する天守や櫓などの『建物の内部』から防衛する為に設けられている事が多いですよね通常の土塀には狭間が設けられている事は多いですが、石落しが有る土塀は確かに珍しいかも◆播磨国・姫路城(
※2026年2月5日訪問※西の丸跡でまず最初に訪れたのは【カノ櫓】という櫓カノ櫓は二重二階隅櫓、本瓦葺現存する貴重な櫓で、国の重要文化財に指定されていますこちらの櫓は一般公開はされていないようですね💦入口部分上部には【カノ櫓】と書かれた木札が据えられていましたカノ櫓は二重の櫓で、一階と二階が同じ寸法で建てられている《重箱櫓》と呼ばれる構造ですさてこのカノ櫓ですが、天守から見て裏鬼門(南西)にあたる場所に建っていてることから、魔除けの為の《桃の紋の鬼瓦》をあげられているそうです🍑◆
※2026年2月5日訪問※姫路城の【西の丸】までやって来ましたこの西の丸から見る天守群も非常に画になりますよね📷️【西の丸】の案内板が設置されていますので、確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼この曲輪は、姫路城主本多忠政が大坂の陣の後、将軍徳川秀忠の長女千姫を娶った息子忠刻のために、元和4年(1618)に御殿を建てたところで、「中書丸」とも呼ばれていました。中書とは、忠刻の官職中務大輔の唐名です。御殿を囲むように築かれた長屋は通称「百間廊下」ともいい、約30
※2026年2月5日訪問※西の丸南門跡のすぐ側には【武者溜り】と呼ばれる施設が設けられていました✨【武者溜り】の案内板が設置されていますので、確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼土塀でほぼ正方形に囲まれていることから「武者溜り」と呼ばれています。こうした空間は、集団で軍事行動をする兵士を一時的に駐屯させる場所ともいわれます。菱の門の前方で石垣を張り出させた場所にあるので、菱の門や西の丸の東側に取り付こうとする敵を攻撃するための施設とみられます。また、18世
※2026年2月5日訪問※菱の門をくぐり、左に曲がって道なりに進み、西の丸跡へと向かいます🚶この辺りには【西の丸南門】が建てられており、西の丸の防衛の役割を担っていたようです✨【西の丸南門跡】の案内板が建てられているので確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ここにはかつて西の丸への南入口の門がありました。番所付きの高麗門で、坂道の真ん中には約40cm角の正方形の礎石が残っています。坂道の西端にもいくつか礎石が残っています。門の東側には武者りがあり、門に接続
※2026年2月5日訪問※入場券を購入し、いよいよ姫路城の『有料区域』へと進んで行きます🚶入場者をまず出迎えてくれるのが【菱の門】と呼ばれる巨大な櫓門です門の側に【菱の門】の案内板が設置されているので確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼姫山・鷺山(城山)への入口を固める櫓門で、門の正面には蔀(しとみ)となる石垣と土塀があり、枡形構造になっています。「菱の門」の名称は、親柱上部の冠水に木製の花菱が飾られていることに由来します。鏡柱は1本の太い角柱のようにみ
今日も朝から快晴朝夕はめっきり涼しくなりましたが、昼間は未だ暑い日中の移住地でした。未だ日傘がいります。さて先日岡山を訪ねた時ですが、ランチの後から向かったのは岡山城。岡山駅前から走る路面電車に乗りたくて、みんなで路面電車乗り場まで歩きましたJR駅前から数分で路面電車駅。路面電車は入れ代わり立ち代わりと次々にやってきますが、あっという間に満員になります。ICOCAが使えましたよ城下という駅で下車してお城に向かっていますと、噴水広場のような場所があっ
※2026年2月5日訪問※官兵衛普請の石垣を見学し、入場券売場に戻る途中には【天守の庭】と称される一角が有ります【天守の庭】の案内板が設置されているので確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼「天守の庭」では大天守の人工地盤建設ににあたり、不用となった礎石を元通り天守台の平面形を再現展示しています。大天守を建てる時、柱は礎石の上に据えられました。ところが六千トンもの建物の総重量がかかり、地盤が沈下しました。礎石には高低差が生じ、天守台石垣も東南隅で約26cm沈んで
※2026年2月5日訪問※旧西大柱を見学し、天守に向かおうと思ったところ【官兵衛普請の石垣←50m先】という看板を発見矢印の通り進んで行くと、大きな石垣の壁にぶつかりました✨この部分の石垣が【黒田官兵衛普請の石垣】と推測されています✨石材の加工技術が発達していない時期の石垣と見られ、自然石をそのまま積み上げる『野面積み』の形式で積まれているようです✨◆播磨国・姫路城(白鷺城)大天守旧礎石(天守の庭)/世界文化遺産・国宝・特別史跡◆に続く
※2026年2月5日訪問※三ノ丸跡を天守に向かって歩いて行きますすると【←姫路城大天守大柱展示】と書かれた標柱を発見この長屋のような建物の中に、かつて姫路城の大天守を支えた2本の大柱の1つ【西大柱】が展示されているそうです✨【旧西大柱】の案内板が設置されていますので、確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ここに展示しているのは旧西大柱で、この柱は、かって大天守の地階床から六階床までの各階を、もう一本の東大柱とともに些かの躊躇いもなく力強くつらぬき通し、木造の大き
近くで催しがあったのですが混雑していたのでやめました前回(2024.9.21)から2度目の訪問播磨灘アコウ(雉羽太)ラタトゥイユベトナムグリーンライス播磨灘イサキのベニェターメリック・マッシュポテトパクチー・イタリアンパセリ・ディルレモングラス油神戸ポークのパテ姫路蓮根・無花果・粒マスタード白茄子・ズッキーニ・クレソンババガヌーシュのペーストとデュカ道産鰤コンフィ・バジルピーマンとキウイのガスパチョイエローカレー風味バターナッツ南瓜姫路シャインマスカット(児玉修治
※2026年2月5日訪問※桜門(大手門跡)から先に進むと広大な広場とその向こうに雄大な天守群を臨む事が出来ますこの辺りはかつての【三ノ丸】の跡です【姫路城三ノ丸】の案内板が設置されていますので、確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼桜門橋を渡り、大手門を通ると目の前には、三の丸広場が広がり、その正面に大天守が飛び込んでくる。現在の姫路城の姿である。江戸時代、城の大手は二重枡形門という特に厳重な構造であった。内堀に架かる木製太鼓橋を渡ると、高麗門の桜門があ
※2026年2月5日訪問※現在、姫路城の玄関口として使用されている【桜門】を見て行きましょう桜門橋を渡った先には【大手門】の案内板そして【史跡姫路城】の石碑が建てられていますね✨桜門橋の先にそびえる、堂々たる威容を誇っているのが【桜門】です【桜門】?【大手門】?どっちなんだ??と言う事で色々と調べてみましたこの門は【桜門】という門で、高麗門という形式の門1938年(昭和13年)建築されたもので、当時の軍の車両などが通行しやすいように、高さの有る門として建てられたようですさて、
※2026年2月5日訪問※家老屋敷公園から、内堀に架かる【桜門橋】までやって来ました内堀に架かる桜門橋越しに天守を臨む事が出来ますね📷️この桜門橋を渡って姫路城の中心部へと入って行きます🚶【姫路城大手門と桜門橋】と書かれた案内板が設置されていますので、確認して行きましょう✨▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼姫路城の大手門は、本来三重の城門からなり、城内では最も格調高く厳重な門でした。現在「大手門」と呼んでいる大型の高麗門は昭和13(1938)年に完成したもので、位置や大きさは江