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近鉄上ノ太子駅に到着また、細い旧道を歩いて行きます月読橋という、神話に出てきそうな橋を渡りますしばらく歩くと、杜本神社(もりもとじんじゃ)がありました御祭神は、経津主神(フツヌシノカミ)・経津主姫神(フツヌシヒメカミ)杜本神社の御朱印杜本神社をあとにして、先へ進みます近くには、近鉄駒ヶ谷駅がありましたそして、緑の一里塚住宅街の中を歩いて行くと、川の近くに、道標がありましたいろいろ書いてあるみ
先日、大阪府は羽曳野市を通りました奈良のほうへとぶらっとドライブに行き165号線を走り、そこからどこを走ったかわかりませんが💦、大阪府は羽曳野市へと入りました。そこから国道170号線で河内長野方面へと走り途中でちょっとトイレに行きたくなったので古市駅前の近鉄プラザによりました🅿。そういえば古市駅のすぐ近くにヤマトタケル白鳥伝説の『白鳥神社(しらとりじんじゃ)』🦢があったなあと思い出したので、近鉄プラザから古市駅前の線路を渡って行ってみました【本殿・拝殿】
【大阪】伊岐宮(白鳥神社)はヤマトタケルノミコトが白鳥へと姿を変え飛び立ったという「白鳥伝説」の地世界遺産『百舌鳥・古市古墳群』のある羽曳野市に鎮座しています。【白鳥神社限定御朱印】新たにいただけるようになった英国在住のアーティストフランシス・ノア氏とのコラボ限定御朱印。コラボ御朱印は年末年始までいただけるそうです。御朱印の問い合わせは072
◆伊豆諸島に津波注意報伊豆諸島に津波注意報、間もなく解除(10/5)午前11時ごろ、鳥島近海を震源とするM6.5、震源の深さ17キロの地震があり、気象庁は伊豆諸島に津波注意報を発表していましたが、午後1時15分に津波注意報をすべて解除しました。八丈島の八重根で30センチの津波を観測しています。鳥島近海では今月2日から地震活動が活発となっていて、この活動は、当面続くと考えられるため、引き続き、注意が必要だということです。(引用終了)—アグネス(@agnes2001hisae
かなまろんですブログにお越しくださってありがとうございます前回の続きです『368古墳へGO!1〜まずはビジターセンターへ〜』かなまろんですブログにお越しくださってありがとうございますこの間博物館へハニワを見に行きましたがその記事はコチラ↓『366博物館でハニワ三昧…ameblo.jp『369白鳥伝説の古墳へGO!2〜白鳥神社へ〜』かなまろんですブログにお越しくださってありがとうございます前回の続きです『368古墳
ご訪問ありがとうございます。ヤマトタケルの死後、訃報を聞いて駆けつけた妃たちや王子たちが歌ったという大御葬歌オオミハフリノウタはなぜ今でも天皇の大喪の礼で歌われているのか❓️あの難解な歌は何を歌っているのか❓️今回からはこの謎を解いていこうと思います。さて、ヤマトタケルの伝承では、いわゆる「白鳥陵」は亡くなった地の能褒野ノボノと、今の大阪府羽曳野ハビキノ市(これはヤマトタケルの白鳥の羽が長く伸びていたことにちなむ地名です。)の古市、そして「日本書紀」ではそれに大和琴弾原が加わ
「神様の御用人」、もう10巻まで大人買いしてしまいました『まだ半分ある』と『もう半分しかない』の第5巻、超有名どころ含む四柱でした一柱天孫の鏡邇邇芸命(ニニギノミコト)霧島神宮木花之佐久夜毘売都萬神社(宮崎県西都市)、富士山本宮浅間神社ここで”ザ・天孫”夫妻登場!そして、例に漏れず(?)夫婦問題仮面型の鏡としか話さなくなった夫・邇邇芸命、、、で、例に漏れず素敵に御用人が解決してくれました三種の神器の一つでもあり、真実を映すという鏡、でもその映った姿は”反対
(紀伊国牟婁郡「鬼ヶ城」)◎令和四年(前半)締めくくり的な…とうとう大晦日ですね~わしゃ知らんけど(笑)昨年もやったので今年もやりましょうか。自身の思い出ブログのようなものなので適度にスルーして下さいませ。今年は身体の調子が最初から最後まで整わない一年でした。昨年同様に「前半」と「後半」に分けて。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~【1月】◎昨年末より背中の痛みの持病が悪化。1/5に総産土神の石園坐多久豆玉神社に参拝をするも、再び悪化。石園坐多久豆玉神社
この前三重県の亀山に行った時近くの能褒野神社はヤマトタケルノミコト(日本武尊)が亡くなった地だと知って参って来た⛩私が住んでる地域もヤマトタケルは馴染みがあるんだ。地域の学校行事にはタケル君やタチバナヒメのゆるキャラが応援に来てたから能褒野神社は公園広場と一緒になってて気持ちの良い場所だよ😊道に苔が生えてるなんてビックリした水が流れてるだけで癒し倍増社務所に人は常におられ無い感じで御朱印は頂けずでした。ヤマトタケルは亡くなって白鳥の姿で奈良の御所市冨田と大阪の
今日は良い天気でした。日本武尊の御陵は、かなり巨大です。大阪府の羽曳野市(はびきのし)の古市駅(ふるいちえき)の近くにありまして、古市古墳群(ふるいちこふんぐん)の中にあります。日本🇯🇵の2大古墳群のもう一つは、大阪府の堺市にありまして、百舌鳥駅(もずえき)付近の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)です。ヤマトタケル(日本武尊)は、第12代景行天皇の皇子で、九州から関東まで日本を統一するために東奔西走した様です。その後、帰途の途中の滋賀県の伊吹山で山の神の化身である猪と、それと知らずに闘い亡
ご訪問いただき、ありがとうございます🌈ブログを通じて、ご縁をいただいた皆さまに感謝致します。こんにちは、Akaneです。1年前には、好きな日本の神様はと聞かれてもピンときませんでした。瀬織津姫や菊理媛とは、よく繋がっていた気がしますが、『好き』というのとは少し違うのかも知れません。ここにきて、私、好きだわぁ~と思える神様ができました。じゃ~ん‼日本武尊(ヤマトタケルノミコト)私が神社参拝をするきっかけになった草薙神社のご祭神です。子どもの頃、
日本武尊を巡る旅「能褒野(のぼの)」で亡くなられた日本武尊のお墓はこちらにも伝承がありました😃その地は「能褒野王塚古墳」からほど近くにあります本殿北の白鳥塚は県下最大の円墳で日本武尊の陵墓とされ、本居宣長、平田篤胤らにより延喜の諸陵式のこちらの能褒野墓が有力であると考えました日本武尊が死の間際まで持っておられた「笠」と「杖」を御神体として終焉の地である能褒野墓(白鳥塚)の前に創始されましたこれが神社の始まりだそうですにほんブログ村ポチッとお願いします😊鳥居参道階
☆日本武尊白鳥陵古墳(前の山古墳)河内国古市郡大阪府羽曳野市軽里3丁目(P無し、近隣に停め置きできそうな所は見当たりません)世界文化遺産「古市古墳群」の構成要素の一。景行天皇皇子日本武尊(小碓命)の治定墓。全長190m(200m説有り)の前方後円墳。周濠有り、両側括れ部分に造出有り。前方部幅が後円部直径の1.5倍もあり、高さも前方部の方が高いという珍しい形。允恭天皇陵(惠我長野北陵)と墳計が似ているため同時期の古墳、5世紀後半のものとみられます。日本武尊と允恭天皇では時代で
神話カタリストたけみつです!神話カタリストとは?神話を伝える活動を始めてから、10年!”神話で在り方を整える”という本を出していただくことになりました。友人が素敵な紹介&販売サイトを作ってくれました。是非、一度、覗いてみてください!神話で在り方を整える紹介&販売サイト関空~成田経由で東京に行きました関空の駅から第1ターミナルに行く途中橋のところで...眼に入ってきたのが安彦良和さんの描くヤマトタケル関空でCULTUREGATEtoJA
大阪府羽曳野市を訪れた続きです羽曳野市軽里にある、峰塚公園、噴水のモニュメントは、前方後円墳をイメージしたものてす古代建築を模したトイレもありました約5.3ヘクタールに及ぶ都市公園で、平成元年(1989)に開設された「モニュメントゾーン」をはじめ、「文化イベント広場ゾーン」「管理施設ゾーン」「郷土の森ゾーン」の4つのゾーンで構成されています丘が見えてきました散策路が整備されているので登ってみましょう高台からの風景は、素晴らしいも
2019年12月14日(土)午前中は、大阪マラソン後、初めてランニングする。それから天王寺から急行で15分のところにある羽曳野の古市駅に向かう。初めて降り立った駅。天王寺から近いんだな。今日は私が参加しているコミュニティの定例会で、世界遺産に登録された百舌・古市古墳群を抱える羽曳野市で開催されたのでした。まずは、羽曳野まち歩きガイドの会の案内で、白鳥稜古墳周辺を見学。白鳥稜古墳って、日本武尊が祀られているのは知らなかったよ。グループに分けられて、Rさんと同じ組で、ずっとRさんとマラソン談
前からの続きです。ここまで、名古屋の番割観音から紐解いてきました。この番割観音は、西国三十三ヶ所霊場を模してあり、それには、ヤマトタケルが隠れていました。ヤマトタケルは、伊吹山で負傷し、三重県亀山で三つに折り重なり亡くなり、白鳥になり、名古屋の熱田神宮、白鳥御陵に飛んで行ったと言われます。しかし、何故、三重県の名前の由来にこのような訳の分からない話があるのでしょう?その解釈の先は聞いたことが無いので、私なりに紐解いていくと、白鳥になって飛んで行った熱田(名古屋)の番割観音に答
立秋ですねー😊暑中→残暑に変わるそうです・・・私的にはまだ暑中やけど(´゚д゚`)七十二候では涼風至(すずかぜいたる)🎐🍃8月7日~8月11日ごろまだ残暑は厳しいながらも、ちょっとした瞬間に秋を感じさせる風が吹き、季節の移ろいを感じさせる時期という意味。・・・そうなんや(・∀・)秋を感じさせる風が。ほんまか?(笑)おうちごはん一ノ峯の末廣大神さまのとこの御神酒です😊稲荷山は、色んな種類の御神酒があって面白いです・・・こんなん頂いたんだけど(ありがとう♡)どうしよう🤔
夏本番なのかなーものすごく暑いですね😃💧一ヶ月ほど前に、相方と大阪の羽曳野(はびきの)市、古市(ふるいち)にある白鳥(しらとり)神社さんへ行きました🚶🚶書いてなかったから書きますだいぶ忘れてるけども(´゚д゚`)👇相方のブログに詳しく書いてあります🤗https://ameblo.jp/37516470a/entry-12686504286.html『白鳥神社さんにお参り』以前、彼女とお参りさせてもらった。大阪は羽曳野市古市に鎮座されています白鳥神社さんです。日本武尊(ヤマト
道明寺天満宮を後に、道明寺に向かう。見るからに瀟洒な感じの門。説明書きを読むと、なる程と思った。尼寺だったんだ。後で紹介する野中寺などのゴツゴツした印象と違うわけだ。寺の中の建物もあまり高くなく線が非常に優しい。庭を歩いていても女性らしい心使いを感じる。道明寺の仏さんは、ここが尼寺という目で見るせいか、とても優しい感じの仏さんが庭にあった。道明寺を後にして、允恭天皇陵を見るも、参拝出来る場所なく、木が茂る小山になっているだけであった。ここを後にして、王仁氏の枝氏族の氏寺である葛井寺に向か
世界遺産の古市古墳群は大阪府の藤井寺市と羽曳野市にまたがる訳ですが最初は「羽曳野」が読めなかった。「はびきの」と読みます。名前の由来は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。日本書記によりますと「日本武尊は遠征の帰り道に伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり、白鳥となって大和琴弾原(ことひきはら)を経由して古市に飛来しました。その後、羽を曳くように飛び去った」と伝えらています。主なヤマトタケルの墓は全国で3ヶ所。その内の一つが古市古墳群にあります。白鳥稜古墳といいまして
古市駅の西にある白鳥陵(はくちょうりょう)古墳は世界遺産に含まれています。宮内庁が日本武尊(ヤマトタケルノミコト:第12代景行天皇の皇子)の陵墓に治定してます。羽曳野市による世界遺産としての案内板:長さ200mの前方後円墳です他の天皇・皇族の陵墓同様に拝礼所があります。参道入口宮内庁の案内拝礼所:前方部の台形の底辺の中央、濠を挟んだ手前にあります。前方後円墳であれば他の皇族の場合も同じ。個人的に、日本武尊は聖徳太子と同じくらい知名度があるので、世界遺産でなくても訪れるつもりでした。
20.5/10sun.14:05-18:40近鉄古市駅西出口から西に白鳥交差点を南へ近鉄長野線を渡って東側に安閑天皇古市高屋丘陵(高屋築山古墳)前方後円墳、墳丘長122m、6世紀後半築造ササン朝ペルシャ時代のガラス碗が出土北に戻って、近鉄長野線を渡り左折右折して下西浦橋を渡り近鉄古市検車区沿いに右折、四辻を左折西浦北交差点を右折して国道沿い右に小白髪山古墳前方後円墳、墳丘長46m、6世紀前半築造墳丘軸を清寧天皇綾と揃える陪墳方墳から円墳、小さくても前方後円墳まで陪
安産祈願に対してだけではなく、様々な意味での御礼参りを済ませた誉田八幡宮を後にし、次の探訪地へと向かいます。神社を出てすぐの東高野街道には、武将たちと誉田八幡宮の繋がりを見る事が出来ました。江戸時代の派手やかな車祭(だんじり)の描かれた碑には、平安時代に当地へ移された社殿が、織田信長による兵火によって消失した事。慶長11年(1606年)、豊臣秀頼により再建されたのが現在の社殿である事が書かれていました。信長公による兵火とは、石山本願寺攻めの時でしょうか…。また、秀頼公による再建とは父・
ここ何年か、1月1日は母と散歩するのが恒例となっています。今年も行きました。まずは例年通り日吉神社(地図)でお神酒をいただきました。さらに散歩を続けていると羽曳野市役所の近くに丘のような空き地がありました。説明版があったので見てみたら・・・西馬塚古墳という古墳でした(地図)。この空き地のような丘の古墳が、まさかまさかの世界遺産でした→百舌鳥・古市古墳群、世界遺産に(朝日新聞)さらに進んでいくと「史跡誉田白鳥埴輪製作遺跡」というのがありました。この辺りで埴
名前に釣られて寄ってみました軽羽迦神社。字面で椎根津彦を連想してたのですが、関係なさそうです。ピンボケ鳥居から失礼します。祭り仕様なのか紅白に柱が巻かれてたのですが、工事現場みたい。軽羽からなぜ椎根津彦を連想したかといいますとね。神武一行との出会いの場面で、古事記によると『亀の甲に乗り、釣り為つつ打ち羽挙き来る人、速吸門に遇ふ』とあり、亀の上で釣りしながら羽ばたきながら来たって書かれてるんですよ。かなり怪しいおじさんです。日本書紀では現実味あって、『速吸之門に至ります。時に、
10月4日に訪れました古市(羽曳野市)探訪記の第3弾安閑天皇陵、高屋不動坂古墳を廻ってやって来ましたのは~春日山田皇女陵宮内庁の制札こちらは安閑天皇陵の皇后さんの陵墓になりますこちらも残念ながら世界遺産には登録されていません...。(画像お借りしました)形がわからないのでこちらも空中写真で考古学上は高屋八幡山古墳と呼ばれています6世紀初頭に築造された前方後円墳なんですが、現在は形が変わっており方墳にしか見えませんこれは安閑天皇陵、高屋不動坂古墳でも触れました『高
☆日本武尊琴弾原白鳥陵(白鳥陵)大和国葛上郡奈良県御所市冨田(P無し、近隣に停めておけるスペースも無し)冨田の古い集落の外れ、「御茶山」が御陵に治定されています。日本武尊は伊吹山で病に伏し能褒野で薨じます。その後、白鳥と化し大和国「琴弾原」、河内国古市邑を経て天高く舞い上がったと紀には記されます。その「琴弾原」がこちら。他にも候補地は白鳥神社や白堤神社などがあります。熊襲平定、東国平定へと奔走した日本武尊は、大和への憧憬を次のような歌で示したとされます。「倭は國の真秀ろばた
前記事の大鳥大社の続きさてさて、日本武尊は各地を征伐して宮へ戻る際に病に倒れ亡くなった。伊勢の能褒野で亡くなり、陵墓を作ったが、日本武尊の魂は白鳥になり飛び立って行く。白鳥の飛行ルートが能褒野→大和琴弾原(奈良県御所市)日本武尊白鳥陵→河内古市(大阪府羽曳野市)白鳥陵古墳とされ、その3箇所に陵墓を作ったとされる。そして最後に降り立ったのが大鳥大社である。日本武尊白鳥陵奈良県御所市白鳥陵古墳羽曳野市古市大鳥大社堺市写真は、御所市、羽曳野市、大鳥大社のサイトよりお借りしま